冰の令嬢ヒストリカが幸せになるまで〜「女のくせに出しゃばり過ぎだ」と婚約破棄された子爵令嬢は、醜悪公爵の病気を治し溺愛の道をひた走る〜

青季 ふゆ

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第9話 かおあわせ

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「お顔を、見せて頂けませんか?」

 気がつくと、そんな言葉が口から溢れ出ていた。
 ヒストリカの問いかけに、仮面から「うぐっ」と詰まったような声が漏れる。

 素顔が見えなくても、苦い顔をしているのがわかった。

「今日はこのまま、やり過ごそうと思っていたんだけどね……」
「抵抗があるのは重々承知の上です。ただ表情が見えないままだと、やりとりに齟齬が発生する事も多いでしょう。ただでさえ私は、他者の気持ちを察する事が不得手なので、なるべく表情を確認させていただきたいのです」
「ああ、なるほど。そういう……」

 理由が予想外だったのか、エリクが納得したような声で頷く。

「もちろん」

 じっと、エリクの仮面を見つめてヒストリカは言う。

「これから一緒に過ごすお方の素顔を見たいという気持ちも、大きくありますが」

 凛とした声に、再び仮面から詰まったような声が漏れた。
 続けてゴホゴホと、咳払いをするエリク。

「エリク様? 大丈夫ですか?」
「す、すまない、なんでもない。まあそりゃそうか、そうだよな……」

 降参するかのように、エリクは大きく息を吐き出す。
 それからヒストリカの方を見て、仮面に手をかけて言った。

「君を信用していないとかじゃないけど……どうか、怖がらないでおくれ」

 捨てられた子犬のような不安げな声に、先ほどのエリクの言葉を思い出す。

 ──今まで何度も婚姻の話はあった。しかし、僕はこんな見てくれだからね。情けない話になるが、全て破断になってしまった。

 おそらく、彼は今まで何度も辛い思いをしてきたのだろう。
 自身の容貌に対する強いコンプレックスは、人並み以上の容姿を持つヒストリカが推し量れるものではない。

 だからヒストリカは、言葉を選んで口にする。

「怖がりませんよ。先週、証明しましたでしょう?」

 あの夜会のバルコニーで、目と鼻の先の距離で見たエリクの容貌に対しヒストリカが動じる事は無かった。
 それは紛れもない事実であり、エリクが安心する根拠としては大きいものだった。

 ヒストリカの言葉に、エリクは少し安堵したように息をついた後。

「……少しだけだからね?」

 そんな言葉と共に、フードと仮面を外した。

 仮面の下には、ヒストリカの予想通りの素顔があった。

 艶もハリもなくぼさぼさで長い黒髪。
 病的なまでに青白い肌、げっそりと痩け落ちた頬。
 目の周りは落ち窪んでいてぎょろりとしている。

 ひとつ変わった点といえば、あの日以来剃っていないか無精髭が荒れ放題であった。

「ごめんよ、今日は顔を見せないつもりだったから、髭を剃るのを忘れていて……」

 取り繕うエリクに、ヒストリカは「いえ」と前置きして。

「やはり、噂はあてになりませんね。このお姿のどこが醜悪なのでしょう」

 率直な感想をヒストリカは口にした。

(むしろ、ちゃんと栄養を取って眉や髪を整えたらなかなかのものになる気がしますね……別に大きな傷があるわけでも、肌が変色しているわけでもないですし)

 そんな事を考えるヒストリカの言葉に、エリクは数瞬呆けた後。
 
「ヒストリカ……君、変わり者って言われない?」
「変わり者……かはわかりませんが、周りからはよく『お前はズレている』と言われる事が多かったような気がします」
「よく君のことを見ているね」
「私としては不服ですけどね」

「むう……」と唇を尖らせるヒストリカに、エリク「くく」と笑みをこぼす。

「笑うところありました?」
「いや、すまない。意外と、子供っぽいところもあるのだなと」
「はあ……」

 そう言われたのは初めてのことで、ヒストリカは反応に窮してしまう。

(なんにせよ、好意的に受け入れられている事は確かなようなので……ひとまずは安心、と言ったところでしょうか)

 今のところ噂通りの傍若無人さも、暴力を振るってくる様子もない。
 むしろ常識的で優しい人そうだ、と思った、が。

(いいえ、ダメよ)

 胸の中でヒストリカは頭を振る。
 元婚約者ハリーも最初のうちは人当たりが良く、それなりに優しい振る舞いを見せてくれた。

 最初のうちは誰だって見られたい自分を演じるもの。
 ここで期待して、万が一あとあと豹変でもしたら……。

(また、自分が馬鹿を見る羽目になる)

 すん、とヒストリカは表情を戻す。
 双眸にほんのりと灯っていた温度が平常の冷たさに戻ったことに、エリクは気づかない。

「さて、ひとまずこんなところかな」
「はい、ありがとうございました」

 ヒストリカが頭を下げると同時に、エリクがすくっと立ち上がる。
 
「じゃあ、僕は仕事に戻るよ」
「今からですか?」

 闇色に染まった窓を見やってヒストリカは尋ねる。

「もう日付も回ってかなりの時間ですよ」
「溜まっている仕事が多くてね……明日の朝中に処理したい仕事も残っているから、もう少しね」

 そう言って遠い目をするエリクは、今にもぶっ倒れそうなくらいふらついて見えて、とてもじゃないが仕事をできるようなコンディションには見えなかった。

(大丈夫、でしょうか……)

 勉強で根を詰める事が多かったヒストリカも流石に心配になる。

「浴室や寝室の場所についてはコリンヌに任せてあるから、今日はゆっくり過ごすといい」
「あ、はい……お気遣い、ありがとうございます」

 ヒストリカが言うと、エリクが手を差し出してくる。
 細くて、頼りなくて、病的なまでに白い手。

「改めて、これからどうぞよろしく、ヒストリカ」
「はい、こちらこそ、よろしくお願い致します」

 エリクの手を取る。
 
 冷たくて、握ったら折れてしまいそうな感触が掌から伝わる。
 なんなら女である自分の掌とそう変わらないのでは、とすら思った。
 
「それじゃ……」

 手を離した後、エリクが足を踏み出す。

 その時だった。

 ガンッと、エリクの右足がテーブルに足に引っかかった。

「あっ」
「危ないっ……」

 エリクの身体がぐらりとずれる。
 そしてそのままどたりと、エリクが床に倒れた。
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