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大人の事情
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その夜だった。
深夜零時を過ぎてから家に帰ると古い門の前に蓮が座り込んでいた。
付き合いも兼ねて結構飲んだが酔える環境では無かったのだが何せ疲れていた。
本物かと疑った目をゴシゴシと擦っていると「寒いから早く部屋に入れろ」と文句を言われた。
「いいけど……」
かなり古いが2LDKのアパートは広いのだ。
機材に占領された一部屋を除いても1人や2人が寝るスペースは存分にある。
泊まった事は無いが蓮にとっては何度も訪れた勝手知ったる部屋だった。
ぶっきらぼうに靴を脱ぎ、ソファに置いてあったエレキギターを退けてゴロンと横になった。
「お前衣装のままだろそれ、どうせ買取だからいいって言われたけど一応借り物なんだからな」
「着替なんかある訳ない、駄目なら脱げばいいんだろ」
「何だよ、お前帰ってないのか?着替えは貸すけど俺のだから蓮にはデカいぞ」
Tシャツひとつ取っても2Lサイズしかないのだが取り敢えずは眠るだけだ、楽で煙草臭くなければ何でもいい筈だ、
押し入れをリフォームしたクローゼットを開けて、適当に混ぜ返すと下着にするつもりで買った新品の白Tを見つけた。
長袖なのか半袖なのか
広げて見ようとしていると背中から聞こえた囁くような声にハッとして顔を上げた。
「何と言った?」
「聞こえたくせに」
お互いに音と耳を使う仕事をしているのだ。
吐息と変わらぬ声でも聞こえたが蓮の口から出るような台詞では無かった。
蓮は「脱ぐなら寝る?」と呟いた。
睡眠を取るという意味では無い事は明白だ。
煽るように体を投げ出し、挑戦的な目が見上げて来る。
「お前な……」
蓮と「そういう行為」に及んだ事は数度ある。
ライブでは毎回なのだが、時折練習の途中でも自分の世界に深く嵌まり込んでしまう。
体を覆う熱に焼け爛れ、一種のヒステリー状態に陥りパニックを起こすのだが、驚くべき事に当時の蓮には自慰という概念が無かった。
最初は興奮した体から熱を逃す手助けをするつもりだった……などといえば自身を正当化する弁解のようになってしまうが、高校生相手に最後まで事を進めたのは背徳と呼べる行為だったと言える。
しかし、蓮には必要だったと思っている。
性的嗜好に偏りは無い。
性欲のなせる技でも無い。
ましてや恋愛なのかと聞かれたらそれも少し違うが、声も、歌のセンスも、誰かが見つけなければ世に出る事も無く潰えていただろう才能も、それこそまだ毛も生えぬ中学生の頃から蓮の全てを請け負っているのだ。
大切に守って来た宝物を穢された気分になって何が悪いのか。
「誰にそんな顔を教えて貰ったのかは聞くまでも無いがな、お前は今ろくな顔をしてないぞ」
「今更常識を振り回す訳?利用するんならとことんすれば?」
笑ってないのに皮肉に片口を上げ、蔑むようにフンッと鼻を鳴らす仕草は引っ込み思案でひたすら大人しい蓮とは思えなかった。
誰しもが色々な経験を積み上げ大人になるものだ。新たな出会いや「経験」がCM撮影時の安定に繋がっているのだとしても、真っ白と言えるくらいピュアだこらこそ囚われて目の離せない魅力を産んでいる蓮に取って良い事だとは言い難い。
「………そんな顔をするなら…もう……全部やめるか?俺はそれでもいいぞ?」
「やめないよ、これは俺が貰った遺産なんだ、使えるうちは使って………駄目になったら捨てればいい」
「駄目にはしないさ、その為に俺がいるんだ、あいつも……」
バンッと腕に当たったヘタリ切ったクッションに続きを阻まれた。
「お前な…」
「その名前は言わなくてもいい、背に腹はかえられない大人の事情はわかってるよ、で?するの?しないの?」
「いや……」
「しないなら風呂に入ってもいい?」
「あ?…ああ……そうしろ」
ふいっと目を逸らして風呂場の方に歩いていく背中にタオルと着替えを投げた。しかし、全部を無視して風呂場の方へ行ってしまう。
「クソガキめ……」
やりたいかやりたく無いかって言われたら妙な色気を放つ蓮を抱いてみたいとは思う。
別に我が物顔だったあの綺麗な男に義理立てする気も全く無い。
しかし、一足飛びにアマチュアではなくなった今、迂闊な事は出来ないだろう。
蓮を守るという意味でも小さな疑惑すら許されないのだ。
全てを飲み込み、ライブの後は楽屋に帰って来ないよう気を回して見て見ないフリをしていた日暮も契約時に釘を刺して来た。
まだ20歳の蓮には性の匂いはいらない。
ビジネスの匂いもいらない。
RENは歌と声だけを武器にして、手作り感溢れるステージをきっかけにお金に纏わる柵で雁字搦めの世間に土足で乗り込むレジスタンスのようなイメージがコンセプトだ。
だからプロダクションの後ろ盾は見えない方が良かった。蓮に栗栖の介入を隠したのは、正に「大人の事情」があったからだ。
「厄介だな……」
暫くは付き添えないと栗栖から連絡があった。
何があったのか詳しく話したりはしなかったが、どうやら意図せぬ形で「大人の事情」を知られたのだろう。
「あいつと切れたのならそれはそれで良かったけどな……」
スーツを着た栗栖が訪ねて来たのは、蓮が初めてスタジオに連れて来た日から数えて1週間程後だった。音楽を専門とするプロダクションであるギガックスの代表だと聞いて驚いたものだ。
話の内容は学祭ライブを機に蓮の支援をしたいという申し出だったが、てっきりどこかで蓮の才能に目を付けて囲い込む気なのだと思った。
契約と言わなかったのはまだ蓮のポテンシャルを測りかねているのだと推測出来たが、プロダクション側にどんな思惑があったとしても自主レーベルでどうにでもなる今、選択権はこちら側にあった。
しかし、本業は元より、色々と手のかかる蓮のフォローは勿論、編曲、歌詞の手配、スタジオと足りない楽器の確保で手一杯になっていたのは確かだ。
暫し、思案を繰り返したが、「蓮は俺のものだ」と豪語するだけの事はあってか、ギガックス側はRENの事情や特性をよくわかっていた。
蓮の大学卒業がタイムリミットだとするならば、急増しているコンタクトの窓口をプロダクションに任せる事にしたのはただ単に効率の話だ。
全ての先行きを託すつもりは無かった。
それが失敗だとは思ってないが蓮にすれば裏切りのように見えたかもしれない。
風呂から出てきた蓮は、目を合わせる事もなく、腹は減っていないかと聞いても返事する事もなく、床に落ちていたTシャツを着てからコロンとソファに横になり、そのまま眠ってしまった。
その後も蓮の冷め切った態度は変わらなかったが、その裏腹に、RENとしては初のアルバム制作は何年も何年もジタバタしたのが嘘のように順調だった。
収録曲の半分はライブ形式で一発撮りをした録音を手直しした物だ。
新しい曲に付いては本物の蓮を知っている身としては些か残念に思う所はあるのだが、売り物としては文句など無い仕上がりなっていった。
ジャケ写は蓮の顔のアップをデザイナーに任せてアーティスティックに加工した物だ。
タイトルは蓮が投げやりに口にした「遺産」にした。
発売は歳が明けた1月だ。
その前に、まずはCM契約の発表に合わせてシングルを出す予定になっている。
恐らく、これが本当の試金石になるだろう。
しかし、ほんの少しの心配や不安は無いのだ。
6秒と15秒と30秒に編集されたCMの映像を見た時は蓮がとんでもない預かり物だったのだと改めて思い知らされた。
画面は赤だった。
紅蓮と言っていい深い赤。
バックライトが奥行きを生み、空気そのものが赤く染まっているように見える。
遠くから聞こえる音楽から始まり、スーパースローに切り替わる一瞬の静寂の中、ゆっくりと振り返った蓮の濡れた髪から円の形になって飛び散る水滴が生き物のように踊る。
突然時間を戻した瞬間に飛び込んでくる歌のサビは誰の耳にも印象的だろう。
ナレーションや商品のインサートはまだ入って無かったが、勢いのある新興ブランドであるエデンは瞬時に頭角を現した蓮のイメージと被って相乗効果を生み出していた。
CMの解禁はクリスマス商戦の始まる12月だ。
真夏と変わらぬ初秋に行われたあのライブから半年も経ってない。
何もかもが急ピッチで進んだが、この先は裏方を歩んできた黒江にはどうなるかはわからない。
尻に火が付いたようなヒリヒリとする切迫感を鎮める為にと煙草を手に取った。
深夜零時を過ぎてから家に帰ると古い門の前に蓮が座り込んでいた。
付き合いも兼ねて結構飲んだが酔える環境では無かったのだが何せ疲れていた。
本物かと疑った目をゴシゴシと擦っていると「寒いから早く部屋に入れろ」と文句を言われた。
「いいけど……」
かなり古いが2LDKのアパートは広いのだ。
機材に占領された一部屋を除いても1人や2人が寝るスペースは存分にある。
泊まった事は無いが蓮にとっては何度も訪れた勝手知ったる部屋だった。
ぶっきらぼうに靴を脱ぎ、ソファに置いてあったエレキギターを退けてゴロンと横になった。
「お前衣装のままだろそれ、どうせ買取だからいいって言われたけど一応借り物なんだからな」
「着替なんかある訳ない、駄目なら脱げばいいんだろ」
「何だよ、お前帰ってないのか?着替えは貸すけど俺のだから蓮にはデカいぞ」
Tシャツひとつ取っても2Lサイズしかないのだが取り敢えずは眠るだけだ、楽で煙草臭くなければ何でもいい筈だ、
押し入れをリフォームしたクローゼットを開けて、適当に混ぜ返すと下着にするつもりで買った新品の白Tを見つけた。
長袖なのか半袖なのか
広げて見ようとしていると背中から聞こえた囁くような声にハッとして顔を上げた。
「何と言った?」
「聞こえたくせに」
お互いに音と耳を使う仕事をしているのだ。
吐息と変わらぬ声でも聞こえたが蓮の口から出るような台詞では無かった。
蓮は「脱ぐなら寝る?」と呟いた。
睡眠を取るという意味では無い事は明白だ。
煽るように体を投げ出し、挑戦的な目が見上げて来る。
「お前な……」
蓮と「そういう行為」に及んだ事は数度ある。
ライブでは毎回なのだが、時折練習の途中でも自分の世界に深く嵌まり込んでしまう。
体を覆う熱に焼け爛れ、一種のヒステリー状態に陥りパニックを起こすのだが、驚くべき事に当時の蓮には自慰という概念が無かった。
最初は興奮した体から熱を逃す手助けをするつもりだった……などといえば自身を正当化する弁解のようになってしまうが、高校生相手に最後まで事を進めたのは背徳と呼べる行為だったと言える。
しかし、蓮には必要だったと思っている。
性的嗜好に偏りは無い。
性欲のなせる技でも無い。
ましてや恋愛なのかと聞かれたらそれも少し違うが、声も、歌のセンスも、誰かが見つけなければ世に出る事も無く潰えていただろう才能も、それこそまだ毛も生えぬ中学生の頃から蓮の全てを請け負っているのだ。
大切に守って来た宝物を穢された気分になって何が悪いのか。
「誰にそんな顔を教えて貰ったのかは聞くまでも無いがな、お前は今ろくな顔をしてないぞ」
「今更常識を振り回す訳?利用するんならとことんすれば?」
笑ってないのに皮肉に片口を上げ、蔑むようにフンッと鼻を鳴らす仕草は引っ込み思案でひたすら大人しい蓮とは思えなかった。
誰しもが色々な経験を積み上げ大人になるものだ。新たな出会いや「経験」がCM撮影時の安定に繋がっているのだとしても、真っ白と言えるくらいピュアだこらこそ囚われて目の離せない魅力を産んでいる蓮に取って良い事だとは言い難い。
「………そんな顔をするなら…もう……全部やめるか?俺はそれでもいいぞ?」
「やめないよ、これは俺が貰った遺産なんだ、使えるうちは使って………駄目になったら捨てればいい」
「駄目にはしないさ、その為に俺がいるんだ、あいつも……」
バンッと腕に当たったヘタリ切ったクッションに続きを阻まれた。
「お前な…」
「その名前は言わなくてもいい、背に腹はかえられない大人の事情はわかってるよ、で?するの?しないの?」
「いや……」
「しないなら風呂に入ってもいい?」
「あ?…ああ……そうしろ」
ふいっと目を逸らして風呂場の方に歩いていく背中にタオルと着替えを投げた。しかし、全部を無視して風呂場の方へ行ってしまう。
「クソガキめ……」
やりたいかやりたく無いかって言われたら妙な色気を放つ蓮を抱いてみたいとは思う。
別に我が物顔だったあの綺麗な男に義理立てする気も全く無い。
しかし、一足飛びにアマチュアではなくなった今、迂闊な事は出来ないだろう。
蓮を守るという意味でも小さな疑惑すら許されないのだ。
全てを飲み込み、ライブの後は楽屋に帰って来ないよう気を回して見て見ないフリをしていた日暮も契約時に釘を刺して来た。
まだ20歳の蓮には性の匂いはいらない。
ビジネスの匂いもいらない。
RENは歌と声だけを武器にして、手作り感溢れるステージをきっかけにお金に纏わる柵で雁字搦めの世間に土足で乗り込むレジスタンスのようなイメージがコンセプトだ。
だからプロダクションの後ろ盾は見えない方が良かった。蓮に栗栖の介入を隠したのは、正に「大人の事情」があったからだ。
「厄介だな……」
暫くは付き添えないと栗栖から連絡があった。
何があったのか詳しく話したりはしなかったが、どうやら意図せぬ形で「大人の事情」を知られたのだろう。
「あいつと切れたのならそれはそれで良かったけどな……」
スーツを着た栗栖が訪ねて来たのは、蓮が初めてスタジオに連れて来た日から数えて1週間程後だった。音楽を専門とするプロダクションであるギガックスの代表だと聞いて驚いたものだ。
話の内容は学祭ライブを機に蓮の支援をしたいという申し出だったが、てっきりどこかで蓮の才能に目を付けて囲い込む気なのだと思った。
契約と言わなかったのはまだ蓮のポテンシャルを測りかねているのだと推測出来たが、プロダクション側にどんな思惑があったとしても自主レーベルでどうにでもなる今、選択権はこちら側にあった。
しかし、本業は元より、色々と手のかかる蓮のフォローは勿論、編曲、歌詞の手配、スタジオと足りない楽器の確保で手一杯になっていたのは確かだ。
暫し、思案を繰り返したが、「蓮は俺のものだ」と豪語するだけの事はあってか、ギガックス側はRENの事情や特性をよくわかっていた。
蓮の大学卒業がタイムリミットだとするならば、急増しているコンタクトの窓口をプロダクションに任せる事にしたのはただ単に効率の話だ。
全ての先行きを託すつもりは無かった。
それが失敗だとは思ってないが蓮にすれば裏切りのように見えたかもしれない。
風呂から出てきた蓮は、目を合わせる事もなく、腹は減っていないかと聞いても返事する事もなく、床に落ちていたTシャツを着てからコロンとソファに横になり、そのまま眠ってしまった。
その後も蓮の冷め切った態度は変わらなかったが、その裏腹に、RENとしては初のアルバム制作は何年も何年もジタバタしたのが嘘のように順調だった。
収録曲の半分はライブ形式で一発撮りをした録音を手直しした物だ。
新しい曲に付いては本物の蓮を知っている身としては些か残念に思う所はあるのだが、売り物としては文句など無い仕上がりなっていった。
ジャケ写は蓮の顔のアップをデザイナーに任せてアーティスティックに加工した物だ。
タイトルは蓮が投げやりに口にした「遺産」にした。
発売は歳が明けた1月だ。
その前に、まずはCM契約の発表に合わせてシングルを出す予定になっている。
恐らく、これが本当の試金石になるだろう。
しかし、ほんの少しの心配や不安は無いのだ。
6秒と15秒と30秒に編集されたCMの映像を見た時は蓮がとんでもない預かり物だったのだと改めて思い知らされた。
画面は赤だった。
紅蓮と言っていい深い赤。
バックライトが奥行きを生み、空気そのものが赤く染まっているように見える。
遠くから聞こえる音楽から始まり、スーパースローに切り替わる一瞬の静寂の中、ゆっくりと振り返った蓮の濡れた髪から円の形になって飛び散る水滴が生き物のように踊る。
突然時間を戻した瞬間に飛び込んでくる歌のサビは誰の耳にも印象的だろう。
ナレーションや商品のインサートはまだ入って無かったが、勢いのある新興ブランドであるエデンは瞬時に頭角を現した蓮のイメージと被って相乗効果を生み出していた。
CMの解禁はクリスマス商戦の始まる12月だ。
真夏と変わらぬ初秋に行われたあのライブから半年も経ってない。
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