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怖くない獅子
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牙縞さんはそのままメニューに視線を移し、またも口をもごもごと動かしている。やはりそれを聞き取ることができなかったので、ついついまたも前かがみになってしまった。
「ごめんね辰瀬君。牙縞はすごく人見知りなんだ。慣れるまでちょっと待ってね」
「……申し訳ない」
元から下がり気味の眉がさらに下がって綺麗なハの字を描く。巨体の割に気弱な人だという第一印象を裏付けるように、尻尾も力なくへたれている。
どうやら牙縞さんは狗守さんの知り合いみたいだ。狗守さんが呼び捨てにしているという事実がなんだかすごく新鮮で、付き合いの長さを物語っている。
「それにしても、牙縞が初対面の人の頭をなでるなんて珍しいね」
「お前が最近うるさかったし。人間の頭がいかに素晴らしい手触りか、こっちは耳にタコができるくらい聞いてるんだ」
「あれ、俺そんなに言ってたかな?」
「言ってる」
微笑ましいやり取りをしているのはいいけれど、なんで二人の手がおれの頭に伸びてきているのだろう。おさわり禁止だって狗守さんも言ってたのに、そんなこと微塵も残っていないようだ。仕方なく身を屈めて頭を差し出すと、柔らかさをまとった掌がふんわりとなでていく。
「確かに良い感覚だ。狗守が病み付きになるのもわかる」
「でしょう? 特に辰瀬君はすべすべだからね。仕事後の疲れを癒す効果もあるんだよ」
「なるほど。今度僕も恩恵にあずかろうか」
いや、なるほど、じゃないですし。おれの頭は怪しい通販グッズかなにかなのだろうか。
牙縞さんはどうやらかなりまじめな性格のようで、狗守さんののほほんとした与太話を真剣に聞いている。恩恵をもらおうと恭しくなでる手つきを感じて、少しは疑うことを覚えて欲しいと切に願った。
「おい」
なんだかドスの聞いた声が後ろから聞こえてきたぞ。振り向くと、猫柳がものすごく不機嫌そうな顔で突っ立っているではないか。こんな怒った彼はかなりのレアだ。
「こいつに手を出すんじゃねえ。飯がまずくなったらどうしてくれる」
……うん。守ってくれてるつもりなんだろうけどさ。食欲を前面に出しすぎだと思う君。ありがたみが減るよ。
猫柳はさすが肉食と言わんばかりの覇気を押し出して、座ったままの二人を睥睨する。その威圧感たるやまさしく野獣のごとしで、普段おれの飯を幸せそうに食べている姿とは雲泥の差があった。君こんな顔もできるんだな。
しかし、その叩きつけるような威圧感を前にして、対抗するように牙を剥いた獣がいた。
牙縞さんだ。
「お前が虎豪か?」
その瞬間に雰囲気が変わったことを肌で理解した。さっきまでの気弱で真面目な獅子はどこにもいない。隙あらば飛び掛かってしまいそうな獣が、猫柳に対して憤怒を露わにしていた。尻尾の毛も逆立って、太さを増した尻尾がゆらりゆらりと警戒するように揺れていく。
その急な変化についていけなくて、おれは目を白黒させるしかできない。肉食獣二人の中心に位置するおれが感じる圧は相当なもので、ひきつった音が喉の奥から漏れ出ていった。
牙縞さんは剣呑な目つきのまま。一体虎豪さんにどんな恨みがあるというのか。さきほどの雰囲気を変えてしまう憤怒を抱かれる虎豪さんなんて、あまり想像できないのだけど。
「どうどう、落ち着いて牙縞。この人は虎豪さんじゃないよ。確かにきつきつでぱっつんぱっつんな燕尾を着てるけど、この人は……この人は……あれ、君は誰だい?」
そんな修羅場一歩手前の空気にさらされてなお、狗守さんはいつも通りだった。首をかしげて疑問を提示する姿は変わらない天然さを誇り、牙縞さんの毒気を薄れさせていく。
「ごめん、ちょっと早合点してしまった。辰瀬君の頭をなでたことは謝るよ」
「んー、いや別にいいけどよ。辰瀬もあんまり気にしてなさそうだし」
猫柳はおれの顔色を見て、引き下がってくれた。威嚇の為に力を入れたせいか、燕尾が破れて胸筋をかなり露出させてしまっていた。やはりそのサイズに無理があったようだ。
おれは胸板をさらけ出している友人を紹介することにしよう。このちょっと気まずい空気を何とか払拭しようと畳み掛ける様に言葉を紡ぐ。
「こいつはおれの友人の猫柳です。猫柳、こっちは狗守さんと牙縞さん。おれの知り合いだよ」
「ほー、辰瀬の知り合いでこの店に来るってことは、こいつらもホモなのか?」
おい馬鹿! ストレートすぎるだろ! ちょっとは気を使え! それとここはホモ御用達の店でもなんでもないからな!
相変わらずの無神経にこっそり足を踏んでやると、え、おれなにか悪いこと言ったか? みたいな目を向けられた。どうやら全く理解できていないようだ。それと踏みつけのダメージも無し。どんだけ頑丈なんだこいつ。
おれの焦りをよそにとっても大人な狗守さんは気分を害した様子もない。これ以上猫柳を蹴る必要がなくなってよかった。
「ふふふふ、素直な子だね。そうだ、と言ったらどうするんだい?」
「いや、別にどうもしねえよ。ただ、この店はそういうの禁止だからな。辰瀬にちょっかい出すのはやめろよ」
「なるほど、立派なナイトがいたものだね。良い友人じゃないか」
「だろ?」
そこで調子に乗るのが猫柳という男なんだよな。そして、本心で褒めているのが狗守さんという人なんだよな。相乗効果で猫柳がいつもの倍くらいうっとうしい。
牙縞さんはと言えば、人違いをしてしまったせいで巨体をぎゅっとちぢこめてしまっている。というか、机に額をゴリゴリこすり付けて謝罪を表していた。いや、さすがにそこまでの謝罪は誰も求めていないと思うので、ぜひ顔を上げてください。
「辰瀬君は優しいね」
儚さが漂う笑みを牙縞さんから向けられたけど、いたって普通のことだと思うんですよね。
こんなにおとなしい人が虎豪さんに対してあれだけの憎悪を向けている事実がいまいちぴんと来ない。一体どういうことなんだろうか。
「……やっぱり似てるなあ」
声に小さい牙縞さんのつぶやきはおれの耳に届くことはなかった。聞き返そうと耳をそばだてたおれは、そこでようやく自分がバイト中だという事を思い出した。
「ごめんね辰瀬君。牙縞はすごく人見知りなんだ。慣れるまでちょっと待ってね」
「……申し訳ない」
元から下がり気味の眉がさらに下がって綺麗なハの字を描く。巨体の割に気弱な人だという第一印象を裏付けるように、尻尾も力なくへたれている。
どうやら牙縞さんは狗守さんの知り合いみたいだ。狗守さんが呼び捨てにしているという事実がなんだかすごく新鮮で、付き合いの長さを物語っている。
「それにしても、牙縞が初対面の人の頭をなでるなんて珍しいね」
「お前が最近うるさかったし。人間の頭がいかに素晴らしい手触りか、こっちは耳にタコができるくらい聞いてるんだ」
「あれ、俺そんなに言ってたかな?」
「言ってる」
微笑ましいやり取りをしているのはいいけれど、なんで二人の手がおれの頭に伸びてきているのだろう。おさわり禁止だって狗守さんも言ってたのに、そんなこと微塵も残っていないようだ。仕方なく身を屈めて頭を差し出すと、柔らかさをまとった掌がふんわりとなでていく。
「確かに良い感覚だ。狗守が病み付きになるのもわかる」
「でしょう? 特に辰瀬君はすべすべだからね。仕事後の疲れを癒す効果もあるんだよ」
「なるほど。今度僕も恩恵にあずかろうか」
いや、なるほど、じゃないですし。おれの頭は怪しい通販グッズかなにかなのだろうか。
牙縞さんはどうやらかなりまじめな性格のようで、狗守さんののほほんとした与太話を真剣に聞いている。恩恵をもらおうと恭しくなでる手つきを感じて、少しは疑うことを覚えて欲しいと切に願った。
「おい」
なんだかドスの聞いた声が後ろから聞こえてきたぞ。振り向くと、猫柳がものすごく不機嫌そうな顔で突っ立っているではないか。こんな怒った彼はかなりのレアだ。
「こいつに手を出すんじゃねえ。飯がまずくなったらどうしてくれる」
……うん。守ってくれてるつもりなんだろうけどさ。食欲を前面に出しすぎだと思う君。ありがたみが減るよ。
猫柳はさすが肉食と言わんばかりの覇気を押し出して、座ったままの二人を睥睨する。その威圧感たるやまさしく野獣のごとしで、普段おれの飯を幸せそうに食べている姿とは雲泥の差があった。君こんな顔もできるんだな。
しかし、その叩きつけるような威圧感を前にして、対抗するように牙を剥いた獣がいた。
牙縞さんだ。
「お前が虎豪か?」
その瞬間に雰囲気が変わったことを肌で理解した。さっきまでの気弱で真面目な獅子はどこにもいない。隙あらば飛び掛かってしまいそうな獣が、猫柳に対して憤怒を露わにしていた。尻尾の毛も逆立って、太さを増した尻尾がゆらりゆらりと警戒するように揺れていく。
その急な変化についていけなくて、おれは目を白黒させるしかできない。肉食獣二人の中心に位置するおれが感じる圧は相当なもので、ひきつった音が喉の奥から漏れ出ていった。
牙縞さんは剣呑な目つきのまま。一体虎豪さんにどんな恨みがあるというのか。さきほどの雰囲気を変えてしまう憤怒を抱かれる虎豪さんなんて、あまり想像できないのだけど。
「どうどう、落ち着いて牙縞。この人は虎豪さんじゃないよ。確かにきつきつでぱっつんぱっつんな燕尾を着てるけど、この人は……この人は……あれ、君は誰だい?」
そんな修羅場一歩手前の空気にさらされてなお、狗守さんはいつも通りだった。首をかしげて疑問を提示する姿は変わらない天然さを誇り、牙縞さんの毒気を薄れさせていく。
「ごめん、ちょっと早合点してしまった。辰瀬君の頭をなでたことは謝るよ」
「んー、いや別にいいけどよ。辰瀬もあんまり気にしてなさそうだし」
猫柳はおれの顔色を見て、引き下がってくれた。威嚇の為に力を入れたせいか、燕尾が破れて胸筋をかなり露出させてしまっていた。やはりそのサイズに無理があったようだ。
おれは胸板をさらけ出している友人を紹介することにしよう。このちょっと気まずい空気を何とか払拭しようと畳み掛ける様に言葉を紡ぐ。
「こいつはおれの友人の猫柳です。猫柳、こっちは狗守さんと牙縞さん。おれの知り合いだよ」
「ほー、辰瀬の知り合いでこの店に来るってことは、こいつらもホモなのか?」
おい馬鹿! ストレートすぎるだろ! ちょっとは気を使え! それとここはホモ御用達の店でもなんでもないからな!
相変わらずの無神経にこっそり足を踏んでやると、え、おれなにか悪いこと言ったか? みたいな目を向けられた。どうやら全く理解できていないようだ。それと踏みつけのダメージも無し。どんだけ頑丈なんだこいつ。
おれの焦りをよそにとっても大人な狗守さんは気分を害した様子もない。これ以上猫柳を蹴る必要がなくなってよかった。
「ふふふふ、素直な子だね。そうだ、と言ったらどうするんだい?」
「いや、別にどうもしねえよ。ただ、この店はそういうの禁止だからな。辰瀬にちょっかい出すのはやめろよ」
「なるほど、立派なナイトがいたものだね。良い友人じゃないか」
「だろ?」
そこで調子に乗るのが猫柳という男なんだよな。そして、本心で褒めているのが狗守さんという人なんだよな。相乗効果で猫柳がいつもの倍くらいうっとうしい。
牙縞さんはと言えば、人違いをしてしまったせいで巨体をぎゅっとちぢこめてしまっている。というか、机に額をゴリゴリこすり付けて謝罪を表していた。いや、さすがにそこまでの謝罪は誰も求めていないと思うので、ぜひ顔を上げてください。
「辰瀬君は優しいね」
儚さが漂う笑みを牙縞さんから向けられたけど、いたって普通のことだと思うんですよね。
こんなにおとなしい人が虎豪さんに対してあれだけの憎悪を向けている事実がいまいちぴんと来ない。一体どういうことなんだろうか。
「……やっぱり似てるなあ」
声に小さい牙縞さんのつぶやきはおれの耳に届くことはなかった。聞き返そうと耳をそばだてたおれは、そこでようやく自分がバイト中だという事を思い出した。
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