狼と人間、そして半獣の

咲狛洋々

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獣語 躍動編

改悛

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「ルルバーナ、お前そのヤンという男をどう思っているんだ」


先程のルルバーナの態度をみて、トーマスは彼にとってヤンという

男は、ただの国民…と説明を受けるには無理がある様に思った。

あの狡猾な男が見下している他国の王、とりわけ国王達の中でも年若い

トーマスに頭を下げた事に、驚きと共になぜか共感できる物があった。


「…どうとは?」

「愛しているんだろう?」

「愛?」

「一人の男として、本当は傍に置いておきたいのではないのか?」


その言葉に、ルルバーナは頭を横に振った。


「愛、どうこうではない。ただ、申し訳ないと…ただ本当に
すまないと思うだけだ」


そう、私は彼に対して恋愛感情などを抱いている訳ではない。

決してその様な事はあり得ない。なぜなら、とっくの昔にその様な

感情は捨て去ったのだから。


「陛下…なぜそう思われるのですか?」

「なぜ?それは逆に聞きたい物だ…なぜお前達はそう思う」

「いやいや、そりゃ思うよ!もしナナセが同じ状況になれば何としても
助けてやりたいって思うさ。けどな、あんたのその顔は…違うだろ」


確かに、ルルバーナの今の表情はただ悲しみに歪んでいるだけでは

無かった。その瞳の奥には、ルルバーナ以外に会った事も無いヤン

という男が住んでいるのではないか…トーマス達にはそう思えて仕方が

無かった。



「愛…か…」



 60年以上も前だったか、あいつが私の側に居たのは…。


ザーナンド王弟ネフェティエル。彼は先王の起こした先々王の弑逆

事件の後、ファルファータを介してバシャールに逃げてきた王族で

あった。

ネフェティエルは王族でも側妃の子であった為、王位継承位も低く

狙われる危険性も低いと思われていた。しかし、先王にとって王位

継承権は問題では無かった。自身以外で、自分に忠誠を誓わなかった

王族を白昼堂々と殺害し、見せしめに城外に晒す暴挙を躊躇なく行う

先王に、ネフェティエルは恐怖を感じ国を捨てた。

そんな彼もルルバーナの庇護の下、穏やかな生活を送っていた。

当初、ファルファータに脅される形で彼を受け入れたルルバーナで

あったが、元々冒険者であった彼にとってネフェティエルは良き

武闘訓練の相手となり、知識欲の高い彼と打ち解けるのに時間は

掛からなかった。そして、獣人への差別意識のまだ残るバシャールに

於いて、ルルバーナが彼に嫌悪を抱かなかったのは、その温厚で謙虚な

性格に寄る所が大きかった。


 月日は流れ、ネフェティエルはルルバーナと恋に落ち、結婚の約束を

交わしていた。貴族達を何とか説き伏せ、国内に於ける獣人への差別

意識を変える為に、ルルバーナはザーナンドとの交流も少しづつだが

再開させようとしていた頃だった。

ネフェティエルが病に倒れた。

愛し合い、幸せに酔いしれ未来を語り合うその口からは、止めどなく

絶望を与える黒い血液が溢れていて、ルルバーナは人生で初めて

無力感、敗北感、焦燥感を味わいそして己がいかに卑小な存在であるか

という事に絶望した。


 その病は黒紫病。体中に黒い痣が現れ、激痛に悶えるその姿を

ルルバーナはただ見ている事しかできなかった。


「ネフィ…すまない…苦しみすら取り除けない私を恨んでくれ」

「ルル…そんな弱気な姿は見たくない。いつもの…冷静なお前はどこに行った?」


次第に弱って行くネフェティエルに、ルルバーナは世界中の薬師や

魔術師を探し、治療に当たらせたが、回復の見込みは無いと見放され

た。そして、ルルバーナは後悔していた。


「ザーナンドが苦境に陥っている時…リンドが助けを求めて来た時…私は見捨てた…」

「ルル…仕方の無い…事だ。お前が悔やむ必要はないんだ…私は、お前を愛せた…幸せだった」

「もし、私がザーナンドを助けていたなら、お前はこんな異国で…苦しまずに済んだかもしれない」

「黒紫病は…ザーナンドでも…不治の病だ…だから…悲しまないでくれ」


次第に呼吸の間隔が長くなる姿に、ルルバーナはネフェティエルの

人化の解けた手を擦りながら、頬をネフェティエルの頭に預け静か

に泣いていた。

息絶える姿を見まいと彼を背後から抱きしめながら、吹雪で白く染まる

窓の外を見つめた。朝なのか、昼なのか、それすらも覆い隠す雪に

ルルバーナは時が止まっている様に思えて、次第に熱が奪われ始めた

その身体を抱きながら、いっそのことこのまま時が止まってしまえば

良いと心から願っていた。

 ネフェティエルの死後、バシャールでは獣人の移民受け入れが公に

許され、ギルドに冒険者として登録する獣人の姿を多く見るようになっ

た。一見ザーナンドに住む獣人に対しても、その対応が暖かな物だった

様に思われたのはその時だけであった。

バシャールを頼る獣人に対して、ルルバーナは人間と同様の扱いをして

いたが、それに反してザーナンドに対しては時に冷酷に、非情なまでも

狡猾な態度を取る様にになったのはこの頃からだった。

それは先王の、バシャールの特使に対して言い放った言葉が原因であっ

たとその時の様子を知る特使であった弟のベルドゥーサは文官達に

語った。


『あいつを殺さなくて良かったな、余興に命を差し出す以外に能の無い獅子が股を開いただけで我が国の風向きが変わった。獣の味が忘れられ無いのでは無いか?卑き人の王は』


その言葉がルルバーナの怒りに火を付けたのは言うまでも無く、

ルルバーナはシュンを援助し、密かにザーナンドに入り込んでいた

刺客に暗殺の命を下してもいた。

しかし、その前にシュンによるドルザベルへの王位継承を行った為、

バシャールはそれ以上手が出せず、最終的にはザーナンドを見限る

事になったのである。だが、簡単に収まる事のないルルバーナの怒りと

絶望感は、リンドやファルファータを使い経済制裁を科す事で、国を

追い詰め、その私怨を晴らしている。

今回のザーナンドとの和平協定や通商条約を結ぶ上で、最も説得が

困難だったのはザーナンドだったと、リンは言っていた。


 何十年もの間、静かに消えることなくルルバーナの心を凍らせ続けて

いた闇が、穏やかに溶けて行ったのはイールンと出会ってからだった。

最初は図書館で、静かにそして熱心に本を読む姿がネフェティエルの

姿に重なり思わず声を掛けた。

別に、王族専用の階だったとしても、ただ一人静かに本を読んでいた

イールンに声を掛けなくても良かった。

しかし、忘れていた筈の誰かを求める心の声が、思わずルルバーナに

声を掛けさせた。

 
 ヤンは私を恐れていたな…そう。まるでネフェティエルが最初に私を

見た時の様に。

だが、恐れつつも逃げず噛みつく姿はよく似ている。ネフェティエルに

似ても似つかないヤンを、私はどうしても気にせずにはいられなかっ

た。彼との茶会は驚く事ばかりで、久しく頭に詰まった煩わしい事を

忘れられた…月末まで待てずに、何度も城へ呼び出し、恨み言をヤンも

言いはしたが、笑っていた。

そして、バシャールの国籍を取得すると言った時、私は確かに喜びを

感じていたのだ。

彼は私の愛したネフェティエルでないが、守ってやりたいと思った。

トーマスはこれを『愛しているからだ』と言ったが、私は知っている。

愛がどいう物なのか。決してこの感情は愛では無い…燃える様な

想いも無く、心が甘く切なくなる事も無い。これを愛だと言うのだと

すれば、余程トーマスの方がまともな恋愛と縁遠いのかもしれない。

 
 これはネフェティエルにしてやれなかった事への罪滅ぼしなのだ

ろうと思う。助けてやれなかった人を…彼に代わってヤンを助ける

事で、私は救われたいのだと…。

目を瞑ると、痛みに悶え苦しむ愛した男の姿と重なるヤンを…どうにか

してやりたい。成す術を未だ持たぬ私は…情けなくもこのナナセという

男に縋ってでも、ネフェティエルへの懺悔とヤンの願いをなんとして

でも叶えたいのだ。

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