いつか、僕の

喜楽直人

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学園編

1.




「好きです。僕と付き合って下さい」

 貴族ばかりの魔術学園に特別入学を許された平民。それも孤児。それがリュシーという存在である。

 国は慈善事業として平民に魔術を教えているのではない。実際には治癒魔法が使える者は貴族であっても数が少ないため、平民であっても貴重であり、確実に治癒院で働ける人材とするべく国が資金を出して育成しているに過ぎない。
 だから、特別入学を許される平民は皆、治癒魔法の特性を現した者ばかりだ。
そうしてリュシーも、その一人だった。

 国からの補助金で勉学を許されているので、卒業後の特別入学生は貴族の子女とは違い最低3年間、国の機関に勤めなくてはならない。これは学園に在籍していた年数と同じ期間に設定されていた。つまり、留年すればその分だけ恩返しの奉公期間も伸びる。
 しかも、もし仕事に就けない程度の成績しか納められなかった場合は、補助金に利子までつけて返さなければならなくなる。絶対にそうはなりたくないリュシーは、誰より早く登校して図書室の自習室を使わせて貰っていたし、放課後も寮の門限ギリギリまで職員室で質問をし続けてきた。

 少しでも早く学園を卒業し、国への奉公を終わらせてリュシーは故郷に戻りたかった。世話になった孤児院と併設の教会へご恩返しがしたかった。

 だからリュシーは黙々と治癒魔術の腕を磨くだけでなく、一般教養や算術などの勉学も励んだ。
 学園内で、「図書室の住人」という綽名で呼ばれてしまうほど。

 そんなリュシーに貴族令息が告白するなど冗談以外の何物でもないと憤慨して、リュシーは面倒くさそうに顔を上げた。

 そこにあった美しすぎる顔に、思わず見惚れた。

「先日はありがとうございました。君のお陰でこの通り、すっかり元気になりました。あの時は名乗りもせず申し訳ありませんでした。ダグラス・グロームと申します。あの、僕は本気です。よろしくお願いします」

 名乗られずともリュシーだって、目の前に立つこの美しい少年の名前くらい知っていた。

 ダグラス・グローム侯爵令息。
 現王宮魔術師団団長の一人息子にして、現在この学園で最も王宮魔術師に近いと言われている有望株だ。しかもこの美貌。グローム侯爵家直系の血筋特有のスタールビーの瞳は本物の宝石より美しいと評判だ。
 確かに、一瞬ごとにきらめく瞳の輝きは、見る者すべてを惹き付ける。

 彼が言っていた先日の件とは、魔術の合同授業でふざけた男子生徒がダグラスの展開していた魔術に干渉し暴発させた結果、自分の魔術を発動させようと集中していたダグラスは血塗れになった。少なくともリュシーからは、そう見えた。
 一番最初に気が付いたリュシーがすぐに応急処置を行ったため、怪我人は出なかった、ことになった。

 それでも生徒でしかない平民の孤児の治療では不安があったのだろう。彼はそのままグローム侯爵家へと帰らされ、静養することになったと聞いていた。

「静養してるって聞いていたわ。怪我はもう大丈夫なの?」
「お陰様で、ばっちりさ」

 ふざけて暴発事故を起こさせた男子生徒ジェム・ワートは、伯爵家の嫡男であったが退学になった。ただし自己都合で、その理由も「病気の為」とされており、事件自体が隠蔽された形だ。

 そのこと自体にリュシーとしてはなんら不満はない。ないが、なぜかその男子生徒と仲の良かった学生たちから「あの平民の治療がもっと上手だったら、ジェムが退学になったりしなかったのに」と睨まれることになったのだけは納得できていない。

 暴力というほどのことはなにもされていない。すれ違いざまに小さなごみ屑を頭に投げつける程度のことしかされていないし、それ以外は陰口を叩かれるだけなので無視している。この程度の被害を訴えても教師は何もしてくれないだろう。そのくらいはリュシーには分かっていた。

「助けたというほどのことはしていません。気にしないでください」

 あの陰口とくだらないちょっかいをなんとかして欲しいと思わなくもなかったが、それを伝えるのも気が引けた。

 この線の細い美しい侯爵家の嫡男にも、何の罪もない。
 馬鹿な男子生徒がふざけたせいで血塗れになった被害者でしかないのだ。その被害者に「あなたを助けたせいで、馬鹿に絡まれてます」と訴えることはできなかった。

 不安そうに差し出された手は、震えていた。
 リュシーの手とは比べ物にならないほど白く嫋やかだ。傷一つない柔らかな手。

「冗談はやめてください。それに、高位貴族様には婚約者がいるものなのでは?」

 急に、リュシーは自身のペンだこのできてしまった指が恥ずかしくて堪らなくなった。強く握りしめて机の下へと隠す。

 上級貴族が平民の女性を口説いて学生時代の思い出作りにするという噂を聞かされたことがあるリュシーは「綺麗な顔になんか騙されないわ」と胸の内で呟いた。

「僕に婚約者はいない。それに僕は冗談でこんな告白したりしない。本気だから」

 緊張しているからだろうか。動かない表情。まっすぐにリュシーを見つめるスタールビーの瞳にも動揺は見えなかった。

 ──本当に、宝石みたいだ。綺麗。

 思わず見惚れてしまった自分が恥ずかしくて、リュシーは自分の視線を無理やり引きはがして教科書へと戻した。
 それでも、自分を見つめる視線を感じて、どこを読んでいたのか分からなくなった。目が彷徨う。

「勉強の邪魔をされては困ります」
「邪魔では無ければいいんだね? なら、僕は君の役に立てるよ。ほらココ、魔術スペルが間違っている」

 綺麗な手が、リュシーが教科書を書き写したノートを指差した。
 書き写すのに苦労した魔術紋。

 魔法自体は魔力を持つものならば誰でも使うことができる。
 ただし、大きな効果や複雑な効果を得ようとするならば、どうしたいのか、範囲や効果の内容を細かく設定しなくてはならない。
 そのために考えられたのが魔術紋だ。
 呪文を唱えるのには時間がかかる。あまりにも長い呪文は、唱えている最中に集中力が切れてしまい集めていた魔力が霧散してしまうこともしばしばだった。
 しかし、ルールを現す記号を組み合わせたものを思い浮かべて魔法を使うことで一気に発動までの時間短縮ができるようになった。

 この魔術学園では、魔術紋に使うことのできる記号の意味や種類、その組み合わせ方、効果的な配置についてを教えてもらえる。逆に言えば、この学園を卒業しなければ、魔術師にはなれないのだ。

「ここで線が細くなると、前の効果と矛盾してしまうんだ」
「え、あ。本当だわ、ありがとう。さすがね、治癒魔法にも詳しいのね」

 他の四大元素魔法とは違い、人体に働きかける治癒魔法は複雑だ。
 単純な切り傷のようなものならば、組織の修復を頭に思い描くだけでいい。だが、そこに骨折と筋断裂と軟骨や腱の破損、血管破裂が重なるとそれではどうにもならないのだ。痛みが残らないように綺麗に治すためには順番が必要であり、その前に正しい診断が必要になる。つまり手順が複雑なのだ。しかも当然だが、迅速に行わなければならない。実際に修復する時に魔力切れにならないような魔術構築を
行わなければいけないのだ。

「理論だけはね。適正も低いし、僕に治せるのはかすり傷までだよ。酷い火傷は、無理だ」

 至近距離で熱く見つめられて、慌てて顔を背けた。

「そ、それにしてもつけペンて、書くの難しいわよね。勝手に線の太さが変わってしまうもの」

 正直なところ、平民であるリュシーにつけペンの取り扱いは難しい。
 そもそも文字すら学園に入学すると決まってからシスターに教わって、懸命に覚えたくらいなのだ。

 孤児院では、紙すら貴重品で、薄い箱に砂を入れて棒でそこに文字を書いて覚えたリュシー最大の弱点だ。

「こればっかりは慣れるしかないよね。ん? そもそも、ペン先が潰れすぎていて細い線が書けなくなってるじゃないか」
「買い替えるお金が無くて」

 侯爵家の令息には、消耗品の買い替えに困ったことなどないのだろう。
 リュシーは別に自分が孤児であることを恥ずかしく思ったことなどなかった。しかし、今だけはお金がない自分が恥ずかしかった。

「特別入学生は補助金で購入できるはずだろう?」
「予算が決められていて、私は使い過ぎなのだそうです」

 今こそそんな使い方をしてはいないが、使い始めた頃は特にペンを持つ力が強すぎたようで、すぐに先が開いてしまっていたのだ。そうするとインクの吸い上げができなくなる。
 リュシーの力では歪みを直すこともできなくて、交換するしかなかった。

「なるほど」

 ダグラスが少し黙って念じると、リュシーの握っているペンの先が、ふわりと光った。

「……学園内で勝手に魔法を使うことは禁止なのよ。でも、ありがとう」

 まるで新品のようなまっすぐなペン先に見惚れた。

「内緒ね? あとで新品のペン先とインク壺を届ける。受け取ってほしい」

 ニコッと笑いかけられて、胸がときめく。

「そんなことをして貰う理由がないわ」

 危ない。こんな簡単に堕ちてどうするとリュシーは自分を戒めた。
 けれど、こんなに綺麗な少年と近づくのは初めてだ。そんな人から優しくされて心が喜んでしまう。嬉しく思わないでいる方が、無理だ。

「あるよ。君は、僕の未来を守ってくれた。あとあんな馬鹿な真似をした奴の未来だって。君が守ってくれたんだ。侯爵家の嫡男に、悪戯で治らない傷をつけたなんてことになっていたら、あいつは学園を退学させられるだけじゃ済まなかった。学内でも、ちゃんと教師から説明はして貰ったんだ。けれど誰かに責任を押し付けたい馬鹿どもは理解したくないみたいでね。聞き分けのない奴らが、ごめん」

 ハッとした。
 リュシーが告げ口をするまでもなく、ダグラスはリュシーの現状を知っていたのだ。

「これからは、僕が傍にいる。君を守らせてください」

 つまりこれは、ある種の償いなのだろう。
 平民のリュシーを傍において守るための口実。

「お友達ということで、いいかしら」
「“お友達から”だね。よろしく」

 そうやって始まった見せかけだけのお付き合いが、本物になるのにそう時間は掛からなかった。

 首席のダグラスから付きっ切りで勉強を教わり、「マナーを教えてあげる」と一緒にランチをとるようになって、休日も一緒に過ごすようになった。

 初めてカフェに連れて行ってもらって、紅茶、珈琲、ココアといろんな飲み物があることを教えてもらった。
 ふわふわの生クリームが乗ったケーキも、リュシーはそれまで食べたことがなかったので、口の中でスポンジもクリームもすべてが溶けてしまった時には吃驚した。

 たくさんの初めてを、2人で共有した。

「魔術の操作の練習をしよう」と誘われ、手を繋いだ。
 繋いだ手から流れ込んでくる魔力があまりに心地よくて、離せなくなった。

 それからは、常に手を繋ぐようになった。授業を受けるために離す前に、一度ぎゅっと握ってから、惜しむように指先を絡め合う。

「愛してるよ、リュシー。いつか僕の、およめさんになってね」
「愛してるわ、ダグラス。うれしいわ」

 そうやって愛を育んでおきながら、いつだって、リュシーの頭の中には冷たい声が聞こえていた。

『馬鹿な子。成績はいいけど、やっぱり平民は身持ちが悪いのね』
『学生時代のいい思い出作りのために、使い捨てにされるのよ』

 それは、学園内ですれ違う生徒たちからの忠告というやっかみだけではない。

『いいね? 貴族ってぇのは質が悪いんだ。平民の女を口説いて弄んで、飽きたら簡単にポイ捨てしやがる』
『覚えておきな。金持ちどもの“愛してる”も“結婚しよう”も全部嘘っぱちなんだよ。女をベッドに連れ込むための口説き文句でしかない』

 入学する前に、元孤児院で一緒に育った年上のおねえさん達の言葉だ。
 絶対に自分を捨てた母のようにはならないと宣言して孤児院を出ていって、お金持ちの人から騙されて、妊娠して捨てられて帰ってくることは少なくない。そんな彼女たちの、恨み言だった。

 でも、リュシーはその声を無視する。

「好きよ。だいすき」

 侯爵家の嫡男さまと孤児のリュシー。恋人同士として傍にいられること自体が奇跡だ。そんな奇跡が長続きしないことくらい当たり前だ。学生でいる間だけ、お目こぼしされている。それくらいリュシーにだって分かっている。

 勿論ダグラスはやさしいので、今だけの関係だなどと無粋なことは言わないでくれる。
 たぶんきっと、最後の最後、卒業するその瞬間まで、リュシーに優しい夢を見させてくれるのだろう。ダグラスは、それくらいの甲斐性のある男だ。

 だからリュシーは、お互いの初めてを交換することにした。

「未来を、約束するために」

 そうお為ごかしの口先だけの約束を交わして、肌を重ねた。

 リュシーは、自分を捧げられて喜んでもらえてとても嬉しかったし、ダグラスの初めてを捧げられて嬉しかった。

 ダグラスの未来の本当のおよめさんには申し訳ないと思わなくもなかったけれど、どうせ男の人が一人の女性へ愛を捧げ続けることはほとんどないと聞いていたし、結婚する前の学生時代のことなので、目を瞑って欲しいと願う。

「リュシー、僕のおよめさん」

 汗だくで、甘い声でリュシーを呼ぶダグラスを、リュシーは一生涯忘れないだろう。

 好きな人と肌を重ね合う喜びを、生涯の宝物にするのだ。
 リュシーは、この上なく幸福だった。

 貴族のご令嬢であったなら、婚前交渉など絶対に許されることでない。
 だが平民の間では婚前交渉に対してそれほど厳しくはない。子供ができるまで協会に届け出ることも無いではないが、稀である。
 そもそも他の誰かと結婚するつもりもないリュシーは、自分が平民の孤児であることに感謝した。

 幸せな思い出を貰ったリュシーは、卒業したら二度とダグラスと会えなくともいいと思っていたけれど、人生というものは残酷だったらしい。

 幸せを感じた分だけ、不幸もちゃんと用意してあった。



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