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第三章
13.留学の話
しおりを挟むーー場所は、テレビ局から車で10分くらいの距離にあるビルの一室にある小料理屋。
冴木は20時半に仕事を終えたばかりのKGKの2人を連れて来店した。
襖で間仕切りされた掘りごたつの和室に通されると、KGKの2人はいつものように横並びで座って冴木は向かい側に腰を置く。
2月下旬と言えども、まだ真冬のように冷え込んでいる。
歌手の生命線である喉を乾燥で痛めないようにマスクは欠かせない。
冴木は2人の身体が温まるように鍋料理を注文する。
料理が届くまで本日の反省会。
それから5分も待たないうちに注文した鍋料理が到着した。
ぐらぐら煮えたぎる鍋に湯気が上がる。
冴木は具材に火が通ったタイミングを見計らって2人の小皿に具を取り分ける。
小皿が置かれると、2人は料理に手をつけ始めた。
食事を楽しむ姿を見守っている冴木は、腹が満たされてきた頃合いをみて話を始めた。
「半年くらい前に一度話した語学&ダンスレッスンでアメリカに留学する件だけど、ようやく話がまとまったの」
冴木の口から突然【留学】という2文字が持ち上がると、食事を進ませていた箸がピタリと止まる。
「それって、もしかして俺らが希望していたあのマイケル・リー先生のダンスレッスンの予約が取れたとか?」
「そうなの! 昨夜、ようやく先方から連絡があってね。返答に半年待った甲斐があったわ。貴方達はもうすぐアメリカに行けるのよ」
先方からの連絡を待ち望んでいた2人が喜ぶ顔を思い描いていた冴木は嬉しそうに目を輝かせた。
黒人6人組で結成されていた《TOPS》というR&B歌手の一員だったマイケル・リー。
グループは既に解散しているが、マイケルはダンスを担当していた。
現役時代は全米チャートで1位を獲得するなど多大なる功績を残し、美しく奏でる歌と共にダンス面でも全世界の人々を魅了していた。
世間に激震を与えた3年前の引退後、マイケルは一線を退いてダンス講師に転向して活躍の場を変えた。
そこからスピード出世して、今やダンス業界で五本の指に入るほどトップクラスの有名講師に。
レッスンの予約が最も取りづらいと人物とも噂されている。
彼が現役ダンサーとして活躍していた頃から、2人の憧れの人物だった。
だから、マイケルのダンスレッスンの話が浮上していた当初からレッスンを熱望していた。
こうして、半年前までは不鮮明だった留学の話は、時の流れを遡るかのように実現へと向かい始めた。
「よっしゃーー!! ⋯⋯なぁ、セイ! 当然アメリカに行くよな! あの憧れのマイケルの元で個人レッスンを受けれるなんて夢みたいだな。今後、これ以上のチャンスはないよな。やっぱり神様は俺らの事を見放してなかったよな」
「あ、あぁ……」
隣からハイテンションでガバッと肩組みしてきたジュン。
仕事疲れを一瞬で吹っ飛ばすほど興奮している。
ーー半年前。
それは、紗南と再会する前の事だった。
5大ドームツアーの成功を収め、大舞台に立つエンターテイナーの一員として更なる活躍に向け、今後のあり方について冴木さんと3人で話し合った。
その際、今の自分達は何が不足しているかという話になって、俺とジュンは声を揃えてダンスと答えた。
アイドルが歌声一本だけで勝負するなど厳しい現実。
いま活躍していても、ヒット曲に恵まれなければ毎月のようにわんさか生まれている新人歌手に席が奪われ、世間の記憶が上書きされていき、最悪忘れ去られてしまうというパターンが待ち構えている。
歌は実力勝負の競争社会。
その上、芸能界というところはピラミッド形式の厳しい縦社会だ。
3年後に生き残っている歌手はほんのひと握りという事。
歌手である限り、誰もが時の人にはなりたくない。
ただ、そういった切実な想いが表沙汰になる事はない。
自分達は世間の波に流されないように。
パフォーマンス面も磨きをかける為に、日本人講師の元で厳しいダンスレッスンを受けているし、今後は更なる高みを目指している。
だから、答えは一つしかない。
「……いつ日本を発つの?」
セイは冴木に尋ねると……。
「1ヶ月後よ。期間は2年間」
「そんなに早くアメリカへ?」
「えぇ、先方の都合なの。貴方達の今後のスケジュールに関しては代打を探して整理していくつもり。それと、留学前にはベストアルバムを出す予定よ。再録しないから安心して」
「やったな! セイ。念願だった夢がすぐそこにある。お前、アメリカにめっちゃ行きたがってたもんな」
「……あぁ」
「ちなみに今回のチャンスを逃したら次はないと思ってね。それにマイケル・リー先生は人一倍気難しい方との噂よ。今回の予約を取りつけるのにかなりの労力を費やしたわ。事務所も総上げで貴方達のサポートをしていくわね。上手くいくよう期待してる」
ニコリと微笑んだ冴木さんは、俺達からすると頼りになる姉のような存在だ。
デビュー前からずっとお世話になっている。
だからこそ、今回の件も含めて俺達の活躍を心から期待している。
留学期間は2年間。
実力が不十分な今の自分達は、まるで壁紙すら貼られていない外観を重視しただけの戸建てのよう。
ひと気や生活感がない、ただの建造物。
温もりのある立派な家屋として完成させるには、一流の先生から教わるダンスは欠かせないものとなるだろう。
セイは念願の夢が間近に迫ると、気持ちが揺さぶられた。
ーーでも、留学と引き換えになるものもある。
それは紗南と一緒に過ごす時間。
留学を考えた頃にはなかった大切なものが、留学が決定した今は持っている。
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