君の喫茶店

とりあえず

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胸中のもやは重い

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「こんにちは、この前はどうも」

 硬直してしまったおれに微笑して挨拶をするオオカミはとても魅力的に映る。凛とした表情に柔らかな雰囲気を合わせ、この前見た時のようなせっぱつまった感じは見受けられない。端整な顔にジャケットを着こむその姿は雑誌からそのまま飛び出してきたかのようだ。

「なにか、用ですか?」

 乾いた舌を無理やりはがし、なんとか言葉をつむぐ。カウンター席からすぐに逃げてしまいたい気持ちをなんとか抑え、おれはオオカミを見据えた。

「いや、ただ隣に座ったから話しかけただけだよ。俺は狗守(いぬもり)。よろしく」

 気さくを装ってはいるが、そんなことあるはずないと猜疑が声を上げていた。優雅なBGMが頭から追い出され、脳内で言葉が反響していく。それがおれを追いつめ、口からはなんて言えばいいのかわからないと吐息だけがこぼれてしまう。

 狗守さんは少し困ったような顔で笑うと、おれの頭を撫で始めた。毛皮のもふりとした感覚を髪の毛越しに感じ、落ち着くというかなんだか唖然としてしまった。ほぼ初対面の人に何をやってるんだこの人は?

「え、あ、ごめん。つい癖で……。でも、君になんとなく話しかけたのは本当だよ。本来の目的は虎豪さんの方だからね。それで、君の名前はなんていうんだい?」

 ごめんと謝りつつ狗守さんはおれの頭から手をどかすつもりはないらしい。撫でるというよりも、むしろぽんぽんと軽く押し込む感じでおれの頭を触っている。

「辰瀬、です」
「辰瀬君か、人間の髪の毛の感覚はいいね。なんだかつやつやだ。モフモフともつるつるとも違う、これはこれで癖になりそうだ」

 整った顔に温かい微笑を浮かべて、狗守さんは満足そうだ。たったこれだけの動作で、クールなイケメンだった第一印象は今ではすっかりとぼけたお兄さんになってしまった。表情を消して立っていれば、マネキンみたいにかっこいいのに。尻尾を振っているところを見ると、どうやらお世辞なんかじゃないらしい。

 これにはおれの気もそがれてしまって、曖昧に笑うだけ。この手から害意が読み取れない以上、おれもささくれだつ必要もない、なんてため息が漏れた。

「虎豪さんを知っているんですか?」

 だから、言葉もすんなり飛び出した。手に持ったコーヒーのぬくもりに勇気をもらって、おれは狗守さんをうかがう。

「うん」

 簡単に頷いて見せて、狗守さんはもう一本の手でおれの頭を触りだした。そんなに気に入ったのかな……? なんだかボーリングの玉を拭いているみたい。

「彼に大事な用があるんだ」

 ずきりと心が悲鳴を上げた。手の中のコーヒーが急に熱を失ってしまったようだ。いまのおれはさぞかし悲痛な顔になっていることだろう。でも、狗守さんは自身の腕に隠れたおれの顔を知ることはできず、淡々と続きを述べる。

「この体を差し出しても叶えてほしい願いがあってね」

 おれを撫でる手は相変わらず優しいまま。でも、心はどんどん傷ついていく。カップを握る手が震えるのは恐れているから。虎豪さんがとられてしまうことを。

 自信がないせいで告白に踏み切れないおれはいつだって恐れてる。おれが一歩踏み出せないうちに、虎豪さんが誰かの物になってしまうことを。同性だっていう壁を前にしり込みしてるおれを超えて、誰かが虎豪さんを射止めてしまうんじゃないか。それが何よりも怖い。

 でも、怖がってばかりじゃダメなのも知ってる。ゆっくりとコーヒーを一口。虎豪さんが入れてくれたコーヒーを体に流し込んで、おれは勇気を手に入れる。

「でも、虎豪さんは……その、ノンケですよ?」
「え?」

 頭上に振ってきたのは特大の疑問符。どうやら狗守さんは想定していなかったようだ。あんな場所でわざわざチラシを配っていたんだから勘違いするのも分かるけど、それはきちんと訂正しておかないといけない。

 自分の中にしたたかな勝算があったのは否定しない。この事実を伝えておけば、あきらめてくれるのではないかと思っている自分がいる。おれがくすぶっているように、狗守さんも躊躇してくれるはずだと。

 しかし、狗守さんは不思議そうに首を傾げ、こう答えた。

「それは知ってるけど?」

 今度はおれが疑問符を浮かべる番だ。そして、その意味を理解すると全身に悪寒が駆け抜けた。おれが諦めている壁をこの人はやすやすと超えてしまおうとでもいうのか。突き返されるのが怖くてたまらないと見ているだけのおれが驚愕に飲まれていく。

「なんだ、ずいぶん仲良くなったじゃねえか」

 底なし沼に沈んで息を引き取る寸前だったおれを割って入ってきた声が引き上げてくれた。一仕事終えた虎豪さんがカウンターの中でグラスを拭きながらこちらを見ている。

 撫でられ続けているおれの顔は今にも泣きそうになっていたんだろう、虎豪さんは人相をさらに悪くして狗守さんをにらみつけた。

「おい、うちの常連をいじめてくれるなよ。金づるがいなくなったらこまるだろ」
「おっと、ごめんよ。いじめているつもりはなかったんだ」

 慌てて手を離した狗守さんに涙で濡れた目なんて見てほしくなかったから、うつむいて言葉だけで返事をした。別に狗守さんが悪いわけじゃない。そんなことくらいわかってるつもりだ。

 それで狗守さんは椅子を回転させて向き直り、虎豪さんに視線を合わせた。そんな些細なしぐさも、おれの心を穿つ。ぎしりとなったのは果たして椅子だったのか。

「君に話があるんだ」
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