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悪役令嬢は悪徳商人に拐われる
2
「遅くなってすまない」
屋敷に戻ると、すでにメイヴィスは支度を終えて待ってくれていた。
質のいい生地を使った美しいドレスに、入手困難な一級品のファーコート。隣国で流行している最先端のデザインの靴。すべて艶やかな色香のある黒だ。メイヴィスを己の色に染め上げる。
ああ、美しい――。
ヴィンセントは彼女を目にする度に強く思う。今夜は特に素晴らしかった。まるで夜の妖精のように輝いている。美しさを讃えればクスクス笑われてしまったが、眩しさがますます際立つだけだ。
メイヴィスはよく笑ってくれる。
メイヴェルはいつもまず悲しみを浮かべていたから、ヴィンセントはそれだけで堪らなくなる。
劇場は王都の繁華街にあり、貴族から貧民まで雑多な賑わいを見せていた。
車体も車輪も馬もすべて黒いレアード商会の馬車が正面に停められ、商会の会頭が一人の女性を伴って降り立つと、その存在に気付いた者から歓声が上がり周囲がにわかに浮き立つ。
しかしヴィンセントは周囲の視線をものともせず、きらびやかなエントランスで劇場の支配人の歓迎を受けた。
「ようこそいらっしゃいました」
レアード商会は劇場とも取引がある。支配人とは旧知の仲だ。
「今回は無理を言って悪かった」
「大丈夫ですよ。それにレアード様の頼みなど、他の貴族の方の『お願い』に比べたらかわいいものです」
支配人はおどけた声で本音を告げる。
それからヴィンセントの傍らに立つメイヴィスに柔らかい表情を向けた。
「お美しいお連れ様ですね」
「私は彼女の下僕だ。すぐにでも跪きたい」
熱烈なヴィンセントの言葉にメイヴィスは小さくたじろぎ、支配人は笑みを深める。
「これはこれは、惚気られてしまいました。どうぞ今夜はごゆるりとお楽しみください」
頭を下げて見送られ、メイヴィスたちはゆっくりと美しいベルベット敷きの大きな階段を一歩一歩上る。
「もう、ヴィンスったらあんなこと…」
頬を薄紅色に染めるメイヴィスを横目に、ヴィンセントは肩を竦めておどけた。
「悪いな、心の声を隠しておけない質なんだ」
「まあ」
ころころと明るい笑い声に目を細める。
今夜のメイヴィスは白金色の長い髪を左肩に流し、黒いファーのベレー帽にあしらわれた黒いレースで顔を隠している。目の細かい複雑な織のレースはもちろんメイヴィスのお手製だ。
顔は見えないはずなのに、隙間から覗く輪郭が、すらりとした出立ちが、彼女の美しさを際立てる。その上かわいらしい笑い声を響かせたのなら目を惹かれずにはいられない。
「お願いってなにをしたの?」
「ちょっとな。メイヴェルをよく知っているような王子様やお貴族様は今夜の観劇はご遠慮いただいたんだ」
「まあ!」
それでなくても存在感のあるヴィンセントの同伴者として目立っているのだ。当然の配慮だろう。
足早に上階の特別席へとメイヴィスを促した。
特別席は小さな個室となっていて、中央にはゆったりと寛げるソファーが置かれ、ステージを望む開口部には手摺りとカーテンが設けられている。
「あまり乗り出しては駄目だよ」
ヴィンセントはそう言ってメイヴィスをソファーに座らせる。
簡単な遮蔽はされているが、柵に近づけばどうしても階下から様子が見えてしまう。妻の素顔を衆目に晒したくないヴィンセントの忠告に、メイヴィスは帽子を脱ぎながらこくりと素直に頷いた。
小部屋の片隅には先に頼んでおいた酒や盛り合わせが並んでいる。ヴィンセントは未開封の蒸留酒を手に取った。いつもの銘柄だ。
「メルも飲むか?」
その問いに首を傾げて応えられて、「ふむ」と唸った。冷やしてあった白ワインの栓を開け、炭酸水とフルーツを使って即席のカクテルを作る。
「どうぞ」
メイヴィスは目を瞬かせて、それからうれしそうに笑った。
***
明かりが落ち、舞台の幕が上がった。
はじまりは王子の独白だ。
一国の王子として恥じぬよう研鑽に励むが、満たされない日々。父王の治世は一見安泰だったが宮中では派閥の対立があり、心が休まることはない。王子は信頼のおける友人たちと手を取り合い、自分が王位を継いだ暁には混乱を一掃することを強く誓う。
「ほう」
ヴィンセントは目を細めた。
場面が変わり、『殿下』と背後から一人の令嬢が追いかけてくる。金色の長い髪をした彼女は王子の婚約者だ。
王と彼女の父との話し合いで決められた縁談だが、心優しい王子は令嬢を大切に扱っていた。けれど王子には使命がある。
甘い声で誘いをかける令嬢に言葉を尽くして断ると、令嬢は悲しそうに俯いて引き下がった。
ところが令嬢はそれからもことある毎に王子を誘う。それも仲間たちと大切な約束をしているときに限って。王子が心苦しくも否と答える度に、令嬢は悲しげにはらはらと涙を流した。
「…………」
メイヴィスはむっと眉を顰めた。
そんな日々が続く中、王子は学園で運命の姫に出会う。姫は明るく、貴賤を問わない公明正大な性格をしていた。王宮での権謀術数に悩まされていた王子は姫の助言を受けるうち、いつしか互いに心惹かれるようになる。
しかし王子にはすでに婚約者がいる。令嬢と姫に挟まれて王子は苦悩した。
「…うーん…」
ヴィンセントは酒を舐めながら少し笑ってしまった。
ところがここで話は急展開。
姫の友人であり、令嬢の妹である少女から、王子の婚約は令嬢の強い希望から成ったこと、また、そのせいで少女の夢が潰えそうになっていることを聞く。
さらに令嬢は自身の思惑通り事を運ぶため、父をはじめ宮中の貴族たちを影から操っていると言うのだ。
「え、ええー…?」
メイヴィスは困惑した声を上げた。
屋敷に戻ると、すでにメイヴィスは支度を終えて待ってくれていた。
質のいい生地を使った美しいドレスに、入手困難な一級品のファーコート。隣国で流行している最先端のデザインの靴。すべて艶やかな色香のある黒だ。メイヴィスを己の色に染め上げる。
ああ、美しい――。
ヴィンセントは彼女を目にする度に強く思う。今夜は特に素晴らしかった。まるで夜の妖精のように輝いている。美しさを讃えればクスクス笑われてしまったが、眩しさがますます際立つだけだ。
メイヴィスはよく笑ってくれる。
メイヴェルはいつもまず悲しみを浮かべていたから、ヴィンセントはそれだけで堪らなくなる。
劇場は王都の繁華街にあり、貴族から貧民まで雑多な賑わいを見せていた。
車体も車輪も馬もすべて黒いレアード商会の馬車が正面に停められ、商会の会頭が一人の女性を伴って降り立つと、その存在に気付いた者から歓声が上がり周囲がにわかに浮き立つ。
しかしヴィンセントは周囲の視線をものともせず、きらびやかなエントランスで劇場の支配人の歓迎を受けた。
「ようこそいらっしゃいました」
レアード商会は劇場とも取引がある。支配人とは旧知の仲だ。
「今回は無理を言って悪かった」
「大丈夫ですよ。それにレアード様の頼みなど、他の貴族の方の『お願い』に比べたらかわいいものです」
支配人はおどけた声で本音を告げる。
それからヴィンセントの傍らに立つメイヴィスに柔らかい表情を向けた。
「お美しいお連れ様ですね」
「私は彼女の下僕だ。すぐにでも跪きたい」
熱烈なヴィンセントの言葉にメイヴィスは小さくたじろぎ、支配人は笑みを深める。
「これはこれは、惚気られてしまいました。どうぞ今夜はごゆるりとお楽しみください」
頭を下げて見送られ、メイヴィスたちはゆっくりと美しいベルベット敷きの大きな階段を一歩一歩上る。
「もう、ヴィンスったらあんなこと…」
頬を薄紅色に染めるメイヴィスを横目に、ヴィンセントは肩を竦めておどけた。
「悪いな、心の声を隠しておけない質なんだ」
「まあ」
ころころと明るい笑い声に目を細める。
今夜のメイヴィスは白金色の長い髪を左肩に流し、黒いファーのベレー帽にあしらわれた黒いレースで顔を隠している。目の細かい複雑な織のレースはもちろんメイヴィスのお手製だ。
顔は見えないはずなのに、隙間から覗く輪郭が、すらりとした出立ちが、彼女の美しさを際立てる。その上かわいらしい笑い声を響かせたのなら目を惹かれずにはいられない。
「お願いってなにをしたの?」
「ちょっとな。メイヴェルをよく知っているような王子様やお貴族様は今夜の観劇はご遠慮いただいたんだ」
「まあ!」
それでなくても存在感のあるヴィンセントの同伴者として目立っているのだ。当然の配慮だろう。
足早に上階の特別席へとメイヴィスを促した。
特別席は小さな個室となっていて、中央にはゆったりと寛げるソファーが置かれ、ステージを望む開口部には手摺りとカーテンが設けられている。
「あまり乗り出しては駄目だよ」
ヴィンセントはそう言ってメイヴィスをソファーに座らせる。
簡単な遮蔽はされているが、柵に近づけばどうしても階下から様子が見えてしまう。妻の素顔を衆目に晒したくないヴィンセントの忠告に、メイヴィスは帽子を脱ぎながらこくりと素直に頷いた。
小部屋の片隅には先に頼んでおいた酒や盛り合わせが並んでいる。ヴィンセントは未開封の蒸留酒を手に取った。いつもの銘柄だ。
「メルも飲むか?」
その問いに首を傾げて応えられて、「ふむ」と唸った。冷やしてあった白ワインの栓を開け、炭酸水とフルーツを使って即席のカクテルを作る。
「どうぞ」
メイヴィスは目を瞬かせて、それからうれしそうに笑った。
***
明かりが落ち、舞台の幕が上がった。
はじまりは王子の独白だ。
一国の王子として恥じぬよう研鑽に励むが、満たされない日々。父王の治世は一見安泰だったが宮中では派閥の対立があり、心が休まることはない。王子は信頼のおける友人たちと手を取り合い、自分が王位を継いだ暁には混乱を一掃することを強く誓う。
「ほう」
ヴィンセントは目を細めた。
場面が変わり、『殿下』と背後から一人の令嬢が追いかけてくる。金色の長い髪をした彼女は王子の婚約者だ。
王と彼女の父との話し合いで決められた縁談だが、心優しい王子は令嬢を大切に扱っていた。けれど王子には使命がある。
甘い声で誘いをかける令嬢に言葉を尽くして断ると、令嬢は悲しそうに俯いて引き下がった。
ところが令嬢はそれからもことある毎に王子を誘う。それも仲間たちと大切な約束をしているときに限って。王子が心苦しくも否と答える度に、令嬢は悲しげにはらはらと涙を流した。
「…………」
メイヴィスはむっと眉を顰めた。
そんな日々が続く中、王子は学園で運命の姫に出会う。姫は明るく、貴賤を問わない公明正大な性格をしていた。王宮での権謀術数に悩まされていた王子は姫の助言を受けるうち、いつしか互いに心惹かれるようになる。
しかし王子にはすでに婚約者がいる。令嬢と姫に挟まれて王子は苦悩した。
「…うーん…」
ヴィンセントは酒を舐めながら少し笑ってしまった。
ところがここで話は急展開。
姫の友人であり、令嬢の妹である少女から、王子の婚約は令嬢の強い希望から成ったこと、また、そのせいで少女の夢が潰えそうになっていることを聞く。
さらに令嬢は自身の思惑通り事を運ぶため、父をはじめ宮中の貴族たちを影から操っていると言うのだ。
「え、ええー…?」
メイヴィスは困惑した声を上げた。
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