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本編
第二十五話 古いもの、借りたもの
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■
先を急ぐサリとすれ違う生徒は、正面玄関口に近づくにつれ数がまばらになっていく。
秘書科や文書科の生徒たちは図書室や自習室もしくは教務員室へ押し掛けて教師を捕まえてはギリギリまで知識を詰め込もうとする者がほとんどだし、淑女科の生徒はそこまで貪欲に学園で知識を詰め込むような真似もしなければ、自宅へ帰る為に急いで教室から出るような真似をする筈もなく、サリの記憶にあるよりもずっと授業終了後すぐの正面玄関は閑散としたものだった。
「こんなにも慌てて出てこなくてもよかったかしら」
ひとり廊下を急ぐ姿ははしたなくはなかっただろうか、と恥じ入り、小走りだった足を緩めた。
しかし、視線の先にその人の大きな後ろ姿を見つけて、胸がきゅうっと締め付けられた。
サリは我知らず、再び小走りになって近付いた。
「お待たせしてしまったでしょうか」
約束した場所は馬車の降車場だった筈だ。
それなのに、高等部の生徒用の玄関口などにその人の姿があるということは、つまりサリを迎えに来てくれたという事だろうか――そんな風に考えた自分が滑稽で、サリは一瞬でその考えを頭から捨て去った。
見上げたその人は、灰色の瞳を一瞬だけきらめかせると、いつものように眇めた。
「いいや。僕も今来た所だ。また迎えに行った方がいいのか少し悩んでいた」
そういった唇が、ゆっくりと弧を描いた。
「わ、らった……」
「? どうした。さあ、降車場が混む前に出よう」
サリの声は教授に届かなかったらしい。
さっと目の前に差し出された手に、そうっと手を重ねると、余りに自然な態度でサリの小さな手が教授の腕に巻き込まれた。
体温まで感じるような近さに、サリは目が眩んだ。
「おっと」
躓きかけたサリを、大きな手が支える。
教授の左腕にはサリの右手が巻き込まれていたので、必然的にサリを支えたのは右手だ。
教授に自分から抱き着いてしまったような状態である。
それも校舎の真ん前で、だ。
「すまないつい急いてしまった。次からは歩く速度を合せるよう、気を付けよう」
「次も、あるんですね」
「勿論ある。僕たちは婚約者だし、すぐに結婚もする。一生だ」
馬車の中では、サリはひと言も口を利けなかった。
先ほど教授に言われた言葉が頭の中で響き、胸の奥で何かが渦巻いて、ギュッと目を閉じていないではいられなかった。
“一生だ”、そう言われた言葉に、サリは怯えた。
多分、これから先もずっと、自分は目の前にいる人のことをどんどん好きになっていく。間違いない。これは予想ではない。内なる確信だ。
一生続いていくだろう片思いの生活というものが、どんな物になるのか。まだサリには分からない。
けれど、教授の言動ひとつで一喜一憂する簡単な自分に用意されているこれから先の一生は、バラ色をしてはいない事は確かだろう。
かといって、愛しい人の手を完全に手放す勇気も、サリにはないのだ。
「着いたよ。さぁ」
ずっと目を閉じていたサリが、教授の声に目を開けると、そこは大きなお城の様な大邸宅があった。
反対側の窓から外を見れば、気が付かない内にくぐってきたのであろう門が遠くに見える。
アプローチだけでも馬車で何分掛かっていたのだろう。
まったく気が付かなかった事に、サリは自分の迂闊さに驚いた。
そうして、目の前に差し出されたままの教授の手を取って馬車から降りてみれば、そこにあったのは、この国でも有数の名門貴族の大邸宅であった。
「アーベル侯爵家さま」
ごくりと唾を飲み込んだ。
縺れそうになる足に懸命に力を籠めてサリは促されるまま、迎えに出ていた家令と挨拶を交わし、エスコートされる手に縋って、邸内へと足を踏み入れた。
赤樫を建材とし、そこに濃い臙脂色を基調とした緞通を敷き詰めてある豪奢なホールを通り抜け、ミモザの間と名づけられた応接室のひとつへと案内された。
明るいメープルの木目に、付けられた名前の通りのミモザをモチーフにした壁紙が映える。
部屋の中央にセッティングされた真っ白な猫足のティーテーブルの席ではなく、テラスへと続く大きな窓の前に置かれた、やわらかなソファへ着席を促された。
「長居をするつもりはない。用件だけ済ませたら寮へ送っていく」
そういえば、まだ正式な両家の顔合わせもしていないのだと、サリはぼんやりと思った。
歓待されている訳がない。
准男爵とは貴族とは名ばかりの存在で、サリはその娘だ。
侯爵家のご出身で、自らの功績により伯爵位を賜り、本来ならば遠戚の美しい侯爵家のご令嬢を妻に迎える寸前であったのに、まだ解けてもいない誤解から生まれたサリとの確執から、その良縁は破談となってしまったのだ。
そうしてなぜか、確執の原因たるサリが、伯爵様の妻へと迎えいれられる事になってしまったのだから。
(違うわ。迎えいれられる訳じゃない。喜ばれてなどいないもの。空席となったそこに、据替られただけ)
多分、ここでの時間は針の筵のようなものとなるだろう。心得違いをしてはいけないのだと、サリは自分を戒めた。
コンコンコン。
部屋がノックされる。サリが立ち上がって迎えに出ようとするのを、教授が片手で制した。
そうして、開けられたドアから入ってきたのは、レースの山を抱えた侍女一団と、美しい女性だった。
先を急ぐサリとすれ違う生徒は、正面玄関口に近づくにつれ数がまばらになっていく。
秘書科や文書科の生徒たちは図書室や自習室もしくは教務員室へ押し掛けて教師を捕まえてはギリギリまで知識を詰め込もうとする者がほとんどだし、淑女科の生徒はそこまで貪欲に学園で知識を詰め込むような真似もしなければ、自宅へ帰る為に急いで教室から出るような真似をする筈もなく、サリの記憶にあるよりもずっと授業終了後すぐの正面玄関は閑散としたものだった。
「こんなにも慌てて出てこなくてもよかったかしら」
ひとり廊下を急ぐ姿ははしたなくはなかっただろうか、と恥じ入り、小走りだった足を緩めた。
しかし、視線の先にその人の大きな後ろ姿を見つけて、胸がきゅうっと締め付けられた。
サリは我知らず、再び小走りになって近付いた。
「お待たせしてしまったでしょうか」
約束した場所は馬車の降車場だった筈だ。
それなのに、高等部の生徒用の玄関口などにその人の姿があるということは、つまりサリを迎えに来てくれたという事だろうか――そんな風に考えた自分が滑稽で、サリは一瞬でその考えを頭から捨て去った。
見上げたその人は、灰色の瞳を一瞬だけきらめかせると、いつものように眇めた。
「いいや。僕も今来た所だ。また迎えに行った方がいいのか少し悩んでいた」
そういった唇が、ゆっくりと弧を描いた。
「わ、らった……」
「? どうした。さあ、降車場が混む前に出よう」
サリの声は教授に届かなかったらしい。
さっと目の前に差し出された手に、そうっと手を重ねると、余りに自然な態度でサリの小さな手が教授の腕に巻き込まれた。
体温まで感じるような近さに、サリは目が眩んだ。
「おっと」
躓きかけたサリを、大きな手が支える。
教授の左腕にはサリの右手が巻き込まれていたので、必然的にサリを支えたのは右手だ。
教授に自分から抱き着いてしまったような状態である。
それも校舎の真ん前で、だ。
「すまないつい急いてしまった。次からは歩く速度を合せるよう、気を付けよう」
「次も、あるんですね」
「勿論ある。僕たちは婚約者だし、すぐに結婚もする。一生だ」
馬車の中では、サリはひと言も口を利けなかった。
先ほど教授に言われた言葉が頭の中で響き、胸の奥で何かが渦巻いて、ギュッと目を閉じていないではいられなかった。
“一生だ”、そう言われた言葉に、サリは怯えた。
多分、これから先もずっと、自分は目の前にいる人のことをどんどん好きになっていく。間違いない。これは予想ではない。内なる確信だ。
一生続いていくだろう片思いの生活というものが、どんな物になるのか。まだサリには分からない。
けれど、教授の言動ひとつで一喜一憂する簡単な自分に用意されているこれから先の一生は、バラ色をしてはいない事は確かだろう。
かといって、愛しい人の手を完全に手放す勇気も、サリにはないのだ。
「着いたよ。さぁ」
ずっと目を閉じていたサリが、教授の声に目を開けると、そこは大きなお城の様な大邸宅があった。
反対側の窓から外を見れば、気が付かない内にくぐってきたのであろう門が遠くに見える。
アプローチだけでも馬車で何分掛かっていたのだろう。
まったく気が付かなかった事に、サリは自分の迂闊さに驚いた。
そうして、目の前に差し出されたままの教授の手を取って馬車から降りてみれば、そこにあったのは、この国でも有数の名門貴族の大邸宅であった。
「アーベル侯爵家さま」
ごくりと唾を飲み込んだ。
縺れそうになる足に懸命に力を籠めてサリは促されるまま、迎えに出ていた家令と挨拶を交わし、エスコートされる手に縋って、邸内へと足を踏み入れた。
赤樫を建材とし、そこに濃い臙脂色を基調とした緞通を敷き詰めてある豪奢なホールを通り抜け、ミモザの間と名づけられた応接室のひとつへと案内された。
明るいメープルの木目に、付けられた名前の通りのミモザをモチーフにした壁紙が映える。
部屋の中央にセッティングされた真っ白な猫足のティーテーブルの席ではなく、テラスへと続く大きな窓の前に置かれた、やわらかなソファへ着席を促された。
「長居をするつもりはない。用件だけ済ませたら寮へ送っていく」
そういえば、まだ正式な両家の顔合わせもしていないのだと、サリはぼんやりと思った。
歓待されている訳がない。
准男爵とは貴族とは名ばかりの存在で、サリはその娘だ。
侯爵家のご出身で、自らの功績により伯爵位を賜り、本来ならば遠戚の美しい侯爵家のご令嬢を妻に迎える寸前であったのに、まだ解けてもいない誤解から生まれたサリとの確執から、その良縁は破談となってしまったのだ。
そうしてなぜか、確執の原因たるサリが、伯爵様の妻へと迎えいれられる事になってしまったのだから。
(違うわ。迎えいれられる訳じゃない。喜ばれてなどいないもの。空席となったそこに、据替られただけ)
多分、ここでの時間は針の筵のようなものとなるだろう。心得違いをしてはいけないのだと、サリは自分を戒めた。
コンコンコン。
部屋がノックされる。サリが立ち上がって迎えに出ようとするのを、教授が片手で制した。
そうして、開けられたドアから入ってきたのは、レースの山を抱えた侍女一団と、美しい女性だった。
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