始まりはよくある婚約破棄のように

喜楽直人

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結婚編

2.夫婦喧嘩は犬も喰わないというけれど



 翌朝。休みの日である今朝。
 交わす言葉も碌に無いままに、共に入った筈の夫婦のベッドでひとり目覚めたミリアは、悲しくて泣き出しそうになっていた。
 そうして、寝室の窓辺に立っている、オレファンの姿を見つけたのだ。

「ぉ、はよう、ございます」

 背中を向ける愛しい夫へ声を掛ける。
 なのに、夫は、ミリアに向かってそれを口にした。

「すまない」と。


 一瞬、何を言われたのか、ミリアには分からなかった。


 時は流れる。変わらないものなどない。
 心も変わる。受け止め方も。

 それでも、根底に在るものさえ変わらなければ、それが永遠なのだと思っていた。
 そう信じて、オレファンの手を取ったというのに。

 やはり永遠など妄想でしかなかったのだ。


 朝陽の差し込む大きな窓辺を背に立って、永遠の愛を誓ったあの日の記憶すべてを否定する夫。その後ろに広がる明るくなりつつある空を見上げながら、ミリアは、『あぁ、今日は天気がよくなりそうだ』と考えていた。





「間違いは、正さなければならない。ミリィ。君との幸せの為に」

 ミリアが目を閉じたのは、昇りゆく朝陽の眩しさ故か、夫の言葉が鋭く胸を衝いたからか。

 その瞬間だった。

 バッ。

 窓辺から、ミリアのいるベッドまで一瞬で移動したオレファンがミリアの手を取り跪く。

「ねぇ、僕は間違えた。ふたりの大切な、大切で大切で大切なたいっせつな記念日。夫婦いや永遠の始まりとなる崇高なる特別な日。お互いの永遠の愛を神へ誓い、神よりふたりの愛の真実を認定される素晴らしい善き日。健やかな時も病める時も傍に寄り添いお互いに支え合うと約束する。それはつまり何があろうと離れない。最も傍で、誰よりも傍で、ミリィのどんな小さな変化をも見逃さないよう、片時も目を離さないでいいという許可を神から与えられるという栄誉。ミリィを守り、ミリィを見つめ、生涯を掛けて特等席でミリィを愛でることのできるミリィにとって特別な唯一となれる日。あぁ、人生最良の日だった。最良で、最高で、幸せすぎで、尊すぎた、あの日。尊いといえばウエディングドレス姿のミリィは最高に尊かった。赤い天鵞絨の絨毯の上を自分の足で歩いて僕に近づいてくる……最高だった。頬を赤く染めて。誓いのキスをする時のミリィの頬は更に赤くてなんならちょっと震えてて。上目遣いも愛らしくて。あぁぁっぁぁぁ尊い。尊すぎる。また見たい。もっと沢山の画家を待機させてもっといっぱい絵姿残しておけば良かったぁぁぁ。いや、今からでも遅くない。遅くはない筈だ。ねぇ、ミリィ。もう一度、教会で愛を誓い直してみないか!」


 息継ぎ少な目で早口で告げられたオレファンの言葉を、しかしミリアは言われたその内容を把握するどころか聞き取ることすらできていなかった。

「え、あの……?」

 取られた手を取り返したくなって、懸命に手を引こうとするも、以外にも力強く押さえられているようでまったく取り戻せない。ミリアは焦った。

 ぐぐぐぐぐーっ。

 いや、取り戻すどころか引き寄せられている。いや、オレファンがベッドに上ってきてミリアのすぐ傍まで近付いていたことに混乱する。



「あの、結婚式の時、僕は君に嘘を吐いた。いや、あの時の僕には真実だった。けれど、嘘になった。なってしまった」
 辛そうな声で、オレファンが続ける。
 その様子に、ミリアはこのひと月の間、自分がしていた勘違いを察した。

「『これ以上君を愛したら、僕はきっとそのまま死んでしまう!』と。あぁ、僕はなんて浅はかだったのだろう。未来を知る事の出来ない浅薄で馬鹿な男だったと反省いや猛省したんだ! 全世界、神へと大きな声で謝罪したい!!」

 バッ、と。一瞬だけその腕に抱えまれて、ミリアは懐かしい温かさに包まれて、ほうっと息を吐いた。
 けれどもすぐに慌てた様子のオレファンから肩を掴まれて身体を離されたと思うと、そのまま大きな手でがっちりと抑え込まれて、顔を覗き込まれる。
 すぐ目の前にある、オレファンの顔。

 久しぶりに極至近距離で見る夫の瞳は、蕩けそうに甘かった。

「大好き、ミリィ。好き過ぎて、だいすきなミリィが、僕の子供を授かってくれるなんて、本当に幸せ過ぎて……死んじゃいそう。いや、死なないけど。君と君が産んでくれる子供を守るのは僕の使命だ。生きる意味だ意義だ。だいすき、ミリア。ずっと好き。これからも好き。結婚する前から大大大大大大好きだったけれど、今はもっと好き。ずっとずっと好き。一生すき。死んでもずっとミリィが好きだよ」

 どこかで聞いたことがあるような。けれどもずっとパワーアップした聞きなれた言葉の羅列を久しぶりに聞かされて、ミリアは自分がどれだけ夫から告げられるそれに呆れながらも欲していたのかを知らされた思いがして、思わず涙を溢した。

 はらはらと溢れていくそれに、オレファンは蒼白となった。
「えぇっ、もしかして、ミリィは僕の告白が迷惑だった?! そ、そんなっ」 
 ガタガタと震え出したオレファンに向かって、ミリアができたのは顔をふるふると横に振る事だけだった。
 胸がいっぱいで、咽喉が詰まって言葉が出ない。安堵と不安がミリアの胸を渦巻く。オレファンから告げられた言葉は、確かにミリアが求めていたものであった。
 けれどもこのひと月のオレファンの行動に関して納得できる内容であったかといえば、まったくないのだ。
 ミリアは怖かった。
 問い質して、実はやはり他の女性に現を抜かしていたのだとしたら?
 他の女性に現を抜かしていたけれど、その女性に粗が見えたから、気付かる前にミリアの下に戻るつもりでの告白だったとしたならば、どうしたらいいのだろうか。

 問い詰めてしまえば、ふたりの、夫婦としての関係は壊れて、二度と交わる事はなくなってしまうだろう。これから子供も生まれ、幸せになる筈だった家族は失われる。
 かといって問い詰めなければ、ミリアはこれから先ずっとオレファンに疑いの目を向けることになる。つまりはふたりの間に幸せな未来は無くなる。オレファンの言葉すべてを疑い穿ち、行動のすべてに疑念を抱くようになるだろう。
 どちらを選んだとしても、終わりだ。

 終わる――そう思うと、ミリアの涙はどんどんどんどん溢れてゆく。
 だが、どうせ終わるならば、納得して終わりたい。
 ミリアの中で、答えは出ていた。

 けれども、それを言葉にできるかと言えば、やはり簡単ではないのだ。

「あのっ。あの、このところ、ずっと帰って来るのが遅かったのは……」




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