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王宮のパーティで(1) 公爵家嫡男としてご挨拶を
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季節は初夏。
空はオレンジ色に染まり、星が輝き始める時刻。
ライラは王城の前で馬車を降り、大扉に続く階段を昇る。大扉の両脇に控えた衛兵が左右の扉をゆっくりと開けば、きらびやかな光と賑やかな人の声とが渾然一体となって溢れ出す。
むき出しの肩で感じる人熱《ひといき》れ。
響く靴の音《ね》。
歩く度に銀の髪が揺れ、白い肌に纏う黄昏色のドレスは微かな衣擦れの音をたてる。不躾に注がれる好奇な目と好色な目にそれぞれ赤紫色の視線を涼しげに流してやれば、あるいは顔を伏せ、あるいは魅入られて立ち尽くす。
それは、美しい令嬢と見ればすぐに近づき口説き始める男達ですら言葉を失って動けなくなってしまう程に凄絶な美貌だった。
――――――人形みたい。
ふとそんな声が聞こえた気がして、ライラは双眸を僅かに伏せた。
「あっ!ライラ!待っていたのよ」
ホール中央から王太子妃リリアナが呼ぶ声が聞こえた。
くるりと方向を変えそちらに向かうと、紺色のドレスを纏うリリアナが居り笑顔で佇んでいた。
「リリー様、本日はお招きくださってありがとうございます」
膝を屈めて礼をする。
リリアナはライラの手をとり、黒い瞳をキラキラと輝かせて言った。
「来てくれて嬉しいわ。あなたってどうしてこんなに全部美しいのかしら」
ライラを眺めて恍惚としたのちに、はっとしてこほんとひとつ咳払いをする。
それから優しい瞳で言った。
「使い魔の承認おめでとう。ライラ」
「リリー様。ありがとうございます」
自然とほのかに笑んでライラは答えた。無機質な美貌の人形のような顔に血色が差し、リリアナも周囲から見ているものも思わず見惚れる。
そんな周囲には気付かずライラは照れた様子で言った。
「承認も降り、初めての社交の場でこうしてリリー様にお目にかかれたこと。本当に嬉しく思っております」
シュレーターと対峙して少し経った日のこと、王宮から屋敷に通達があった。
============
ライラ=ブラッドリーの使い魔ギルバードを変化の有無に関わらず承認する。
併せて監視を終了し、発信装置の携帯も不要とする。
=============
ご丁寧に変化について記載されていることをギルバードは訝しんでいたものの、ライラはようやくギルバードと堂々と活動できるようになると知って心の底から喜び安堵した。
満を持して屋敷の使用人達を集めて変化したギルバードを紹介したところ、アンナは驚いて数メートルあとずさり、セオドアに至っては腰を抜かして後ろに倒れかけ、慌ててギリアンが支えるという有り様だった。
去年から待ち望んでいた念願の承認。
皆喜んでくれておめでとうと言ってくれた。
ギルバードは王宮のパーティのエスコートは自分がすると息巻いて、ライラももちろんお願いするつもりで過ごしていた。
なのに。
せっかく、承認が降りたのに。
―――ギル。
気分を悟られないように、ライラは少し俯いてリリアナと並んでホールを歩く。
「あれからどう過ごしていたの?」
リリアナはシャンパングラスを2つ受けとり、ライラに1つ渡して尋ねた。
「王宮の図書館に足を運んだり、森に行ったり、いろいろとしておりました」
「森に?」
「はい、野草などを探しに。春休みと称して仕事を少しお休みしておりますので自由な時間を過ごそうかと」
「そう。ライラも動物や植物が好きなのかしら?」
頷くとリリアナはぱっと瞳を輝かせて、
「それならシャイレーン公爵領の動植物園にいらして頂戴!アルゴンではあそこにしかいない生き物もいるし動物とのふれあい体験もできるわ。それにあなたにぜひとも見て欲しい生き物がいるの」
茶目っ気のある瞳をして言う。
マリアンナのことがあり、シャイレーン公爵領に行くことなどこれまでは考えたこともなかったが、
「ええ、必ず参ります」
そう答えればリリアナはにっこりと微笑んだ。
それから少し間を置いて。
「そう言えば、あの後アランとは会った?」
「............いいえ」
ライラはシャンパンの泡を見ている。
表情の乏しい顔からは何を考えているのか窺えない。
「ギルバードが承認され監視の目も外れました。そうなるとお会いする機会も特段ありませんし。それにマリアンナ様を帯同して各地の視察に忙しくされていると聞いております」
マリアンナと一週間以上の地方視察。
巷では二人は婚約間近と囁かれている。
「...... そう。アランは昨日帰ってきているわ。今日のパーティに来るように伝えているから、もう少ししたら来ると思うのだけど」
「お見かけしたらご挨拶に参ります」
リリアナはライラの様子を見、落ち込んでいると思った。
またどこか不安気にも。
その時、はたと気づく。
「あら?そう言えば今日ギルバードは?」
その瞬間、一気にライラの表情が暗くなる。
「............屋敷で眠っています」
「眠ってる?」
ふたりはいつも一緒にいると聞く。
変化で青年になれるとも聞いているのに。
「待って、まさか体調でも」
「脱皮準備するそうで」
「あ、ああ...。そういうことね」
リリアナは動植物園で見た蛇の脱皮期間を思い出す。
個体差はあるが全身白濁し、気だるくぐったりとして動かなくなっていることが多かったように思う。
「大丈夫よライラ。生理現象だもの。お水をとらせて湿度を上げてあげたら後は見守るだけよ」
「リリー様、ありがとうございます」
ライラの赤紫色の瞳が悲しげに潤む。
「私本当に心配で。この前まであんなに元気だったのに今は目も見えてませんし、触った感触も力なく柔らかくなっていて。何かあったとしても蛇を診てくれるお医者様はいないので私は見ていることしか......」
その様は弱り切った小動物のようで、リリアナは胸が痛くなる。
使い魔として召喚される動物は主人が責任をもって育てなければならない。召喚される各種動物については飼育本が出ているのだが、蛇は前例のない生き物のためそのような用意はなかった。王宮の図書館を見ても蛇飼育に関する書籍はなく、ライラは途方に暮れていた。
「心配よね。私も去年スノーボールがお腹を怪我した時に、胸が潰れるような気持ちになったわ」
スノーボールとはリリアナの使い魔の白銀の狐の名である。
「代わってあげられたらって思うわよね」
「はい。本当に仰る通り...。スノーボールは今はもうすっかり元気になられたのですか」
「ええ!治って今は元気いっぱいよ。......そうだわ、ライラ。先ほどの動植物園の話に戻るのだけど、園長は蛇にも詳しいの。お世話について相談してみましょう」
リリアナの言葉にライラは目を見開く。
「はい!!」
それは是非とも話を聞きに行かなくては。
脱皮の件以外にもいろいろと知見を聞いてみたい。
「心配は尽きないでしょうけれど、多少気持ちは軽くなった?」
「はい。リリー様、ありがとうございます」
お世辞でも社交辞令でもなく本心だった。屋敷にいると嫌な物思いばかりしてしまうため、今日はリリアナとも話したくてやってきたのだ。
一方リリアナは、義理の弟アランに対して苛立ちを覚えていた。
王命で視察スケジュールを隙間なくぎちぎちに詰め込まれて大変なのは知っている。ライラの血筋がイーリアス王家由来だと知らされて思うところもあるのかもしれない。
しかし、連絡もせず放っておくのはいただけない。
回想する。
それは王太子デオンと結婚する前のこと、彼と半年ほど会えない時期があった。半年経ってデオンから紙の束が届き、何事かと思えばそれは経緯とプロポーズとも取れる言葉を綴った手紙で、それを読んだリリアナはプロポーズを喜ぶでもなく、半年一切連絡がなかったことに憤慨し、デオンに檄を飛ばしたのだった。
兄弟揃ってまったく気が利かないんだから、と心の中で二人を殴る。
「今日は気分転換しましょう!ほら、あちらに知り合いがいるわ」
リリアナに促されて視線を移すとそこにはナインハルトが女性に囲まれて立っていた。
ナインハルトはちらとこちらを見、一瞬そらしたかと思えば驚いて二度見三度見をしてくる。
リリアナがひらひらと手を振れば、彼は周りの女性に柔和な笑みで断りをいれて場を離れてやってくる。
「王太子妃様。それに......」
「お久しぶりです。ナインハルト様」
挨拶するもナインハルトは呆けた顔でライラを見ていた。リリアナは、ずいとナインハルトに近づき低い声で、
「レイチェルを探してくるからライラと一緒にいて。いい?絶ッッッ対一人にしちゃだめよ」
さっと離れてライラに笑顔で向き直る。
「ちょっと外すわね。少ししたら戻るから中庭辺りで待っていて」
そう言ってそそくさと去っていった。
「......レディ、お久しぶりです」
ナインハルトは微笑みを浮かべ、やっと挨拶をした。
「ギルバードが承認されたと聞きました。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
答えながらライラは首を傾げてナインハルトを見る。白い貴族の服が良く似合っていると思いつつ、違和感を感じていた。
「なんだか不思議です」
「なにがです?」
「剣がないなと」
ナインハルトは自身の腰元を見、たしかにと頷く。
「レディといる時は常に剣を持っていましたからね」
くすりと笑いライラの手をとる。
「今日だけは剣士ではなく、ベルシュギール公爵家嫡男としてお目にかかります。では中庭に参りましょう」
「はい、ナインハルト様」
ライラは周囲の女性達の嫉妬と羨望が混ざる視線を感じながらも素知らぬふりを貫いて歩き、ナインハルトは中庭に着いた途端に他の家門の令息達がライラを凝視する様を見て彼らの視線を遮るように立つ。
これはまずいと内心呟く。
絶世の美女。
そうとしか表現できない。
夜会の装いで着飾った姿はただ美しいだけでなく大人の色香を漂わせる。憂うように所在なさ気に立つ姿は声を掛けてくれと言わんばかりに映る。
絶対一人にするなと言われたが、そんなことできるわけがない。剣がないことを悔やみながらも注がれる眼差しを牽制する。
すると、俯きがちに立つライラが微かにため息をつくのが聞こえた。
見ればどことなく表情が沈んでいる気がした。
ナインハルトは身を屈めてライラの顔を覗き込み、ライラは真顔で、しかし内心どぎまぎとして立つ。
「レディ、もしかしてお疲れですか?いつもの元気がないような気が」
「いえ、疲れてはおりません」
リリアナもナインハルトもよく人を見ている。
そう思いながらライラは口を開く。
「実は――――――」
ギルバードの件についてかいつまんで伝える。
「心配ですね...」
「ええ。ひどくだるそうで代わってあげたいと心底思います。元気であれば今日一緒に来るはずだったのに」
その瞳には寂しさがあった。
ナインハルトはどうにか元気づけたいと思ったもののいい言葉が見つからず、考えた末に、
「明日、お時間ありませんか?」
ライラは目を上げる。
「明日でしたら特に予定はありませんが...」
「でしたらどこかレディの行きたい所に行きましょう。ギルバードの代わりに護衛しますよ」
ライラは驚いて瞬きをする。
「いいのですか?ナインハルト様にはせっかくの休日なのでは」
「いえ!むしろご一緒するため、これから休みをとるのです」
そう言って何故か誇らしげに胸を張る様子が面白くて、思わずライラは、
「ふっ...も、申し訳ありません。急にお休みをとることが可能なのですか?」
「あっ、ええ、まあ。むしろ休みが溜まってるので休めと言われているくらいなので」
返しながらナインハルトは呆気にとられていた。こんな風に笑うのを見るのは初めてで、可憐な笑顔に思わずどきりとしてしまった。
ナインハルトの動揺には気づかずライラは言った。
「ではお言葉に甘えさせていただいて。ナインハルト様、弓のオーダーメイドが可能なお店を知りませんか?」
ナインハルトは続けて驚く。
「知っておりますが」
「でしたらそのお店にお連れください。自分用の弓を作りたいのです」
「レディは弓をやるのですか?」
その言葉にライラははっとした。
あの日、彼に同じことを聞かれたのだ。
目を伏せて答える。
「ええ。ただ男性用に作られている弓は私には扱いづらくて。自分用のものが欲しいのです」
「なるほど」
確かにいずれの武器も女性が扱うようには作られていない。
ナインハルトは微笑んで頷いた。
「わかりました。ご案内しましょう」
「ちなみに、お店の場所はどちらでしょう」
「王都にある店です。メガロス市場から国内外の武器や部品を仕入れているので、きっとレディの気に入るオーダーができるかと思いますよ」
国内外の武器が見られる。
どんな場所か想像がつかないものの興味が湧いてきた。
「楽しみです。明日、王宮の正門前に10:00頃に待ち合わせでいかがでしょう」
はりきった調子で言うライラに、ナインハルトは安堵し微笑む。
「ええ、わかりました」
その時。
「ライラ!お待たせしたわね」
横から女性の声がかけられた。
空はオレンジ色に染まり、星が輝き始める時刻。
ライラは王城の前で馬車を降り、大扉に続く階段を昇る。大扉の両脇に控えた衛兵が左右の扉をゆっくりと開けば、きらびやかな光と賑やかな人の声とが渾然一体となって溢れ出す。
むき出しの肩で感じる人熱《ひといき》れ。
響く靴の音《ね》。
歩く度に銀の髪が揺れ、白い肌に纏う黄昏色のドレスは微かな衣擦れの音をたてる。不躾に注がれる好奇な目と好色な目にそれぞれ赤紫色の視線を涼しげに流してやれば、あるいは顔を伏せ、あるいは魅入られて立ち尽くす。
それは、美しい令嬢と見ればすぐに近づき口説き始める男達ですら言葉を失って動けなくなってしまう程に凄絶な美貌だった。
――――――人形みたい。
ふとそんな声が聞こえた気がして、ライラは双眸を僅かに伏せた。
「あっ!ライラ!待っていたのよ」
ホール中央から王太子妃リリアナが呼ぶ声が聞こえた。
くるりと方向を変えそちらに向かうと、紺色のドレスを纏うリリアナが居り笑顔で佇んでいた。
「リリー様、本日はお招きくださってありがとうございます」
膝を屈めて礼をする。
リリアナはライラの手をとり、黒い瞳をキラキラと輝かせて言った。
「来てくれて嬉しいわ。あなたってどうしてこんなに全部美しいのかしら」
ライラを眺めて恍惚としたのちに、はっとしてこほんとひとつ咳払いをする。
それから優しい瞳で言った。
「使い魔の承認おめでとう。ライラ」
「リリー様。ありがとうございます」
自然とほのかに笑んでライラは答えた。無機質な美貌の人形のような顔に血色が差し、リリアナも周囲から見ているものも思わず見惚れる。
そんな周囲には気付かずライラは照れた様子で言った。
「承認も降り、初めての社交の場でこうしてリリー様にお目にかかれたこと。本当に嬉しく思っております」
シュレーターと対峙して少し経った日のこと、王宮から屋敷に通達があった。
============
ライラ=ブラッドリーの使い魔ギルバードを変化の有無に関わらず承認する。
併せて監視を終了し、発信装置の携帯も不要とする。
=============
ご丁寧に変化について記載されていることをギルバードは訝しんでいたものの、ライラはようやくギルバードと堂々と活動できるようになると知って心の底から喜び安堵した。
満を持して屋敷の使用人達を集めて変化したギルバードを紹介したところ、アンナは驚いて数メートルあとずさり、セオドアに至っては腰を抜かして後ろに倒れかけ、慌ててギリアンが支えるという有り様だった。
去年から待ち望んでいた念願の承認。
皆喜んでくれておめでとうと言ってくれた。
ギルバードは王宮のパーティのエスコートは自分がすると息巻いて、ライラももちろんお願いするつもりで過ごしていた。
なのに。
せっかく、承認が降りたのに。
―――ギル。
気分を悟られないように、ライラは少し俯いてリリアナと並んでホールを歩く。
「あれからどう過ごしていたの?」
リリアナはシャンパングラスを2つ受けとり、ライラに1つ渡して尋ねた。
「王宮の図書館に足を運んだり、森に行ったり、いろいろとしておりました」
「森に?」
「はい、野草などを探しに。春休みと称して仕事を少しお休みしておりますので自由な時間を過ごそうかと」
「そう。ライラも動物や植物が好きなのかしら?」
頷くとリリアナはぱっと瞳を輝かせて、
「それならシャイレーン公爵領の動植物園にいらして頂戴!アルゴンではあそこにしかいない生き物もいるし動物とのふれあい体験もできるわ。それにあなたにぜひとも見て欲しい生き物がいるの」
茶目っ気のある瞳をして言う。
マリアンナのことがあり、シャイレーン公爵領に行くことなどこれまでは考えたこともなかったが、
「ええ、必ず参ります」
そう答えればリリアナはにっこりと微笑んだ。
それから少し間を置いて。
「そう言えば、あの後アランとは会った?」
「............いいえ」
ライラはシャンパンの泡を見ている。
表情の乏しい顔からは何を考えているのか窺えない。
「ギルバードが承認され監視の目も外れました。そうなるとお会いする機会も特段ありませんし。それにマリアンナ様を帯同して各地の視察に忙しくされていると聞いております」
マリアンナと一週間以上の地方視察。
巷では二人は婚約間近と囁かれている。
「...... そう。アランは昨日帰ってきているわ。今日のパーティに来るように伝えているから、もう少ししたら来ると思うのだけど」
「お見かけしたらご挨拶に参ります」
リリアナはライラの様子を見、落ち込んでいると思った。
またどこか不安気にも。
その時、はたと気づく。
「あら?そう言えば今日ギルバードは?」
その瞬間、一気にライラの表情が暗くなる。
「............屋敷で眠っています」
「眠ってる?」
ふたりはいつも一緒にいると聞く。
変化で青年になれるとも聞いているのに。
「待って、まさか体調でも」
「脱皮準備するそうで」
「あ、ああ...。そういうことね」
リリアナは動植物園で見た蛇の脱皮期間を思い出す。
個体差はあるが全身白濁し、気だるくぐったりとして動かなくなっていることが多かったように思う。
「大丈夫よライラ。生理現象だもの。お水をとらせて湿度を上げてあげたら後は見守るだけよ」
「リリー様、ありがとうございます」
ライラの赤紫色の瞳が悲しげに潤む。
「私本当に心配で。この前まであんなに元気だったのに今は目も見えてませんし、触った感触も力なく柔らかくなっていて。何かあったとしても蛇を診てくれるお医者様はいないので私は見ていることしか......」
その様は弱り切った小動物のようで、リリアナは胸が痛くなる。
使い魔として召喚される動物は主人が責任をもって育てなければならない。召喚される各種動物については飼育本が出ているのだが、蛇は前例のない生き物のためそのような用意はなかった。王宮の図書館を見ても蛇飼育に関する書籍はなく、ライラは途方に暮れていた。
「心配よね。私も去年スノーボールがお腹を怪我した時に、胸が潰れるような気持ちになったわ」
スノーボールとはリリアナの使い魔の白銀の狐の名である。
「代わってあげられたらって思うわよね」
「はい。本当に仰る通り...。スノーボールは今はもうすっかり元気になられたのですか」
「ええ!治って今は元気いっぱいよ。......そうだわ、ライラ。先ほどの動植物園の話に戻るのだけど、園長は蛇にも詳しいの。お世話について相談してみましょう」
リリアナの言葉にライラは目を見開く。
「はい!!」
それは是非とも話を聞きに行かなくては。
脱皮の件以外にもいろいろと知見を聞いてみたい。
「心配は尽きないでしょうけれど、多少気持ちは軽くなった?」
「はい。リリー様、ありがとうございます」
お世辞でも社交辞令でもなく本心だった。屋敷にいると嫌な物思いばかりしてしまうため、今日はリリアナとも話したくてやってきたのだ。
一方リリアナは、義理の弟アランに対して苛立ちを覚えていた。
王命で視察スケジュールを隙間なくぎちぎちに詰め込まれて大変なのは知っている。ライラの血筋がイーリアス王家由来だと知らされて思うところもあるのかもしれない。
しかし、連絡もせず放っておくのはいただけない。
回想する。
それは王太子デオンと結婚する前のこと、彼と半年ほど会えない時期があった。半年経ってデオンから紙の束が届き、何事かと思えばそれは経緯とプロポーズとも取れる言葉を綴った手紙で、それを読んだリリアナはプロポーズを喜ぶでもなく、半年一切連絡がなかったことに憤慨し、デオンに檄を飛ばしたのだった。
兄弟揃ってまったく気が利かないんだから、と心の中で二人を殴る。
「今日は気分転換しましょう!ほら、あちらに知り合いがいるわ」
リリアナに促されて視線を移すとそこにはナインハルトが女性に囲まれて立っていた。
ナインハルトはちらとこちらを見、一瞬そらしたかと思えば驚いて二度見三度見をしてくる。
リリアナがひらひらと手を振れば、彼は周りの女性に柔和な笑みで断りをいれて場を離れてやってくる。
「王太子妃様。それに......」
「お久しぶりです。ナインハルト様」
挨拶するもナインハルトは呆けた顔でライラを見ていた。リリアナは、ずいとナインハルトに近づき低い声で、
「レイチェルを探してくるからライラと一緒にいて。いい?絶ッッッ対一人にしちゃだめよ」
さっと離れてライラに笑顔で向き直る。
「ちょっと外すわね。少ししたら戻るから中庭辺りで待っていて」
そう言ってそそくさと去っていった。
「......レディ、お久しぶりです」
ナインハルトは微笑みを浮かべ、やっと挨拶をした。
「ギルバードが承認されたと聞きました。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
答えながらライラは首を傾げてナインハルトを見る。白い貴族の服が良く似合っていると思いつつ、違和感を感じていた。
「なんだか不思議です」
「なにがです?」
「剣がないなと」
ナインハルトは自身の腰元を見、たしかにと頷く。
「レディといる時は常に剣を持っていましたからね」
くすりと笑いライラの手をとる。
「今日だけは剣士ではなく、ベルシュギール公爵家嫡男としてお目にかかります。では中庭に参りましょう」
「はい、ナインハルト様」
ライラは周囲の女性達の嫉妬と羨望が混ざる視線を感じながらも素知らぬふりを貫いて歩き、ナインハルトは中庭に着いた途端に他の家門の令息達がライラを凝視する様を見て彼らの視線を遮るように立つ。
これはまずいと内心呟く。
絶世の美女。
そうとしか表現できない。
夜会の装いで着飾った姿はただ美しいだけでなく大人の色香を漂わせる。憂うように所在なさ気に立つ姿は声を掛けてくれと言わんばかりに映る。
絶対一人にするなと言われたが、そんなことできるわけがない。剣がないことを悔やみながらも注がれる眼差しを牽制する。
すると、俯きがちに立つライラが微かにため息をつくのが聞こえた。
見ればどことなく表情が沈んでいる気がした。
ナインハルトは身を屈めてライラの顔を覗き込み、ライラは真顔で、しかし内心どぎまぎとして立つ。
「レディ、もしかしてお疲れですか?いつもの元気がないような気が」
「いえ、疲れてはおりません」
リリアナもナインハルトもよく人を見ている。
そう思いながらライラは口を開く。
「実は――――――」
ギルバードの件についてかいつまんで伝える。
「心配ですね...」
「ええ。ひどくだるそうで代わってあげたいと心底思います。元気であれば今日一緒に来るはずだったのに」
その瞳には寂しさがあった。
ナインハルトはどうにか元気づけたいと思ったもののいい言葉が見つからず、考えた末に、
「明日、お時間ありませんか?」
ライラは目を上げる。
「明日でしたら特に予定はありませんが...」
「でしたらどこかレディの行きたい所に行きましょう。ギルバードの代わりに護衛しますよ」
ライラは驚いて瞬きをする。
「いいのですか?ナインハルト様にはせっかくの休日なのでは」
「いえ!むしろご一緒するため、これから休みをとるのです」
そう言って何故か誇らしげに胸を張る様子が面白くて、思わずライラは、
「ふっ...も、申し訳ありません。急にお休みをとることが可能なのですか?」
「あっ、ええ、まあ。むしろ休みが溜まってるので休めと言われているくらいなので」
返しながらナインハルトは呆気にとられていた。こんな風に笑うのを見るのは初めてで、可憐な笑顔に思わずどきりとしてしまった。
ナインハルトの動揺には気づかずライラは言った。
「ではお言葉に甘えさせていただいて。ナインハルト様、弓のオーダーメイドが可能なお店を知りませんか?」
ナインハルトは続けて驚く。
「知っておりますが」
「でしたらそのお店にお連れください。自分用の弓を作りたいのです」
「レディは弓をやるのですか?」
その言葉にライラははっとした。
あの日、彼に同じことを聞かれたのだ。
目を伏せて答える。
「ええ。ただ男性用に作られている弓は私には扱いづらくて。自分用のものが欲しいのです」
「なるほど」
確かにいずれの武器も女性が扱うようには作られていない。
ナインハルトは微笑んで頷いた。
「わかりました。ご案内しましょう」
「ちなみに、お店の場所はどちらでしょう」
「王都にある店です。メガロス市場から国内外の武器や部品を仕入れているので、きっとレディの気に入るオーダーができるかと思いますよ」
国内外の武器が見られる。
どんな場所か想像がつかないものの興味が湧いてきた。
「楽しみです。明日、王宮の正門前に10:00頃に待ち合わせでいかがでしょう」
はりきった調子で言うライラに、ナインハルトは安堵し微笑む。
「ええ、わかりました」
その時。
「ライラ!お待たせしたわね」
横から女性の声がかけられた。
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