35 / 50
本編
第三十四話 神の前で
しおりを挟む
■
「ロイド! 止めなさい」
“マリアンヌ”――その名前に、サリは聞き覚えがあった。
『婚約者は、ピアリー侯爵家の長女マリアンヌ様と言われるとてもお美しい御方よ』
『お二人が並んで立ったところはまるで絵画の様に美しいといわれているわ』
『社交界の華と言われるのも当然の美しさだったわ』
エブリンの声がサリの頭の中で何度も繰り返し響くそこへ、蔑みの目をしたブルネットの吊り目美人がサリを批難する声が重なる。
『正当な婚約者であるマリアンヌ様を泣かせた挙句、強引に後釜について!!』
「ちがう……ちがうわ……」
ぐるぐると四方から聞こえてくるようなその声に、サリは平衡感覚を失ってしゃがみ込みそうになる。
そのサリを、父ダルが動く右腕で、受け止めた。
「サリ、しっかりしなさい」
「お、とうさま」
昏い視界に、強い父の瞳が光る。
それは、今のサリにとって唯一の救いだった。
「このまま尻尾を巻いて逃げるか、それとも神の前で誓いを交わすのは自分だと相手を追い払うか。今すぐ、お前が決めなさい。私は、お前が選んだ選択を、全力で応援しよう」
「姉さん、僕が付いてる。絶対に守るから。一緒に逃げよう」
父ダルの心強い申し出と幼い弟の懸命な訴えに、サリの心は千々に乱れた。
そうして――
無慈悲な神の審判が下されるように、サリの目の前にある大きな扉が、修道士の手によって開かれた。
聖歌隊による婚姻式を寿ぐ歌が奏でられていく。
朗々たる清らかなその声が、婚姻式の始まりを、告げた。
最初に、サリの目に飛び込んできたのは、色とりどりの光の渦。
神話に残る神々が描かれた色とりどりのステンドグラス越しに差し込む光が、風に揺らめく。それはまさに神の具現を感じさせた。
まるで神々の住む花園のような聖なるその場所の、中央に敷かれたまっすぐ続く赤い絨毯の先に、その人が立っている。
真っ白な式服を着て、まっすぐ背筋を伸ばして。
その背後には、神を象った美しい彫刻と今日の式を取り仕切る教主様がいる。
嘘偽りの許されない神が坐わす厳かな空間の真ん中で、その人が、サリを見つめていた。
赤い絨毯の両側には、両家の親族および招待された人々がこの婚姻が噂にあるような金で買われたものなのか、それとも年下の若い生徒の誘惑に負けた男の成れの果てなのか、はたまた純愛の末のモノなのかを確かめてやろうと興味津々で見つめていた筈だったが、サリには唯一人、その人の事しか目に入っていなかった。
ゆっくりと、サリの足が前へと進む。
それを見たダルは、諦めたようにひとつ大きなため息を天に向かって吐くと、サリの腕を魔法使いの奇跡により失わずに済んだ左腕へと取り直して、歩調を合わせて歩き始めた。
その後ろから、弟ロイドの叫んだ。
「おねえちゃん! 嘘じゃないんだ。ソイツは、ついさっきまで、他の女と、抱き合ってたんだ。ボク見たんだ! 本当なんだっ!」
静かすぎるその場所に、泣いて訴える子供の声が、こだました。
参列者の中から細い悲鳴や騒めきが怒る。
サリの足が止まり、思わずといった様子で振り返った。
聖堂の入口で、サリの大切な弟が、自分の未来を案じて泣いていた。
「サリ? どうした。どうしたい? 今からでも、お前の思う通りにしていいんだ」
一緒に足を止めた父が、サリの蒼褪めた顔を、優しく見つめていた。
「お、とう、さま」
サリの瞳が、潤む。
「お前が望むなら、爵位なんか幾らでも捨ててやる。全財産を投げ売ってでも、お前の人生を買い戻してやる。大丈夫。私を誰だと思っている、この国で最もやり手だと謳われているヴォーン商会の会長だぞ」
あの事件よりかなり細くなったお腹を、かつて揺らしていたように揺すりながら、ダル・ヴォーン准男爵が、参列者の視線が集まる中、豪快に笑って宣言した。
その言葉の内容の不穏さに、参列者の息が止まり、一斉に顔意が悪くなった。
そうして、その中で誰よりも顔色を変えたのは、勿論、赤い絨毯の先で待っていた男。
その長い足を大股で馳せるように動かして、見上げるように背の高い大きな男が、サリのすぐ前まで迫ってくる。それを、サリは呆然と見ていた。
弟ロイドと父ダルが、サリの前に立ち塞がる。
自分を庇ってくれているふたりを置いて逃げることもできず、今日これからすぐにでも契約に従って婚姻を結ぶ筈であった愛しい人から『契約違反だ』と責められる覚悟をしたサリだったが、果たして教授は、父と弟、そしてサリのすぐ前で跪き、頭を垂れた。
「僕が馬鹿だった。世間知らずだった。恥知らずで、恩知らずで。なにより、間抜けな男だった。僕は君の、赦しが欲しい」
「ロイド! 止めなさい」
“マリアンヌ”――その名前に、サリは聞き覚えがあった。
『婚約者は、ピアリー侯爵家の長女マリアンヌ様と言われるとてもお美しい御方よ』
『お二人が並んで立ったところはまるで絵画の様に美しいといわれているわ』
『社交界の華と言われるのも当然の美しさだったわ』
エブリンの声がサリの頭の中で何度も繰り返し響くそこへ、蔑みの目をしたブルネットの吊り目美人がサリを批難する声が重なる。
『正当な婚約者であるマリアンヌ様を泣かせた挙句、強引に後釜について!!』
「ちがう……ちがうわ……」
ぐるぐると四方から聞こえてくるようなその声に、サリは平衡感覚を失ってしゃがみ込みそうになる。
そのサリを、父ダルが動く右腕で、受け止めた。
「サリ、しっかりしなさい」
「お、とうさま」
昏い視界に、強い父の瞳が光る。
それは、今のサリにとって唯一の救いだった。
「このまま尻尾を巻いて逃げるか、それとも神の前で誓いを交わすのは自分だと相手を追い払うか。今すぐ、お前が決めなさい。私は、お前が選んだ選択を、全力で応援しよう」
「姉さん、僕が付いてる。絶対に守るから。一緒に逃げよう」
父ダルの心強い申し出と幼い弟の懸命な訴えに、サリの心は千々に乱れた。
そうして――
無慈悲な神の審判が下されるように、サリの目の前にある大きな扉が、修道士の手によって開かれた。
聖歌隊による婚姻式を寿ぐ歌が奏でられていく。
朗々たる清らかなその声が、婚姻式の始まりを、告げた。
最初に、サリの目に飛び込んできたのは、色とりどりの光の渦。
神話に残る神々が描かれた色とりどりのステンドグラス越しに差し込む光が、風に揺らめく。それはまさに神の具現を感じさせた。
まるで神々の住む花園のような聖なるその場所の、中央に敷かれたまっすぐ続く赤い絨毯の先に、その人が立っている。
真っ白な式服を着て、まっすぐ背筋を伸ばして。
その背後には、神を象った美しい彫刻と今日の式を取り仕切る教主様がいる。
嘘偽りの許されない神が坐わす厳かな空間の真ん中で、その人が、サリを見つめていた。
赤い絨毯の両側には、両家の親族および招待された人々がこの婚姻が噂にあるような金で買われたものなのか、それとも年下の若い生徒の誘惑に負けた男の成れの果てなのか、はたまた純愛の末のモノなのかを確かめてやろうと興味津々で見つめていた筈だったが、サリには唯一人、その人の事しか目に入っていなかった。
ゆっくりと、サリの足が前へと進む。
それを見たダルは、諦めたようにひとつ大きなため息を天に向かって吐くと、サリの腕を魔法使いの奇跡により失わずに済んだ左腕へと取り直して、歩調を合わせて歩き始めた。
その後ろから、弟ロイドの叫んだ。
「おねえちゃん! 嘘じゃないんだ。ソイツは、ついさっきまで、他の女と、抱き合ってたんだ。ボク見たんだ! 本当なんだっ!」
静かすぎるその場所に、泣いて訴える子供の声が、こだました。
参列者の中から細い悲鳴や騒めきが怒る。
サリの足が止まり、思わずといった様子で振り返った。
聖堂の入口で、サリの大切な弟が、自分の未来を案じて泣いていた。
「サリ? どうした。どうしたい? 今からでも、お前の思う通りにしていいんだ」
一緒に足を止めた父が、サリの蒼褪めた顔を、優しく見つめていた。
「お、とう、さま」
サリの瞳が、潤む。
「お前が望むなら、爵位なんか幾らでも捨ててやる。全財産を投げ売ってでも、お前の人生を買い戻してやる。大丈夫。私を誰だと思っている、この国で最もやり手だと謳われているヴォーン商会の会長だぞ」
あの事件よりかなり細くなったお腹を、かつて揺らしていたように揺すりながら、ダル・ヴォーン准男爵が、参列者の視線が集まる中、豪快に笑って宣言した。
その言葉の内容の不穏さに、参列者の息が止まり、一斉に顔意が悪くなった。
そうして、その中で誰よりも顔色を変えたのは、勿論、赤い絨毯の先で待っていた男。
その長い足を大股で馳せるように動かして、見上げるように背の高い大きな男が、サリのすぐ前まで迫ってくる。それを、サリは呆然と見ていた。
弟ロイドと父ダルが、サリの前に立ち塞がる。
自分を庇ってくれているふたりを置いて逃げることもできず、今日これからすぐにでも契約に従って婚姻を結ぶ筈であった愛しい人から『契約違反だ』と責められる覚悟をしたサリだったが、果たして教授は、父と弟、そしてサリのすぐ前で跪き、頭を垂れた。
「僕が馬鹿だった。世間知らずだった。恥知らずで、恩知らずで。なにより、間抜けな男だった。僕は君の、赦しが欲しい」
11
あなたにおすすめの小説
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
兄様達の愛が止まりません!
桜
恋愛
五歳の時、私と兄は父の兄である叔父に助けられた。
そう、私達の両親がニ歳の時事故で亡くなった途端、親類に屋敷を乗っ取られて、離れに閉じ込められた。
屋敷に勤めてくれていた者達はほぼ全員解雇され、一部残された者が密かに私達を庇ってくれていたのだ。
やがて、領内や屋敷周辺に魔物や魔獣被害が出だし、私と兄、そして唯一の保護をしてくれた侍女のみとなり、死の危険性があると心配した者が叔父に助けを求めてくれた。
無事に保護された私達は、叔父が全力で守るからと連れ出し、養子にしてくれたのだ。
叔父の家には二人の兄がいた。
そこで、私は思い出したんだ。双子の兄が時折話していた不思議な話と、何故か自分に映像に流れて来た不思議な世界を、そして、私は…
王子様と過ごした90日間。
秋野 林檎
恋愛
男しか爵位を受け継げないために、侯爵令嬢のロザリーは、男と女の双子ということにして、一人二役をやってどうにか侯爵家を守っていた。18歳になり、騎士団に入隊しなければならなくなった時、憧れていた第二王子付きに任命されたが、だが第二王子は90日後・・隣国の王女と結婚する。
女として、密かに王子に恋をし…。男として、体を張って王子を守るロザリー。
そんなロザリーに王子は惹かれて行くが…
本篇、番外編(結婚までの7日間 Lucian & Rosalie)完結です。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる