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悪役令嬢は悪徳商人に拐われる
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「メルが直接切り出すとは」
「女性には女性の土俵があるんです」
馬車の中でメイヴィスは答えた。しばしの休暇を経て、一団は湖の畔の街を出発する。
当主は他の場所で静養しているそうで、改めて手紙でやり取りをする手筈を整えた。
ヴィンセントが当主と直接取引するということは、夫人のお役御免を意味している。つまり、レアード商会会頭との個人的な繋がりがなくなるということだ。
もしかしたら領地経営にも影が差すかもしれない。
けれど夫人はそれ以上に、ヴィンセントという拠り所をなくしたことを悟り、深く落ち込んだ。
「他所の旦那に懸想して、メル様を貶めるようなことをする御婦人はどうせはじめから大したことないんですよ!」
マヤがぷんぷんと怒っている。
ラニーは苦笑した。
黒い商人が己の思惑通りに動かない夫人をどう処理しようか模索していたことを知っているからだ。武力で制圧するか、ゆるやかに乗っ取るか。
結果、一番正当な判断になったと思っている。
その立役者に目を向ける。
「しかし思いきりましたよね」
「この髪?」
短くなった白金色の髪をはじめて見たとき、ラニーはまず胆を冷やした。意外にもヴィンセントが納得しているのを見てようやくほっとしたのだ。
「ヴィンスを悲しませてしまったから」
ヴィンセントが首を傾げる。
「わたくしはメイヴィスとして生きるのだから、いつまでも逃げてはいられないでしょう?これなら例えメイヴェルを知っている人の前でも、ヴィンスの隣にいることができるかと思って」
どうかしら?とメイヴィスが微笑む。
「オレのため?」
ヴィンセントが目を大きくする。
「きっかけはマダムだろう?」
「あの御婦人にはちょっといじわるしちゃったの」
夫人は親子ほど年の離れた相手に嫁いでいる。
あったかもしれないメイヴェルの未来を重ねて、ささやかな同情心を抱いたこともあった。
だがそんなもの、湖の畔で泡と消えた。
彼女はメイヴィスの白金色の髪を羨ましいと妬んでいた。髪色さえ違えば、自分の方が愛されると本気で思っていたようだ。けれどメイヴィスが美しい髪を失っても、ヴィンセントからの寵愛は変わらない。
どんな思いでそれを眺めていたのか――想像すれば胸がすく。
「ヴィンスはメイヴェルに憧れていて、同じ髪色をした平民のメイヴィスを代わりにしたのよね?あの舞台の夜にあなたが言ったのよ」
メイヴィスは目を細めて、あの日ラウンジでヴィンセントが使っていた設定を持ち出す。
メイヴィスはメイヴェルだ。
だから正直、夫人が何を言おうとメイヴィスには響かなかった。
「ヴィンスはメイヴィスを独占するんでしょう?」
しかしそれ以上に、ヴィンセントがどれほど愛を注いでくれているのか、もうメイヴィスは身をもって知っている。
「だからわたくしもきちんとメイヴィスとして立ち上がらないといけないと、思ったのよ」
ヴィンセントは両手で顔を覆って、呻いた。
「…降参だ、メルには敵わない」
「ふふ。」
メイヴィスは麗しく微笑む。
「あのね、実はわたくし、悪役令嬢と言われたことがあるの」
秘密を告げるように囁いて、案外本当のことだったかもしれないと笑えば、ヴィンセントが肩を竦める。
「奇遇だな、オレも実は悪徳商人なんだ」
「まあ!知ってたわ!」
レアード夫妻は楽しそうに顔を寄せてくすくす笑い、それをマヤは微笑ましそうに眺めて、ラニーが苦笑する。
「二人は似た者夫婦かもしれませんね」
「ええ、そうかもしれません」
山を越えたらレアード領まであと少し。
この先、地図上でバツがつくエリアは…もうない。
***
レアード商会の行商隊一行が出発してから、王都は次第に混乱を深めていった。
王都を出発した一団は南の端のレアード領を目指している。
通常であれば隊は小さな規模で往復する。王都を出て、目的地へ行き、また王都に戻ってくる。ところが今回は一方通行だ。多くの隊が一斉にレアード領を目指していた。
当然、常であれば王都に戻る隊商が荷を運んでこない。
以前より不安定だった物価はどんどん値を吊り上げていく。持てる者と持たざる者の差が刻々と開いていく。
しかしここはあくまでも王都。
個別の行商隊の往来により物流が滞るということはない。
けれどもそのうち近隣の領から、王都へ荷が集中することについて苦言が呈された。
なんでもレアード商会から取引停止を受けた領があり、一気に破綻寸前まで追い込まれたらしい。王都へ出荷するくらいならそちらへ援助するだとか、むしろ自領で確保するだとか、様々な声が上がる。
それでも強く王都への流通を命じれば、声を上げていた者たちは口を噤んだ。
王都を出る平民たちが徐々に増えていく。
その中には名の知れた者、腕のある者、金のある者も含まれた。一部の貴族も王都を離れて自領へ下がる。
そしてレアード商会が妙なことを言い出した。
「王都の支店ではなく本店へ発注しろだって?本店はレアード領だろ?」
「バカを言うな、手紙を出すだけで何日かかると思っている」
「王都の店は何をしているんだ?休業?冗談だろう」
「この状態でさらに混乱させる気か!」
物流が揺らいで、物価が揺らいで――貨幣価値が揺らぎはじめる。人民が揺らいで――国の価値が揺らぎはじめる。
「これはゆゆしき問題ですぞ」
王宮の議場に集まった貴族たちが唸る。
「我々の威厳が揺らぐ」
「いえ、信が揺らいでいるのですよ」
「バーネット侯爵!」
久しく王宮に出仕していなかったバーネット侯爵の姿に、宮廷貴族たちがざわめいた。
「今更どうした、もう貴殿の席はないぞ」
「ああそれでいい」
侯爵はぐるりと室内に視線を巡らせる。
覚えのある貴族たちばかりだ。
「相変わらず陛下はいらっしゃらないのか」
「陛下は政務にあたられている」
「ほう、議会は政務じゃないというのか。ではここでは何の話をしている?」
『国王の忠実なる臣下』と呼ばれるバーネット侯爵は剣呑に瞳を光らせた。
「女性には女性の土俵があるんです」
馬車の中でメイヴィスは答えた。しばしの休暇を経て、一団は湖の畔の街を出発する。
当主は他の場所で静養しているそうで、改めて手紙でやり取りをする手筈を整えた。
ヴィンセントが当主と直接取引するということは、夫人のお役御免を意味している。つまり、レアード商会会頭との個人的な繋がりがなくなるということだ。
もしかしたら領地経営にも影が差すかもしれない。
けれど夫人はそれ以上に、ヴィンセントという拠り所をなくしたことを悟り、深く落ち込んだ。
「他所の旦那に懸想して、メル様を貶めるようなことをする御婦人はどうせはじめから大したことないんですよ!」
マヤがぷんぷんと怒っている。
ラニーは苦笑した。
黒い商人が己の思惑通りに動かない夫人をどう処理しようか模索していたことを知っているからだ。武力で制圧するか、ゆるやかに乗っ取るか。
結果、一番正当な判断になったと思っている。
その立役者に目を向ける。
「しかし思いきりましたよね」
「この髪?」
短くなった白金色の髪をはじめて見たとき、ラニーはまず胆を冷やした。意外にもヴィンセントが納得しているのを見てようやくほっとしたのだ。
「ヴィンスを悲しませてしまったから」
ヴィンセントが首を傾げる。
「わたくしはメイヴィスとして生きるのだから、いつまでも逃げてはいられないでしょう?これなら例えメイヴェルを知っている人の前でも、ヴィンスの隣にいることができるかと思って」
どうかしら?とメイヴィスが微笑む。
「オレのため?」
ヴィンセントが目を大きくする。
「きっかけはマダムだろう?」
「あの御婦人にはちょっといじわるしちゃったの」
夫人は親子ほど年の離れた相手に嫁いでいる。
あったかもしれないメイヴェルの未来を重ねて、ささやかな同情心を抱いたこともあった。
だがそんなもの、湖の畔で泡と消えた。
彼女はメイヴィスの白金色の髪を羨ましいと妬んでいた。髪色さえ違えば、自分の方が愛されると本気で思っていたようだ。けれどメイヴィスが美しい髪を失っても、ヴィンセントからの寵愛は変わらない。
どんな思いでそれを眺めていたのか――想像すれば胸がすく。
「ヴィンスはメイヴェルに憧れていて、同じ髪色をした平民のメイヴィスを代わりにしたのよね?あの舞台の夜にあなたが言ったのよ」
メイヴィスは目を細めて、あの日ラウンジでヴィンセントが使っていた設定を持ち出す。
メイヴィスはメイヴェルだ。
だから正直、夫人が何を言おうとメイヴィスには響かなかった。
「ヴィンスはメイヴィスを独占するんでしょう?」
しかしそれ以上に、ヴィンセントがどれほど愛を注いでくれているのか、もうメイヴィスは身をもって知っている。
「だからわたくしもきちんとメイヴィスとして立ち上がらないといけないと、思ったのよ」
ヴィンセントは両手で顔を覆って、呻いた。
「…降参だ、メルには敵わない」
「ふふ。」
メイヴィスは麗しく微笑む。
「あのね、実はわたくし、悪役令嬢と言われたことがあるの」
秘密を告げるように囁いて、案外本当のことだったかもしれないと笑えば、ヴィンセントが肩を竦める。
「奇遇だな、オレも実は悪徳商人なんだ」
「まあ!知ってたわ!」
レアード夫妻は楽しそうに顔を寄せてくすくす笑い、それをマヤは微笑ましそうに眺めて、ラニーが苦笑する。
「二人は似た者夫婦かもしれませんね」
「ええ、そうかもしれません」
山を越えたらレアード領まであと少し。
この先、地図上でバツがつくエリアは…もうない。
***
レアード商会の行商隊一行が出発してから、王都は次第に混乱を深めていった。
王都を出発した一団は南の端のレアード領を目指している。
通常であれば隊は小さな規模で往復する。王都を出て、目的地へ行き、また王都に戻ってくる。ところが今回は一方通行だ。多くの隊が一斉にレアード領を目指していた。
当然、常であれば王都に戻る隊商が荷を運んでこない。
以前より不安定だった物価はどんどん値を吊り上げていく。持てる者と持たざる者の差が刻々と開いていく。
しかしここはあくまでも王都。
個別の行商隊の往来により物流が滞るということはない。
けれどもそのうち近隣の領から、王都へ荷が集中することについて苦言が呈された。
なんでもレアード商会から取引停止を受けた領があり、一気に破綻寸前まで追い込まれたらしい。王都へ出荷するくらいならそちらへ援助するだとか、むしろ自領で確保するだとか、様々な声が上がる。
それでも強く王都への流通を命じれば、声を上げていた者たちは口を噤んだ。
王都を出る平民たちが徐々に増えていく。
その中には名の知れた者、腕のある者、金のある者も含まれた。一部の貴族も王都を離れて自領へ下がる。
そしてレアード商会が妙なことを言い出した。
「王都の支店ではなく本店へ発注しろだって?本店はレアード領だろ?」
「バカを言うな、手紙を出すだけで何日かかると思っている」
「王都の店は何をしているんだ?休業?冗談だろう」
「この状態でさらに混乱させる気か!」
物流が揺らいで、物価が揺らいで――貨幣価値が揺らぎはじめる。人民が揺らいで――国の価値が揺らぎはじめる。
「これはゆゆしき問題ですぞ」
王宮の議場に集まった貴族たちが唸る。
「我々の威厳が揺らぐ」
「いえ、信が揺らいでいるのですよ」
「バーネット侯爵!」
久しく王宮に出仕していなかったバーネット侯爵の姿に、宮廷貴族たちがざわめいた。
「今更どうした、もう貴殿の席はないぞ」
「ああそれでいい」
侯爵はぐるりと室内に視線を巡らせる。
覚えのある貴族たちばかりだ。
「相変わらず陛下はいらっしゃらないのか」
「陛下は政務にあたられている」
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