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第3章
アニス、灰都へ行く①
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二一一三年 八月某日 王の日記より
彼女に殴られた頬が痛い。国民総幸福量について話がしたかっただけなのだが、伝わらなかったようだ。だが殴ったほうもきっと痛いだろうと思い、この痛みをわたしはあまんじて受ける。
それよりも、この胸の痛みは何故か。
彼女は、お茶に何かを入れたようだ。媚薬という名の毒を……
荷台でゆられること二時間。辺りがすっかり暗くなった頃、トラックはようやく停車した。ツバキが運転席をのぞくと、ドライバーは道端の自動販売機へ向かっている。
ふたりはそっと荷台を飛び降り、辺りを見回した。
「どこだ? ここは……」
活気のよさはコミューンの市民街と似ているが、匂いが違う。提灯やランタンが彩る街の背後に、工場のシルエットが見える。
油の匂い、煙の匂い。裏道に入れば、生ゴミのようなすえた空気が漂っている。
そして匂いより何より、降灰量が違った。ここに降る灰はコミューンの比ではなく、陽が落ちた後も道路清掃車が走っている。
少なくとも、レイチョウ少佐の城が近くにあるとは思えない。
「マズイぜ、アニス博士。おれたち──って、またいねェ!」
今しがた後ろにいたはずのアニスの姿はなく、道路をはさんだ牌坊門からツバキを手招きしている。
「リクドウさんこっち! ほらこのひと、お家じゃなくてこんなところで寝てるんです。おかしいでしょ、どうして?」
見ると、泥酔した男が歓楽街の飲み屋の軒下で高いびきをかいている。
「飲み過ぎて帰れなくなったんだよ。よくあることだ」
「お家があるのに、外で飲んだり寝たりするんですか?」
「いやまあ……男にはそういう日もあるんだよ。あまり突っ込んでやるな」
アニスが理解不能という目でじっと見つめてくるが、さすがのツバキも簡単に答えは出せない。
「もういい、放っとけ。自業自得だ」
「でもまだ夜は冷えるし、このままだとこのひと、灰に埋もれてしまうわ。とりあえず起こしましょ」
男の栗色のくせっ毛は、すでに灰だらけである。アニスがゆすって起こすと、男はニヤニヤとした寝顔で腕を回してきた。
「うーん……○○ちゃァん……」
店の女の子と勘違いしているらしく、アニスにしがみついてくる。
「ど、どうしましょう。リクドウさん」
青くなって固まるアニスから男を無理やり引きはがすと、ツバキは男の頬をぺちぺちと叩いた。
「おい起きろ、オッサン! 何寝ぼけてんだ!」
男はぼんやり覚醒すると、無精髭の生えた口をぬぐい起き上がる。
「ひでえ、おれまだ二十八……あれ、女の子だと思ったのに、野郎かあ……」
「てめ、おれが起こさなかったら、あんた朝には灰といっしょに埋立地行きだぜ」
「ははっ、そーだな。んじゃま、帰るとするかあ」
派手にくしゃみをし、鼻歌交じりにご機嫌に去って行く後ろ姿を見送りながら、ツバキは肩をすくめた。
「あーいう大人にはなるなっていう見本だ」
「あんなひと、あまり見ないですね」
「そりゃ、ここはコミューンじゃねェから──」
言いかけてツバキは、改まってアニスを見た。
「あのな、あんた勝手にいなくなるからよ、先に決めとこうぜ」
「はい」
遠回しに注意されているのがわからず、きょとんとしてうなずくアニスにツバキはため息をつく。
「迷子になったら、その街の駅を目指すこと。いいな」
ちょっと目を離すとこれだよ園児かよ、とぶつぶつ文句を言うツバキに、今度は街角からふいに声をかけて来た男がいた。
「兄さぁん、灰も深まって来ましたよ。今夜の宿はお決まりで?」
愛想よく表面はにこやかに近づいて来たが、細身の長袍に強い香を漂わせ、あまりまともな稼業ではない印象だ。
加えて足は砂地仕様のごついブーツという、一見サービス業のような外見とはちぐはぐなスタイル。
ツバキは、男をそっけなくあしらって先を行った。
「あァ、決まってる」
「どうです? 安くしときますよ」
「ラビットの世話にはならねェよ」
男の耳たぶには、小さなウサギのピアスが光って見えた。
「兄さん。この街に来たら、ウチを通したほうが利口ですって」
「どーだか」
邪魔だというように片手で躱す。
「なんですか? ラビットって」
アニスが後ろをふり返ると、男はにっこりと親指を下に向けていた。
「『ハイイロウサギ』不正規連隊。ギャング気取りの、ロクでもないゴロつきの集まりさ。プロ用の軍靴履いてただろ、あーいうやつはヤバいんだ。連中の取り締まりは警察軍でおれらの管轄じゃないが、ま、どのみちあんなのには関わらねェほうがいい」
とはいえ、どこかで宿を取らないといけないのも事実だ。降りしきる灰の下、野宿するわけにも、朝まで街をぶらつくわけにもいかない。
ツバキは目がチカチカするような漢字だらけの発光する看板を見上げ、ため息をついた。
「こんなところに女子高生と泊まったら、犯罪だよなァ……」
しょうがなく、騒がしいネオン街を抜け、ひっそりとした旧市街へ入る。今はもう使われていない、壊れかけの廃ビルが建ち並ぶエリアだ。
建設途中で工事が中断したもの、もともと欠陥建築で傾いてしまったもの。機能を失った街は、まるでゴーストタウンだ。水も電気も通っていないため、ホームレスすら住んでいないが、工場区から少し離れているので空気は悪くなかった。
「防砂設備もねェし、ちっと寝心地は悪ィが、横になれりゃいいだろ」
ビルはかつてオフィスとして使われていたらしく、壊れた椅子や机が無造作に積み上げられ、散乱している。最上階にはところどころ剥げかけた革ばりのソファが並んでおり、ツバキはソファにうっすら積もった灰を叩くと、腰かけてスプリングを確かめた。
「ひっでェ音……あ、アニス博士はそっちのソファな」
「ここで、いっしょに寝るんですか?」
アニスが驚いて聞き返すので、ツバキはキリリと清廉に敬礼する。
「誓って何もしないから安心しろ」
「? 何をしてくれるんでしょう?」
疑問と期待に満ちた目がツバキを見つめてくる。
アニスは、寄宿舎以外のベッドで眠ったことがない。ましてや、誰かと眠ったことも。
(……もう家に帰りてェ)
ツバキはどっと疲れに襲われた。アニスはいつもと違う状況を楽しんでいるようで、いそいそとソファを整え休む準備をしている。だが、一日はりつめていた緊張が解けたせいか、ふたりはそのまますぐに寝入ってしまった。
一時間ほど経った頃、ツバキははっと目を覚ました。そっとアニスをゆり起こすと、人さし指をくちびるに当て出口のほうへ促す。
階下で足音がする。ツバキは非常階段のほうへ回った。ドアを開けると、とたんに灰がふき込んで来てふたりとも思わず目をつぶる。
「あれぇ、兄さんじゃないですかぁ」
突然抜けるような能天気な声が飛んで来て、ツバキはぎょっと立ちすくんだ。さっきの男が尾けて来たのか、数人を引き連れて非常階段の下からニヤニヤと見上げている。
「兄さぁん、ここウチの自社ビルなんで……宿泊するなら、宿代払ってもらわないと!」
彼はいきなり、階段を数段すっ飛ばして駆け上って来た。長袍の袖口から、キラリと刃物がすべり出る。
ツバキは、転がっていたパイプ椅子の足をつかみ、男が繰り出してきたナイフを十字に受け止めた。相手は怯むどころか、細い躰からは思いもつかない重厚なパワーでおして来る。
「だからぁ、ウチ通したほうがいいって言ったよねぇ!」
「失せろ!」
ツバキが男の腹を思いきり蹴ると、軽い躰はいとも簡単に飛ばされ、壁に激突した。
「痛ってぇ……」
言葉とは裏腹にたいしたダメージもないのか、男は楽しげにまた突進して来る。目にも止まらぬ速さでナイフをくり出すが、ツバキの手刀で叩き落とされる。
だがツバキは身を捻った拍子に、体勢を崩し床に倒れた。男は敏捷にすきを見極め、ツバキの髪をつかむと顔に肘鉄を食らわせた。
「……ぐふっ!」
「……!」
飛び散る赤い飛沫に、アニスは声にならない悲鳴をあげる。
(リクドウさん……!)
アニスは思わず机の山へ走っていた。力いっぱい下の椅子を引き抜くと、
「うわあぁぁ!」
オフィス家具が雪崩のように彼らに襲いかかった。
ツバキは瞬発で起き上がると、アニスの手を引き屋上へ駆け上がった。家具の下敷きになった男たちは、物騒な言葉を毒づきながらよろよろと這い出している。
ツバキは走行の延長のように、隣接するビルに跳び移った。
「アニス博士、こっちだ!」
「……嘘っ、無理です!」
ツバキが腕を広げて待つ対岸のビルは、ここからおよそ二メートル。
それはともかく、地上数十メートルの高さでジャンプする機会など、アニスに当然これまであるわけがなかった。下を見ると奈落のような暗闇に目がくらみ、足がカタカタとすくむ。
「むむむ無理無理、絶対落ちます!」
「やつらが来る、早くしろ!」
アニスをかかえて跳べる距離ではないのだ。だがそうこうしているうちに、本当に男たちが屋上へ上がって来た。
「──くそっ、来やがった。あー、高校生女子立ち幅跳び平均記録は一・五〇メートルはある(多分)! 大丈夫だ、助走つければ跳べる! おれが絶対受け止めるから来い!」
その瞬間、実質的な数値の提示がトリガーとなり、アニスは跳んだ──
「きゃっ……!」
着地で足を踏み外す。だが強い腕ががっしと引きもどし、アニスはツバキの胸に無事収まった。ほっとしたのも束の間、あまりの近距離にぎょっとして、アニスはまた立ちくらみを起こしそうになる。治らない動悸を抑えつつ、アニスはツバキの後を追ってビルの階段を駆け下りた。
「はあはあ……もう心臓が持たない」
「もうちょっとだ、がんばれ!」
一階まで下りると見せかけ、渡り廊下を伝ってとなりの棟へ。走って旧市街の駅まで出ると、そこはもう無人ではなかった。
駅には屋台やタクシーが並び、そこそこにぎわっている。
「もうのんびり休んでるヒマはねェ。これでレイチョウ少佐の城まで行こう」
ツバキはタクシーを一台捕まえ、アニスを後部座席におし込むと自分も乗り込んだ。
「とりあえずコミューンまで行ってくれ」
「お客さん、これ、街内限定車なんですよ」
「あ? なんだよそれ、ゴーカートじゃあるまいし」
「まあ、ゴーカートみたいなもんですよ。行き先も決まってますしね」
言うやいなや、ドライバーがマスクをつける。深くかぶった制帽からのぞく耳たぶに小さなウサギのピアスが見え、ツバキはあっと声をあげた。
不透明なガラス板が、運転席と後部座席を仕切るように可動する。
「しまっ──」
しかし車内に満ち始めたガスのほうが回りが速く、意識を奪われたアニスたちは夜より深い闇に堕ちて行った。
彼女に殴られた頬が痛い。国民総幸福量について話がしたかっただけなのだが、伝わらなかったようだ。だが殴ったほうもきっと痛いだろうと思い、この痛みをわたしはあまんじて受ける。
それよりも、この胸の痛みは何故か。
彼女は、お茶に何かを入れたようだ。媚薬という名の毒を……
荷台でゆられること二時間。辺りがすっかり暗くなった頃、トラックはようやく停車した。ツバキが運転席をのぞくと、ドライバーは道端の自動販売機へ向かっている。
ふたりはそっと荷台を飛び降り、辺りを見回した。
「どこだ? ここは……」
活気のよさはコミューンの市民街と似ているが、匂いが違う。提灯やランタンが彩る街の背後に、工場のシルエットが見える。
油の匂い、煙の匂い。裏道に入れば、生ゴミのようなすえた空気が漂っている。
そして匂いより何より、降灰量が違った。ここに降る灰はコミューンの比ではなく、陽が落ちた後も道路清掃車が走っている。
少なくとも、レイチョウ少佐の城が近くにあるとは思えない。
「マズイぜ、アニス博士。おれたち──って、またいねェ!」
今しがた後ろにいたはずのアニスの姿はなく、道路をはさんだ牌坊門からツバキを手招きしている。
「リクドウさんこっち! ほらこのひと、お家じゃなくてこんなところで寝てるんです。おかしいでしょ、どうして?」
見ると、泥酔した男が歓楽街の飲み屋の軒下で高いびきをかいている。
「飲み過ぎて帰れなくなったんだよ。よくあることだ」
「お家があるのに、外で飲んだり寝たりするんですか?」
「いやまあ……男にはそういう日もあるんだよ。あまり突っ込んでやるな」
アニスが理解不能という目でじっと見つめてくるが、さすがのツバキも簡単に答えは出せない。
「もういい、放っとけ。自業自得だ」
「でもまだ夜は冷えるし、このままだとこのひと、灰に埋もれてしまうわ。とりあえず起こしましょ」
男の栗色のくせっ毛は、すでに灰だらけである。アニスがゆすって起こすと、男はニヤニヤとした寝顔で腕を回してきた。
「うーん……○○ちゃァん……」
店の女の子と勘違いしているらしく、アニスにしがみついてくる。
「ど、どうしましょう。リクドウさん」
青くなって固まるアニスから男を無理やり引きはがすと、ツバキは男の頬をぺちぺちと叩いた。
「おい起きろ、オッサン! 何寝ぼけてんだ!」
男はぼんやり覚醒すると、無精髭の生えた口をぬぐい起き上がる。
「ひでえ、おれまだ二十八……あれ、女の子だと思ったのに、野郎かあ……」
「てめ、おれが起こさなかったら、あんた朝には灰といっしょに埋立地行きだぜ」
「ははっ、そーだな。んじゃま、帰るとするかあ」
派手にくしゃみをし、鼻歌交じりにご機嫌に去って行く後ろ姿を見送りながら、ツバキは肩をすくめた。
「あーいう大人にはなるなっていう見本だ」
「あんなひと、あまり見ないですね」
「そりゃ、ここはコミューンじゃねェから──」
言いかけてツバキは、改まってアニスを見た。
「あのな、あんた勝手にいなくなるからよ、先に決めとこうぜ」
「はい」
遠回しに注意されているのがわからず、きょとんとしてうなずくアニスにツバキはため息をつく。
「迷子になったら、その街の駅を目指すこと。いいな」
ちょっと目を離すとこれだよ園児かよ、とぶつぶつ文句を言うツバキに、今度は街角からふいに声をかけて来た男がいた。
「兄さぁん、灰も深まって来ましたよ。今夜の宿はお決まりで?」
愛想よく表面はにこやかに近づいて来たが、細身の長袍に強い香を漂わせ、あまりまともな稼業ではない印象だ。
加えて足は砂地仕様のごついブーツという、一見サービス業のような外見とはちぐはぐなスタイル。
ツバキは、男をそっけなくあしらって先を行った。
「あァ、決まってる」
「どうです? 安くしときますよ」
「ラビットの世話にはならねェよ」
男の耳たぶには、小さなウサギのピアスが光って見えた。
「兄さん。この街に来たら、ウチを通したほうが利口ですって」
「どーだか」
邪魔だというように片手で躱す。
「なんですか? ラビットって」
アニスが後ろをふり返ると、男はにっこりと親指を下に向けていた。
「『ハイイロウサギ』不正規連隊。ギャング気取りの、ロクでもないゴロつきの集まりさ。プロ用の軍靴履いてただろ、あーいうやつはヤバいんだ。連中の取り締まりは警察軍でおれらの管轄じゃないが、ま、どのみちあんなのには関わらねェほうがいい」
とはいえ、どこかで宿を取らないといけないのも事実だ。降りしきる灰の下、野宿するわけにも、朝まで街をぶらつくわけにもいかない。
ツバキは目がチカチカするような漢字だらけの発光する看板を見上げ、ため息をついた。
「こんなところに女子高生と泊まったら、犯罪だよなァ……」
しょうがなく、騒がしいネオン街を抜け、ひっそりとした旧市街へ入る。今はもう使われていない、壊れかけの廃ビルが建ち並ぶエリアだ。
建設途中で工事が中断したもの、もともと欠陥建築で傾いてしまったもの。機能を失った街は、まるでゴーストタウンだ。水も電気も通っていないため、ホームレスすら住んでいないが、工場区から少し離れているので空気は悪くなかった。
「防砂設備もねェし、ちっと寝心地は悪ィが、横になれりゃいいだろ」
ビルはかつてオフィスとして使われていたらしく、壊れた椅子や机が無造作に積み上げられ、散乱している。最上階にはところどころ剥げかけた革ばりのソファが並んでおり、ツバキはソファにうっすら積もった灰を叩くと、腰かけてスプリングを確かめた。
「ひっでェ音……あ、アニス博士はそっちのソファな」
「ここで、いっしょに寝るんですか?」
アニスが驚いて聞き返すので、ツバキはキリリと清廉に敬礼する。
「誓って何もしないから安心しろ」
「? 何をしてくれるんでしょう?」
疑問と期待に満ちた目がツバキを見つめてくる。
アニスは、寄宿舎以外のベッドで眠ったことがない。ましてや、誰かと眠ったことも。
(……もう家に帰りてェ)
ツバキはどっと疲れに襲われた。アニスはいつもと違う状況を楽しんでいるようで、いそいそとソファを整え休む準備をしている。だが、一日はりつめていた緊張が解けたせいか、ふたりはそのまますぐに寝入ってしまった。
一時間ほど経った頃、ツバキははっと目を覚ました。そっとアニスをゆり起こすと、人さし指をくちびるに当て出口のほうへ促す。
階下で足音がする。ツバキは非常階段のほうへ回った。ドアを開けると、とたんに灰がふき込んで来てふたりとも思わず目をつぶる。
「あれぇ、兄さんじゃないですかぁ」
突然抜けるような能天気な声が飛んで来て、ツバキはぎょっと立ちすくんだ。さっきの男が尾けて来たのか、数人を引き連れて非常階段の下からニヤニヤと見上げている。
「兄さぁん、ここウチの自社ビルなんで……宿泊するなら、宿代払ってもらわないと!」
彼はいきなり、階段を数段すっ飛ばして駆け上って来た。長袍の袖口から、キラリと刃物がすべり出る。
ツバキは、転がっていたパイプ椅子の足をつかみ、男が繰り出してきたナイフを十字に受け止めた。相手は怯むどころか、細い躰からは思いもつかない重厚なパワーでおして来る。
「だからぁ、ウチ通したほうがいいって言ったよねぇ!」
「失せろ!」
ツバキが男の腹を思いきり蹴ると、軽い躰はいとも簡単に飛ばされ、壁に激突した。
「痛ってぇ……」
言葉とは裏腹にたいしたダメージもないのか、男は楽しげにまた突進して来る。目にも止まらぬ速さでナイフをくり出すが、ツバキの手刀で叩き落とされる。
だがツバキは身を捻った拍子に、体勢を崩し床に倒れた。男は敏捷にすきを見極め、ツバキの髪をつかむと顔に肘鉄を食らわせた。
「……ぐふっ!」
「……!」
飛び散る赤い飛沫に、アニスは声にならない悲鳴をあげる。
(リクドウさん……!)
アニスは思わず机の山へ走っていた。力いっぱい下の椅子を引き抜くと、
「うわあぁぁ!」
オフィス家具が雪崩のように彼らに襲いかかった。
ツバキは瞬発で起き上がると、アニスの手を引き屋上へ駆け上がった。家具の下敷きになった男たちは、物騒な言葉を毒づきながらよろよろと這い出している。
ツバキは走行の延長のように、隣接するビルに跳び移った。
「アニス博士、こっちだ!」
「……嘘っ、無理です!」
ツバキが腕を広げて待つ対岸のビルは、ここからおよそ二メートル。
それはともかく、地上数十メートルの高さでジャンプする機会など、アニスに当然これまであるわけがなかった。下を見ると奈落のような暗闇に目がくらみ、足がカタカタとすくむ。
「むむむ無理無理、絶対落ちます!」
「やつらが来る、早くしろ!」
アニスをかかえて跳べる距離ではないのだ。だがそうこうしているうちに、本当に男たちが屋上へ上がって来た。
「──くそっ、来やがった。あー、高校生女子立ち幅跳び平均記録は一・五〇メートルはある(多分)! 大丈夫だ、助走つければ跳べる! おれが絶対受け止めるから来い!」
その瞬間、実質的な数値の提示がトリガーとなり、アニスは跳んだ──
「きゃっ……!」
着地で足を踏み外す。だが強い腕ががっしと引きもどし、アニスはツバキの胸に無事収まった。ほっとしたのも束の間、あまりの近距離にぎょっとして、アニスはまた立ちくらみを起こしそうになる。治らない動悸を抑えつつ、アニスはツバキの後を追ってビルの階段を駆け下りた。
「はあはあ……もう心臓が持たない」
「もうちょっとだ、がんばれ!」
一階まで下りると見せかけ、渡り廊下を伝ってとなりの棟へ。走って旧市街の駅まで出ると、そこはもう無人ではなかった。
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「もうのんびり休んでるヒマはねェ。これでレイチョウ少佐の城まで行こう」
ツバキはタクシーを一台捕まえ、アニスを後部座席におし込むと自分も乗り込んだ。
「とりあえずコミューンまで行ってくれ」
「お客さん、これ、街内限定車なんですよ」
「あ? なんだよそれ、ゴーカートじゃあるまいし」
「まあ、ゴーカートみたいなもんですよ。行き先も決まってますしね」
言うやいなや、ドライバーがマスクをつける。深くかぶった制帽からのぞく耳たぶに小さなウサギのピアスが見え、ツバキはあっと声をあげた。
不透明なガラス板が、運転席と後部座席を仕切るように可動する。
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そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。
最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。
仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕!
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