青の王国

ウツ。

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第2章 メイドとして

お茶の淹れ方

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「ロゼ、本当に大丈夫なの?」

「大丈夫…です」

午後9時。仕事が終わった他のメイドたちが部屋へ戻っていく中、ロゼはメイド長アレッサとともに別室に残っていた。
ロゼの右手にはティーポット、左手にはティーカップが握られている。
「もう少しティーポットとティーカップの距離をあけられる?見た目の美しさもお茶をお出しするには欠かせないことよ」
「はい!」
そう、ロゼは今お茶の淹れ方をメイド長に教わっていた。
理由は少し遡る。

「明日の隣国ご来行のお茶出し係を決めたいのだけれど、誰か立候補する人はいないかしら」
仕事が終わり、メイドたちの終礼の時間にアレッサはそう尋ねた。明日は隣国の方々がこの国と話し合いに来られる日なのだそうだ。その際のお茶出し係を決めるという問いかけだった。しかし手を挙げるものは一人もいない。
「んー…毎回この係は立候補が出ないわね。緊張するのはわかるけれど、メイドとしての誇りを持てる仕事よ。誰かいないかしら。…いないならユリナ、またお願い出来るかしら?」
アレッサがそうメイドの一人に言った時だった。

「あの…私やりたいです」

ロゼは手を挙げていた。
「ロゼ、でもあなたお茶を入れた経験はないのよね?」
アレッサは驚いたようにロゼを見つめた。
「もしお時間がよろしければこの後教えていただきたいです。無理そうなら立候補はやめます」
ロゼの真剣な表情に、アレッサは頷いた。
「わかったわ。でも今日中にできるようにならなければユリナに代わってもらうわ。それでもいいわね?」
「はい」

そして今に至る。
最初はこぼさずにティーカップに注ぐことすらできなかったロゼだったが、今は低い位置からであれば綺麗に紅茶を注げるようになっていた。しかしその姿はまだこぼさないようにと気をつかっているのが丸わかりな素人同然のものだった。少し注ぐ位置を上げるだけでも注がれた紅茶は床に滴ってしまう。
「みんな簡単そうに淹れてるように見えていたけど、それがこんなにも高度なことだったなんて…」
ロゼは緊張と集中で流れた汗を拭った。
「無理はしなくていいのよ。そもそも立候補してくれただけで私は嬉しかったわ」
メイド長はそんなロゼを見ながら少し休むようにと促した。しかしロゼはそれを断った。
「立候補したからには責任がありますから。それにメイドたちの誇りを私一人の失敗で汚したくありません」
「でももう疲れているでしょう?手が震えているわ」
ロゼの右腕はティーポットの重さですでに疲労はピークに達していた。
「でも…っ」
「じゃあこうしましょう。明日の朝までにできるようになっていること。できなければユリナと交代よ。私はもうそろそろ部屋で仕事をしなくちゃだから一緒にはいられないけど、この部屋は好きなだけ使っていいから。休憩を挟みながら頑張ってちょうだい」
「わかりました!」
ロゼは猶予を伸ばしてくれたことに感謝し、笑顔で答えた。
「じゃあ私はお先に失礼するわね」
「ありがとうございました。おやすみなさい」
ロゼはメイド長の後ろ姿を見送ると再びティーセットと対峙した。
「背筋は伸ばして…ティーポットは思うよりも少し高めに…」
メイド長に教えてもらったことを復唱しながらロゼは紅茶を注ぎ続けた。



   ****************



「できた…!」
しばらくして、何十回となる練習の後、ロゼはなんとかこぼさずに紅茶を注ぐことができた。安堵感と今までの疲労でロゼは部屋の椅子に座った。
「はぁ…。でも本番はこれより緊張するんだよね…。一回の成功で満足しちゃいけない」
ロゼはそう呟いて再び立ち上がった。その時。

「ロゼ」

聞きなれた声が響いた。ロゼはハッと部屋の入り口を振り返る。
「アル!どうしてここに?!」
「ロゼに初仕事はどうだったか聞きに行こうと思ったら部屋にいなかったからさ、アレッサに聞いたらここだって。どうりでイザベラも知らないわけだよ。こんな部屋あったんだな」
「うん。ここはメイドたちがお茶を淹れる練習に使う部屋なんだって。紅茶がこぼれてもいいように床が防水になってるの…ってごめん!床今拭くね!」
ロゼはそう言った後に、自分が今までこぼし続けた紅茶が床に広がったままになっていることに気づいた。慌てて厨房から雑巾を持ってきて床を拭きあげる。
「これで大丈夫かな」
「じゃあ練習の成果を見せてよ」
「へ?」
ロゼはアルにそう言われ、気の抜けた声をあげた。
「で、でもまだ一回しか成功してなくて…」
「じゃあまずは姿勢から見てやるよ。練習の通りにやってみて」
アルは少し離れた位置からロゼを見つめた。ロゼは気を新たにすると、さっきやっていた通りに紅茶を注いだ。幸い、紅茶が床に滴ることはなかった。
「うん。何もおかしなところはないな。じゃあ…」
アルはそういうと、先ほどまでロゼが座っていた椅子に腰掛けた。
「紅茶を注ぐ立ち位置は聞いたか?」
「ううん」
アルは座ったまま自分の右後ろを指差した。
「座った人の肩より少し下がったところ。ここでお茶を淹れる」
「そ、それって…」
「ああ、下手すりゃお偉いさんの肩を濡らすことになる」
「ええええ!」
ロゼは予想だにしなかった壁に思わず悶絶した。淹れるのは紅茶。肩を濡らすどころか、大事な洋服に色をつけてしまうかもしれない。
「じゃあ、次の練習。俺にお茶を出してみて」
「わ、わかった」
「あ、ちなみにこの服ロゼの手には届かないくらいのお高い特注品だから、そこのとこよろしく」
ロゼはいますぐ逃げ出したい気持ちに駆られた。さっきの倍以上の冷や汗が背筋を伝う。でもここで引き下がるわけにはいかない。明日には同じことをしなければならないのだ。
「わかった」
ロゼはそっとアルに近づくと、指定された位置でティーポットを高く上げた。

ティーポットの中身は綺麗にティーカップに注がれていく。

「横から失礼いたします。アイスティーでございます」
ロゼはそう言って、綺麗に注がれたアイスティーをアルの前に差し出した。
「できたじゃん!」
「よ、よかった~。アルの服汚しちゃったら倍以上働いて弁償しなきゃって思った…」
「あー、これそんなにお高い服じゃないよ。普通に寝巻きだし…」
「え?」
アルは固まったロゼを見て爆笑した。
「アルー!」
「ごめんって!でもその方が緊張感出ると思って!」
顔を真っ赤にして怒ったロゼだったが、自分のためにアルはそうしてくれたのだと思うと、どことなく笑えてきた。
「ありがとうアル」
「いいって。ほら、今日はもう休めよ。部屋まで送ってくから」
「うん」
ロゼは使ったティーセットを洗うと、アルと一緒に部屋を後にした。
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