苺のクリームケーキを食べるあなた

喜楽直人

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本編

第二十七話 アンティークドレスとパリュールと

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「次は、両家の家族が揃って、ゆったりとお食事できたら嬉しいわ」

 最後まで夕食を一緒にと渋っていたエレナ夫人だったが教授の「サリ嬢は明日も学園がある」という言葉でようやく諦めて、サリへ次の約束を贈ってくれた。

 その柔らかな表情に、サリの心がまた温かくなる。
 急ごしらえの穴埋め要員としての婚約者となった自分は、フリッツの家族に受け入れられないと思っていたのだ。

 けれど、多分あの昼休みの後に急遽連絡を受けたばかりなのだろうに、侯爵夫人のお祖母様から受け継がれたドレスをお貸し戴けるとは。

 サリは、さきほど袖を通させて貰った感動を思い起こして、身体を震わせた。

 どんなに仕立てが良くても、生地自体が良くても、布というものは経年劣化を免れることはできない。

 保管には定期的な陰干しとブラッシングを欠かさないことが大切で、それ以前に、着用した後にはきちんと汚れを落とし切らねばならない。
 しかも薄絹であるレースや刺繍部分は、強く擦ることも、搾ることも、強い薬剤を使う事も許されない。
 ドレス本体こそは水洗いもできるだろうが、場合によってはレースやフリルをすべて外してから洗い、後で付け直すのだ。この時、落ちない汚れがあったり糸が撚れてしまった部分は見えにくい箇所へ移動するなどの処置を取る事もある。
 どの工程にしても、とにかく手間が掛かるものなのだ。

 ヴィンテージと呼ばれるようなレベルならば余計に神経を使う必要が出る。

 それなのに。

 初めて感じるあの独特の重みと滑らかでひんやりとした絹の肌触り。

 背中に並んだ包み釦のひとつひとつまで美しかったドレスの優美さを思い出して、サリはうっとりと溜息を吐いた。


「君は、母上と仲が良いのだな」

 帰りの馬車の中、独り言のように呟かれたその言葉を、サリは上の空でいたこともあって上手く聞き取れなかった。

 辛うじて聞き取れた“母”という言葉と最後の“仲が良い”から推測して答える。

「はい? ええと、そうですね。我が家は家族みんな仲が良い方だと思います」

「いや、僕の母とだ。前から交流があったのだろうか」

「いいえ。本日は初対面ですが。私が忘れているだけではなく、エレナ夫人からもそうご挨拶戴きましたから記憶違いということもない筈です」

「そうか。そうだったな」

 サリは言葉の続きを待っていたが、フリッツはなかな会話の意味の説明すらしようとしない。
 狭い箱馬車の中で姿勢よく座っているだけだ。
 灰色の瞳は伏せられており、何を考えているのか、まったく想像もつかない。
 サリは続きの言葉を待つことを諦めて、馬車の窓から色を変えつつある空を眺めた。

 フリッツを追い出し、カーテンを閉めて行われた着せて貰ったドレスは、これまでサリが着たことのあるドレスの中で、最も上等で上質で上品で美しいものだった。

 広げられただけでも、刺繍の精緻さや生地のもつ光沢の素晴らしさは一目瞭然であったが、やはりドレスというのはサイズの合った女性が着て初めて真価を発揮する。

 ちょっとしたサリの動きに合わせて煌めく、裾に散りばめられたホワイトサファイアの輝きも。
 ウエストをより細く美しく魅せる為のパターンの妙も。

 すべてが、着ている人をより美しく魅せる為に計算され尽くしているのである。

(あれほどの素晴らしいドレスをこの目で見て試着させて戴けただけでなく、私の為に仕立て直して戴けるなんて。光栄すぎて、今夜は眠れないかもしれないわ)

 それにしても、あのドレスにシーラン伯爵家の家紋を刺繍してしまって本当にいいのだろうか。王太子を助けた事で授爵したフリッツに与えられた家紋は倒した熊の爪と剣がデザイン化された勇ましいものだ。勿論、専門家がそのセンスをもってして優美に抽象化している。けれどあのドレスの美しさを損ねるようなことになりませんように、とサリは祈った。

 ドレスについては、あとで拙い絵に憶えている限りの情報を書き記して、ヴォーン商会のドレス部門へ届けなくてはとサリは心に決める。
 既に知っている情報がほとんどかもしれないけれど、着たからこそわかる何かがあるかもしれない。

 そして、あのパリュール一式も同じ位素晴らしかった。

 特にネックレスの中央にあったあのブルーサファイアのランクは色サイズ、傷、インクルージョンの有無も含めて文句なしの最高レベルだ。
 あれほど美しい宝石は一生掛かっても取り扱えない商人は多いだろう。
 お目に掛かれることだって、一度か二度あるかないか。それほど素晴らしいものだった。
 地金部分においても、アーベル侯爵家の家紋である牡鹿の象徴である角と楓の葉が巧みに組み込まれた意匠の金細工。
 あの硬さと重さから、主たる成分は金だとサリは判断したのだが、如何せん何と組み合わせればあの柔らかな金色が出せるのか全く分からなかった。

 金は、そのままだと柔らかすぎて宝石を留めることもできない。
 だから他の金属と混ぜ合わせて合成して使うのだが、合わせる金属やその比率により色が変わってくる。勿論、温度や混ぜる順番など沢山の秘訣がある。

 宝飾品として扱得るようにする為の硬度を保つためには一般的には銀や銅と合わせる。銅の比率を高めればピンク色の可愛らしいゴールドにもできるし、金にパラジウムという希少金属を合わせれば銀より白く輝くホワイトゴールドにもできる。

 様々な色合いの金が、工房ごとに存在する。
 ただし合わせる金属の種類やその比率は各職人にとって秘伝であり完全に秘匿とされる。

(でも、実際に色合いを見たり触って感触や重さを知る事が出来れば、ヴォーン商会の工房で似た物を作る事もできるんじゃないかしら)

 そう思うと胸がわくわくして、サリの頬が自然と弛んだ。



 だから、再びフリッツが呟いたそれを聞き取ることはなかった。

「ドレスを貸して欲しいと頼んだのは僕だが、まさか母上が家宝のパリュールまで自分から貸し出そうとするなんて。何故……と、問うまでもないか」

 それきり天井を仰いで目を瞑ってしまったフリッツは、馬車が停まるまでずっと黙ったままだった。


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