夜は嘘にふるえてる

小槻みしろ

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七話 キャンディ

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 授業が終わると、放課後、教室で汐里と適当に時間をつぶした。
 空が真っ赤に染まったころ、汐里が「バイトだから」と教室を出て行った。
 私はそれを見送り、赤く染まった時計を、ぼんやりと見上げた。
 見送ってはみたものの、実際残る用事もなかった。ただ、一人で帰りたかった。窓の外から、何部か知らないけれど、かけ声が聞こえる。
 部活に入ればよかったかもしれない。
 部活は楽しいだろうか?
 入ったら、母に絶対にいい気はされない。でも入らなくたって同じで、覇気がないとかなんとか言われるだけだ。
 それでも、パートから帰ってきて疲れて苛ついた様子の母に、「何がしたいです」とか、「何がほしいです」とか、一生懸命プレゼンして、納得してもらう労力を考えれば、その方がましだった。

「そんなに覇気がないなら、お姉ちゃんと代わってあげて欲しいわ」

 ティッシュを捨てるくらいの調子で母が言う。
 それならそれでいいような気もする。
 辛い思いをして死ぬのなんて、絶対に嫌だ。けれど、私にはやりたいことがない。情熱がない。何もないのだ。
 真っ赤に燃えた空を見上げ、歩きながら思う。
 汐里がくれたイチゴミルク味のチュッパチャップスは、頬の内側をしびれさせた。長時間、キャンディを押し付けてしわしわになったそこを、味わうのが好きだ。
 口から取り出して、何となく形を見てみる。凸凹が無くなって、正真正銘の、球体になっている。
 いつもこの変化に、がっかりするような、夢が覚めてしまうような、残念な気持ちになる。
 まだずっとずっと、小さな頃からそうだ。
 私は、チュッパチャップスの下手な土星みたいなこの形が好きだった。
 なのに、球体になった姿を、いつも見てしまう。
 がっかりするってわかっているのに。

 こんな時の気持ちを誰に向かって、言えばいいのかよくわからない。
 そもそも言う必要があるのかどうかさえ、私には判別できない。
 くだらない――でもくだらないとは言われたくない、相反するウェットな気持ちをはらんでいる。自分でもくだらないことだと思うのに、変な話だった。
 けれど、こういう気持ちは年々ひどくなっていて、激しく胸の中にへばりついて意固地になっている。
 それで結局、私は口をつぐむのだ。
 たとえば今、「しょせんキャンディ一つの事だし」そんな風に切り捨てたみたいにして。
 口の中に、キャンディをまた放り込んだ。
 空を見れば、赤が群青に溶け込み始めていた。ずいぶん、ぼんやりしていたみたいだ。歩いていたつもりなのに、まだ帰り道の半ばまでしか来ていない。
 ――母は、まだ病院だろうか。それとも、まだ、あのまま座っている?
 出がけの母の姿が脳裏によぎった。
 こんな時に、私みたいなものが母にかける言葉なんて、見当たるはずもなかった。家の中の沈黙は、息を詰まらせて痛いだけだった。
 帰りたくない、何となく思った。
 でも、この気持ちだって、キャンディの時のそれとまた、同じだ。
 そんなことを思ったって、私の帰る場所が変わるわけじゃない。そもそも私の帰る場所、なんていうものがあるのだろうか。
 ――ない。少なくとも、今は。
 それなら、早く感傷は切り捨てて、足を進めなきゃいけない。止まれば、きっともっともっと重くて苦しくなるのだから。

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