7 / 10
7.熱いベーゼ
しおりを挟む「……ハンス(偽名)様の仰っている事の意味がわかりかねるのですが。まぁいいです。ひとつずつ解決していけばいいですよね」
ずっと薄く笑ったままだったその美しい人が、その朝焼け色をした瞳に蕩けそうな輝きをのせて満面の笑みを浮かべた。
全身に走る悪寒めいた衝動に突き動かされるようにしてハンスがリンデのいる方向と逆に走った。
つまりは背中を見せて走って逃げ廻る。
ジグザグに避ける度に、ハンスの避けた後から派手な土埃が立つ。
「くそっ。どうやって攻撃しているのかすらわかんねぇとか」
ドゴオッ
一段と派手な音と土埃が立った時、ハンスが避けた先にいた騎士にぶつかった。
リンデの細い腕とは全く違う、鍛え上げられた太い筋肉質の腕にハンスは捕らえられた。
──しまっ、た。
憎い仇に一発だけでも制裁を加えてやろうと考えたらしい、すぐ横にいた騎士が拘束されたいるハンスに向けて拳を振り下ろす。
ぶん、とどう見ても避けられそうにない軌道と勢いて迫っていた拳が、ハンスの瞳のすぐ目の前で止まっていた。
その拳は、今すぐにでも憎い男へ制裁を加えたいのだと、それを邪魔するものを引きちぎろうとするかのようにぶるぶると震えている。
視界にいっぱいになって肉薄していたそれが勢いよく後ろへと引き戻され、「うぎゃっ」といううめき声が聞こえると共にハンスの視界から男そのものごと消えた。
否。その代わりにハンスの目の前に立ち塞がったのは、煌びやかな白い正軍服と、金色の髪。
後ろ姿でも判る。その人は。
「リンデ、将軍」
リンデが左腕を斜め横へと動かすと、微かにしゅるりと何かが巻き取られる擦過音がした。
透明なそれは、ゲルト領でもごく限られた森の奥深くにしか生息しないアラーニェと呼ばれている蜘蛛が吐き出す糸だった。
一本でも大人の体重を掛けても切れることがないとされるその糸を、何本も撚り合わせて作ってあるそれはどこまでもしなやかで細い。
そこにあると言われなくては視認できないほど細いそれはしかし、見た目と違ってかなりの重量がある。
その重さがあるからこそ、自在に操れもしたし、武器としても成立できた。
しかし、今この時においてリンデがそれを武器であると認めることは、ない。
「ハンス(偽名)様は、私のものだと伝えた筈です。私事ではありますが、何度も言い聞かせなければならないというのは不快ですね」
ぐりりと、完全に背中に乗って踏みつけにしている存在にむけて宣告を告げる。
その後ろ姿の圧倒的な存在感に、そこにいるすべてのものが声を失い、視線をすべて奪われた。
『うふふ。捕まえましたわ』
多分、ハンスはそう言われたのだと思う。が、それをきちんと聞き取ることはできなかった。
頬をくすぐる金色の長い髪とほっそりとした指。
なによりも。ハンスが告げようとした反論をすべて封じている、柔らかく温かなそれが、ハンスの思考を奪っていた。
「ふう。こんなにも熱いくちづけをこれだけの観衆の前で披露しておいて、その女を振ったりされませんわよね、ヨハネス・ペテルソン閣下?」
23
あなたにおすすめの小説
彼女が望むなら
mios
恋愛
公爵令嬢と王太子殿下の婚約は円満に解消された。揉めるかと思っていた男爵令嬢リリスは、拍子抜けした。男爵令嬢という身分でも、王妃になれるなんて、予定とは違うが高位貴族は皆好意的だし、王太子殿下の元婚約者も応援してくれている。
リリスは王太子妃教育を受ける為、王妃と会い、そこで常に身につけるようにと、ある首飾りを渡される。
婚約破棄? あら、それって何時からでしたっけ
松本雀
恋愛
――午前十時、王都某所。
エマ=ベルフィールド嬢は、目覚めと共に察した。
「…………やらかしましたわね?」
◆
婚約破棄お披露目パーティーを寝過ごした令嬢がいた。
目を覚ましたときには王子が困惑し、貴族たちは騒然、そしてエマ嬢の口から放たれたのは伝説の一言――
「婚約破棄されに来ましたわ!」
この事件を皮切りに、彼女は悪役令嬢の星として注目され、次々と舞い込む求婚と、空回る王子の再アタックに悩まされることになる。
これは、とある寝坊令嬢の名言と昼寝と誤解に満ちた優雅なる騒動録である。
王子を助けたのは妹だと勘違いされた令嬢は人魚姫の嘆きを知る
リオール
恋愛
子供の頃に溺れてる子を助けたのは姉のフィリア。
けれど助けたのは妹メリッサだと勘違いされ、妹はその助けた相手の婚約者となるのだった。
助けた相手──第一王子へ生まれかけた恋心に蓋をして、フィリアは二人の幸せを願う。
真実を隠し続けた人魚姫はこんなにも苦しかったの?
知って欲しい、知って欲しくない。
相反する思いを胸に、フィリアはその思いを秘め続ける。
※最初の方は明るいですが、すぐにシリアスとなります。ギャグ無いです。
※全24話+プロローグ,エピローグ(執筆済み。順次UP予定)
※当初の予定と少し違う展開に、ここの紹介文を慌てて修正しました。色々ツッコミどころ満載だと思いますが、海のように広い心でスルーしてください(汗
『有能すぎる王太子秘書官、馬鹿がいいと言われ婚約破棄されましたが、国を賢者にして去ります』
しおしお
恋愛
王太子の秘書官として、陰で国政を支えてきたアヴェンタドール。
どれほど杜撰な政策案でも整え、形にし、成果へ導いてきたのは彼女だった。
しかし王太子エリシオンは、その功績に気づくことなく、
「女は馬鹿なくらいがいい」
という傲慢な理由で婚約破棄を言い渡す。
出しゃばりすぎる女は、妃に相応しくない――
そう断じられ、王宮から追い出された彼女を待っていたのは、
さらに危険な第二王子の婚約話と、国家を揺るがす陰謀だった。
王太子は無能さを露呈し、
第二王子は野心のために手段を選ばない。
そして隣国と帝国の影が、静かに国を包囲していく。
ならば――
関わらないために、関わるしかない。
アヴェンタドールは王国を救うため、
政治の最前線に立つことを選ぶ。
だがそれは、権力を欲したからではない。
国を“賢く”して、
自分がいなくても回るようにするため。
有能すぎたがゆえに切り捨てられた一人の女性が、
ざまぁの先で選んだのは、復讐でも栄光でもない、
静かな勝利だった。
---
離婚寸前で人生をやり直したら、冷徹だったはずの夫が私を溺愛し始めています
腐ったバナナ
恋愛
侯爵夫人セシルは、冷徹な夫アークライトとの愛のない契約結婚に疲れ果て、離婚を決意した矢先に孤独な死を迎えた。
「もしやり直せるなら、二度と愛のない人生は選ばない」
そう願って目覚めると、そこは結婚直前の18歳の自分だった!
今世こそ平穏な人生を歩もうとするセシルだったが、なぜか夫の「感情の色」が見えるようになった。
冷徹だと思っていた夫の無表情の下に、深い孤独と不器用で一途な愛が隠されていたことを知る。
彼の愛をすべて誤解していたと気づいたセシルは、今度こそ彼の愛を掴むと決意。積極的に寄り添い、感情をぶつけると――
さよなら、悪女に夢中な王子様〜婚約破棄された令嬢は、真の聖女として平和な学園生活を謳歌する〜
平山和人
恋愛
公爵令嬢アイリス・ヴェスペリアは、婚約者である第二王子レオンハルトから、王女のエステルのために理不尽な糾弾を受け、婚約破棄と社交界からの追放を言い渡される。
心身を蝕まれ憔悴しきったその時、アイリスは前世の記憶と、自らの家系が代々受け継いできた『浄化の聖女』の真の力を覚醒させる。自分が陥れられた原因が、エステルの持つ邪悪な魔力に触発されたレオンハルトの歪んだ欲望だったことを知ったアイリスは、力を隠し、追放先の辺境の学園へ進学。
そこで出会ったのは、学園の異端児でありながら、彼女の真の力を見抜く魔術師クライヴと、彼女の過去を知り静かに見守る優秀な生徒会長アシェル。
一方、アイリスを失った王都では、エステルの影響力が増し、国政が混乱を極め始める。アイリスは、愛と権力を失った代わりに手に入れた静かな幸せと、聖女としての使命の間で揺れ動く。
これは、真実の愛と自己肯定を見つけた令嬢が、元婚約者の愚かさに裁きを下し、やがて来る国の危機を救うまでの物語。
甘そうな話は甘くない
ねこまんまときみどりのことり
ファンタジー
「君には失望したよ。ミレイ傷つけるなんて酷いことを! 婚約解消の通知は君の両親にさせて貰うから、もう会うこともないだろうな!」
言い捨てるような突然の婚約解消に、困惑しかないアマリリス・クライド公爵令嬢。
「ミレイ様とは、どなたのことでしょうか? 私(わたくし)には分かりかねますわ」
「とぼけるのも程ほどにしろっ。まったくこれだから気位の高い女は好かんのだ」
先程から散々不満を並べ立てるのが、アマリリスの婚約者のデバン・クラッチ侯爵令息だ。煌めく碧眼と艶々の長い金髪を腰まで伸ばした長身の全身筋肉。
彼の家門は武に長けた者が多く輩出され、彼もそれに漏れないのだが脳筋過ぎた。
だけど顔は普通。
10人に1人くらいは見かける顔である。
そして自分とは真逆の、大人しくか弱い女性が好みなのだ。
前述のアマリリス・クライド公爵令嬢は猫目で菫色、銀糸のサラサラ髪を持つ美しい令嬢だ。祖母似の容姿の為、特に父方の祖父母に溺愛されている。
そんな彼女は言葉が通じない婚約者に、些かの疲労感を覚えた。
「ミレイ様のことは覚えがないのですが、お話は両親に伝えますわ。それでは」
彼女(アマリリス)が淑女の礼の最中に、それを見終えることなく歩き出したデバンの足取りは軽やかだった。
(漸くだ。あいつの有責で、やっと婚約解消が出来る。こちらに非がなければ、父上も同意するだろう)
この婚約はデバン・クラッチの父親、グラナス・クラッチ侯爵からの申し込みであった。クライド公爵家はアマリリスの兄が継ぐので、侯爵家を継ぐデバンは嫁入り先として丁度良いと整ったものだった。
カクヨムさん、小説家になろうさんにも載せています。
『お前とは結婚できない』と婚約破棄されたので、隣国の王に嫁ぎます
ほーみ
恋愛
春の宮廷は、いつもより少しだけざわめいていた。
けれどその理由が、わたし——エリシア・リンドールの婚約破棄であることを、わたし自身が一番よく理解していた。
「エリシア、君とは結婚できない」
王太子ユリウス殿下のその一言は、まるで氷の刃のように冷たかった。
——ああ、この人は本当に言ってしまったのね。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる