冰の令嬢ヒストリカが幸せになるまで〜「女のくせに出しゃばり過ぎだ」と婚約破棄された子爵令嬢は、醜悪公爵の病気を治し溺愛の道をひた走る〜

青季 ふゆ

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第10話 仕事? 何を言っているの?

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「エ、エリク様……!?」

 突然床に倒れたエリクを前にヒストリカが声を上げる。
 慌てて駆け寄ると、エリクがスッと掌をヒストリカに向けた。

「大丈夫、ただの疲労だから」
「疲労って……」
「時々、身体に力が入らなくなるんだ。少ししたら起きあげれるようになる」

 意識はある。
 受け答えはできる。

 喫緊で処置が必要という訳ではなさそうだが、身体のどこかに異常があるのは明らかだった。

 この前の貧血の路線も頭に浮かぶ。

 ヒストリカの行動は早かった。

 即座に机の上にあった呼び鈴をちりりんと乱暴に鳴らす。
 すると、ほどなくしてガチャリとドアを開けコリンヌがやってきた。

「いかがなさいましたか?」
「エリク様が……」

 コリンヌは床に倒れ伏すエリクを見て「ああ」となんでもない風に呟き言った。

「ご心配なく、いつもの事ですよ」

 その言葉に、ヒストリカの頭上に血が駆け上った。

「主がこんな状態だと言うのに何を悠長な事を言っているの!?」
 
 思わずヒストリカは声を荒げた。
 今まで感情の起伏が見られなかったヒストリカの一喝に、コリンヌはびくりと肩を震わせる。

 エリクもそんな様子のヒストリカを見て目を丸めていた。
 一瞬にして凍りついた空気に、ヒストリカはハッとする。

「……申し訳ございません。少し、感情的になってしまいました」

 頭を下げるヒストリカにエリクは床に頬をつけたまま言う。

「いや……こちらこそ驚かせてしまってごめん。コリンヌ、いつものやつを」
「は、はい……ただいま」

 コリンヌは一礼した後、そそくさと部屋を退出する。
 そしてしばらくして、小さな小瓶を手に戻ってきた。

 小瓶の中には緑色の液体が入っており、明らかに食用ではない輝きを放っている。

「こちらは?」
「エネルゲン・ドリンクというものだよ。これを飲むと力が漲って元気になるんだ。まあ、気づけ薬みたいなものだね」
「なるほど」
「今起きる、ちょっと待ってて」

 よいしょ……とエリクが踏ん張って起き上がる。
 そんなエリクの肩を持って、ヒストリカは彼を起き上がらせた。

「ありがとう」

 床に座り込むような体勢になったエリクに、コリンヌが小瓶を渡そうとする。
 その寸前、ヒストリカがコリンヌの手から小瓶を奪い取った。

「なんの真似だい?」
「こちらを飲ませるわけにはいけない、と判断しまして」
「どうして」
「エネルゲン・ドリンクには非常に中毒性が強い成分が入っています。一時的な興奮作用と快楽作用がございますが、長く飲み続けると他にさまざまな不具合が生じてしまいます。いつもの、と仰っていたあたり常用的に服用されているかと思いますが、止めるべきかと」
「よく知ってるね」
「本に書いてあったので」
「そういえば……医学の知識があるんだったな」
「素人に毛が生えた程度ですが」
「でも、僕は別に中毒という訳ではないよ。朝昼夜に一本ずつ、そして深夜に倒れた時に一本、と言った具合さ。このくらいの量だから、問題はないだろう?」
「一日に推奨量の四倍も飲んでいるのはもはや中毒です」

 人差し指と親指で小瓶サイズを強調するエリクに、ヒストリカがため息をついて言う。

「ホノオダケ、というキノコをご存知で?」
「キノコは好きだけど、聞いた事はない」
「南方地方によく生えている猛毒キノコです。指でつまむ程度の量を摂取すると、全身の穴という穴から血を噴き出して一瞬にして死に至ります」
「恐ろしいキノコだね……聞くだけで、キノコが苦手になりそうだ」
「つまり量ではなく、身体との相性なのです。相性が悪いと、身体にとって猛毒になり得ます。エネルゲン・ドリンクも、推奨量を超えて日常的に飲んでしまうと、たちまちのうちに毒になってしまいます」
 
 ヒストリカの強い説得力に、エリクは言葉を返す事ができない。
 しばらく表情に葛藤を浮かべていたが、やがてこう呟く。

「……わかった、エネルゲン・ドリンクは飲まないよ」
「賢明なご判断、ありがとうございます」
「飲まなくても、三十分ほどしたら動けるようになるから……そうしたら、仕事に戻るとするよ」
「仕事? させる訳ないでしょう?」

 絶対零度の声色でぴしゃりと言うヒストリカにエリクは一瞬ポカンとするが、すぐに抗議の言葉を口にする。

「いやいやいや、仕事はしないとまずいよ」
「いやいやいや、はこちらのセリフです。身体、倒れるほどお辛いんでしょう? そんな状態のエリク様に仕事をさせるわけにはいけません」
「それは、そうかもしれない、けど……仕事は終わらせないと」
「絶対に今夜中に終わらせないといけない仕事ではないですよね? 先ほど、明日の朝までには仕上げたいと、願望のニュアンスで仰っておりました。つまり納期的に余裕はまだあると推測出来ます」
「……よく覚えてるね」
「一度聞いた事なので」

 つまり一度聞いた事は忘れない。
 さらっととんでもない事を言ってのけたヒストリカに、エリクはまだ反抗の意思を示す。

「でも、今までずっと、指定日の三日前に終わらせるようにしてきたから……その誓約を破る事はできない」
「でしたら、なおさら大丈夫ですよ。相手からすると、エリク様に対する信頼は高い状態かと思うので、こういう時くらい通常の納期で提出しても問題ないと思います」
「しかし……」
「もう、聞き分けのない子供じゃないんですから!」

 痺れを切らしたようにヒストリカは声のボリュームを上げる。

「身体が不調の時に仕事をしても効率が悪いだけでしょう? それよりも、ゆっくり寝て、休んで、万全の状態になってから仕事をした方が結果的に良い仕上がりになるかと存じます。……ここまで言って、それでもなお仕事をすると言うのであればもう実力行使しかありません。私の知識と全力を以てしてお止めします」
「今日、初めて顔合わせに来たとは思えないくらい行動的だね……」
「堂々と素の私でいろと仰ったのはエリク様なので」
「ぐ……確かに」

 エリクは腕を組み、しばらく悩み葛藤するような素振りを見せたが、やがて諦めたように息を吐いて。

「わかった、わかったよ……今日は仕事しない、休むことにする」
「よく決断なさいました」

 ほっと、ヒストリカは安堵の息を吐く。
 もしこれでも仕事をすると言い始めた場合に取ろうと頭に浮かべていた行動プラン十個ほどをゴミ箱に放り込む。

「さあ、今日は休みますよ。まずは入浴へどうぞ。香水で誤魔化しているようですが、察するに何日も入浴をしていないのでは?」
「すっ……すまない、ここ数日本当に時間がなくて……」
「お気になさらず。私も貴族学校時代、テスト前は似たような状況でしたから」
「それは淑女としてどうなんだ?」
「もう昔のことですから。ささ、早く入浴して、歯も磨いて、ぐっすり寝ますよ」

 ヒストリカの言葉──主に“寝る”という部分に、エリクがぴくりと肩を震わせたような気がしたが。

「……わかったよ」

 と力無く、だが確かに頷いてくれるのであった。
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