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しおりを挟む「では参ろうか」
大荷物を抱えた青年は年老いた夫婦を伴って歩き始めた。引っ越し先は裏通りのアパルトメントでここから30分ほどだ。さして生活環境は変わりはしないと青年は力なく笑った。
「なにを呑気に笑っているのよ!私達は何もかも失ったのよ!」
「噛みつかないで母上、俺が何かしたわけでもないんだ、そうだろ?」
「うう……惨めだわ」
ウーゴ・アメルデの家族はスカリオーネ侯爵から損害賠償金を請求されて、家財のほとんどを売らなければならなかった。過去に送られた手紙が原因だ、悪用したことが露見したアメルデ家は子爵位を剥奪されてただのアメルデにされた。
「なに、贅沢しなければ路頭に迷いませんよ、これまでもそうしてきたんだ」
「でも、でも!月一回のお茶会が」
それを聞いた青年は盛大に溜息を漏らしてこう言った、「招待する家があるのですか?」と……。
「ない、ないわ……子爵夫人も男爵夫人も、もうまったくの他人だわ……」
今度は夫人が渇いた笑い声をあげた、茶会を開けたとしても呼び寄せる貴族家はどこにもないのだ。
「まぁ、あれです。金物屋だけ残った、不幸中の幸い、いや侯爵家の慈悲か。なんとか食べて行くだけはできますよ」
大店だった金物店は5店舗あったのち一店舗だけ残された。なんとか食べていけるとは言っても風前の灯だ、信用をなくした店舗がこれまで通りに取引して貰えるか怪しい。それでも青年は「なんとかなる」と己に言い聞かせる。
「あの子はウーゴは何をしているのかしら」
「止さないか、あのバカ息子のせいで我らはこうなったのだぞ」
「……はい」
涙に暮れる夫人はそれ以上は口にしなかった。長男である青年は実業家として頭角を現していた所だ。ところがウーゴがやらかしたことでその実績は霧散した。恨みつらみを言ったところで何も解決しない。
***
略式起訴されたウーゴは数週間ほど牢獄に閉じ込められた後に強制労働に駆り出された。
囚人としてお務めをしなければならない、鉛筆以上に重い物を持ったことがない彼には残酷な事と言えた。それでも彼は働かなければならない。
「おい、そこの!作業が遅いぞしっかりしやがれ!」
「は、はい」
開墾に駆り出されたウーゴは重い荷運びに従事していた。巨石を見つけるとそれを掘り起こして蟻のように運ぶのだ。だが、ウーゴにはそれが出来ない、見かねた監視員が違う労働を用意した。
「いいかお前、貧弱なものにでも出来る作業をさせてやる、有難く思えよ」
「はい……」
そこは異臭漂う鉱山だった、黄色い物質が湧き出ていてとても臭い。ここでの採取は硫黄である、重い石を運ぶよりは幾分マシだった。
「うぅ、臭い……だけど重さは運べるだけで赦して貰える」
ガスが噴き出る場所を避けて、彼はマスクをして作業をする。ノロノロでも叱咤はされなかった。それだけで十分だと彼は奮闘した。
ある時、硫化水素が出ているからと作業を中断された。彼は訳がわからない、なにがそんなに恐ろしいのか。そんな時、同じ囚人仲間が教えてくれた。
「馬鹿だなおまえ、あれを吸っちまったらお陀仏だぜ」
「おだぶつ……」
急に恐ろしくなった彼はガクガクと震えた、臭いだけかと思ったらそんな危険を孕んでいたのかと思い知る。
「通りで作業が遅くても、採取量が少なくても怒られないはずだ……」
危険と隣り合わせである作業としるや、元に戻して欲しいと懇願する。だが、そんな要求は通るわけもない。
「煩いヤツだな、諦めろ向こうの作業は間に合ってるんだ」
「そ、そんな……」
愕然とするウーゴは泣きながら従事するしかなかった。
その日も黄色い硫黄を掘り起こして「うぐっ」っと苦しい息をした。もうもうと煙るガスが噴き出してきた。目が霞み鼻が麻痺してきた。特に鼻は利かない一旦離れようとしたが、身体がいう事を聞かない。
「ああ、ボクはこんな所で死ぬのか……」
腐卵臭が漂う中で作業員の「逃げろ」という言葉が聞こえて来た。だが、どうにもならない。
後に、助けられたウーゴは失明して色を失くした。
なにも無い部屋で陰鬱に過ごす彼はいつしか心を病んで儚く散った。
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