完結 どうぞお好きなように

頼もしい迎え

バカな兄妹が王都でひと騒ぎ起こしてる最中、エメラインは婚家から出立する為に迎えの馬車に乗り込むところだった。当然だが離縁の旨を認めた置手紙を残している、彼らが目を通す頃には他人になっているだろう。
白い結婚の証明と夫の不貞、それからオルドリッチ家に対しての損害などを理由に”婚姻の不履行”を裁判所に申し立てていた。

「さようなら、二度と会うことはないと信じたいわ」
馬車の手摺に手を掛けて数秒ほど振り返ったエメラインは苦い思い出しかないその屋敷を眺めた。彼女の瞳に映る屋敷全体に陰りを見た気がした。

「手を貸そう」
「え？」
一向に乗り込もうとしない彼女を慮った声が乗り口から聞こえた。
「まあ、ウィスダム様……わざわざ足を運んでくださったのですか」
「ランドルと呼んで欲しいな愛しい婚約者殿」
「……気が早すぎますわ、離縁はそう遠くないとは思いますが」
逸ってばかりのランドルの顔を見て、エメラインは苦笑して答える。好いていると告白されたものの、彼女の心はまだ追い付いていない。

対面に座った馬車内には兄のアレンと侍女が同乗している。彼らが乗ったその後ろにはエメラインの私物を積んだ荷馬車が追走していた。
「この辺りの路面はボコボコだな、エイマーズ領の財政難は明らかだ。サスペンション付きでなければ我らの尻は悲鳴を上げただろう」
「まあ、お兄様ったらフフフッ」
久しく声を出して笑っていなかったエメラインは自身の変化にとても驚いた。彼女の心は想像以上に疲弊していたのである。

「ああ、やっと下らない日々と決別するのね。無駄な時間を過ごしてしまったわ」
おそらく白い結婚は承認される、彼女の戸籍に憂いを残すことはないだろう。虚しそうに溜息を吐いたエメラインの手がフワリと浮いて温かくなった。
驚いて目線を上げるとランドルの大きな手が彼女の華奢な手を優しく包んでいた、彼の無骨そうな印象を払拭させるような優しい面差しに彼女の心臓が跳ねた。

「こんなに冷たい手をして、余程のストレスに耐えてきたのだね。可哀そうに」
「ラ、ランドル様」
自然に二人だけの世界を作り上げたこの場に盛大な咳払いが轟いた。兄のアレンが「はしたないぞ」と声を荒げた。仮にもまだ人妻の立場である妹を窘め、ランドルに厳重注意をする。

「気が緩み過ぎだ馬鹿者、愚かな夫の真似事は許さないぞ」
「ごめんなさい兄様」
「す、すまない。全面的に俺が悪かった！エメラインを責めないでくれ」
神妙になり過ぎた互いの顔を見合わせて誰ともなしに吹き出し、やがて大笑いに変化していった。

＊＊＊


嫁いだエメライン嬢の妻としての当然の権利を剥奪し精神的苦痛を与え続けてきたことは許されない。
数々の不貞の証拠映像と音声、それからまとめ上げた分厚い書類は弁護士を介して裁判所にすべて送付されていた。それらを受け取った判事と事務官は悲鳴を上げた。

アレンとオルドリッチ氏は娘にしてやれることは全部成したと満足する、だが裁判所の篤実かつ正確な判決を期待していても結果を待機する身としては気が重いものだ。

申し立てが早めに成せた事はエイマーズ家に仕えていた侍従達が手の平を返して証言したことが大きい。給金が遅延しがちだったこともあり雇い主への不信が忠誠心を砕いたようだ。
待遇に不満を募らせていると察したオルドリッチ伯爵は、破産が確定しているエイマーズに代わって退職金の支給と紹介状の発行を約束した。

その恩義に報いる為と侍従全員がこれまでのエイマーズ家の腹黒い処遇を余すことなく暴露したのである。
「言い逃れはできまいよ、愚かだなエイマーズよ。貴殿らは貴族ではなくなるだろう」
オルドリッチ氏は何かの書類にサインをして、良い笑顔を浮かべた。



実家に戻れたエメラインは整えられた居室に感嘆し、侍女に礼を述べた。
「ありがとう！いつも通りの我が家に感激だわ」
「お帰りをお待ちしておりました。お嬢様の本当の幸せはこれからなのですわ」
見慣れた笑顔を見せる侍女に彼女も微笑み返して帰って来た実感を噛みしめる。やや乱暴にベッドへダイブした彼女は洗い立てのシーツの香りを吸いこんでまどろみ始めた。

「私の家……あぁどれほど帰りたいと思ったことか」
やがてスヤスヤと静かな寝息が寝室に流れる、侍女は足音を忍ばせてそっとドアの奥へ消え廊下に待機する。
「おやすみなさいませ、お嬢様。良い夢を」