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羽根くんと僕 1
しおりを挟むみんなが行く二次会。
僕はいつも母さんと置いていかれる。
僕は羽根くんと離れたくなくて一緒に行きたいと言う。明日朝から習い事があるから早く寝なくてはいけない。二次会について行くのが無理なのはわかってるんだ。僕がわかっていることを羽根くんは理解してる。その上で穏やかな口調で僕に言うんだ。
「大人になったらおいで。待ってるよ」
*
羽根くんは父の大学の研究室の後輩で、会社の後輩でもあった。
独身で食事が不自由だろうと、羽根くんは昔から我が家の週末の食卓に招待されていた。
メンバーは若い父と若い母、僕と羽根くん。
僕の父母は若くして僕をもうけた。
父は研究の道に進みたかったらしい。
母のお腹に僕ができたので修士から博士に進むのをあきらめ企業に就職をした。
羽根くんはその過程を見ていた。
羽根くんが来ると普段ケンカしがちな両親も穏やかになる。
羽根くんが発するのどやかな雰囲気とおっとりとする物言いに和まされてしまうのだ。
食事を用意する両親に代わり羽根くんが僕と遊んでくれた。
つまらなかったであろうに、お絵かきやごっこ遊びなどに嫌な顔をせず付き合ってくれた。
僕の手が離れるようになると母も仕事を始める。外の世界の水があったのか母は楽しそうに働いていた。
元々美しい人だったと思う。外に出ることによって服装や髪型が洗練され、キャリアを積み自信を持つようになるとより一層きれいになっていった。
言い争いがちだった二人。
きっと僕が居なければ結婚はしていなかったのかもしれない。
そんな二人の間に、母を強く求める人があらわれた。
顔を合わせるとすぐケンカになる父との生活。そんな生活に疲れた母の心の隙に入りこみ、父と僕から母を奪っていった。
恐れるものを知らない若い青年。
彼のもつ情熱と無防備さは、父が遥か昔に諦め手放したものなのだろう。
過剰に反発した父はしばらく打ちのめされ、酒に溺れていた。
僕が小学校の高学年に上がると同時に、父と母は正式に離婚し僕は父と暮らし始める。
母は僕を連れていきたがっていた。
喫茶店で対面させられた一見落ち着いているように見えるスーツ姿の若い男。
母の隣で僕に向かって邪魔、来んな、オーラを発していた。
僕には精神的に虐待されそうな未来しか見えなかったので、僕は父と暮らすことを選択した。
*
僕は14歳になった。
父は37歳、羽根くんは34歳。
羽根くんと僕は20歳離れていた。
共働きの両親の下で育っていたので僕は家事をひととおりマスターしていた。
父母の離婚後は母の代わりに僕と父が台所に立って、食事を用意する。
今日の食卓には羽根くんがいた。
週末の3人での食事。
違うのは母の姿がここにないだけ。
母は新しい家庭を持ち、新しい結婚相手との間には妹が生まれていた。
最近、父の帰りが遅くなってきていた。
帰宅時の衣服にほのかにかおる、酒と化粧のにおい。
父も母ほどではなかったが整った顔立ちをしている。羽根くんの話だと大学時代は美男美女のカップルで人目を引いたらしい。
面倒見がよくて、熱くて、フットワークが軽く年齢よりも若い印象の父。
離婚をして4年。
放って置かれる訳がなかった。
週末の羽根くんを招く食事会は、稀になっていた。
そしてある日父から紹介したい人がいると話があった。ついにきた。
うすうす存在を分かっていたけれど正式に言われるとしんどい。
週末、塾をサボって駅の反対側に住む羽根くんの家に向かった。
羽根くんの家の住所は把握していた。
父と会社で毎日顔を合わせていても、家が近所だろうとも、律義な羽根くんは毎年年賀状を寄越す。
記憶力がよかった僕は、年賀状に書かれた住所とマンション名を覚えていた。
大通りに面した古びた4階建ての簡素なマンション。車の排気ガスで白い塗装が薄汚れている。
ここが目的の建物だった。
突然の僕の訪問に羽根くんは驚いていた。
羽根くんを心細げに見上げ「部屋に入れて」とお願いした。
羽根くんは、なにも言わず僕を部屋に上げてくれた。
羽根くんの部屋の構成は寝室、リビング、台所の1LDK。あちこちに雑誌や本、服が山積みになっている。
初めて見る羽根くんの部屋が珍しくて辺りを見回していると
「ちらかってて、ごめんね。今飲み物を持ってくるから。そこ座ってて」
洋服が山積みになったソファの、洋服が一方に寄せられ空いたエリアを指定された。
ソファの横に放置されている箱はほこりが積もり色が退色している。ソファの布地には干からびた食べものカスや謎の物質が落ちていて、汗ばんだ手に貼り付いてくる。
羽根くんが掃除や片付けが出来ないなんて知らなかった。
「羽根くん、父さんが再婚するって知ってた? 」
「聞いていたよ。和くんがどう思うかって相談されてたよ」
羽根くんは冷えたお茶のペットボトルを差し出してきた。この部屋の状況でペットボトルの提供は妥当な判断だと思う。
「羽根くんは、なんて答えたの? 」
「和くんは大人だから大丈夫だと思うって、言ったよ」
「相手の人はどんな人? 」
羽根くんは一瞬、言葉に詰まった。
同じ会社の人だから知ってはいるだろう。
苦そうなものを食べたみたいに言った。
「可愛らしくて芯がしっかりしてそうな人だよ」
「ふぅん」
羽根くんが言いよどんだことが気になった。言いたくなさそうに見えたからだ。
「羽根くん、これからも遊びに来てもいい? 」
羽根くんの家は汚いけれど、なぜか落ち着く。ゴミやほこりは僕が片付ければいい話だ。
羽根くんはいいよ、いつでもおいでと言った。
*
僕の半分は羽根くんの愛しい正樹から出来ていて、また半分は嫉妬の対象だった美奈子から出来ている。
僕がいたから二人は結婚した訳で、裏返せば僕がいなかったら正樹と美奈子は結婚しなかっただろう。
僕は昔の羽根くんにとって邪魔な存在だったんだろうと思う。
でも、正樹は離婚し、空白期間を経て新しい女と再婚する。その相手は会社の部下だったそうだ。
羽根くんはまた負けてしまった。
再婚相手は若いらしいので弟か妹が生まれるだろう。
僕と父だけの家は僕たちだけの家ではなくなる。父と新しい妻と今後、生まれてくる子の家になる。
僕は家の中で異物と化して、細胞によって外部に排出されてしまうのかもしれない。
はなが来た、新しい父の妻だ。義母になる。
はなは、わりと小柄で意思が強そうな女に見えた。
でも、ものが見えない男にはたおやかで優しげに見えるんだろうなと思った。
頭の良さを外に出さない男受けのする女だった。
僕は一目で、はなの本性を見抜いたし、はなも僕がそれを見抜いたことを察知していた。何も知らないで浮かれているのは父だけだ。
はなは慣れてくると僕に対して本性を隠さなくなってきた。
はなは僕のことをわりと気に入ったみたいだ。あけすけに態度でしめしてくる。
朝の食卓に並ぶ、サラダ、パンにスープ。和食じゃない朝食は久しぶりだ。
はなは結婚を機に仕事を辞めた。
結婚相手が同じ職場の上司というやりにくさもあったみたいだ。
しばらくしたら新しい仕事を探すようで、それまで、はなが家事を担当することになった。
学校から帰るとはながいる。
父の前では大人しくても僕の前では素のままだ。
短パンにタンクトップの軽装で、ソファの上に寝そべり、スマホを見ていた。
「お帰り」
軽く頷いて自室に向かう。
僕は自分と同類の女がいる生活にまだ慣れなかった。
朝になると、はなからは濃厚な性の匂いがした。ほどけた胸もと気だるげな表情。
父はそんな新妻を見ては、にこにこしていた。
朝っぱらから、昨晩やりました頑張りましたという痕跡を見せられて僕はいたたまれなかった。
はなが来てからは羽根くんが週末の食卓に呼ばれることは無くなった。
代わりに僕が羽根くん宅にお邪魔する。
僕は、僕が座る場所の周りを片づけた。
台所周りも片付けた。
羽根くんの家にあった食材で適当に食事を作ると羽根くんは嬉しそうに食べた。
「羽根くんは、ご飯を作らないの?」
ふと、長年疑問だったことを聞いてみた。
「片付けが苦手だから、作らないで惣菜を買って帰ることが多いかな。だから和くんの家の食事はありがたかった」
「ごめんな。はなは人を呼ぶタイプじゃないんだ」
はなは、社交的ではなかった。
今は、はながわが家になじむ期間のため、はなの意志が最大限に尊重されていた。
「いつも、食べさせてもらっていた僕の方が変なんだ。もう浅川さんと、親しくなったんだ? 」
「どうだろ。親しくはないけど、何となく理解出来るタイプ。僕と似てる。父は年がいもなく、はなにでろでろしてる」
「ふぅん」
父と若妻の話しになると、穏やかな羽根くんは急にとげとげしくなる。
「羽根くんは結婚しないの? まだまだいけるでしょ」
「僕は結婚とか、いいんだ。向いてないから」
羽根くんは少しうつむきながら答えた。何だか苦しそうだ。
「なら、料理とか掃除とか自分で出来るようにならないと」
「そうだね」
「僕が教えてあげるよ」
そういうと羽根くんはありがとうと言って、にっこり笑った。
僕は週末になると羽根くんの家に入り浸りになった。
先週、塾をサボったのがバレてしまったので羽根くんの家からちゃんと塾へ行く。羽根くんに宿題の分からないところを教えてもらって勉強もした。
羽根くんの家に遊びに行く条件として、羽根くんに迷惑を掛けないこと、塾、学校へきちんと行くこと、良い成績を取ることを約束させられた。
僕は羽根くんの部屋を、片付けながら可動域を広げていった。
不定期開催の羽根くん料理教室の講師として、羽根くんに簡単な顆粒ダシを使ったスープの作り方を教えた。
水にダシを入れ具材を入れ、適当に煮たったところで調味をするのだ。
適当でもそれなりに食べられるし、味噌を入れれば味噌汁に、わかめ、ごま油、醤油、コショウで味付けすればわかめスープに、卵を加えれば卵わかめスープになるのだ。ご飯を入れれば雑炊やおじやに。
応用次第でいろいろ使えるはずだ。
羽根くんも僕がくる週末には食材を買い込んでいた。僕と一緒に料理をする事を楽しみにしているみたいだった。
二人でわいわいしながら調理をするのは楽しい。出来上がった料理を二人で感想を言いながら食べるのも。
しまいには羽根くんの家に泊まりこむことも多くなっていた。
家に帰りたがらない僕と一緒に、アニメや海外ドラマの一気見をしたりしていたからだ。
さすがに親から小言が入った。
羽根くんも何か言われたみたいだ。
「もう、しばらく来ない方がいいよ」
羽根くんから言い出された、出入りの差し止め。僕は衝撃で羽根くんの手にすがりつく。
「羽根くん僕がいたら邪魔? 迷惑だった?」
「僕は一緒にいて楽しかったよ。親御さん達は心配するし、僕は君より大分年寄りだし、同世代の友達と遊んだ方がいいと思うよ。それに受験が近いんだし」
「僕は、家に居られなくなったらどこに行ったらいいの。僕には居場所がここしかないのに……」
羽根くんはしばらく僕を見つめてから、無言で、ぎゅっと僕を抱きしめた。
羽根くんは僕の立場を忘れていたみたいだ。
僕の両親は離婚して共に再婚している。
新しい弟妹が出来て、僕は両親から必要とされない存在になっていく。
羽根くんは、大丈夫だからと言って僕の背中をとんとん叩いた。
羽根くんは僕の肩を掴んで、僕の顔を見て言った。
「ひんぱんに来てダメだ。本当に困った時においで。君の為にドアは開けておくよ」
そう言って僕に合い鍵をくれた。
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