M00N!! Season2

望月来夢

文字の大きさ
33 / 85

狡猾な雌狼

しおりを挟む
「……あんた、正気?」
 提案を聞いたフェンリルは、驚きと呆れの強い眼差しで彼を見遣る。ムーンは悪びれることもなく、にこにこと笑って首を縦に振った。
「もちろん、僕はいつだって正気だよ。この程度のウィスキーで酔えるほど、酒に弱くもないしね」
「でも、だってそれ、盗むってことでしょ?」
「少しの間“借りる”だけさ。使い終わったら、きちんとお返しするよ」
 フェンリルの反論も適当に受け流し、屁理屈を展開する。一体どこから指摘したものかと、彼女は困り果ててもごもごと口ごもった。その隙に、ムーンは勝手に続ける。
「無事に仕事をもらえたら、報酬の半分を君に支払う。そうだな……依頼の詳細にもよるけど、大体の相場から考えると、君の取り分は200から300」
「そんなに!?」
 彼が額を告げた途端、フェンリルは勢いよく顔を上げ甲高く叫んだ。苛烈な反応を示す彼女を、ムーンは静かにしろと手振りで宥める。慌ててフェンリルは片手で口を塞いだが、質問を我慢することも出来なかったらしい。彼女は注意深く顰めた声で、もう一度確認した。
「……本当に、そんなにもらっていいの?」
「あぁ。最初は高くついても、投資だと思えば悪くない話だ。人脈を広げ、信頼関係を築きさえすれば、後でいくらでも好きに稼ぐことが出来る」
 ムーンは淡々と頷き、彼女の不安を拭い去るように微笑む。すると、彼女の瞳に少しずつ期待の光が宿ってくるのが分かった。
「分かった。あんたに、協力してあげる」
 彼女は数秒の沈黙の後、覚悟した様子で頷く。そして、形のいい眉を吊り上げ、美しい顔に好戦的な表情を浮かべた。一度決めたらどこまでも貫徹すると言いたげな強気な態度に、ムーンはふっと相好を崩す。
「助かるよ、フェンリル」
「ただし!条件がある。この件について、もし誰かに問い詰められても、あたしの名前だけは絶対に出さないこと。いいね?」
「分かっているさ。協力者の君に、迷惑はかけないよ」
 鼻先に指を突き付けて迫る彼女に向かって、ムーンは再び穏やかに笑った。彼の思惑通り、安堵を抱いたフェンリルは、満足げに息を吐くとカウンターに預けた両腕を下ろす。どうやら、早速何事かを始めるつもりらしい。彼女はスツールから立ち上がると、突然細身の体をふらりとよろめかせ、ムーンの胸に倒れ込んできた。
「おっと、大丈夫かい?」
「ね~ェ、あたし、酔っちゃったぁ~……」
 かろうじて彼女を抱き留めたムーンだったが、そのあまりにあからさまな演技に、かすかに眉を顰める。
「えへへ、いい体幹してるねぇ、オジサ~ン」
 フェンリルは相変わらず大仰な芝居を続けながら、乱暴にムーンの肩や胸を叩き、ポケットをまさぐった。引っ張り出した眼鏡を彼に渡し、丁寧に整えられた金髪をかき回す。
「や、やめてくれ……」
「やだ、オジサン、照れてるの~?」
 くすくすと笑いを漏らして、彼女は尚もムーンの首に縋り付いた。ムーンが促されるままに立つと、器用に片足を彼の足に絡め、木に取り付くトカゲのような格好をする。しかし、長身の彼にぶら下がるためには、爪先立ちで背伸びをする必要があった。
「……一番下のダンスフロア。奥の壁にドアがあって、ロッカールームってプレートがかかってる」
 彼女はヒールの底を床から浮かせ、ムーンの耳に唇を近付けると囁く。もはやその姿勢は不安定極まりなく、彼の支えがなければ瞬く間に転んでしまうだろうと思われた。ムーンはしっかりと彼女を支えってから、さりげなく反対の手を腰に回して、求めに応じているふりをする。こめかみに口付けするのを装い、吹き抜けから真下を見ると、確かに奥まったところに扉があるのが分かった。黒地に白い文字で『Locker』と記されている。そばにはパイプ椅子に座った、警備員らしき男の姿もあった。
「前に客と行ったことがあるの。ここならハードなプレイも出来るからって、無理矢理連れて来られた。あの奥でなら、仮に殺人をしても隠してもらえるんだって」
 ムーンに密着した体勢で、彼女は重要な情報を耳打ちする。非常にありがたいことだが、この状況に疑問を差し挟まないわけにはいかない。
「……何故、それを今言うんだい?」
 こんな下手な色仕掛けなどなくとも、普通に教えるだけで済んだはずだ。だが、フェンリルは首を振って彼の言い分を否定する。彼女は両手で彼の顔を引き寄せると、キスでも出来そうな距離に接近した。
「カードには名前と顔写真が載ってる。つまり、奪うんじゃ駄目ってこと」
「なるほど。では、どうする?」
 彼女に合わせて身を屈め、ムーンも低めた声で答える。彼の頭の中では警備員を騙す術が何通りか浮かんでいたが、フェンリルは尋ねなかった。
「あたしに任せて」
 彼女はムーンの胸を軽く叩くと、踵を床につけて籠絡作戦を続行する。
「ねぇ、オジサン……あたしと、したい?♡」
「あー……」
 強引に腕を引っ張られ、大胆に胸を押し付けられて、ムーンの脳裏に宇宙を見つめる猫のイメージが過ぎる。既に返事を考えるのも面倒になってきているし、こんなところが妻にバレたらどんな酷い目に遭うことかと、半ば本気で恐れてもいた。しかし、フェンリルは計画を進めるべく何度も目配せを送ってくる。
「そ、そうだね。考えてみ」
「やっぱりぃ!声かけられた時からね、『あーこのオジサンあたしのことえっちな目で見てるな~』って思ってたんだよぉ!!」
 仕方なく乗ってやると、彼女は一層活気付いて、彼の二の腕を思い切り叩いた。結構な力強さに、ムーンの背骨をビリビリと振動が伝わる。彼女が大声で放った、セクハラまがいの発言も気に障った。
「うん、うん……やめて?」
「やめない♡」
 ところが、彼がにこやかに頼み込んだにも関わらず、フェンリルは小憎たらしい笑顔で拒絶してしまう。更に、彼女は再びムーンに抱き付いてくると、意識して作った上目遣いで強請ってきた。
「ねぇオジサン♡どうしてもあたしを止めたいって言うなら……下に行こ♡」
「は?下?」
「ダンスフロアだよ。あたし、踊るのだ~い好きなの……♡」
 彼が不思議そうに首を傾げると、フェンリルはわざとらしく身をくねらせ、意味深な発言をする。会話を聞き付けた周囲の客たちの冷やかしや揶揄が、ムーンの鼓膜をくすぐった。
「ほら、早く行こ!あたしのテク、見せてあげる」
 フェンリルは構わず、彼の腕を引いて階段へと導く。二人は転がるような速さで地下三階まで駆け降り、ごみごみしたダンスフロアを真っ直ぐに横切って、警備員の待機する扉の前へと突き進んだ。
「ねぇ」
 彼女が話しかけた時、椅子に座っていたのは若い男であった。彼女が前に客と訪れた際にも、彼が警備に当たっていた人物だ。
「……はい?」
 流石に顔は覚えていないのか、警備員はギリギリ失礼に当たらないぶっきらぼうな態度で、彼女の姿を眺め回す。服装から明らかに娼婦と判断し、軽蔑の念を抱いているらしい。
「お客なの。場所貸してよ」
 侮られていると気付いてはいたが、フェンリルは正体を包み隠さずに訴えた。当然、警備の男はまともに取り合わず、肩を竦めて鼻を鳴らす。
「……必要ないでしょう。この先はロッカールームです。わざわざそんな狭いところでしなくても」
「これ」
 両手で辺りを指しせせら笑う彼の足元に、フェンリルは一枚のカードを投げ付けた。乱暴な仕草に男は苛立ちを見せたが、拾い上げたカードを認めるなり、血相を変えて狼狽する。
「こっ、これは!」
 彼の視線は、カードに記されたサインと顔写真、そして眼前の女とに代わる代わる注がれていた。興味をそそられたムーンは、数歩進み出て彼女の隣に立ち、警備員の手元を覗き込む。そして驚いた様子で目を見開く彼に、フェンリルは腕を絡めて声高に言い放った。
「もう一度だけ言うわ。場所、貸してくれる?あたし、ここの会員なんだから、問題ないはずでしょ?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

香死妃(かしひ)は香りに埋もれて謎を解く 

液体猫
キャラ文芸
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞受賞しました(^_^)/  香を操り、死者の想いを知る一族がいる。そう囁かれたのは、ずっと昔の話だった。今ではその一族の生き残りすら見ず、誰もが彼ら、彼女たちの存在を忘れてしまっていた。  ある日のこと、一人の侍女が急死した。原因は不明で、解決されないまま月日が流れていき……  その事件を解決するために一人の青年が動き出す。その過程で出会った少女──香 麗然《コウ レイラン》──は、忘れ去られた一族の者だったと知った。  香 麗然《コウ レイラン》が後宮に現れた瞬間、事態は動いていく。  彼女は香りに秘められた事件を解決。ついでに、ぶっきらぼうな青年兵、幼い妃など。数多の人々を無自覚に誑かしていった。  テンパると田舎娘丸出しになる香 麗然《コウ レイラン》と謎だらけの青年兵がダッグを組み、数々の事件に挑んでいく。  後宮の闇、そして人々の想いを描く、後宮恋愛ミステリーです。  シリアス成分が少し多めとなっています。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

明治かんなぎ少女の冥契 五百年の時を超えて、あなたに愛を

花籠しずく
キャラ文芸
 ――ですが、わたくしは生まれました。あなたに会うために。  月のものが来るようになってから、琥珀は不思議な夢を見る。誰かに探されている夢。きっと大切な人だったことは分かるのに、目が覚めると朧気で何も思い出せない。婚約者である志貴の言いなりの人形になる生活をし、生家とは会うと脅され、心が疲弊していたある日、家からひとり抜け出すと、妖魔のようなものに出会う。呪術師である志貴に、一時祓ってもらいはしたが、不思議と心が痛む。夢に美しい男が現れ、声に導かれるようにして、ある山のふもとの、廃れた神社の中に入ると、そこには苦しそうに蹲るあの妖魔がいた。琥珀はそれが夢に現れた、蘿月という男だと直感する。全身が黒い靄で包まれた彼の、靄を払う方法を、どうしてか琥珀は知っていた。口づけをし、息を吹き込むように、生きて、と願った。  帰ってすぐに志貴に殴られ、月のものがはじまっていたことが志貴にばれる。琥珀を穢そうとする志貴の様子に恐ろしさを覚えて、助けてと叫んだその瞬間、闇を裂くようにして、蘿月が現れた。 「琥珀は、俺が五百年待ち望んだ花嫁だ」  これは、時を超えて紡がれる愛の物語。そして虐げられた少女が、愛を知り、愛のために生きる自由を選ぶ物語。 ※R-15っぽいゆるい性描写があります。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

炎華繚乱 ~偽妃は後宮に咲く~

悠井すみれ
キャラ文芸
昊耀国は、天より賜った《力》を持つ者たちが統べる国。後宮である天遊林では名家から選りすぐった姫たちが競い合い、皇子に選ばれるのを待っている。 強い《遠見》の力を持つ朱華は、とある家の姫の身代わりとして天遊林に入る。そしてめでたく第四皇子・炎俊の妃に選ばれるが、皇子は彼女が偽物だと見抜いていた。しかし炎俊は咎めることなく、自身の秘密を打ち明けてきた。「皇子」を名乗って帝位を狙う「彼」は、実は「女」なのだと。 お互いに秘密を握り合う仮初の「夫婦」は、次第に信頼を深めながら陰謀渦巻く後宮を生き抜いていく。 表紙は同人誌表紙メーカーで作成しました。 第6回キャラ文芸大賞応募作品です。

処理中です...