死刑宣告を受けた王宮魔術師、最後の夜に暗殺者に攫われる

秋山龍央

文字の大きさ
5 / 8

第4話

しおりを挟む
 温かなスープと黒パンで満たされた胃を抱え、おれは木椅子の背にもたれて小さく息をついた。同時に、ゼロが椅子から立ち上がる。

「じゃ、腹ごなしがてら、村の中を案内してあげるよ。この服に着替えて」

 ゼロが棚から取り出した衣服を受け取って、広げてみる。

 生成りのシャツに、落ち着いたグレーのズボン。そして、ココアブラウンのウールコートはふんわりと厚みがあり、袖口と裾に小さな刺繍が入っている。おまけに、柔らかそうなブーツまで手渡された。
 どれも新品ではないけれど、きちんと手入れされていて、品の良さを感じさせる代物だった。“天文学者の友人の補佐として静養に来た青年”という設定にも、しっくりくる服装だ。

「サイズは合うと思うけど、どう?」

「うん、大丈夫だよ。ありがとう」

 もらった服に袖を通すと、ちょうどぴったりで驚いた。
 簡素で落ち着いた色合いの衣服は、王宮魔術師として過ごしていたころの華美な装飾のついたローブよりも、ずっと軽やかに感じられる。

 なお、ゼロもまた、偽の肩書きにふさわしい装いに着替えていた。
 落ち着いた深緑のジャケットに、アイボリーのハイネックシャツと濃い色のズボン。ただ、その腰にはさりげなく細身の短剣が下げられている。

「じゃあ行こうか! 何かあっても俺がフォローするからさ、気楽に行こうぜ」

「う、うん。よろしくお願いします……!」

「あはは、そんなに固くならなくても大丈夫だって」

 そして、ゼロが玄関の扉を開けた途端――冷えた風が頬を撫でた。
 けれど、それは冷たいというより、むしろ清々しい感覚だった。

「わぁ……」

 家の外には、想像していた以上にのどかな光景が広がっていた。
 踏み固められた土の道がゆるやか坂を描いてのびている。その両脇には、素朴な木造の家々が並び、つきでた煙突から、朝の炊事を知らせる白い煙が立ちのぼっていた。

 歩くうちに、道の向こうから、朝の仕事に出ていたであろう村人たちがこちらにやってきた。緊張のあまり、心臓の鼓動が早くなる。
 そしてとうとう、村人たちがおれたちの正面へとやってきた。彼らに向けて、ゼロは片手を振ってにこやかな笑顔を浮かべた。

「おはようございます、皆さん。朝から精が出ますね」

「スヴェイン様、おはようございます! いつこちらに来られたのですか? 知っていれば皆でおもてなしをしましたのに……!」

「昨日の夕方です。今回は友人と一緒に来たので、二人でゆっくり過ごしたくて。これから村長さんへ挨拶をしに行こうかと思っていたところなんですよ」

 おれは内心でかなり驚いていた。
 ゼロの喋り方も、声のトーンも、先ほどまでとはガラリと変わったからだ。

 先ほどまでの砕けた軽口は影をひそめ、落ち着いた口調と洗練された物腰――これが、この村における“貴族であり天文学者のゼロ・スヴェイン”の姿なのだろう。

 そんなゼロに応じて、村人たちはすっかり安心したように笑顔を返してくる。疑われるどころか、おれにさえ親しげな微笑を向けてきた。
 そんな彼らに対し、おれも慌てて頭を下げる。

「は、はじめまして、ユウタと言います。しばらくこちらに滞在させていただきます」

「あらあら、ご丁寧にありがとうございます」

「彼は疲労がたたって体調を崩しましてね。この村のことを話したら、ぜひ静養もかねて一緒に来たいと言ってくれて」

「あらまぁ、そうなのですか。では、何もない村ですが、ぜひゆっくりしていってください。必要なものがあれば、なんでも言ってくださいね」

「ありがとうございます……」

「それでは、私たちはこの辺で。皆さんの仕事の邪魔をしては悪いですからね」

 ゼロの言葉を皮切りに、村人たちはにこやかに会釈して、また道を歩き始めた。
 足音が遠ざかるのを聞きながら、おれは大きく息を吐いた。気がつけば、緊張のために背中がびっしょりと汗ばんでいる。

 その背中を、いきなりばしりと叩かれて、思わず「ひゃっ!?」と変な声が出た。

「あはは、ユウリちゃん良かったよ! あとはもうちょい肩の力を抜けば完璧!」

「う、うん……でも、びっくりしたよ。この村では、ゼロってあんな喋り方なんだね」

「そりゃそうだよ。貴族で天文学者のゼロ・スヴェイン様が、いつものこの調子で喋ってたら、威厳もへったくれもないでしょ?」

「……それは、まあ……」

 思わず苦笑いがこぼれる。
 けれど、先ほどのやりとりを思い返して、ふと疑問が浮かんだ。

「そういえば、ゼロって、村の人たちからずいぶん尊敬されてるみたいだったけど……?」

「貴族で天文学者っていう設定作りのために、この村にはけっこう金銭的な支援をしたからね。あとは、ときどき香辛料とか酒とか、村じゃ手に入りにくいものを差し入れしたりもしてるよ」

「へぇ……」

「ちなみにだけど、ちゃんと王都の役所には“ゼロ・スヴェイン”って名前の戸籍があるよ。スヴェイン男爵家っていう貴族家もきっちり登録済み。書類上は完璧に実在する人間ってことになってるんだぜ?」

 ゼロは楽しげに笑いながら、さらりと怖いことを言った。

 ……こういう話を聞くたびに、おれは本当に、とんでもない王宮の陰謀に巻き込まれてしまったのだなぁと実感してしまう。
 まさか、しがない下級魔術師だった自分が、こんな目にあう日が来るなんて夢にも思わなかった。

 ……けれど……

 顔を上げて、空を見上げる。
 晴れ渡る空には、白い雲がぽつぽつと浮かんでいた。

 道の向こうに広がる畑には、うっすらと霜が降りており、日差しを受けてきらきらと輝いている。羊たちの鳴き声と、どこからか聞こえてくる鶏の鳴き声が、緑の丘の向こうへずっと響き続けていく。

 ……本当なら、今頃おれは、絞首台に立っていたはずなのに。

 そんなおれが、かりそめの身分を得て、この穏やかな村を歩いているというのは……かなり奇妙な状況だ。

 けれど、なぜだろうか。この不思議な状況に、ほんの少し……穏やかなやすらぎを感じている自分がいる。
 肌をなでる風や、どこか懐かしい土の匂いのおかげだろうか。それとも――

 そうしておれは、ゼロと並んでさらに道を進んだ。
 すると今度は、家の前で洗濯物を干していた白髪の女性が、おれたちに気づいて声をかけてきた。

「おはようございます、スヴェイン様。いらしていたとは知りませんで……」

「やあ、エミリーさん。今回は友人と来ましてね」

「はじめまして、ユウタと言います」

「まあまあ、それはそれは……ユウタ様、よろしくお願いいたします。スヴェイン様には本当にいつもよくして頂いて……」

 様付けで呼ばれるのは、どうにもむずがゆい。けれど、今後のことを思えば、慣れていくしかないんだろう。
 そう思っていた時だった。

「あらっ……!」

 エミリーさんが足元の洗濯籠に足をひっかけ、籠がごろりと倒れてしまったのだ。中にあった洗いたての衣類が地面に散らばっていく。

「だ、大丈夫ですか?」

 おれは反射的に駆け寄って、落ちた洗濯物を拾い集めた。土で汚れていないか確認しながら、籠の中へ戻していく。
 そんなおれを見て、エミリーさんが慌ててしゃがみこんだ。

「まあまあ、ユウタ様……! 申し訳ありません……!」

 小さな体を折りたたむようにして頭を下げるエミリーさんに、おれは安心させるように笑って見せた。

「大丈夫ですから、気にしないでください」

「本当に申し訳ありません……! 最近はどうにも目が悪くなってきてしまって……手元がよく見えなくて……」

 洗濯物をすべて拾い終えると、エミリーさんはさらに申し訳なさそうに目を伏せた。
 そして、恥ずかしさと気まずさが入り混じった声で、ひとりごちるように呟いた。

「年をとるというのは嫌なものですねぇ……この頃は、もう針の穴に糸を通すのも一苦労で……」

「それは大変ですね」

「昔は夜でも縫い物ができたのに、いまでは昼間でも、針が見えにくくて……でも、誰にも頼らずに自分でやりたいんですよ。って、ああ、ごめんなさい! こんなつまらない話で引き留めてしまいまして」

「そんなことないです。ご挨拶ができて嬉しかったです」

「ではエミリーさん、また今度ゆっくり話を聞かせてください」

 そうして、おれたちはエミリーさんと別れた。
 彼女の家が完全に見えなくなったところで、隣を歩くゼロがやれやれといったように肩をすくめた。

「ユウリちゃんさぁ……一応、俺は“男爵家の次男”っていう設定で、君はその友人ってことになってるんだよ? だからさ、ああいう場面でおばあちゃんといっしょに洗濯物を拾うとか、ほんとはダメだからね」

「うっ……!」

 ゼロの指摘に、言葉に詰まった。

 た、たしかに――そう言われてみれば、その通りだ。
 おれたちは今、「貴族とその友人」という偽の身分で村に滞在しているのだ。

「……ご、ごめん。つい身体が動いちゃって……」

 いたたまれなさに視線を落とすと、ゼロはやれやれとため息をついた。

「はぁ……まあ、君らしいといえば君らしいけどね」

 おそるおそる彼の見上げる。
 てっきり呆れているだろうと思いきや、以外にも、彼はやわらかい微笑みを浮かべておれを見つめていた。

「今回は初回ってことで大目に見てあげるよ。でも、次は気をつけるように!」

「ご、ごめん。今度からは気をつける……」

 と、答えたはいいものの――実は、ちょっと自信がない。
 再び誰かが同じように困っている場面に出くわしたら、おれは手を出さずにいられるだろうか?

 それに――今だって、先ほどのエミリーさんの言葉が耳に残って離れない。

 目が見えづらくなって、針に糸を通すのさえ辛くなった。それでも、誰にも頼らず、自分でやりたいのだと語ったエミリーさん。

 その言葉が、どうしてもおれの前世――ユウタの最期と重なってしまう。
 あのときの自分が、周囲の人々に助けてもらったように……彼女を助けてあげることができないかと、つい考えてしまうのだ。

 人助けをして、正体がばれたらどうするのか。
 ここまでしてくれたゼロの行動を、裏切るような真似をしてはだめだと。

 そう、分かっているはずなのに――
 どうしても、心の声を無視することができなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。

キノア9g
BL
※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。 気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。 木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。 色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。 ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。 捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。 彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。 少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──? 騎士×妖精

ざこてん〜初期雑魚モンスターに転生した俺は、勇者にテイムしてもらう〜

キノア9g
BL
「俺の血を啜るとは……それほど俺を愛しているのか?」 (いえ、ただの生存戦略です!!) 【元社畜の雑魚モンスター(うさぎ)】×【勘違い独占欲勇者】 生き残るために媚びを売ったら、最強の勇者に溺愛されました。 ブラック企業で過労死した俺が転生したのは、RPGの最弱モンスター『ダーク・ラビット(黒うさぎ)』だった。 のんびり草を食んでいたある日、目の前に現れたのはゲーム最強の勇者・アレクセイ。 「経験値」として狩られる!と焦った俺は、生き残るために咄嗟の機転で彼と『従魔契約』を結ぶことに成功する。 「殺さないでくれ!」という一心で、傷口を舐めて契約しただけなのに……。 「魔物の分際で、俺にこれほど情熱的な求愛をするとは」 なぜか勇者様、俺のことを「自分に惚れ込んでいる健気な相棒」だと盛大に勘違い!? 勘違いされたまま、勇者の膝の上で可愛がられる日々。 捨てられないために必死で「有能なペット」を演じていたら、勇者の魔力を受けすぎて、なんと人間の姿に進化してしまい――!? 「もう使い魔の枠には収まらない。俺のすべてはお前のものだ」 ま、待ってください勇者様、愛が重すぎます! 元社畜の生存本能が生んだ、すれ違いと溺愛の異世界BLファンタジー!

【完結済】スパダリになりたいので、幼馴染に弟子入りしました!

キノア9g
BL
モテたくて完璧な幼馴染に弟子入りしたら、なぜか俺が溺愛されてる!? あらすじ 「俺は将来、可愛い奥さんをもらって温かい家庭を築くんだ!」 前世、ブラック企業で過労死した社畜の俺(リアン)。 今世こそは定時退社と幸せな結婚を手に入れるため、理想の男「スパダリ」になることを決意する。 お手本は、幼馴染で公爵家嫡男のシリル。 顔よし、家柄よし、能力よしの完璧超人な彼に「弟子入り」し、その技術を盗もうとするけれど……? 「リアン、君の淹れたお茶以外は飲みたくないな」 「君は無防備すぎる。私の側を離れてはいけないよ」 スパダリ修行のつもりが、いつの間にか身の回りのお世話係(兼・精神安定剤)として依存されていた!? しかも、俺が婚活をしようとすると、なぜか全力で阻止されて――。 【無自覚ポジティブな元社畜】×【隠れ激重執着な氷の貴公子】 「君の就職先は私(公爵家)に決まっているだろう?」 全8話

王子に彼女を奪われましたが、俺は異世界で竜人に愛されるみたいです?

キノア9g
BL
高校生カップル、突然の異世界召喚――…でも待っていたのは、まさかの「おまけ」扱い!? 平凡な高校生・日当悠真は、人生初の彼女・美咲とともに、ある日いきなり異世界へと召喚される。 しかし「聖女」として歓迎されたのは美咲だけで、悠真はただの「付属品」扱い。あっさりと王宮を追い出されてしまう。 「君、私のコレクションにならないかい?」 そんな声をかけてきたのは、妙にキザで掴みどころのない男――竜人・セレスティンだった。 勢いに巻き込まれるまま、悠真は彼に連れられ、竜人の国へと旅立つことになる。 「コレクション」。その奇妙な言葉の裏にあったのは、セレスティンの不器用で、けれどまっすぐな想い。 触れるたび、悠真の中で何かが静かに、確かに変わり始めていく。 裏切られ、置き去りにされた少年が、異世界で見つける――本当の居場所と、愛のかたち。

【完結済】虚な森の主と、世界から逃げた僕〜転生したら甘すぎる独占欲に囚われました〜

キノア9g
BL
「貴族の僕が異世界で出会ったのは、愛が重すぎる“森の主”でした。」 平凡なサラリーマンだった蓮は、気づけばひ弱で美しい貴族の青年として異世界に転生していた。しかし、待ち受けていたのは窮屈な貴族社会と、政略結婚という重すぎる現実。 そんな日常から逃げ出すように迷い込んだ「禁忌の森」で、蓮が出会ったのは──全てが虚ろで無感情な“森の主”ゼルフィードだった。 彼の周囲は生命を吸い尽くし、あらゆるものを枯らすという。だけど、蓮だけはなぜかゼルフィードの影響を受けない、唯一の存在。 「お前だけが、俺の世界に色をくれた」 蓮の存在が、ゼルフィードにとってかけがえのない「特異点」だと気づいた瞬間、無感情だった主の瞳に、激しいまでの独占欲と溺愛が宿る。 甘く、そしてどこまでも深い溺愛に包まれる、異世界ファンタジー

四天王一の最弱ゴブリンですが、何故か勇者に求婚されています

書鈴 夏(ショベルカー)
BL
「アイツは四天王一の最弱」と呼ばれるポジションにいるゴブリンのオルディナ。 とうとう現れた勇者と対峙をしたが──なぜか求婚されていた。倒すための作戦かと思われたが、その愛おしげな瞳は嘘を言っているようには見えなくて── 「運命だ。結婚しよう」 「……敵だよ?」 「ああ。障壁は付き物だな」 勇者×ゴブリン 超短編BLです。

ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました

あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」 完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け 可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…? 攻め:ヴィクター・ローレンツ 受け:リアム・グレイソン 弟:リチャード・グレイソン  pixivにも投稿しています。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。

批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

処理中です...