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悪役令嬢は悪徳商人に拐われる

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ヴィンセントとラニーは移動する馬車の中で国の地図を広げていた。
王都からレアード領までのルートに赤い線が引かれ、いくつかの領地に大きく丸やバツが描かれている。


「紅甘苺の苗を持ち出せたのはよかったな」


ヴィンセントが言った。彼の手でその産地には大きくバツが描かれる。


「敵対派閥だってわかってて長年付き合ってきたんだろ?よくやるよな」

「何を言ってるんだ?」

ラニーの言葉に、ヴィンセントは首を捻った。

「だからこそ餌を撒くんだろう。それに苺苗の育成にはあの地が一番適していた」


ヴィンセントはあの領が潰えようが、商会の軍門に下ろうが、どうなろうと関係なかった。自分たちに都合のいい形で大人しくなってくれればそれでいい。


「お前、怖いなあ…」

「悪徳商人だからな。仕方ない」


ヴィンセントは悪い顔で楽しそうに笑う。


「それよりメルが苺を気に入ってくれていたのは、うれしい驚きだった」


仕入れた紅甘苺は王都で流通させていたが、バーネット侯爵がメイヴェルのために購入していたとは知らなかった。

紅甘苺の苗は荷車一台をそれ専用にして世話をさせている。レアード領に着いたら専用の畑を作って育てよう、とヴィンセントは考えた。


「さて旅ももうすぐ中間地点だ。いつものように、山を越える前に少し長く休みを取る」


海沿いにあるレアード領に向かうには一度山脈を越えないといけない。道は確保されているが、山のこちら側と向こう側では気候が違うため、きちんと休んで疲れを取っておかないと辛い。

このタイミングで少し長い休暇を取るのが行商隊の定番だった。


「それでここか」


ラニーは山の麓の湖の街を指差した。ヴィンセントはただ笑った。


「それまでに寄りたいところはあるか?ルートとしては、こことここが選べるが」

「ああ、それなら――」



***
紅甘苺の産地からまたいくつかの街を経て、一団は湖の畔の街にやって来た。澄んだ空気に満ちて清々しい。

馬車から降りたメイヴィスは解放感から大きく伸びをする。


「ようやく地上に降りられたな、天使様」


ヴィンセントに腰を引かれ、よろけたところを抱き留められる。ぴくっと肩を揺らして、メイヴィスは頬を膨らませた。

「もうっ、そんな風に言われると恥ずかしいわ」

ヴィンセントは小さく笑う。


連れて行かれたのはこの街での宿泊先となるコテージ群だった。
赤茶色の木材で建てられた小さな小屋がいくつも連なっている。入口のドアが明るいパステルカラーでそれぞれ色分けされていた。


「わあ、かわいい!」


メイヴィスたちに割り振られたのはミントグリーンの扉の小屋だ。

とんとんと軽い足取りで丸太の階段を上がる。小屋の中は入ってすぐ広いリビングになっており、暖炉とキッチンが備え付けられている。
一階と二階にそれぞれドアが二つずつあった。そのうちのひとつはバスルームだという。

ウッドデッキもあった。外に出ると土と緑の匂いが鼻を抜ける。少しひんやりとして、高原特有の爽やかさがある。

「素敵」

メイヴィスの隣にヴィンセントが並ぶ。

「目的地に向かうにはあの山を越えないといけない。しばらくはここに滞在する」


そびえ立つ山の上の青空を白い雲がするすると流れていく。今日はよく晴れていた。今回のコテージも商会の一団で貸しきりだ。馬たちも厩舎に移され休んでいる。

荷物を運ぶマヤにメイヴィスも倣う。マヤはいつも恐縮するが、旅も長くなりメイヴィスにできることも増えてきた。


ヴィンセントは指示を出し終えると、他の場所と同じように、ラニーを連れてこの街の有力者の元へ挨拶に出ようとした。
いつもと違うのは向こうからやって来たこと。

からからと軽快にオープンタイプの馬車が走ってくる。二頭立ての馬も心なしか弾んだ足取りだ。


「ヴィンセント!!」


車上からはドレスを着た御婦人が手を振っている。黒い商人はすぐに反応した。


「これはマダム。ご無沙汰しております」

「まったくよ。王都に出てからちっとも戻って来やしなくって、不孝者なんだから」


責めるような口調で、しかし顔は笑っている。夫人はヴィンセントよりいくつか年嵩なだけ。マダムと呼んだがそれなりに若い。既知で親しい様子が伝わってくる。


「今回はずいぶん大所帯ね」

「ええ」

「全員ここに泊まるの?あなたはうちの屋敷に来るわよね?」

「いいえ。私もこのコテージに宿泊します」

「あら、そうなの?」

目を丸くした夫人は「まあいいわ」と頷く。

「今度いらっしゃいよ」

「ええ。是非御伺いさせていただきますね」


馬車から降りず、夫人は高い位置から周囲を見下ろした。


「どう?いいでしょう、ここ」

「はい。綺麗にお使いいただいているようで、ありがとうございます」

「もう何年前になるのかしら。山の麓に宿泊施設を造りたいって聞かされたときは何事かと思ったけど、おかげさまで評判いいのよ。もっとも、あなたの要望で造ったのに、当の本人はちっとも来てくれませんけどね」

「はは。弁明のしようがありません」

ヴィンセントは胸に手を当てて頭を下げた。


ふと、夫人の視線が奥のコテージに向いた。
若い女性の白金色の髪がきらきらと光に反射している。


「かわいい女の子がいるのね、珍しいわ」

「ああ、彼女は私の妻です」

「え…っ!?」


驚きを見せる夫人に、ヴィンセントは照れた表情で「実は先日結婚しまして…」と告げる。


「なによ、お祝いもさせてくれないの?屋敷に来るときはいっしょに連れていらっしゃい」


「ええ」とヴィンセントは頷いた。


「そうだ。滞在中に湖を観賞させていただこうと思うのですが、よろしいですか?」

「構わないわよ。景勝地は許可なんて要らないの、観光客は勝手に歩き回ってるわ」


夫人は「お邪魔して悪かったわね、もう行くわ」と馭者に合図を出した。


「お会いできて光栄でした。また改めて御伺いします」

「待ってるわ、ヴィンセント」


笑顔でヴィンセントに手を振って、それからすっと奥にいるメイヴィスの背中に視線を投げた。
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