死刑宣告を受けた王宮魔術師、最後の夜に暗殺者に攫われる

秋山龍央

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第3話

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 ゼロから毒殺未遂の事件の全貌を聞かされたおれは――しかし、すぐには全てを飲み込むことができず、呆然と空中を見つめた。
 昨日までの自分には想像すらできなかった、あまりにも陰謀めいた話に、脳が理解を拒んでいたのだ。

 でも……彼の言葉がすべて真実だとすれば、おれは、ヴェルナー様とイザーク殿下のお二人に裏切られ、陥れられたということだ。

 けれど、そのきっかけを作ったのは――

「じゃあ……おれのせいで、カリス殿下が危険な目にあったんだ……」

「え?」

 ぽつりと落としたその一言に、ゼロが驚いたように目を丸くした。
 けれど、彼のそんな様子を気にかける余裕は、今のおれにはなかった。

「おれの研究のせいで、カリス殿下が毒殺されかけるなんて……」

 自分の胸の内を言葉にした瞬間、喉の奥がひりつくように痛み、どうしようもない吐き気が込み上げてきた。

 まさか――自分の研究が、こんな事態を引き起こすなんて思わなかった。
 おれはただ、誰かの力になりたかった。誰かの苦しみを少しでも軽くしたかった。ただ、それだけだったのに。

 でも……それは、思いあがった考えだったのかもしれない。
 後ろ盾もなく、地位も実力もない下級魔術師の分際で、身の程知らずの理想を掲げたせいで……カリス殿下を危険な目にあわせてしまった。

 ヴェルナー様や他の魔術師たちから「高尚な魔術を、そんなくだらないもののために使うなんて」と笑われて、否定されても――それでも、諦めきれなかった。

 その結果がこれだ。
 つまり、今起きている事態は、すべておれの傲慢さが招いたものなのだ。

「みんなから否定された時に、素直に諦めていれば……」

 あの時、言われるがままに研究をやめていれば――

「――それはちがう!」

 突然、強い声が空気を切った。
 はっと顔を上げると、両肩をがしりと強く掴まれ、ぐっと顔が近づいた。鼻先が触れそうなほどの距離で、翡翠色の瞳にまっすぐに見つめられる。

「ごめん……俺の言い方が悪かったよ。君を責めるつもりなんて、これっぽっちもなかったんだ。悪いのは全部イザークとヴェルナーだ。それを言いたかっただけなんだ」

「ゼロ……?」

 今度はこちらが目を丸くする番だった。
 さっきまでの軽薄な調子は消え、ゼロは切実な声音で続ける。

「ユウリちゃんのことがなくても、狡猾なイザークの野郎は、いずれカリス殿下を排除しようとしただろうし……だいたいヴェルナーは、君の給料だけじゃなくて魔術塔の資金をかなり着服してる。そんなクソ野郎どものために、ユウリちゃんが何かをあきらめる必要なんてない」

 ゼロは、本気で怒ってくれていた。
 まるで、おれの代わりに悔しがってくれているような……そんな熱が痛いくらいに伝わってくる。

「でも、おれのせいで、カリス殿下が危険な目に遭ったのは事実で――」

「この国にはさ、怪我や病気で不自由な思いをしてる人が、まだたくさんいる。ユウリちゃんは……もしも誰かが、そういう人たちの力になりたいって行動を起こした時、それは間違いだって思うのかい?」

 おれは少し考えた後、ふるふると首を横に振った。

「……ううん、思わない」

「だろ? だからさ、ユウリちゃんも正しいことをしただけだよ」

 そう言って、ゼロはおれの頭に手を伸ばし、ぐしゃりと髪を撫でた。
 優しい掌だった。その手のあたたかさに、おれは再び、昔の友人のことをふっと思い出した。

 どうしてだろう。ゼロと出会ってから……よく、あの人のことを思い出す。
 二人の外見も性格も、似ても似つかないのに。不思議だ。

 そんなことを考えていた時だった。しんとした空気の中、急に、ぐぅ、とおなかが鳴る音が響いた。

「……あっ、これは、その……」

 恥ずかしさに顔を赤らめる。すると、肩を掴んでいたゼロが楽し気な笑い声をあげた。

「あはは! そうだよな、ユウリちゃん昨日は何も食べてないもんな。気づかなくてごめんごめん」

 ゼロはおれの肩から手を離し、ベッドから立ち上がった。

「たいしたもんはないけど、ご飯にしよっか」

「え、でも、そこまでお世話になるわけには……」

 突然の展開に戸惑うおれに、ゼロは片目をつぶってみせた。

「気にすんなって! それに、俺の作るご飯は好評なんですよ? まぁ、ごちそうするのはユウリちゃんが初めてだけどね!」

「どっちなの?」

 思わず笑ってしまった。

 ……本当に不思議だ。
 死刑宣告をされて、牢屋にいれられた時は――もう自分が心から笑える日なんて、二度とないだろうと思っていたのに……彼と話していると、少しずつ胸が軽くなっていく。

 ベッドを抜け出して、あらためてきょろきょろと室内を見渡す。家具や調度品こそ少ないが、木の温もりに満ちた素朴な家だった。
 窓から差し込む朝の光が木の床にやわらかく落ち、部屋の空気は、暖炉からの熱でほのかにあたたかい。

「ほらほら、座って。食べなきゃ力出ないからね!」

 ゼロが暖炉にかけられた黒い鍋からスープをすくい、木製の椀に注いでくれた。そして、黒パンも木皿にのせてテーブルへと置いてくれた。

 おれは小さな丸テーブルの前に腰を下ろし、いただきますと呟いてから、そっとスプーンを手に取った。一口スープを口に含んだ瞬間、優しい味が舌に広がった。
 人参と玉ねぎ、そしてベーコンの甘みが、くたくたに煮込まれてとろけるように混ざり合い、黒胡椒と香草のやわらかな香りが鼻をくすぐる。

「おいしい……」

「でしょ? 俺ってば、料理の腕も一級品なんだぜ?」

 向かいに座ったゼロは、自身も同じようにスプーンを手に取ると、得意げに胸を張った。
 その様子にくすりと笑みをこぼしながら、黒パンを手に取った。
 ちぎった黒パンをスープに浸して、口に運ぶ。しみ込んだスープの優しい味が口の中に広がり、胃がじんわりと温かくなった。

 しばらく無言のまま食べていたが、ふと気になって、おれは顔を上げた。

「……そういえば、聞いてもいい? ここはどこなの?」

「王都からだいぶ離れた、羊飼いたちのすむ農村だよ。こういう時にそなえて、暗殺者はいろいろと隠れ家を用意してあるもんなのさ」

 その言葉は嘘ではなさそうだ。
 この部屋の窓から見られる風景は――白い霧がかかっているものの、遠くに見えるなだらかな丘は鮮やかな緑色をしており、時おり、小鳥のさえずる声や羊たちが鳴く声が聞こえてきた。
 王都にそびえる白銀の魔術塔や、大理石でできた街路とは違う、素朴で静かな景色だ。

「あ、そうだ。この農村では、俺はゼロ・スヴェインって名前で通してるから、ユウリちゃんもそのままゼロって呼んでね。設定としては『王都在住の男爵家の次男で、職業は天文学者。この村には星図観測のために時々やってくる』ってことになってる」

 そう言って、ゼロは椅子の背にもたれながら、スプーンを器用にくるくると回した。

 言われてみれば――この牧歌的な雰囲気の部屋の中で、壁際の一角が少し雰囲気が異なっていた。

 頑丈そうな木製の机の上には、分厚い革表紙の書物がいくつも積み重ねられ、開いたままの星図や観測記録らしき紙束が積まれている。傍らには金属製のコンパスや、小型の星見盤が置かれていた。
 天文学者という偽の肩書きのために用意されたにしては、ずいぶんと手が込んでいる。
 でも、もしかするとこれらの記録も、彼の本当の仕事に必要なものなのかもしれない。

「ユウリちゃんは……そうだな、俺の王都での友人で、星図作成の補佐役で静養も兼ねて村に来たって設定にしよっか! まあでも、ここの村人はあれこれ詮索してこないタイプだし、そこまで身構えなくても大丈夫だよ」

「わ、わかった」

「ちなみに、偽名の希望はある?」

「えっと……じゃあ、ユウタとか、どうかな?」

 ユウタは、おれの転生前の名前だ。
 これなら、普段から使っても違和感はさほど感じずにすむだろう。

「ユウタね、了解! じゃあ、この家の外では“ユウタ”って呼ばせてもらうよ。ま、ユウリもよくある名前だから大丈夫だとは思うけど、一応ね」

「うん、よろしく。でも……それって、おれは家の外に出てもいいの? 今のおれの立場って、死刑囚で脱走犯だよね? なら、この家から出ないほうが……」

「いやいや、逆だよ! 家から一歩も外に出ないとか、そんなのますます怪しまれるって! こういうのは堂々としてる方が、むしろ怪しまれないんだってば!」

 そう言って、ゼロはにっこり笑うと――とんでもないことを口にした。

「それにさ、ユウリちゃんなら昨夜のうちに牢で首を吊って自殺したってことになってるからね! だから安心してくれて大丈夫!」

「ちょっと待って!? それも初耳なんだけど!?」

 おれは思わず椅子から立ち上がった。すると、スープの入った椀がぐらりと揺れてこぼれそうになってしまい、あわてて椀を抑えて椅子に座り直す。
 そんなおれの慌てっぷりを見て、ゼロは「あははっ」と楽しげに笑った。

「いやぁー、ユウリちゃんってば、いつもいいリアクションしてくれるから驚かせがいがあるなぁ!」

「こんなの、おれじゃなくても誰だって驚くよ!?」

「でもマジメな話、ユウリちゃんが死んだことにしとかねーと、追手がかかるでしょ? 特にクソイザークは執念深いからさぁ……まっ、俺はどんな追手が来ようと返り討ちにできる自信がありますが!」

「ま、まさか、そんなことまでしてたなんて……あれ? でも、おれの死を偽装する時間なんて、ゼロにはなかったはずだよね?」

「ああ、死体の偽装は、俺とは別のカリス殿下の部下に頼んだんだ。同じ暗殺者で、手際はピカイチ。俺が身代わりの死体を手配して、あとは向こうで段取りしてもらったってわけ」

「……死体?」

 背筋にひやりと冷たいものが走る。
 嫌な想像をめぐらせたおれに、ゼロはあっさり肩をすくめて言った。

「大丈夫大丈夫。もともと死んでた、身元不明の囚人のやつだからさ。誰にも迷惑かけてないし、安心して?」

「……安心していいのかな。誰かの遺体を、おれなんかのために使ったなんて……」

 ぽつりとこぼした言葉に、ゼロはすうっと目を細めた。
 ひとときの沈黙のあと、少しだけ低い声で応える。

「……ユウリちゃんって、ほんと、そういうとこ真面目だよね。でも今回は、割り切って考えてほしいかな。だってさ、もしあのまま牢に残ってたら――君は、もうこの世にいなかった」

 その言葉に、ぐっと胸が詰まる。

「ご、ごめん。ゼロとその仲間のことを悪く言うつもりじゃなかったんだ。助けてもらったことには、すごく感謝してるよ。ただ、その……」

 頭を下げかけたおれを、ゼロが軽く手で制した。

「分かってるよ。ただ、俺は最善を尽くしたつもりってことは分かってほしいな。でも、これ以上悩むようなら……君の良心ってやつは、俺が肩代わりしておくよ」

 そうしてゼロは、ゆるく笑って言った。
 その笑みを見つめながら、おれは、ふっと息をついた。

「……ごめん。そして、ありがとう、ゼロ。おれなんかのために、ここまでしてくれて……」

 そこまで言ってから、おれは彼に向って頭を下げた。

「それに、まだちゃんとお礼を言ってなかったよね。おれを助けてくれて、本当にありがとう」

 その時、ガタン、とけたたましい音が響いた。見れば、今後はゼロが先ほどのおれのように、慌てた様子で椅子から立ち上がっていた。

「ちょ、ちょっと! ユウリちゃん、顔あげてよ! 今回の一件は、俺がやりたくてやったことだし! お礼を言われる筋合いなんてないからさ!」

 ゼロに促されるまま顔を上げると、彼は照れくさそうな表情を浮かべながら、片手で頭をがりがりと掻いた。

「……まあ、でも……ありがとな、ユウリちゃん」

 珍しく気恥ずかしそうな笑みを浮かべているゼロを見つめながら――おれは、先ほどの彼の言葉が引っかかっていた。

 やりたくてやったこと――確かに、彼はそう言ったのだ。

 てっきりおれは、カリス殿下のご命令で、ゼロはおれを助けてくれたものだと思っていた。たとえば、カリス殿下が毒を接種して意識を失う前に、ゼロにおれを救出するように指示をくだした――そういうものかと思っていたのだ。

 でも、今の声音はあまりにも真剣で、嘘やお世辞で言っている様子ではなかった。

 それに、よくよく考えれば、カリス殿下がおれを助けるメリットは、あまりないように思える。

 だって、今までおれが研究した魔術装具の論文は、すべてゼロが回収しているのだ。そして、カリス殿下の配下には、おれよりも優秀な魔術師がおおぜいいるだろう。
 もしもご自身の歩行をサポートする義肢を作成したいのなら、おれの論文を配下の魔術師たちに引き継がせればいいのである。

 でも、そうなると――ゼロは自分の意志で、おれを救ってくれたということになる。

 しかも囚人の死体を偽装し、監視の目を欺いて、王都のど真ん中から囚人を連れ出すという危険な行動をおかして。

 ……この人はいったい、どうしてここまでしてくれたんだろう……?
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