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第51話 お母様の愛
しおりを挟む私の母の名前は三城ゆかりだったし、父の名前も三城和也だった。
お父さんは私を産んだあとすぐに事故に遭って亡くなっているし、そのあとお母さん一人で私を育ててくれた。
そのお母さんが死んでしまったのも、私が十八の頃だ。
間違いなかった。
私のお母様の前世は、私の前世のお母さんだ。
リュザが手に持っている書類に視線を落とす。
「前世で血縁関係があった人が、転生してまた血縁関係になるなんて、事例にない。本当に奇跡だと思う」
普通に考えて、お母様の前世が日本だということも奇跡なのではないだろうか。
アメリカやイギリスといった、他の国にいた可能性もあったのに。
しかも日本にいただけじゃなく、私の一番近い存在にいたなんて……。
本当に偶然か疑ってしまうくらいの奇跡だ。
「君の世界の時間とこっちの世界の時間は、かなりズレているね。このことはすでにわかっていることだけど、改めて向こうの世界も研究してみようと思えた。ありがとう」
リュザがにこっと微笑んだ。
そうか、私たちが住んでいた世界とこの世界の時間がズレているから、お母様が前世のお母さんだということが発生するのか。
お母さんは私が十八の頃、つまり四十三の歳に亡くなり、転生している。
その五年後、私が二十三の歳で私が死亡し、転生している。
お母様は二十でシェイラ・リッドフォードを産んでいる。
つまりお母さんがヴィエラ・リッドフォードに転生し、私がシェイラ・リッドフォードとして転生するこの五年の間に、この世界で二十歳に成長しているのだ。
ということは……。
「前世の世界は、こっちの世界より進みが遅い……?」
「そういうことだよ」
リュザがこくりと頷いた。
再び書類に目を落とし、話を続ける。
「王都で、ヴィエラ公爵夫人のことを当たりさわりのない程度にどういう人だったか聞いたよ。みんなあまり姿を目にしたことはなかったみたいだ。身体が弱かったからだろうね。でも、彼女と手紙のやりとりをしていた夫人たちは、いつも子育ての話が書かれていたって」
「え……?」
「子供が可愛くて仕方ないとか、子供が愛しいとか。前世でも楽しく子育てをしていたんです、とも言っていたみたいよ。みんな前世の話は信じていなかったけど」
「……」
喉の奥が苦しくて、視界が歪む。
この世界でも前世の世界でもお母さんは私を大事に育ててくれていたことがわかって、嬉しさと温かさが胸の内にこみあげる。
でも、もうお母さんはいなくてお礼を伝えることができない事実に、心が奥の方から苦しくなる。
雫を零さないようにぐっとこらえていると、リュザが腕時計を見遣った。
「……こんな時間か。他に訊きたいことはある?」
「え……うーん……」
思ったより掠れた声が出てしまって、唾をごくりと飲み込んだ。
リュザは何かを思い出したのか、「ああ、そうそう」と話し始める。
「猫の件なんだけど。通信機器を作るのにもう少し時間がかかるから、待っててくれる?」
「……あ、わかりました」
「またくるよ」
ローブを翻し、コツコツブーツを響かせて玄関まで歩き、私たちが見送りをしようと立ち上がったときには出て行ってしまっていた。
ふらっと現れて、ふらっと出て行く。
彼は気まぐれな猫みたいだなぁとふと思った。
でも、リュザが猫で良かったかもしれない。
玄関の扉が閉められたときには、テーブルにぽたりと涙が落ちていたからだ。
「……」
リュザの言葉を頭の中で反芻する。
——子供が可愛くて仕方ないとか、子供が愛しいとか。
——前世でも楽しく子育てをしていたんです、とも言っていたみたいよ。
お母様は私が小さい頃とても優しく育ててくれた人だ。
礼儀作法や歴史、経済、他にもいろんなことを学ばされて、くたくたになった私を嫌な顔一つせず抱きしめてくれていた。
寝る前に面白くて楽しい話をしてくれてよく眠れたし、お母様のおかげで辛い勉強もできていたのだ。
そのお礼を言いたかった。
生きているお母様にちゃんとありがとうって伝えたかった。
「……っ」
一滴流れると、また一つまた一つと止まらなくなってしまう。
俯いて白いテーブルを見つめながら静かに雫を零していると、ふっと黒い影が差した。
「……ユリク?」
ユリクはリュザが座っていた椅子をこちら側に持ってきて、私の隣ですとんと座った。
いつもの優しい笑みを浮かべながら、何か言葉を発するわけでもなく、ただ寄り添ってくれている。
私が泣いてしばらく経ったころ、落ち着いた私は自然とお母様の話をぽつぽつユリクに話していた。
「この世界のお母様も、前世のお母さんもすごく優しかったんだ」
「そうなの?」
「私、小さい頃から殿下の婚約者になってて。殿下にふさわしい婚約者になれるようにいろんなこと学ばされて、すごい疲れてたんだ。その時の心の支えがお母様で……」
「うん」
「なのに、心の支えになってたとか、そういうお礼をお母様が生きているうちに伝えられなかった。前世の時だってそう。感謝を伝える前に突然亡くなって……」
止まっていた涙がまた一粒流れ落ちた。
また泣いたら止まらなくなると思って必死に目を擦っていると、その手をユリクにぐっと掴まれた。
再び擦ろうとしても意外とユリクの手が力強く、何もできない。
「明日は営業日だよ。腫れた目で接客したくないでしょ?」
「あ……そうだね。ごめん」
謝ると、ユリクはそっと手を離した。
そして私の方に椅子を寄せ、柔和な目を向ける。
「カナメのお母様は、もしかしたらまた転生して別の世界にいるかもしれないよ」
「え……?」
突然突拍子もないことを言われて、思わず私は目を見開いた。
「またニホンってところに生まれ変わるかもしれないし。それかまたここでもない別の世界かもしれない。そしたら、カナメもこの世界で一生を遂げたあと、きっと別世界に転生したお母様の子供に転生するよ」
ユリクはふっと優しく微笑んだ。
「そのときに、めいっぱいお礼を言おう」
「……」
ユリクの笑みを見ていると、すごく安心する。
自然に私も笑顔が浮かんでくるし、暖炉なんてこの部屋にはないのに温もりを感じる。
このとき、ユリクと一緒に店をやっていて良かったなと心から思った。
「……ふふ、そんな風に慰めてくれる人なんて、ユリクくらいしかいないよ」
「……そうかな?」
「そうだよ、ふふ」
私がポケットからハンカチを取り出して涙を拭きながら笑う。
そうしてユリクの方を見上げたとき、予想以上に顔が近くにあった。
甘めの美形が目の前にあって思わず動揺したけど、ユリクはそんなことも気にせずに立ち上がる。
「お腹すいたね。外食でも行く?」
「え……ユリク、疲れてないの?」
「ん? 特に疲れてないよ」
嘘だ。剣の練習のしすぎで目の下にうっすらクマができてるもん。
「外食は大丈夫。今日は私が昼ご飯を作るよ」
「カナメはいつも店のスイーツを作ってるだろう。だから休んで……」
「ユリクはいつも私に朝昼夜、ご飯を作ってくれているでしょう?」
「……」
「たまには私もスイーツ以外のものを作りたいの。作らせて?」
ユリクはモフモフの猫耳をしゅんと下げて、不満気な顔をした。
そんな下がった猫耳を私は立ち上がって少しだけ触ってモフった後、キッチンの方に向かった。
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