旦那様なんて好みじゃないの

しおだだ

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「騒ぎにしてしまってごめんなさい」

「いや、お嬢さん方に何もなくてよかったよ。これに懲りずまた顔出してくれや」


怪我をした女中は付き添いを一人連れて町医者へと向かった。残されたこみつたちは商店街の顔役が呼んでくれた力車に乗って屋敷へと帰ることになった。

安心できる場所に戻ると、こみつは途端に恐怖が込み上げてきて腰が抜けてしまった。


「若奥様!」

「ごめんなさい、立てなくて…」


かたかたと震えが全身へと広がり、なんだか寒気までしてきた。うっと口元を押さえる。指先が冷え切っている。

こみつは慌てて介抱され、布団に入って休むことにした。



***
―――なんだか屋敷の中が騒がしい。


ふと目を覚ます。
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

どうやら五曜が帰ってきたようで大きな話し声が聞こえる。いつになく荒れている。ごそごそと身を起こすと、ちょうど部屋の扉が開けられ五曜が顔を見せた。


「こみつ」


麗しい顔を痛ましげに歪めている。


「五曜様。おかえりなさい」


こみつの顔色はまだ青かった。
足早に近づいてきた五曜は傍らに膝をつくと、上体を起こしたこみつに腕を回してそっと抱きしめる。

こみつの片手首には包帯が巻かれていた。
痛みを与えないようそっと撫でる。


「痛い?」

「まだすこし…」


五曜はぎりと奥歯を噛みしめる。


「怪我をした女中はどうでしたか?」

「彼女も足を捻挫していて、しばらく休ませる」


こみつはそっと五曜の胸に頬を擦りつけた。
じわ、と涙が溢れてくる。


「…わたし、こわ、怖かった」

「大丈夫。もう大丈夫だよ」


五曜はぎゅっとさらにこみつを抱き寄せて、肩や背中を撫で擦る。頭に啄むような口づけを落とす。でもどちらかというと、それはこみつを宥めるためというより、五曜自身が落ち着くためのようで。


「――その相手、見つけたらただじゃおかない」


怪我自体はそこまでひどいものではなかったが、こみつは精神的なショックが大きく、それからしばらく寝込んでしまった。青い顔をしてときどき吐き気を催す。

その間、五曜もひどく不機嫌だったが、年配の女中が言った。


「あら、若奥様はつわりなのではありませんか?」


その言葉にきょとんと目を瞬かせる五曜。

それからが大変だった。上を下への大騒ぎ、医者を呼んで実際にこみつの懐妊がわかると、今度は泣いて喜んで大わらわ。

五曜の醜態に目を丸くしていたこみつは、ぷっと笑うと、もうだめだった。おかしくてたまらない。同時にこのところずっと胸に巣食っていた不安がすうっと消える。妊娠についてはこみつもびっくりしたが、何とかなりそうな気がしてきた。


「おまえのお父様はおかしいねー」


まだぺったんこの腹を撫でてこみつがそう笑うものだから、五曜は滂沱の涙を流す。それを見てまた呆れて笑うこみつ。


「なんだろう、幸せすぎてこわいんだけど」

「縁起悪いんでそういうこと言うのやめてもらえます?」


こみつの憎まれ口にも涙を拭って微笑む五曜。
なんだかなあ、とこみつも微笑んだ。


―――しばらくして屋敷に来客があった。
晩餐会で一度だけ会った六連が訪ねてきたのだ。彼は五曜や北辰の先輩にあたる。


「子ができたって?おめでとう」


ぴしりとした細身のスーツ姿の六連はかぶっていた帽子をとって微笑む。とても優雅な仕草だ。


「元気そうでよかった」


しばらく他愛もない話をしていたが、不意に六連が居住まいを正す。


「今日はちょっと二人に報告があってね」


何も知らないこみつはきょとりと五曜と六連を見比べるが、隣に座る五曜はすこし顔を強ばらせている。


「わかったんですか」

「まあね」


六連はそれからこみつを見て。


「晩餐会でさ、根も葉もない噂があるって話したよね」

「え?ああ、はい」


そういえばそうだ。

こみつがすっかり忘れていたことを見抜いたのだろう、六連は呆れたようにふんと鼻を鳴らした。
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