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本編
第三十九話 フリッツ・アーベル=シーランは懺悔する
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「僕がどれほど捻じれた視線を投げかけようとも君はまっすぐで。嫌がらせのような婚姻を押し付けられても、君は、誠実であり続けた。御尊父の治療中もそうだ。面会謝絶を言い渡しても『家族なのだから』と押し掛け患者の命を危うくする人間はたくさんいた。けれども君と君のご家族は、心配しながらも今の自分達にできることを探し、人々の役に立つ事をしていた。金儲けになど繋がらないことであろうとも。どこまでも清廉で清らかで、仕事を手伝って貰えば想像をはるかに超えて優秀だった」
必死になって父親の治療を乞う姿も。村での青空教室でみた慈愛にみちた姿も。秘書としての役割を卒なくこなしていく姿も。
まだ名前も知らなかった頃の、図書室で、高い所にある本を取ろうと懸命に背伸びをしている姿のサリも。
すべてのサリの姿が、鮮やかにフリッツの脳裏に刻み込まれている。
「そこまできてようやく僕は、自分の思い込みに疑問を持ち、その疑問を屋敷で口にしたんだ。……そうしたら使用人たちからとてもとても怒られた。いや、叱られた、という方があっているな」
『ヴォーン商会に仇成す馬鹿伯爵を近くで監視する為に就職した』と、しらっと口にした侍女と、情報を収集済であった執事、下働きの下女と下男。皆口々に、彼等自身が知る、もしくは調査したヴォーン商会の誠実さを訴えられて、フリッツは降参するしかなかった。
「そして、聞かされた内容と僕自身が持った君達家族へのイメージに齟齬はなく、僕は、僕がそれまで君たち家族を批難していた内容こそが、嘘なのだと、ようやく理解した」
フリッツが、がくりと視線を下へと落として震える手を見つめ、ぎゅっと何も無い空白を掴むように、拳を握っては開くを繰り返していた。
「僕はすぐにでも君とキミのご家族へ謝罪をしなければならなかった。するべきだった。だが情けないことに、どう伝えればいいのか分からなかった。君を前にすると、何故か口から出ていく言葉が、謝罪にならない。そんな愚かなプライドは屑籠に捨てるべきだと思っても、どうしても……」
その言葉に、周囲から注ぐ周囲の視線が一層冷えた。
人は誰しも間違えることがある。だが、間違ったと気が付いたならできる限り速やかに謝罪し、訂正を入れる。
それは人間関係を円滑にする真実のひとつだ。生粋の商売人であるヴォーン家の人々が最も大切にしている信条でもある。不実な取引ほど先が細くなっていくものである。未来の無い関係は、絆と成り得ないのだから。
「何をどう伝えても、君に嫌われる想像しか、できなかったからだと思う」
だが、教授のその告解はあまりにも周囲の意表を突いたものだった。
自分より大きなフリッツをずっと睨み続けていた幼いロイドが、呆けたように口に出してしまったほどに。
「……それ、謝れなかったの、プライドのせいじゃないんじゃないの」
「こら、ロイド」
父親に叱られたロイドだったが、反省はしていないのだろう。ちいさく舌を出してそっぽを向いてしらんふりをするばかりだ。
だが実際のところ、その点について指摘したかったのはロイドだけではないし、ロイドの声は別に潜めていた訳でもなかったので、教授の声以外は静かであった聖堂内でかなりの人の耳へ届いていた。
だから、嫌悪感が先に立って聞いていただけでは思いつきもしなかった人々も、ロイドの指摘によってムズ痒い気分になった。それは確かに、誰しもが一度は感じたことだったからだ。
自意識過剰になり素直に謝れなかったことが一度もなかったことのない者など少ないのかもしれない。ただ、ほとんどの場合はもっとずっと若い頃なんならロイドの年齢辺りには済ませる通過儀礼の様なものである。
気が付いた者から、目の前で滔々とその心持について語っているフリッツに対する視線が、生ぬるいそれに変わっていく。
だが、自分の心の中と向き合うことに必死になっていたフリッツが気付くことはなく、言葉を探し紡ぎ続けていく。
「君との時間がだんだんと楽しみになり、一緒に仕事の手伝いまでして貰って、それがあまりにも居心地がよくなって、どうしても私はそれを手放したくなくなっていたんだ。ズルくて汚い考えしかできない自分が、本当に、情けない」
そしてもうひとり。この大聖堂内で、真剣な表情を崩さない人がいた。
勿論、もうひとりの当事者であるサリだ。
サリは一瞬たりとも教授から目を離すまいと視線を注いでいる為か、他の出席者たちから注目されていることに気が付いていないようだった。
教授の告白を前に、ぎゅうと手にしたオレンジのブーケを握りしめ、少し瘦せてしまった身体に元王女の為に作られた贅をつくしたウェディングドレスを纏い、背筋を伸ばして立つ彼女は、まるで妖精の如き美しさだ。
主に淑女たちのうっとりとした視線を集めていたのだが。
「そんな僕の中にあった唯一の希望は、君とは夫婦になるのだということだ。今すぐ謝罪を口にしなくとも、一生涯傍にいる誓いを立てるのだ。そうしたら人生を掛けて真摯な態度で妻として大切にし続けて行けば、言葉にせずとも僕が君のことをもう疑っていないことも伝わるのではないか? そうすればいつか、君は僕を許し、傍で笑ってくれるのではないか。ずっと、傍で……ふっ、今こうして自分で言っていても、あまりにも非常識で甘えた考え方だ」
ここでようやく、フリッツは、サリへと視線を上げた。
灰色の瞳に、サリだけが映っている。
「僕がどれほど捻じれた視線を投げかけようとも君はまっすぐで。嫌がらせのような婚姻を押し付けられても、君は、誠実であり続けた。御尊父の治療中もそうだ。面会謝絶を言い渡しても『家族なのだから』と押し掛け患者の命を危うくする人間はたくさんいた。けれども君と君のご家族は、心配しながらも今の自分達にできることを探し、人々の役に立つ事をしていた。金儲けになど繋がらないことであろうとも。どこまでも清廉で清らかで、仕事を手伝って貰えば想像をはるかに超えて優秀だった」
必死になって父親の治療を乞う姿も。村での青空教室でみた慈愛にみちた姿も。秘書としての役割を卒なくこなしていく姿も。
まだ名前も知らなかった頃の、図書室で、高い所にある本を取ろうと懸命に背伸びをしている姿のサリも。
すべてのサリの姿が、鮮やかにフリッツの脳裏に刻み込まれている。
「そこまできてようやく僕は、自分の思い込みに疑問を持ち、その疑問を屋敷で口にしたんだ。……そうしたら使用人たちからとてもとても怒られた。いや、叱られた、という方があっているな」
『ヴォーン商会に仇成す馬鹿伯爵を近くで監視する為に就職した』と、しらっと口にした侍女と、情報を収集済であった執事、下働きの下女と下男。皆口々に、彼等自身が知る、もしくは調査したヴォーン商会の誠実さを訴えられて、フリッツは降参するしかなかった。
「そして、聞かされた内容と僕自身が持った君達家族へのイメージに齟齬はなく、僕は、僕がそれまで君たち家族を批難していた内容こそが、嘘なのだと、ようやく理解した」
フリッツが、がくりと視線を下へと落として震える手を見つめ、ぎゅっと何も無い空白を掴むように、拳を握っては開くを繰り返していた。
「僕はすぐにでも君とキミのご家族へ謝罪をしなければならなかった。するべきだった。だが情けないことに、どう伝えればいいのか分からなかった。君を前にすると、何故か口から出ていく言葉が、謝罪にならない。そんな愚かなプライドは屑籠に捨てるべきだと思っても、どうしても……」
その言葉に、周囲から注ぐ周囲の視線が一層冷えた。
人は誰しも間違えることがある。だが、間違ったと気が付いたならできる限り速やかに謝罪し、訂正を入れる。
それは人間関係を円滑にする真実のひとつだ。生粋の商売人であるヴォーン家の人々が最も大切にしている信条でもある。不実な取引ほど先が細くなっていくものである。未来の無い関係は、絆と成り得ないのだから。
「何をどう伝えても、君に嫌われる想像しか、できなかったからだと思う」
だが、教授のその告解はあまりにも周囲の意表を突いたものだった。
自分より大きなフリッツをずっと睨み続けていた幼いロイドが、呆けたように口に出してしまったほどに。
「……それ、謝れなかったの、プライドのせいじゃないんじゃないの」
「こら、ロイド」
父親に叱られたロイドだったが、反省はしていないのだろう。ちいさく舌を出してそっぽを向いてしらんふりをするばかりだ。
だが実際のところ、その点について指摘したかったのはロイドだけではないし、ロイドの声は別に潜めていた訳でもなかったので、教授の声以外は静かであった聖堂内でかなりの人の耳へ届いていた。
だから、嫌悪感が先に立って聞いていただけでは思いつきもしなかった人々も、ロイドの指摘によってムズ痒い気分になった。それは確かに、誰しもが一度は感じたことだったからだ。
自意識過剰になり素直に謝れなかったことが一度もなかったことのない者など少ないのかもしれない。ただ、ほとんどの場合はもっとずっと若い頃なんならロイドの年齢辺りには済ませる通過儀礼の様なものである。
気が付いた者から、目の前で滔々とその心持について語っているフリッツに対する視線が、生ぬるいそれに変わっていく。
だが、自分の心の中と向き合うことに必死になっていたフリッツが気付くことはなく、言葉を探し紡ぎ続けていく。
「君との時間がだんだんと楽しみになり、一緒に仕事の手伝いまでして貰って、それがあまりにも居心地がよくなって、どうしても私はそれを手放したくなくなっていたんだ。ズルくて汚い考えしかできない自分が、本当に、情けない」
そしてもうひとり。この大聖堂内で、真剣な表情を崩さない人がいた。
勿論、もうひとりの当事者であるサリだ。
サリは一瞬たりとも教授から目を離すまいと視線を注いでいる為か、他の出席者たちから注目されていることに気が付いていないようだった。
教授の告白を前に、ぎゅうと手にしたオレンジのブーケを握りしめ、少し瘦せてしまった身体に元王女の為に作られた贅をつくしたウェディングドレスを纏い、背筋を伸ばして立つ彼女は、まるで妖精の如き美しさだ。
主に淑女たちのうっとりとした視線を集めていたのだが。
「そんな僕の中にあった唯一の希望は、君とは夫婦になるのだということだ。今すぐ謝罪を口にしなくとも、一生涯傍にいる誓いを立てるのだ。そうしたら人生を掛けて真摯な態度で妻として大切にし続けて行けば、言葉にせずとも僕が君のことをもう疑っていないことも伝わるのではないか? そうすればいつか、君は僕を許し、傍で笑ってくれるのではないか。ずっと、傍で……ふっ、今こうして自分で言っていても、あまりにも非常識で甘えた考え方だ」
ここでようやく、フリッツは、サリへと視線を上げた。
灰色の瞳に、サリだけが映っている。
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