8 / 60
第一章
7.幸せな瞬間
しおりを挟む「それともわざと焦らしてんの?」
「へっ?」
「参ったな。お前の駆け引きには勝てないかもしれない」
「~~~っ」
彼の腕の中は1分先の事も考えられないほど頭がいっぱいいっぱいになる。
まだ心に温度差があるのか意地悪を言えるほど余裕さえ。
マイクを握ったり、サインしたり、ファンとの交流で握手をする手は、いま私の身体を包み込み。
美しい歌声で人々を魅了している口は、いま至近距離で私の名前を呼んでいる。
歌とダンスで日本中を湧かせているKGKのセイくんの胸の中に顔を埋める私は、2週間前から彼の特別な人になった。
もしかしたらセイくんは慣れてるかもしれないけど、私は緊張を通り越して今にも心臓が破裂寸前に。
でも……。
彼の胸に耳を当てていると、ドキドキしているのは自分だけじゃないと知った。
セイくんは人一倍有名人になったけど、本当はごくごく普通の高校2年生。
恋愛をよく知らないから他人と比較しようがないけど、きっと他の男子もこんな感じなのかな。
それにしても⋯⋯、近い
今朝まで巨大ポスターで見ていた人物の顔が、いま自分の目の前に。
ドクン ドクン……
脳みそにも心臓があるんじゃないかと思うくらい、全身に強い鼓動を感じている。
正直緊張してるのがバレたくない。
しかも、手をどこに置いたらいいかわからないし、目線はどこに向ければいいのかさえ。
カーテンから間接的に降り注ぐ日差し。
体温が伝わる温かい胸。
ふわりと鼻をくすぐる香り。
思わず鼻をクンクン揺れ動かす。
最高に幸せ。
意識しなくても顔が綻んじゃう。
ずっと、このままでいたいな……。
「なかなか会えなくてごめん。LINEの返信もしなくてごめん。謝る事は山ほどあるのに与えるものは少ないかも」
「ううん。セイくんが隣にいてくれるだけで幸せだよ」
……そう、幸せ。
毎日忙しいのに、こうやって気にかけてくれているだけでも充分嬉しい。
「ねぇ、紗南」
「……うん?」
「俺さ、テレビ越しからお前に秘密のメッセージを送る事にしたよ」
「えっ、秘密のメッセージ?」
「⋯⋯⋯そ。会えない時や連絡がつかない時でも、いつもお前の事を考えている証拠にしたいなと思って」
紗南は急な提案に目をパチクリする。
セイは紗南の目の前で指先で半円を作って上下にずらしエスマークを象った。
「ローマ字表記のセイ(SEI)のSと、紗南(SANA)のS。きっと、このマークなら誰にも2人の共通のサインだってバレないだろ?」
「セイくんはニックネームだけど、2人ともローマ字の頭文字がSなんだね」
「遠くにいてもメッセージを届ける事が出来たら、離れててもきっと繋がり合える。だから、このSマークは2人の間だけの特別なサインにしよう」
セイはそう言うと、アイドルらしき笑顔でニカッと笑った。
紗南は口を固く結ぶと小さくコクンと頷く。
すると、セイは眠たそうに大きなあくびを1つ。
「ふぁ~~ぁ。紗南はあったかくて抱き心地いい」
睡眠不足と蓄積している疲労により急激に眠気に襲われたセイは瞼をゆっくり閉じた。
「ねぇ。子守唄に《For you》歌って」
「セイくんっ! のんびり子守唄なんて歌ってたら、杉田先生が保健室に戻ってきちゃうよ」
「2分だけでいいから」
「ダメ!」
「……じゃあ、1分」
「えっ……えぇっ……。もう、しょうがないなぁ。じゃあ1分だけ。コホン……」
渋々意見を飲み、咳払いを1つ。
正直、時間がなくて気乗りしなかったけど、お願いされてしまうと聞き入れてしまう自分がいる。
「サンキュ」
「絡み合った指先と~♪ 二人見つめ合った笑顔と~♪」
耳障りの良い歌声に包まれたセイはゆっくり目を瞑る。
そして、紗南はセイの腕枕で小さく歌う。
この曲は2人が通っていた声楽教室の講師が作詞作曲したもので、世に出回らないマイナーな曲。
それに、2人の特別な思い出の曲でもある。
約6年ぶりに再会した2人を再び繋ぎ合わせたのも、この《For you》だ。
こうして私達は、友達の話や、家族の話や、身の回りの話など後回しにしたくなるくらい、短い時間の中で恋を楽しんでいた。
お互いの情報は、生年月日と血液型と携帯番号程度しか知らない。
でも、これからゆっくり時間をかけて知っていけばいい。
つい先日、ツーショット写真は撮らないと約束した。
理由はどちらかがスマホを紛失したり、なりすましで個人情報が抜かれしまったら、2人の画像がスキャンダル画像として拡散されてしまう恐れがあるから。
だから、幸せなひと時は瞼の奥にしっかり焼き付けておく。
0
あなたにおすすめの小説
黒に染まった華を摘む
馬場 蓮実
青春
夏の終わりに転校してきたのは、忘れられない初恋の相手だった——。
高須明希は、人生で“二番目”に好きになった相手——河西栞に密かに想いを寄せている。
「夏休み明けの初日。この席替えで、彼女との距離を縮めたい。話すきっかけがほしい——」
そんな願いを胸に登校したその朝、クラスに一人の転校生がやってくる。
彼女の名は、立石麻美。
昔の面影を残しながらも、まるで別人のような気配をまとう彼女は——明希にとって、忘れられない“初恋の人”だった。
この再会が、静かだった日常に波紋を広げていく。
その日の放課後。
明希は、"性の衝動"に溺れる自身の姿を、麻美に見られてしまう——。
塞がっていた何かが、ゆっくりと崩れはじめる。
そして鬱屈した青春は、想像もしていなかった熱と痛みを帯びて動き出す。
すべてに触れたとき、
明希は何を守り、何を選ぶのか。
光と影が交錯する、“遅れてきた”ひと夏の物語。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
子持ち愛妻家の極悪上司にアタックしてもいいですか?天国の奥様には申し訳ないですが
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
胸がきゅんと、甘い音を立てる。
相手は、妻子持ちだというのに。
入社して配属一日目。
直属の上司で教育係だって紹介された人は、酷く人相の悪い人でした。
中高大と女子校育ちで男性慣れしてない私にとって、それだけでも恐怖なのに。
彼はちかよんなオーラバリバリで、仕事の質問すらする隙がない。
それでもどうにか仕事をこなしていたがとうとう、大きなミスを犯してしまう。
「俺が、悪いのか」
人のせいにするのかと叱責されるのかと思った。
けれど。
「俺の顔と、理由があって避け気味なせいだよな、すまん」
あやまってくれた彼に、胸がきゅんと甘い音を立てる。
相手は、妻子持ちなのに。
星谷桐子
22歳
システム開発会社営業事務
中高大女子校育ちで、ちょっぴり男性が苦手
自分の非はちゃんと認める子
頑張り屋さん
×
京塚大介
32歳
システム開発会社営業事務 主任
ツンツンあたまで目つき悪い
態度もでかくて人に恐怖を与えがち
5歳の娘にデレデレな愛妻家
いまでも亡くなった妻を愛している
私は京塚主任を、好きになってもいいのかな……?
12年目の恋物語
真矢すみれ
恋愛
生まれつき心臓の悪い少女陽菜(はるな)と、12年間同じクラス、隣の家に住む幼なじみの男の子叶太(かなた)は学校公認カップルと呼ばれるほどに仲が良く、同じ時間を過ごしていた。
だけど、陽菜はある日、叶太が自分の身体に責任を感じて、ずっと一緒にいてくれるのだと知り、叶太から離れることを決意をする。
すれ違う想い。陽菜を好きな先輩の出現。二人を見守り、何とか想いが通じるようにと奔走する友人たち。
2人が結ばれるまでの物語。
第一部「12年目の恋物語」完結
第二部「13年目のやさしい願い」完結
第三部「14年目の永遠の誓い」←順次公開中
※ベリーズカフェと小説家になろうにも公開しています。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
【完結】イケメンが邪魔して本命に告白できません
竹柏凪紗
青春
高校の入学式、芸能コースに通うアイドルでイケメンの如月風磨が普通科で目立たない最上碧衣の教室にやってきた。女子たちがキャーキャー騒ぐなか、風磨は碧衣の肩を抱き寄せ「お前、今日から俺の女な」と宣言する。その真意とウソつきたちによって複雑になっていく2人の結末とは──
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる