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第一章:神の裁きは待たない
1-30.ゲイルに破滅を・2
しおりを挟むその頃、王はその命を惜しんでひとり、非常用の隠し通路への道を潜って安全な郊外へと逃げ出そうとしていた。
だが、なぜかその扉が開けない。
執務室の本棚の後ろにある取っ手を引こうと隙間へと手を伸ばし、手探りで探しても取っ手がどうしても見つけられない。忌々しく思いながら近衛に申し付けて本棚を押し倒させたが、それらしいものが見当たらず、壁は平らなままだ。
慌てて近衛たちを置き去りにして走り込んだ寝室にある暖炉へと頭を突っ込み、煤だらけになって左奥のひとつだけサイズの違う煉瓦を押したがビクともしない。
不自然な姿勢になりながら、力任せに握った手を叩きつけた。
「ぎゃあっ」
親指を握り込んでいたせいで、親指の関節が外れて腫れあがる。痛みに転げて、暖炉の内側に頭をぶつけた。
「陛下の悲鳴?! 大丈夫ですか!」
ドンドンと的外れにも寝室の扉を外から叩いて声を掛けてくる近衛に怒りが募る。
「馬鹿者! 私が此処にいることがバレてしまうではないか! 私のことはいい。暴徒の制圧に迎え!」
乱暴に扉を開いた王は、顔だけそこから出して指示を与える。
「しかし、我らが近衛は、王の御命をお守りすることこそが使命であります」
「いいのだ! 今すぐ行け! 王命である!」
重ねて言えば、ようやく了承の声が聞こえてバタバタと廊下を走っていく後ろ姿が遠ざかっていく。
「ふん。あんなに大きな音を立てながらでしか動けぬ近衛など、隠し通路へ呼び込む訳にはいかないからな」
王城内でも軽鎧を着けたままの近衛に静かに歩けといっても無理だろう。
壁一枚向こうにある隠し通路を歩いている時に気が付かれては面倒だ。
近衛の背中が角を曲がったのを確認した王は、震えだそうとする身体に活を入れて、今いる場所から最も近い隠し通路の場所を懸命に思い出そうとした。
***
王は誰よりも(この王城内を掃除して回る下働きの人間よりも)、王城内の内部構造について詳しい。
反対側から廊下を見通した時にどの柱の影が、どの程度まで身体を隠してくれるのか。居室同士の繋がりを利用して廊下に出ずに移動する方法。嵌め殺しに見える窓を開ける方法。豪華な花瓶台に見えるそれを使って、天井裏へと上がれる場所等々。
敵襲から身を守り逃げ切る方法を幼い頃から何度も叩き込まれているからだ。
そうして、埃まみれの天井裏から、王はどうにか大きな音を立てずに目的としていたその部屋に、王は降り立った。
使用人たちが使っている薄暗い階段近くにひっそりとその部屋はあった。他よりどこか印象の薄い扉は、つい目の前に見えていても掃除し忘れてしまうようなひっそりとした佇まいだった。掃除される以外の時はいつも鍵を掛けられたままで本来の客室としてどころか休憩室としてでさえ、一度も使われたことのない小さな部屋だった。
客室の態をしてはいるが実際にこの部屋が城に来た客へ提供されたことはない。
何故ならこの部屋には窓はなく、居室に続き部屋もない。風呂もトイレもないのだ。他の豪華な設備が揃った客室からすれば格段に劣るこの部屋を何故王城に作ったのか。それを知るのはただ一人、王のみだった。
そして鍵の掛けられたままのこの部屋へ入る方法を知っているのも、王一人だ。
その部屋の突き当りの壁へ白い布を掛けられたまま飾ってあった大きな絵画を、王は震える手で慎重に手順を踏んで外した。
だが、地下へと続く細い階段の入り口が開く筈の、後ろの壁は白いままだ。
「どうなっておるのだ……」
暴徒と化した民を避けながら辿り着けそうな最後の隠し通路にも入れない事がわかった王は、膝から崩れ落ちた。
埃の積もった床に手をつき、頭を垂れる。
使用人が減る前からこの部屋は放置されがちであったが、それでも最低限の掃除はされていた筈だ。けれども今は美しいモザイクで彩られた床にうっすらと埃が積もっていた。
埃臭い天井裏を抜けて、埃の積もった締め切られた部屋に降り立ったのは、ひとり隠し通路を抜けて脱出できると信じていたからだ。ようやくもうすぐ外へ出られると思っていたのに。まさか通路が使えない事態に陥るとは。
安易に廊下へ出てしまうのは危険だ。暴徒に出くわす危険がある。
もう一度あの天井裏へと一人で上がり、他の隠し通路への入口を探しに行かねばならない。そう分かっていても一度ホッとしてしまった分、身体が重かった。
最後に、隠し通路を点検して廻ったのは何時だったろう。
この通路に関しては国王となった者のみに存在が明かされるモノである為に、王自らが夜な夜な一人で回って確認してきたのだ。
とは言っても、完全に封鎖された空間には、埃程度しか溜まらない。その埃も大したものではないので、掃除など一度もしたことはなかったが。
王となってすぐの頃は不安で時間ができる度に見て回っていたそれが、半年に一回程度になり、年に一度となり。ここ数年はすっかり点検を疎かにしていた。
自業自得と言われれば間違っていない。
けれども築城から二百年。一度たりとも大掛かりな補修を必要とせず、王自身の手で見て廻るだけで大丈夫であったそれが、たった数年でこうも使い物にならなくなるなど、誰が考えるだろう。
それも、初めて本当の意味で使おうとした、この日に使えなくなるとは。
「一体、どうなっているのだ!!!!!」
つい、叫んでしまって慌てて自分の口を塞ぐ。
誰の気配もしないことに詰めていた息を吐いた。
叫んでも誰も探しにこなかった故に気が弛んだのか、そんな場合ではないと分かっていても、胸に渦巻く不満を吐き出さずにはいられなかった。
「ひと粒種の、アルフェルトの命まで諦めたではないか! なのに……なのに愚民共は、それでも足りぬというのか。愚鈍で蒙昧な、我等指導者に何かをして貰うことが当然だと思っている癖にっ」
握った拳で床を殴る。
もうもうと立ち上がった埃に、息が詰まった事すら不快でならずに涙が滲む。
「くそっくそっくそぅ。儂は、どうするべきだったのだ」
そんな自らの不明に打ちひしがれていた王の目の前で、壁が動いた。
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