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結婚編
1.三年目の浮気疑惑
しおりを挟む「すまない、ミリア。僕たちの結婚は、始まりから間違いだらけだった」
久しぶりに帰宅してきた夫から、開口一番に告げられて、ミリアは呆然と立ち尽くす。
けれど、その言葉に「あぁ、やっぱり」とも思ったのだ。
ここ暫らくオレファンが何か悩んでいることに、ミリアだってとっくに気が付いていた。
結婚してからずっと、ミリアが目を覚ましたすぐ傍には必ずオレファンの笑顔があった。
少しだけ嘘が混じった。結婚する前からだ。
デビュタント前のお茶会の席で初めて顔を合せたその日から、オレファンはずっとミリアの前に跪いて愛を乞うていた。
正直なところ、初対面であるこの国の第二王子から声高に告げられる告白など、ミリアには意味不明すぎて怖くて仕方が無かった。
名乗りを交わす前に王子から跪かれたのだ。意味が分からな過ぎた。
悪い病を得たのか怪しげな呪いでも掛けられていたのかと思い悩むミリアであったが一年、二年と想いを告げられ続けていく中で、祖母より教授された、『扱いに困る殿方の取り扱い方法』が有用であった事に感謝感動を捧げつつ、いつの間にか婚約者とされてしまった。
いつか冷めると自らをなだめ続けてきたが、気が付けば学園も卒業してしまっていた。
それだけの月日を重ね、傍に在り続けた事で、ようやくオレファンの想いは一過性のものではないと信じることもできたのだ。
瞳に籠る熱は生涯覚める事などないと。
ミリアにまで伝播して同じ熱へと浮かされるようになったほどに。
結婚した翌朝、眠るミリアに向けてオレファンが「ミリィの寝顔って最高に可愛い」「あぁ、好き」「だいすき」「世界一かわいい」「愛してる、ミリィ」と無駄にいい笑顔で呟きながらミリアの髪を梳いている事に気が付いた時は戦慄したが、夜ごと眠る前にも呟きを聞きながら入眠し、毎朝必ず囁く声に導かれるように目覚めることを繰り返していく内に、慣れた。
というか朝晩というよりもミリアといる時間において、オレファンがミリアに対して「愛してる」とも「え、好き」とも「可愛い」とも言わなかったことなど、五分たりとも……三分未満かもしれないが、とにかく碌に続いたことなど無かったのだ。
それなのに。
息をするように囁かれ続けていたオレファンからのその言葉を、ミリアはこの数カ月の間、聞いていなかった。
その替わりに、ため息が吐かれるようになった。
できるだけ気付かれないようにという配慮であるのか、毎回顔を背けられてそっと吐かれる、それ。
ぐっと眉を下げて、口をへの字に曲げてため息を吐かれる度に、ミリアの中にもやもやとした黒い物が溜まっていく。
「何か、お仕事で行き詰っているの?」
思い切って訊ねてみた事もあった。
オレファンは第二王子で、王太子である兄が王となる未来を支え補佐するべく、現在は宰相の下で財務に関する仕事を担っていた。
本来は外交か軍部をと王からは示唆されていたようだが、どちらも王都にいることも少ない為、「ミリィの傍を離れなくちゃいけない仕事なんか、絶対に嫌です」と笑顔で拒否した。
王族としての籍を捨て平民になるとまで脅して得た王都内に留まれる仕事、の筈だった。
それに気が付いたのは三か月ほど前になるだろうか。
最初は帰って来るのが少しだけ遅くなるだけだったので、気が付かなかった。
気が付けば絶対に週の終わりに確保していた休みの日にも「仕事が入った」と言って出かけるようになった。
その頃からだった。帰宅して迎え入れたオレファンから、石鹸の香りがするようになったのは。
平日に夕食を共にすることが減っていき、同じ席に着いたとしても前のように明るく会話することも無くなった。
食欲も落ちているようで、好物のグラタンですらほとんど口へ運ぶこともない。皿の上の物は、ほぼ手つかずのまま下げられていく。
まるでお通夜の席のようだ。
憂鬱そうな態度も、素っ気ない有様も、一番顕著になったのは、ひと月前のバレンタインデーだ。
恋人の日とも言われるその日には、毎年必ず花束とプレゼントを捧げてくれる夫が、憂鬱そうに差し出してきただけだったのだ。
「煩いとすら思っていた、あの大袈裟な言葉を、懐かしいと思う日が来るなんて」
ミリアは、渡されたきり着けたこともない髪飾りを見つめ、自嘲した。
結婚して、三年が経っていた。
狂騒曲のような熱に浮かされた恋が冷めるには十分な時間であろう。
多分、手に入れてしまったら気が済んでしまわれたのだろう。
なにしろずっと、ミリアは彼が伸ばし続けていた手を拒否し続けていた。
だから、むきになっていただけ。
簡単に手に入ると思っていたのに、なかなか落ちてこなかったミリアが物珍しかった。だから意固地になって手に入れてみたけれど、手に入って冷静になってみれば、何故あれほど欲しいと思っていたのか分からなくなった、という所だろう。
子供によくみられる行動原理だ。
嘘だ。いや、嘘という程でもないかもしれない。
だが確かにそういった部分もあるかもしれないけれど、本当は他に理由があるということは、ミリアには分かっていた。
オレファンがおかしくなったのは、ミリアが妊娠を告げてからなのだから。
王や王妃から孫を期待されていたこともあるが、なによりミリア自身が欲しくて欲しくて。欲しいと思いながらも表に出すこともできないまま熱に侵されたように渇望していたオレファンとの子供。
もしかしたらという兆候からお医者様の診察を受けて、「おめでとうございます」と言って貰えた時の感動は今もミリアの胸を温かくする。
好きな人の子供を授かれた喜びにはち切れそうになりながら、ミリアはオレファンへそれを告げたら、どれほど喜んでくれるだろうかと想像して胸を高鳴らせた。
ミリアとの子だ。ミリアにあれほど甘いオレファンならば、爆発しそうなほどの喜びを表してくれるに違いないと思うと、頬が弛んだ。
犬が尻尾を振って喜びを表現しているような満面の笑みを浮かべて帰宅してきたオレファンに、その場で告げた。
一瞬呆けた様子になったオレファンだったけれど、次の瞬間爆発するように歓声を上げた。
「うわーっ。うわー! ミリィのお腹の中に、僕との子供がいるの!? ホントに?!」と大興奮して抱き締めてくれたのだ。
その日はベッドに入ってからも、まだ平らのミリアのお腹に視線を向けては、にまにまと笑って「ミリィにそっくりな女の子がいいなー」だの、「あぁ、でもミリィにそっくりな娘が生まれて、『娘さんをお嫁に下さい』なんて言いに来くる奴が出たら、僕はそいつと決闘しなくては」だのと言っていた。
だから「ファレそっくりの、男の子かもしれませんよ?」と指摘したら、「駄目。男の子なんて生まれたら、ミリィの愛を奪い合いすることになっちゃうから。女の子じゃないと駄目」と頬を膨らませて真剣に言うので笑ってしまった。
仕事もしている、いい大人なのに。
初めて顔を合せたあの幼い日から、ずっと。オレファンのミリィに対する態度だけは、一切変わらない。
いや、変わらなかった。なのに。
次の日、オレファンは初めて夕食に同席しなかった。
王命により避けられなかった他国との会談の為の遠出や遠隔地への視察以外では初めての事だった。
それからずっと、オレファンは無口になってしまったのだ。
塞ぎ込んだ様子で考え込み、黙っている事が増えた。
日に日に、遅くなる帰宅時間。
ついには、「先に寝ていてくれ」と花とカードが届くようになり、必ず共にしていた夕食も、ミリアひとりで食事を済ませ、ひとりベッドに入るようになった。
寝付くこともできずにベッドの中でまんじりとしていると、日付の変わる頃になって、ようやくオレファンが帰ってきた気配がする、そんな日が続くようになった。
朝も、これまでより早く家を出てしまう。
妊娠のせいで早起きもできなくなっていたミリアは朝食の席を共にするどころか、朝の見送りすらできなくなった。
夜、うまく寝付けない分、朝起きることが難しくなっていたのだ。
そうして。いつの間にかオレファンとの会話自体が無くなっていた。
昨夜のオレファンは、久しぶりにミリアが寝付く前に帰ってきた。
すでに入浴も済ませ夜着に着替えていたものの、ガウンを羽織って玄関先まで迎えに出れた。
けれど。
帰ってきたその時、オレファンの髪はまだ湿気っていて。
しかも朝着て行った服装と明らかに違うものへ着替えてさえいた。
さすがに「もう無理だ」と泣きそうになった。
オレファンはもう、ミリアに対して取り繕うことすら止めてしまったのだ、と。
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