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第九章
203.自分の中の常識
しおりを挟むーーホワイトデーを間近に控えた、3月上旬のある日。
夏期講習から通い続けていた塾を辞めた。
『3月分まで塾代を納入したから、せめて月末まで通いなさい』と、口論になった母親の反対を押し切るほど決意は揺らぎなかった。
塾の勉強がどうとか言うわけじゃない。
辞めた理由は気持ちの問題だった。
理玖と付き合い始めてからキスをするのが日課になっていた。
だから、最低でも週3日。
塾に行く日は理玖とキスをする日。
恋人にとってキスはごく当たり前の事。
でも、翔くんと再会した日を境に自分の中の常識が覆されてしまった。
バレンタインの前日にキスを一度拒んだ後から三回に一回ははぐらかすようになっていた。
以前まで熱く感じていたキスが、まるで鏡の向こうの自分にキスをしているかのような感覚に。
温もりが伝わって来ないわけじゃない。
冷たく感じたのは気持ちの問題だったのかもしれない。
前向きに考えるようにしていても、既に軌道修正が利かなくなっている。
理玖を嫌いになった訳じゃない。
会えば楽しいし、優しいし、大切にしてくれる。
だけど、翔くんと再会する前みたいに、理玖だけを考える余裕がなくなってしまった。
きっと、理玖自身も心の変化に気付いてるはず。
ただ言わないだけ……。
こんな酷い状況が続いているけど、勿論傷付ける気はない。
いまこの瞬間ですら、賑やかに笑いあっていたあの頃に戻れるなら戻りたいと思っている。
『私はずっと傍にいるよ』
涙を光らせながら悲しみに明け暮れる理玖に格好つけてそう言った。
……だけど、嘘つき。
あの時の約束が、ただの口約束になっている。
『あんたがいま付き合ってるのは理玖なんだよ。心を決めて付き合ったんでしょ。だから、これから先もあんたの傍にいるのは翔じゃないよ』
最近相談をしたばかりのノグから言われた言葉。
わかってる。
理玖と付き合い続けた方がいいに決まってる。
大切にしてくれているし、
いつも笑わせてくれて楽しいし、
人が羨むほどイケメンだし、
えくぼがかわいいし、
愛し続けていてくれるし、
友達も応援してくれるし、
お互いの両親にも公認だし。
二人の障害は何一つないんだから……。
だけどね。
上手くやっていこうと自分に言い聞かせても、心がいう事を聞いてくれないんだよ。
中途半端で宙ぶらりんで不都合な気持ちは、残念ながら人を傷つける準備を始めてる。
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