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第二章

開拓者の村にて

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 夜中、男は目を覚ました。──真っ暗だった。

 しかし、コマネチ族は夜目が利くので不便は無かった。そこが狩りや白人の砦の偵察時に使う、先住民の共同隠れ家であると気づく。

 ただ、自分がなぜこの開拓者の家の中にいるのか、すぐには思い出せなかった。

(そうか、撃たれたのだ)

 囚えられていた白人の基地から逃走中に、撃たれた。

 脇腹に手をやると、何かが巻き付いている。白い布でぐるぐる巻きに、腹帯がしてある。

 手当をしてくれたのか。おそらくあの白人女だ。白人はシャーマンの魔術になど頼らずに、自分で傷を治すという。

 布を巻いただけで治るとは思えないが、元々祈っただけで傷が治るとも思っていないダンだったので、そのままにしておいた。

 裸に包帯だけというのは奇妙は感じだった。

 戸口に目をやると、小さな塊が見えた。

 あの女だ。

 床に座って寝ている。

 なぜ逃げなかったのだろう。ダンは不思議に思った。

 毛布の上から自分にかけられた女の上着を見て、ますます困惑した。

 それから、夕方見た光景を思い出す。あれは、夢ではなかったのか。

 寝苦しくて、体がだるい状態で起き上がり、わけも分からず外に出て彷徨った。水が飲みたかったのだ。

 女が半裸で身を清めていた。

 赤毛を白い肌にまき散らし、豊満な胸からほっそりした腰を手ぬぐいで拭いている。

 女神かと思った。

 泉の女神が、自分を冥府に呼ぶためにやってきたのだと。それほど渇き、体がだるかったのだ。

 もしやこれは病というものだろうか。コマネチ族では風邪をひくのは虚弱の証とされ、軽蔑される。

 こんな情けない自分に対し、大地の神は怒り、女神を迎えに寄こした。そうに違いない。

(俺は死ぬのか)

 そう思った瞬間、女が下穿きをスルッ落とし、股やら尻やらまで拭きだしたではないか。

 喉の乾きなど忘れた。代わりに別の乾きが彼に襲いかかる。

 ダンのダン・カンは、コノヤローと立ち上がった。

 驚いて股間を見つめる。こんなに具合が悪いのに、そこだけやけに元気だ。

(まだ死ぬわけじゃないのか)

 ダンは安心して、ふらつく体でベッドに向かった。沸き起こった渇望は、無理矢理無視した。そして再び柔らかい寝床に戻ったのだ。

 女神に欲情するなどあってはならない。


 いま、あの女神は戸口で寝ている女であったと気づいた。つまり、彼を鞭でいたぶったあのサディストだ。水の女神ではなかったのだ。

 小さなくしゃみ。

 男は寝床を出て、女に近づいた。頬に触れてみた。冷たくなっている。ダンは考えた末、女をベッドに運んだ。

 女はダンの温もりに気づいたようで、むしゃぶりついてきた。そのまま毛布を被る。冷えた塊がじょじょに温まってくるのを感じ、なんとなくほっとしてダンも眠ることにした。

 しかし、なぜか眠りはなかなか訪れてくれなかった。




 翌朝目覚めると、ヴェロニカは身動き取れなくてもがいた。

「えっ……ちょっ、重っ」

 やっと起き上がると、その重みの正体に気づく。

「ひっ」

 ダンは起き上がった。彼女を抱えたまま。

「ななななっなっなっ」

 直後自分の衣服を気にする。そして脱がされていないことに気づき、ほっとした。乱暴されたと思ったのだ。

「あなた、なんで全裸なのっ」

 男は無言を貫いている。

 ……そうか、最初から裸だったっけ。

 ヴェロニカはストンと落ち着いた。良かった。この先住民とベッドインしたのかと思ったが、そんな雰囲気になるわけがない。

 それにしてもこの男、しゃべれない設定をいつまで頑張るつもりなのだ。

 ふと、相手の体の熱さが引いていることに気づき、男の頬に手を伸ばした。やはり、通常の体温に戻ったようだ。

「下がったみたいね」

 ヴェロニカは、彼からさり気なく身を離す。

 さあ、何でもないふりをして逃げるのよ。

 男が起きる前に馬をいただいて逃げるつもりだったのだが、彼の体温がここちよくてぐっすり寝てしまった。

 いつの間に自分はベッドにもぐりこんだのだろう。寝ぼけていたのか。こんな恐ろしい野蛮人のベッドに潜り込むなんて、どうかしている。

「わたくし、泉で水を汲んできますわね」

 じりじりと下がりながらそう告げた。背を向け、戸口に手をかける。相手の視線を痛いほど背に感じながら、両開きの戸を開け放つ。さあ、このまま厩まで走って逃げるのよ、ヴェロニカ。

 傍らの荷物を手に取ろうとした。その首の後ろに、衝撃が走った。
 



 星形疱瘡が流行った時、母を失った。

 プロスターチン正教会は、異端であるアリビア帝国で開発された種痘の受け入れを拒否したのだ。総主教によれば、星形疱瘡は悪魔の病。

 悪しき心の持ち主を淘汰するため、海神が罰を下したものである、そう結論付けた。ツァーリはそれを支持した。

(ばかばかしい)

 人々は狂ったように神に祈ったが、星形疱瘡の猛威を止めることは敵わなかった。当然である。神罰でなどあるものか。

 母だけでなく、幼い弟たちも次々に命を落とした。

 父は、残った愛娘二人には、抗原をアリビアから密輸して種痘を施したのだ。

 流行が収まった後、生き残った者同士が再び婚姻を結ぶことになった。貴族も庶民も変わらず、積極的に再婚し、寡婦を減らし人口を増やすために。

 だが、やってきた継母の連れ子アクレセイには悩まされた。まあ、このくだりはよくありそうな話だ。

 父は軍属ゆえに、基本的に家にはいなかった。まだ結婚年齢に達していない二人の娘は、義兄に性的な目で見られることになる。

 特に姉はすらりとした美少女だったから、どうにかして守りたかった。

 ヴェロニカは姉を無理やり士官学校に入れる手続きを取った。父にも本人にも事後承諾で。

 疱瘡流行前ならば、絶対あり得なかっただろう。男女差別は他の国同様ひどく、女が軍属などと、今までであれば許可されなかった。

 しかし、種痘を拒絶した祖国では、若い兵士たち──貴族である士官たちまでもバタバタ倒れ、軍も弱体化していたのである。

 その状態で、ツァーリは新大陸侵攻を決めた。

 幼少時から乗馬が得意だった姉は、さらにはその見栄えを考慮されたのか、名誉ある騎兵隊長として新大陸に送られたのである。

 現在は、もう当主となったアレクセイさえ呼び戻せないほど功績をあげていたし、さらには呼び戻されても手を出せないほど強くなった。病弱を装うアレクセイなど、おそらく一発でKOできるほど、強くなっ──なりすぎたかしら、とヴェロニカは思った。

 もう嫁の貰い手はつかないだろう……。

 アレクセイは臆病者で、弱者にしか手を出せない男だった。

 姉が士官学校に入った時から、標的が姉からチンクシャな自分に移った。それが分かった時、ぞっとしたものだ。

 もともと七歳から、士官学校附属の女学校に通っていたヴェロニカである。でもこれは、軍とは関係なく、女子に教養を教えるための学校であった。

 十五になり、幼年部を卒業して姉と同じく士官学校の寮に入ろうとしたところ、アレクセイの反対に遭う。

 ピンときた姉が、すぐに手を打ってくれた。妹を士官にしないのは、軍にとって損失であると大仰に宣伝してくれたのだ。

 それから父の力を使って、ヴェロニカを士官学校の参謀科に押し込んでくれた。

 小さくて非力な自分が戦えるはずもないが、頭脳を生かせということらしい。

 そこから、これまた父がコネを使って軍に入れてくれたのだ。手話を勉強していたことが幸いして、新大陸に呼んでもらえた。

 けっきょく自分には実力などなく、たんに姉の機転と、父の威光により連れ出されたのは分かってる。

 しかし、アレクセイのことが無くても、ヴェロニカは元々本国を出たかった。あの凍てついた国に居ればいつかは腐る。

 ツァーリはしょせんインペラトールになれない。北の大陸をまとめることなど出来なかったのだ。

 アリビア皇帝とは器が違っていた。しかもかの国は、その皇帝ですら排除した。※

 もう、時代は変わる。

 おそらく自分の国は、ダメだと思う。その変化についていこうとしないだろう。

 神に祈ればどうにかなると思っているツァーリは、総主教の言いなりだったのだ。

 教皇勢力を嫌って新教を立ち上げた、歴代のツァーリに申し訳ないとは思わないのか。

 衰退していく国をどうにかできるほど、自分に力はない。愛国心も無い。ならば本気で、新大陸に住めれば、とそう思っていた。

 (まあ、甘くは無いわよね)

 ヴェロニカは息をつく。

 ウエスティアに着いてみれば父には先立たれているし、さらに新大陸とは名ばかり。先に住んでいる者が居る。どうやっても軋轢はできる。

 しかも、彼女の陣営は、先に住む者を淘汰しようとしているクズなのだから。

(わたくしたちは、どうすればいいのでしょうね、お姉さま……じゃない、お兄様、でしたわね)

 周囲に翻弄される力のない自分たちが、疎ましい。

 つるっと閉じた瞼から涙がこぼれた。
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