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第七章

161.揺れる想い

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  それから二人は池の脇にあるベンチに移動して腰をかける。
  おじいさんは身体が大きくなった翔の立派な成長っぷりに感銘を受けた。



「ここに来たという事は何か悩み事でも?」

「ははっ……。おじいさんにはお見通しなんですね」


「あぁ、君の悩みは愛里紗ちゃんじゃろ?」

「……っ!  どうして分かったんですか?」


「君の事なら何でもわかる。何も話さなくても、その瞳が全てを物語っているからね」



  遠くを見つめているおじいさんから目線を外した翔は、膝に肘杖をついて手を組んだ。
  おじいさんとは、両親が不仲になる直前から知り合いだった。
  昔から誰よりも気持ちを理解してくれている人。

  おじいさんはぼんやりと景色を眺めている翔に話を始めた。



「君が姿を消してから愛里紗ちゃんは1日も休まずにここへ来ておった」

「……あいつが?」


「雨の日も風の日も雪の日も……。いつも泣き腫らした目で君との再会を願ってた。会えないとわかっていながら、毎日毎日……。本殿の軒下で目を擦りながら震わせていた背中が印象的だった。どうやら別れに踏ん切りがつかなかったようじゃ」



  翔は当時の愛里紗を思い描きながら、次々と明かされていく真相に耳を傾けた。



  賽銭箱に小銭を入れて両手を揃えながら、神様に翔が戻って来るようにお願いしていた事。
  翔がいつ戻ってきてもすぐに会えるように、日没の時間まで神社で待っていた事。
  思い出がたっぷり詰まった池を愛おしそうに見つめていた事。

  そして、引越しの日を境に愛里紗の笑顔が消えた事。



「1年……、いや2年以上は続いていた。彼女は中学校の制服のまま決まったようにここへ来ていた。『谷崎くんは街に戻って来ないからもう諦めなさい』と横から声をかけても、『谷崎くんは必ずここに戻って来るから諦めないよ』と、君を健気に待ち続けていた。愛里紗ちゃんは芯の強い子じゃのぅ」



  翔は話を聞き終えると胸いっぱいになった。



  あいつも同じ気持ちだった。
  空虚感や喪失感は自分だけじゃない。
  空白の時間は、互いを思う気持ちで埋め尽くされていた。

  だから俺は、彼女との未来に期待を寄せた。



「おじいさん、俺……」

「自分を信じなさい。後悔しないようにじっくり考えるのじゃ。愛里紗ちゃんは君の心を救ってくれた恩人なんじゃろ?」



  おじいさんはそう言うと、ゆっくり立ち上がって本殿へ向かって行った。
  俺はゆっくり雲が進む空を見上げて、今と昔の愛里紗との事をボンヤリ思い浮かべる。



  今日はここに来て正解だった。
  おじいさんが空白を埋めてくれたお陰で、透明だった時間は少しずつ色で塗り重ねられていく。


  でも、当時の気持ちを知る事が出来たけど、あれから5年近く経った今はどうだろう……。
  一人寂しく待ち続けていてくれたとはいえ、一緒に過ごした時間よりも過ぎ行く時間の方が明らかに上回っていたから。



  話の後から著しく際立ってきたのは、愛里紗が手紙を握りしめて神社を訪れた事。
  俺が神社に行く事さえ知らなかったのに。


  もし、少しでも幸せじゃないのなら。
  少しでも俺に気持ちが残っているのなら。
  少しでも俺に可能性が残されているのなら。

  一刻でも早く恋人から愛里紗を返してもらわないと。


  諦めたくない。
  離れていた時間の隙間を、二人で力を合わせながら一つ一つ埋めていきたい。


  でも、逆に幸せだったら。
  今の生活を守りたかったら。
  俺が間に入る事によって迷惑をかけてしまったら。

  そう考えた瞬間……。
  一歩前に踏み出そうとしていた足が引き止められた。



  以前、愛里紗に彼氏がいると言っていた咲ちゃん。
  後悔しないようにと背中を押してくれた父親。
  俺が街を離れた後の事を教えてくれたおじいさん。
  そして、先日背中に手を回してきた愛里紗。

  みんなの言動を思い返してるうちに、気持ちが振り子のように揺れ動いていた。
  
  

  愛里紗と再会する前までは、再会したらまた過去と同じような関係に戻れるんじゃないかと信じて止まなかった。
  でも、お互い離れてる間に色んな事が少しずつズレていた。


  度重なる恋の障害。
  そして、諦めきれない気持ちと今更感。
  俺はこれから手探りしながら正解を導き出していかなければならない。

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