戦乙女が望んだ人は、厨房係で偽名の男。

喜楽直人

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8.亡国ペテルソン公国大公家嫡男ヨハネス・ペテルソン

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 騎士としての礼ではなく令嬢としての最上級礼を取りながら、リンデが呼んだその名に、誰もが衝撃を受けた。

 ハンスがその名前で呼ばれるのは、何年振りとなるのだろうか。

 ヘルイム王国が宿敵リゴル国と長い長い戦争を続けることになったそもそもの切欠となった今は亡きペテルソン公国。
 リゴル国に滅ぼされたヘルイム王国のかつての同盟国だ。
 ヘルイムの助力も及ばず、獅子身中の虫である売国奴によって抵抗虚しく飲み込まれた。
 その売国奴共は、無様にもペテルソンを征服した祝いの席での余興として、リゴルの王族の前で首を刎ねられ腐りきるまで晒されたという。

 散り散りになった大公家のたぶん最後の生き残りが、ハンスだった。

「閣下なんかじゃない。それに、その名前はもう俺の名前ではない。今の俺はハンスだ」

 この国へ匿われることとなった時に、ハンスはそう宣言したのだ。
 戦争で大怪我を負い戦線を離脱している間に、父である大公はその命を喪った。
 怪我が治って起き上がれるようになった時には既に公国は敵国の手に落ちていたのだ。
 しかも自分は利き手の機能のほとんどを失い、剣を持てなくなっていた。
 あの時の、虚しさ。
 怪我から出た高熱で前後不覚になっている内に、自分だけが生きてこのヘルイムに嫁いでいた親戚筋の下へと密かに運ばれていたのだと知り、絶望した。
 利き腕である右手から握力を失い剣を取る事も出来なくなった自分は、復興の旗印にはなれたともそれで出来ることと言えば部下の命を懸けさせるだけの木偶の棒でしかなく、ヘルイムの雑兵に紛れて対リゴルとの戦闘に赴くこともできない。
 それでも、なにがしかの役に立ちたいのだと、軍の下働きの職についた。
 調理係でじゃが芋を洗うことから初めて、ようやく任された携帯食作りだった。
 上手く動かせない利き手の代わりに、左手を使えるようになったのもこの頃だ。

 自分が作っていることに気が付いたジーク伯の、あの時の顔は今でも忘れられない。

「ジーク伯は、俺が作っているプレッツェルを褒めて下さった方だ。『旨いこれがあるから戦えるのだ』と、剣を揮えなくなった俺も、戦争の役に立てているのだと……」
 からん、ハンスの左手から借り物の片手剣が落ちる。

「祖父は、最後までヨハネス様の作られたプレッツェルを嬉しそうに頬張っておりましたよ」
「……そうか。俺のプレッツェルを」
 虚しい。それを直接伝えて欲しかったのに。
 その人は、もうこの世にはいないのだ。

「それで。わたくし達の式についてですが」
「いや、俺の勝利だろ? これ」
「?」

 ハンスは感傷を払うように、勝ち誇った顔でリンデの足元を指差した。

「あら」
 ハンスの指差した場所。それは、リンデ将軍の足が地についてるその地点だった。
「俺は自由を勝ち取ったということだ!」
 ふふん、と勝ち誇ったハンスにリンデが艶やかに笑った。

「嫌ですわ。私がハンス(偽名)様を捕まえて勝利のくちづけに酔いしれていた時は、私の足は地についておりませんでしたもの。あの者の背に乗ったままでした。地には着いていません。私の勝利ですわ」
 堂々と言い切るその様子に、ハンスが頬を染めた。
「酔いしれたとか、く、くちづけとか。若い令嬢がそんなことを堂々と言うな!」
 焦った様子のハンスに、リンデが追い打ちを掛ける。
「でも、2週間後にはもっと凄いことをするんですのよ?」
「しない! そもそも結婚もしないんだからな!! 俺は、戦争の報酬として初めて会っただけの女と結婚なんかしない!」
 乙女じゃあるまいしと言われそうだと思っても、ハンスだって結婚相手には理想がある。
 想い合う相手とがいい。それは決して、戦の報酬として甘んじて受け入れる者ではない筈だ。

「大公家に生まれた方とは思えない結婚観ですわね。でも、嫌いではありませんわ」
 やさしく笑ってくれたから、リンデにもわかって貰えたのだとハンスはホッとした。
「今の俺は平民だし。リンデ様だって俺とはいま初めて会っただけで、ジーク伯から聞かされていた好物の製作者と話をしてみたかっただけだったんだろう?」
 それ以外に、ハンスとリンデを繋ぐものはないのだから。
 

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