57 / 57
二章
四十七話 綱渡り
しおりを挟む
「ならんぞ、ジアン!」
エルガは大きく、否やを叫んだ。
「獣人に姫の護衛役を務めさせるなど!」
ジアンは澄ました顔で、主の顔を見返していた。焚火が、秀麗な顔に落ちる影を揺らす。
ここで、「歌を覚えさせるなど」とは言わないのが主らしいところだ。で、あるからこそこの話の終局は見えている。
「何も、護衛にするとはいっておりませぬ。武奏曲を覚えてもらうだけです」
「手はいくらあっても足りませぬゆえ」と、付け足されたジアンの言葉に、エルガは「ううむ」と唸った。
主もまた、その言葉に納得するところがあったらしい。
「この地で魔生が出るなど、常ならぬことにございます」
ドルミール領は、のどかな地である。ドミナンからアテルラまでの道で、魔生が出るなど滅多にない。
事実、エルガがドミナンへ赴いた時はのどかそのものであったし、隊を分けていたグルジオからも、魔生の報告は受けていない。
どうにも、不穏な気配がする。そして、それは終わってはいない――むしろ、始まった、そのような感覚だった。
皆がどこか落ち着かぬ顔で野営をするには、それが大きな理由だった。
「うむ。たしかにそうだ」
「あの者らは、獣人なれど姫様の世話係。自ずから側にいるときもありましょう――覚えさせておいて、損はないかと」
ジアンはつらつらとたたみかけた。エルガは腕組みをし、真剣な顔で火を見つめる。
「そうだな……軍としては情けなきことではあるが、姫の御為だ」
うんとエルガがはっきりと頷く。
ジアンは、その様子に微笑した。
わが主は、姫のことを守ろうと、まことに心を砕かれている。
「よきようにはからってくれ、ジアン」
「かしこまりました」
「して。姫のご様子はどうだ?」
「穏やかにございますよ」
「そうか……」
「魔生には、少し驚かれたようですが。武奏曲のことも、熱心にお聞きになっておりました」
「そうか……気丈なお方だからな」
エルガが、目蓋の裏に至上の美の姿を描いているのが、ジアンにはわかった。
「ご苦労、ジアン」
ジアンは目を伏せる。
「引き続き頼む」
「万事よきようにはからいます」
エルガの言葉に、ジアンは心得顔で、一礼する。
姫の世話役としてだけではない。
――出発の前に、姫を襲った不幸。姫は、気丈に振る舞われているが……兵士を見るとわずかに身構えるようになった。
それに対し、主は酷く憤り――心を痛めていた。
「二度とあのようなことがないようにしたい」との主の言葉に――ジアンは兵の配置などにたいそう気を配っていた。
(主は、たいそうもどかしい思いだろう)
ジアンは、歯がゆくなる。
しかし、はやってはならない。綱渡りをしている――その自覚を持ち続けなければ。
ただでさえ、この道中は、信用ならぬ者ばかりなのだ。
(今、他の者に出し抜かれるわけにはいかぬ)
この旅はきっと、主にとっても深い意味を持つ。その道ゆきを、何びとたりとも邪魔させはしない。
主のための手駒を増やさねばならない。
今、主に頭をたれ従っている兵士たちも、皆ドルミール卿の配下だ。
この際、種族はかまわない。
誰の息のかからぬものが必要だ。
(そして、大切なのは姫のお心だ)
ジアンは、空を仰ぐ。
そう――何より姫が、たいそうあの獣人たちを大切に扱っている。
姫に、獣人への嫌悪はない。
それはまだ、外の世界のことを知らないゆえととることもできるが……
あの魂問いの光景がよみがえる。
カルニ王もまた、獣人の始祖と共に旅をしたという。
その結末は、皆の預かり知るところであるが――カルニ王は終生、獣人を愛していたと聞く。
ならば、カルニ王の子孫たる姫が、獣人を厚遇することに、何か意味があるのかもしれない。
(はやるなといっている!)
ジアンは己を叱咤する。なにもかも、伝承に照らし合わせるのは、危険だ。
(そう。いまは姫の心穏やかにあるように、はからう)
姫の周囲を、姫の信をおくもので固める。
ひいては、それが主のためとなるだろう。
「ジアンよ、喉がかわいた。お前も飲め」
「すぐに」
息をつくと、ジアンは水に糸をたらした。
糸の色の変化がないと見るや、主へと運ぶ。
(もとより、獣道。私のなすことはどこでも変わらない)
さて、これからどうするか……ジアンは思案を巡らせた。
獣人たちが、武奏曲を!
そのうわさは、隊をかけめぐった。
「まさか」
「嘘だろう……獣人だぞ」
兵士たちは目を泳がせる。
――信じられない。
誰の彼の目も、そう言っていた。
「ジアン殿の指示だと……」
「何だと……」
誰かが口火を切ったと見るや、どよめきは形を持った。
「何の酔狂だ」
「われらは獣人以下だというのか?」
「出過ぎではないのか……」
皆の目が、どう猛に光りだす。彼らは今、エルガ卿の配下とはいえ、もともとはドルミール伯のお抱えの兵士たちだ。
(真に頭を垂れたわけではない……というところか)
ぴりぴりと殺気立つ兵士たちを尻目に、エレンヒルは闊歩していた。
ジアンもまた、強引な手に出たものだ。ただでさえ、兵の配置などをジアンが一手に担うことに、反発を覚えるものも多かったというのに……不満は高まるだろう。
これしき、予測できない男でもないだろうに。
(よほど手勢がほしいと見えるな)
エレンヒルは、眉一つ動かさず、此度の沙汰を皮肉る。
無理もない。あの戦だけが取り柄の第三令息だ。あれを押し上げようと必死というわけだ。
此度の旅は、それほどに意味を持つ。
(しかし)
これは、こちらにとっても吉兆かもしれない。皆が己のために動き出している。
その隙ほど、甘いものはない。
(焦るな)
エレンヒルは、心の底が熱く焦がれるのを、静かに静かに飼い慣らした。
まずは、この波をどう使うか……手並の拝見というところだ。
エルガは大きく、否やを叫んだ。
「獣人に姫の護衛役を務めさせるなど!」
ジアンは澄ました顔で、主の顔を見返していた。焚火が、秀麗な顔に落ちる影を揺らす。
ここで、「歌を覚えさせるなど」とは言わないのが主らしいところだ。で、あるからこそこの話の終局は見えている。
「何も、護衛にするとはいっておりませぬ。武奏曲を覚えてもらうだけです」
「手はいくらあっても足りませぬゆえ」と、付け足されたジアンの言葉に、エルガは「ううむ」と唸った。
主もまた、その言葉に納得するところがあったらしい。
「この地で魔生が出るなど、常ならぬことにございます」
ドルミール領は、のどかな地である。ドミナンからアテルラまでの道で、魔生が出るなど滅多にない。
事実、エルガがドミナンへ赴いた時はのどかそのものであったし、隊を分けていたグルジオからも、魔生の報告は受けていない。
どうにも、不穏な気配がする。そして、それは終わってはいない――むしろ、始まった、そのような感覚だった。
皆がどこか落ち着かぬ顔で野営をするには、それが大きな理由だった。
「うむ。たしかにそうだ」
「あの者らは、獣人なれど姫様の世話係。自ずから側にいるときもありましょう――覚えさせておいて、損はないかと」
ジアンはつらつらとたたみかけた。エルガは腕組みをし、真剣な顔で火を見つめる。
「そうだな……軍としては情けなきことではあるが、姫の御為だ」
うんとエルガがはっきりと頷く。
ジアンは、その様子に微笑した。
わが主は、姫のことを守ろうと、まことに心を砕かれている。
「よきようにはからってくれ、ジアン」
「かしこまりました」
「して。姫のご様子はどうだ?」
「穏やかにございますよ」
「そうか……」
「魔生には、少し驚かれたようですが。武奏曲のことも、熱心にお聞きになっておりました」
「そうか……気丈なお方だからな」
エルガが、目蓋の裏に至上の美の姿を描いているのが、ジアンにはわかった。
「ご苦労、ジアン」
ジアンは目を伏せる。
「引き続き頼む」
「万事よきようにはからいます」
エルガの言葉に、ジアンは心得顔で、一礼する。
姫の世話役としてだけではない。
――出発の前に、姫を襲った不幸。姫は、気丈に振る舞われているが……兵士を見るとわずかに身構えるようになった。
それに対し、主は酷く憤り――心を痛めていた。
「二度とあのようなことがないようにしたい」との主の言葉に――ジアンは兵の配置などにたいそう気を配っていた。
(主は、たいそうもどかしい思いだろう)
ジアンは、歯がゆくなる。
しかし、はやってはならない。綱渡りをしている――その自覚を持ち続けなければ。
ただでさえ、この道中は、信用ならぬ者ばかりなのだ。
(今、他の者に出し抜かれるわけにはいかぬ)
この旅はきっと、主にとっても深い意味を持つ。その道ゆきを、何びとたりとも邪魔させはしない。
主のための手駒を増やさねばならない。
今、主に頭をたれ従っている兵士たちも、皆ドルミール卿の配下だ。
この際、種族はかまわない。
誰の息のかからぬものが必要だ。
(そして、大切なのは姫のお心だ)
ジアンは、空を仰ぐ。
そう――何より姫が、たいそうあの獣人たちを大切に扱っている。
姫に、獣人への嫌悪はない。
それはまだ、外の世界のことを知らないゆえととることもできるが……
あの魂問いの光景がよみがえる。
カルニ王もまた、獣人の始祖と共に旅をしたという。
その結末は、皆の預かり知るところであるが――カルニ王は終生、獣人を愛していたと聞く。
ならば、カルニ王の子孫たる姫が、獣人を厚遇することに、何か意味があるのかもしれない。
(はやるなといっている!)
ジアンは己を叱咤する。なにもかも、伝承に照らし合わせるのは、危険だ。
(そう。いまは姫の心穏やかにあるように、はからう)
姫の周囲を、姫の信をおくもので固める。
ひいては、それが主のためとなるだろう。
「ジアンよ、喉がかわいた。お前も飲め」
「すぐに」
息をつくと、ジアンは水に糸をたらした。
糸の色の変化がないと見るや、主へと運ぶ。
(もとより、獣道。私のなすことはどこでも変わらない)
さて、これからどうするか……ジアンは思案を巡らせた。
獣人たちが、武奏曲を!
そのうわさは、隊をかけめぐった。
「まさか」
「嘘だろう……獣人だぞ」
兵士たちは目を泳がせる。
――信じられない。
誰の彼の目も、そう言っていた。
「ジアン殿の指示だと……」
「何だと……」
誰かが口火を切ったと見るや、どよめきは形を持った。
「何の酔狂だ」
「われらは獣人以下だというのか?」
「出過ぎではないのか……」
皆の目が、どう猛に光りだす。彼らは今、エルガ卿の配下とはいえ、もともとはドルミール伯のお抱えの兵士たちだ。
(真に頭を垂れたわけではない……というところか)
ぴりぴりと殺気立つ兵士たちを尻目に、エレンヒルは闊歩していた。
ジアンもまた、強引な手に出たものだ。ただでさえ、兵の配置などをジアンが一手に担うことに、反発を覚えるものも多かったというのに……不満は高まるだろう。
これしき、予測できない男でもないだろうに。
(よほど手勢がほしいと見えるな)
エレンヒルは、眉一つ動かさず、此度の沙汰を皮肉る。
無理もない。あの戦だけが取り柄の第三令息だ。あれを押し上げようと必死というわけだ。
此度の旅は、それほどに意味を持つ。
(しかし)
これは、こちらにとっても吉兆かもしれない。皆が己のために動き出している。
その隙ほど、甘いものはない。
(焦るな)
エレンヒルは、心の底が熱く焦がれるのを、静かに静かに飼い慣らした。
まずは、この波をどう使うか……手並の拝見というところだ。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
わたくしがお父様に疎まれている?いいえ、目に入れても痛くない程溺愛されております。
織り子
ファンタジー
王国貴族院の卒業記念パーティーの場で、大公家の令嬢ルクレツィア・アーヴェントは王太子エドワードから突然の婚約破棄を告げられる。
父であるアーヴェント大公に疎まれている――
噂を知った王太子は、彼女を公衆の面前で侮辱する。
【完結】平凡な魔法使いですが、国一番の騎士に溺愛されています
空月
ファンタジー
この世界には『善い魔法使い』と『悪い魔法使い』がいる。
『悪い魔法使い』の根絶を掲げるシュターメイア王国の魔法使いフィオラ・クローチェは、ある日魔法の暴発で幼少時の姿になってしまう。こんな姿では仕事もできない――というわけで有給休暇を得たフィオラだったが、一番の友人を自称するルカ=セト騎士団長に、何故かなにくれとなく世話をされることに。
「……おまえがこんなに子ども好きだとは思わなかった」
「いや、俺は子どもが好きなんじゃないよ。君が好きだから、子どもの君もかわいく思うし好きなだけだ」
そんなことを大真面目に言う国一番の騎士に溺愛される、平々凡々な魔法使いのフィオラが、元の姿に戻るまでと、それから。
◆三部完結しました。お付き合いありがとうございました。(2024/4/4)
愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました
由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。
尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。
けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。
そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。
再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。
一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。
“尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。
静かに離婚しただけなのに、
なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。
その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。
そこで待っていたのは、最悪の出来事――
けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。
夫は愛人と共に好きに生きればいい。
今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。
でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。
妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。
過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――
望まぬ結婚をさせられた私のもとに、死んだはずの護衛騎士が帰ってきました~不遇令嬢が世界一幸せな花嫁になるまで
越智屋ノマ
恋愛
「君を愛することはない」で始まった不遇な結婚――。
国王の命令でクラーヴァル公爵家へと嫁いだ伯爵令嬢ヴィオラ。しかし夫のルシウスに愛されることはなく、毎日つらい仕打ちを受けていた。
孤独に耐えるヴィオラにとって唯一の救いは、護衛騎士エデン・アーヴィスと過ごした日々の思い出だった。エデンは強くて誠実で、いつもヴィオラを守ってくれた……でも、彼はもういない。この国を襲った『災禍の竜』と相打ちになって、3年前に戦死してしまったのだから。
ある日、参加した夜会の席でヴィオラは窮地に立たされる。その夜会は夫の愛人が主催するもので、夫と結託してヴィオラを陥れようとしていたのだ。誰に救いを求めることもできず、絶体絶命の彼女を救ったのは――?
(……私の体が、勝手に動いている!?)
「地獄で悔いろ、下郎が。このエデン・アーヴィスの目の黒いうちは、ヴィオラ様に指一本触れさせはしない!」
死んだはずのエデンの魂が、ヴィオラの体に乗り移っていた!?
――これは、望まぬ結婚をさせられた伯爵令嬢ヴィオラと、死んだはずの護衛騎士エデンのふしぎな恋の物語。理不尽な夫になんて、もう絶対に負けません!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる