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第八章
179.幸せ
しおりを挟む「実は夏休みに野口と偶然街で会ったんだ。愛里紗と同じ高校に通ってるんだってね」
「うん。今は違うクラスだからなかなか話すチャンスがないけどね」
「もしかして、俺に会った事を聞いてたの?」
「ううん、ノグからは何も。それよりビックリしたよ。翔くんが咲の彼氏だったなんて……」
「……」
理玖から貰ったネックレスが心を引き止めてるかのように少し苦しく感じたから、咲の名前を出した。
本当はこんな卑怯なやり方はしたくない。
でも、予防線を張っておかないと、数分後の自分に自信がなくなるから。
カップから湯気が消えた今。
カフェラテの減り具合が悪い上に、居どころも悪い。
でも、悪いのはそれだけじゃない。
頭の回転が悪い。
歯切れが悪い。
わざと咲の名前を挙げる自分も悪い。
しかも、翔くんはいつも突然現われるから、心の準備をさせてくれない。
一方の翔は、愛里紗と向き合うタイミングを見計らっていた。
今日という日を迎えるまで毎日のように話を切り出すイメージを膨らませていたが、いざ目の当たりにすると言葉が出てこない。
ただ、もどかしい時間が過ぎて行く。
翔がしきりに気にしているのは、二者択一の答え。
不安が付きまとう原因は、前回この街に来た時に愛里紗が理玖と幸せそうに微笑んでいたから。
しかし、イタリアンレストランや、神社や、前回この街に来た時や、いま偶然会えた事に運命を感じると、予想外の回答が無きにしも非ずと思うように。
「愛里紗、……いま幸せ?」
翔は頬杖をつきながらそう言って切実な目を向けた。
愛里紗は唐突な質問に戸惑いを見せたが、コクンと頭を頷かせる。
「うん……。幸せだよ」
ゆっくりとした口調でそう言うと、気持ちを落ち着かせるようにカフェラテを口にした。
翔くんは、いまどんな意味で聞いてきたんだろう。
もし幸せじゃないと答えたら、一体どんな返事を……。
一つのテーブルを囲んでいるお互いはそれぞれの想いが交錯していている。
翔は現実を受け止めるのが難しいが、視線を軽く落としたまま予め用意していた答えを届けた。
「……そっか、急に会いに来て悪かったな」
「そんな事ない。久しぶりに会えて嬉しかったよ。こんな遠くまで会いに来てくれてありがとう」
「いや……。愛里紗の口から幸せかどうか聞きたかったから」
翔はそう言って窓の外を向いて深いため息を漏らす。
一方の愛里紗はキュッと口を固結びする。
きっと、これが正解。
私には理玖も咲もいる。
二人とも宝物のように大切で、私には無くてはならない存在。
でも、いまはっきり『幸せ』と伝えたから、翔くんとの縁はこれで終わりなのかな。
私達が会うのは今日で最後だよね。
これからは翔くんと再会する前のような日々を過ごすのかな。
もう、二度と会えないのかな……。
そう思った途端、目の前にシャッターが下りたような気分に。
ひょっとしたら、過去のトラウマが現在の自分を引き止めているのかもしれない。
翔くんが街から姿を消したあの日が人生で最も辛い出来事だったから。
でも、神社で再会した時と一つ違うのは、ここに冷静な自分がいること。
先日、『俺の傍から絶対離れるな』と言って涙を光らせていた理玖が、きっと私の心を引き止めているのだろう。
しかし、翔くんが駅で私を待っていたと気付いた時、いっときの迷いもなく背中についてきてしまった。
理玖は私を信じきっているのに。
私だってこれ以上悲しい想いをさせたくないから、この前しっかり心に誓ったのに……。
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