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弐拾壱 Sancta Maria(聖なるマリア)

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1.


 Ave Maria, gratia plena,
 Dominus tecum,
 benedicta tu in mulieribus,
 et benedictus fructus ventris tui Jesus.
 Sancta Maria mater Dei,
 ora pro nobis peccatoribus,
 nunc, et in hora mortis nostrae.
 Amen.


 シューベルトのアヴェ・マリアがリビングから聞こえて来る。妻が聴いているのだろう。美しい女性の歌声だ。パヴァロッティの様なテナーのアヴェ・マリアも好きだが、やはり個人的な好みとしてはこの歌には女性の声が似合うと山辺元治氏は自宅の書斎で考えていた。

 聴き惚れていると玄関が開く音がし、そこで静寂は乱された。

「お父様? いらっしゃいますか?」

 娘の帰宅だ。珍しく声を荒げている。朝方、話が出来なかったので慌てて学校から戻ってきた様子だ。平日だというのに、珍しく在宅していた元治は淑女にあるまじき、怒声を上げる愛娘の声に頭を抱えた。奥まった位置にある書斎でこれ程鮮明に聞こえるという事は、かなりの大声を玄関で張り上げたという事だろう。


「まあ、真由さん。何を興奮なさっているの? はしたない」
「お母様……ただ今、戻りました」
 真由はリビングから出てきた母親の顔を見た途端に頭に昇っていた血が降りてきた。自分を鎮めながら、軽くお辞儀をして母親に帰宅の挨拶を行った。
「おかえりなさい。ご機嫌はよろしくないようね。着替えたら、お茶にしましょう。お父様はいらっしゃいますよ」
「はい、お騒がせしまして申し訳ありません。着替えてまいりますわ」
 言葉を紡ぐと、足早に階段を上って行く娘を見送りながら母親は内心呆れる。彼女の娘は滅多に見ない様な戦闘モードに入っている。恋愛が絡むと人が変わる事はよくある話だが、どうやらそれは彼女にも当て嵌まるらしい。
 昨夜、夫から話を聞いた時には驚いたが、女親だけあって母親は冷静だった。いつの間にか、娘も年頃になっていたのねと感慨深いものを感じる。


(今日は一日が長かったわ)

 真由は機械的に制服を脱ぐと、ハンガーに掛けて軽く埃を払った。その上で、どこにも汚れなど付着していないか点検を行うと布目の流れに沿って、軽くブラッシングをかける。座った際の皺なども着いていなかったので、そのまま制服を洋服ダンスの中に仕舞い込んだが、その様な作業を行いつつも頭の中では別の事を考えていた。

 定期的に入る敦からの短いメールの中に驚くべき内容が含まれていたのは今朝の事だった。メール自体は昨夜発信されたものだった。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

From : 広田敦
To   : 山辺真由
Subj : もとはるくん  2011/01/31 23:06

マユのパパの来訪を受けた。
マユに似てて可愛いな。
チューしたくなったけど、堪えた。
褒めてくれ。

俺達の関係は調査済みらしい。
金持ってきたから、叩き返した。
もう1人子供を作れと提案したが
いい返事は貰えなかった。

詳しくは次に会う時にでも話す。
おやすみ。



追伸:パパをあまり責めないように。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

 とんでもない爆弾だった。このメールのせいで今日は一日ざわついた気分で授業を受けざるを得なかったのだ。両親は2人とも朝の食卓には不在だった。有田に尋ねると、2人とも本日の外出予定は入っていないとの事。母親はともかく、父親が平日に在宅している事は珍しい。何が何でも捕まえて話をしないといけない。
 一体、あの父親が敦にどの様にして会いに行ったのか、どの様な話をしたのか、一体どこまで知っているのか、など等、色々な疑問が頭の中で渦巻いている。

2.


 階下に降りるとお茶の用意がされていた。母親が1人、リビングで雑誌を読んでいる。
「お母様? お父様はどちらですか?」
「真由さん、お座りなさい。お父様は後から参ります。貴女、私に報告する事があるのではなくて?」

 テーブルの上に置かれた紅茶のポットの中を確認しながら、母親は手早く二つのカップに紅茶を注ぐ。ソーサーの上に置き、真由の前に一つを差し出す。

「アフタヌーン・ティーというよりはハイ・ティーという時間ですわね。お夕食が近いから、紅茶だけにしましたわ」
 カチャと食器が軽く触れる音が聞こえる。この母親のマナーは完璧で、食事時でさえ耳障りな音は立てない。
「お付き合いされている殿方がいらっしゃるとお聞きしました。本当ですの?」
 なかなか返答しない娘に呆れた母親は呼び水の様に話題を振った。
「本当ですわ、お母様」
 誤魔化しようがない。そもそも、父親が調査したのならこの母親には筒抜けだろう。
「親に隠れてコソコソ会うような方なのですか? 私、お話を伺った時には大変驚きましたわよ」
「お付き合いを報告しなかったのは申し訳ございませんでした」
「春が来るのをお待ちになっていたのかしら?」
 涼しい母親の言葉に真由は凍りついた。読まれている。
「言わせて貰いますと、随分と姑息な方の様な気がします。私の理解は間違っていますか?」
「間違っています」
 真由は顔を上げて母親に焦点を当てた。あの男を「姑息」などという言葉で表現するのは誰であっても許さない。彼はその様な物からは遥かに遠い存在なのだ。
「よく知りもしないのに、敦さんをその様にお考えにならないで下さい」
「まあ、怖い。でも、教えてくれないのでは知りようもありませんわ。そう、その方は敦さんという方なのですね?」
「お父様からお聞きになっていらっしゃるのに、わざわざ私に確認されるのは二度手間ではございませんか? お母様」
「物事には順序がございます。人づてに聞いた情報と直接の情報の間に齟齬そごがあっては困るでしょう?」
 一々正論を振りかざされて真由はムッとする。どうやら、真由の戦闘気分に触発された母親も戦闘モードに入ってしまっているようだ。感情的になると話がややこしくなる。何とか自分を冷静にさせようと、真由はゆっくりと呼吸をした。
 母親も同じ気持ちかもしれない。彼女は手にしているカップをゆっくりと口元に持っていき、音を立てずに紅茶を嗜んだ。香りが良いセイロン産の茶葉の様だ。薔薇の香りに似ているのでディンブラかもしれない。波立った気持ちが落ち着いてくる。

「彼の名前は広田敦さんです」
「貴女はその方とどの様なお付き合いをされていらっしゃるの?」
 真由は躊躇した。頭の中には敦から聞いた法律に関する情報が踊っている。間違いなく真由は未成年で、まだ両親の庇護下にある。これは自分が守られていると同時に、まだ何一つ自分で勝手な振る舞いを出来ない事を意味する。法律に照らし合わせると、敦は「淫行条例違反」を犯した事になり、それを根拠に真由の保護者に訴えられると困った事になる。両親がその様な卑怯な手段を行使するとは思いたくないが、決定的な言葉は避けた方が安全かもしれない。
「何を躊躇していらっしゃるの? 貴女らしくないですわよ。言いたい事、言うべき事は潔くおっしゃったらいかがですか?」
「敦さんとは将来婚姻を結びたいと考えて行動しております」
「ほほ」
 急に母親は笑った。
「奥歯に物が挟まっている様な物言いですわね。言質をとられないようにと必死だ事」
 真由はゾッとした。この母親は正確に真由が考えている事を推測しながら真由の様子を観察している。観察しながら、評価している。普段はノホホンとした太平楽な性格をしているが、怒った時の迫力は軽く父親を凌駕する女性である事を思い出した。彼女が敵に回ると、非常に怖い事になる。敵対者に対する容赦の無さは結構凄まじい事を思い出した。細かい事を気にして、より大きな危険を呼び寄せるのは愚かな事である。
 真由は萎縮した自分の心を揉み解す様に、敦のニヤニヤ笑いを思い出した。彼の笑顔は何であんなに癖があるのだろう。もっと若者らしい爽やかな笑顔を時々でいいので見せてほしいものだ。

 自嘲の笑いを少しだけ滲ませると、真由は母親を正面から見据えた。
「彼は私が唯一信頼して身を委ねる方ですわ、お母様。もう幾度も同衾しております」
「打って変わって、素直な事」
 からかう様な相槌を打つと、母親はじっと真由の表情を見つめた。決意を固めた娘は明るく晴れ晴れとした表情で母親を見つめ返してくる。その表情からは女としての喜びを知った者だけが持ち得る余裕さえも感じさせた。

(聖なるマリア様、感謝いたします)

 娘を救ったのは宗教ではない事はわかってはいるが、こんな時に感謝を捧げるのが聖母マリアである事は長年の習慣によるものだろう。
 去年の暮れに心無い従兄弟によって無残に散らされた筈の娘が、この短期間の内に立ち直り、女性としての成長を遂げている。その事に彼女は深く感じ入った。散らされた筈の花がいつの間にか大輪の花を咲かせているのだ。この一点において、彼女は相手の男性は包容力のある大人だろうと感じた。そして、だからこそこの娘は事実を素直に言う事を躊躇したのだろう。全ては相手を思っての事だ。

 その男性の実際の年齢は彼女の夫から聞いてはいるが、実年齢通りに年輪を重ねられない人間は思いのほか多い。残念ながら、真由を襲った従兄弟の栄治は実年齢通りに精神を成長させられなかった1人だろう。細かい人間性は実際に顔を合わせないと推し量れないが、広田氏は女性を正しく扱う事に関しては大人な様だ。

「貴女はその広田敦さんを信頼されているのですね?」
「はい、お母様。私はあの方の伴侶になりたいのです。その願いが叶えば、他は何も要りません」
「そんなに急いでお決めにならないで。我が身以外の全てを投げ打つには貴女はあまりにも物を知らないし、若すぎます。それに切り札はとっておくものですよ」
「お母様?」
「その方についての情報なら、確かに貴女のお父様から聞いております。もしかしたら、貴女より多くの情報を私は持っているかもしれません。お聞きになりたいですか?」
 真由は困った様に微笑を刷いた。
「いえ、結構です。これから少しずつ知っていけば良い事ですし。知りたい時は本人にお聞きしますわ」
「そうですね、それがよろしいですね。あら、かなりぬるくなってしまいましたわ。折角の美味しい紅茶なのに」
 カチャと、ソーサーからカップを取り上げて、残っている紅茶を口に含む。真由も同様に紅茶を飲んで、カップを下ろした。
「まだ美味しいですわ。厳選された良い葉っぱから正しく入れられたお茶は少々冷えても美味しいですのね」
「ま、いっぱしの口を利かれるのね。真由さんったら」
「お母様譲りですわ」

 その時、ドアが開いた。女2人が和やかに笑いあっているリビングに漸く元治が入ってきた。

3.


「お父様、お答えください」

 今まで和やかに微笑んで紅茶を嗜んでいた娘は父親の登場に再度戦闘モードに切り替わった。今まで妻と和やかに会話をしていたのに、何故自分に対してこの様にきつい表情を見せるのだろうと元治は不満を感じたが、賢明にもその不満を押し殺して娘に対峙した。

「敦さんの事をお調べになったという事に関しては何も申しません。私も内緒で彼に会っていたという負い目がございます。しかし、お金を持っていったとはどういう事ですか?」
 その件かと、彼は内心狼狽えた。あの若者めはお喋りだ。何でも娘に報告すれば良いというわけではない。困ったものだ。そう心の中で敦を弾劾してみたが、目の前に居る目を据わらせた娘への対処の方が急務である事を思い出して内心の文句を切り上げた。
「自分の将来のビジョンも話す事が出来ない、不安定なものを彼に感じたのだよ。その様な不確かなものに可愛い娘を託すのは時期尚早と感じたので……」
「だからお金を渡して娘と別れてくれとでもおっしゃったのですか?」
「ん……む……」
 元治は自分が危機に瀕している事に漸く気付く。これは非常に不味い。典型的な「負けパターン」だ。
「軽蔑いたしますわ。お父様」
「いや、当然彼の本気度を試してみようという考えもあって」
「その様な物に心を動かせるような浮ついた方ではございませんわ」
「真由さん、そんな事はわかりませんよ」
 母親が横からおっとりと声を掛けた。
「その方の考え方がどうあっても、その時の状況や環境によって簡単にくつがえります。お金という物は、本当にそれを必要としている者にとっては大いなる誘惑となり得ます。貴女は他人の心の中に何があるのか断言できないでしょう?」
「それは、そうですけど……」
 真由は口ごもった。母親の言葉は嫌になるほど正しい。
「その方に物欲がなくても、近しい人などが借金で苦しまれている場合など、色々なケースがございます。まとまったお金を入手できる機会があり、それに心を揺らされた方が居たとしても、それを不誠実と簡単に切って捨てるのは時と場合によっては心無い所業となりますよ」
「はい、お母様」
 正論を振りかざす母の屁理屈に対抗するには自分はまだ経験不足だ。真由は父親を金銭的な面から攻める事を諦めた。そもそも、攻めて引き出したい条件等もない。感情的にカッとなっただけなので、自分の心を落ち着けた。


「彼は面白い男だね」
 有田に頼んでコーヒーを淹れてもらった元治はその香りを楽しみ、少し口にした後、落ち着いた娘に率直な感想を述べた。
「お金で諦めさせようとした癖に……何を今更その様な事をおっしゃるのですか?」
「いやいや、彼の人生設計に関して尋ね、回答を貰わなかった事だけが金銭を持ち出した理由ではない」
「おっしゃる意味がわかりません」
「私も少し迷ったんだが、この事はお前にも話しておこう」
 真由は首を傾げて、自分の父親を眺めた。彼は何の話をしているのだろう?
「この話は広田君自身も与り知らないかもしれないので、真由も彼に話すとしたら、リークする情報の重要性を熟考した上でお願いするよ。勿論、話さないという選択肢もある」
「お父様?」
「私が役員として経営参加している銀行があるだろう?」
「はい」
「そこにも派閥が存在しているのだ。銀行合併など、ここのところ、生き残りをかけて様々な案が台頭して来ている。主に派閥によって違う案がよく出てくる」
 彼は少し肩を落とし、言葉を続けた。
「数年後には当行も合併への道に踏み込むと思う」
 真由は少し蒼褪めた。既に形になっているものならともかく、まだ未発表の情報である。この様な情報は悪用しようとすれば幾らでも出来るのだ。当然、家族にも漏らしてはいけない類の情報と言えよう。
「お父様?」
「お前達も察している通り、これは機密情報だ。先程話した行内の派閥の話となるが、合併の時期や合併先など派閥によって色々な案が出ているのが現状だ。ある大きな派閥の後ろ盾として関西の強力な組織が存在するのだが」
 黙って真由は話しに耳を傾ける。
「その組織の長となる人物が次代の長として指名している人間は広田君の親しい友人でもある」
 真由は話が突飛過ぎて、目をしばたたかせた。
「その人物は先見の明があるのかもしれないが、若い時から秀でた人間を見つけては後ろ盾になったり、育てたりしているのだよ。自分もまだ若いのに凄い話だね」
 話の辻褄が漸く繋がり始めた真由は考え込む様に父親の次の言葉を待った。
「つまり広田君は将来、私の行内の立場を危うくするか、良くするかというジョーカーになる可能性がある。政治的な話で申し訳ないが」
 真由は考え深そうな目付きで口を開いた。
「その様な特性を持った人間が娘の伴侶となると、お父様としても将来が読みにくくなると……。周りからの軋轢も生じやすくなる。それが彼を遠ざけようと考えた大きな理由という事ですか?」
「我ながら姑息だが、その通りだよ。恥ずかしいが、どうしても安全策の方に気持ちが流れてしまう」
「お父様は何も恥じるところはございません。守るべき家があり、部下がいる以上は危険はなるべく排除したくなる気持ちはよくわかりますわ」

「まあ、臆病な選択でもありますわね。まだ山のものとなるか、海のものとなるかはわからないのですし」
 横から妻の言葉が飛んできた。山辺は苦笑して自分の妻を見やった。
「そうだね」
 彼よりかなり大雑把な物の見方をする妻だが、その大鉈を振るうかのごとき考え方は大局を見極める時には非常に頼りになる。

「私も会ってみたいわ。その広田君とやらに」
 ドキッとした真由が母親を凝視する。
「真由さん。アレンジ、お願いできますか? この家に招いても宜しいですし、どこかに席を設けても宜しいですわ」
 真由は内心狼狽する。父親は既に会っているので、あの男がどの様な人間なのかはわかっているだろう。しかし、母親には幾許かのカルチャーショックを与えるかもしれない。
「お母様、大変申し上げにくいのですが、彼は少々……」
「下品な物言いを平気でされる方なのですね? それはもう伺っております」
 母親が苦笑しながら真由を眺める。
「でも、貴女の彼に対する考え方を聞く限りは私が耐えられる類の人物と推測します。それを確かめる良い機会かもしれません。無理に自分を作らない様、お伝えくださいませ」
「はい、承知致しました」
「その会見には私も同席していいかな?」
 父親が口を出す。
「まあ、若い殿方と差し向かいという状況は捨てがたいのですが、隠すような話をするつもりはございませんわ。皆で会いましょう」
 真由はハラハラしながら母親の言葉を聞いていた。
(絶対にお母様はこの状況を楽しんでいらっしゃる)

 我が子を小学校にお受験させる母親の様な心境になっている自分に気付くと、真由は内心笑ってしまった。状況は真由が思ってもいなかった方向に推移して行ってる。予断を許さない。

4.


 その呼び出し音は真由からの電話に設定されたものだった。赤提灯あかちょうちんで酒と一緒に簡単な夕飯を食べた敦は混み合っている店内から外に出ながら電話に出た。

「もしもし、マユ?」
『敦さん、こんばんは。今よろしいでしょうか?』
「珍しいね、俺は大丈夫。丁度、めし食ったとこだよ」
『私もですわ』
「もしかして昨夜の件かな?」
『それはお会いした時で結構です。あれはあれで、それなりの爆弾でしたが……。早速ですが、母が敦さんに会いたいと申しております。その会見のセットアップを頼まれました。敦さんのご都合をお伺いしようとお電話した次第です』
「……まじかよ。予想よりはえーな、展開が」
『慌しくて申し訳ございません』
「いや。マユのせいじゃないし。場所は?」
 頭を掻いた敦は慌てて知りたい事を尋ねた。
『我が家か料亭か……というところです』
「ふーん? 勝手に選んでいいなら、マユんちがいいな。犬も見てみたいし、マユの部屋も覗いてみたいし」
『宜しいのですか? 居心地はどうかと存じますが?』
「うん、アウェーでも俺は気にしない人。だから、大丈夫。俺、次の休みは土日になる。事務所の病欠も殆どなくなったから今週末は駆り出されないと思うよ」
『では、金曜の夜はいかがでしょう? それとも土曜日の夜』
「どっちでもいいよ。夜って事は夕食を共にするって事? 酒が出るならバイクではいけないな」
『帰れなくなったら、客室にお泊りになれば宜しいのです。そうしたら、私が夜這い致しますわ』
「それって、まずいっしょ」
 話しながら、敦は思わずクスッと笑ってしまった。
「会うのはママだけ? それとも元治君も?」
『……元治く……父ですか? 父も同席したいと申しておりました』
「可愛いよね、彼。すっげーマユに似てた。目元とか口元とか。取り出した金をいらねーって押し返した時の顔が拗ねた時のマユに似ててさ。グッと来たなー」
『敦さん……信じられませんわ』
 電話口の真由のくすくす笑いが聞こえてくる。その声を聞いていると、今すぐにでも会いたくなる。立ち止まった敦は頭を抱えた。(なんつー毒の声だ)

「アー駄目だわ。マユの声聞いてると勃っちゃう。ネーネー、俺、今週中にもう一日代休取る。学校帰りに会おーよ。マユんちに行く前に情報交換したいし」
『まあ。そうですわね』
「木曜日にどう? 今日が既に火曜だから明後日」
『わかりましたわ。変更の場合は教えてくださいませ』
「うん。了解。んじゃ、マユんち訪問の方は金曜か土曜の夜で。決まったら教えて。会った時でいいからさ」
『はい、かしこまりました。それではおやすみなさい』
「おやすみ、マユ」

 チュッとキスの音付きで会話を終わらせると、敦はニヤニヤ笑った。正直、真由の家に招待されるとは思ってもいなかった。少し頭を捻る。あんなにぞんざいに扱ったのに、元治君は何と言って自分の妻に説明したのだろう?

(ま、それより代休申請だな。忘れないようにしないと)
 メモをスマホに残しながら、彼は目を和ませた。


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