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1.死を纏う毒華と、生に縋り付く月

16話

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 準備を着々と進める手際の良さを一瞥して、逃れるように窓へと目を向けた。自分のワンピースが夕焼けに染められて、裾が花弁のように柔らかく揺れた。

「私はあなたにお世話になりっぱなしですね」
「そうか? 俺もきみには助けられているからお互い様だな」

 彼の力になった記憶はない。彼の気遣いだろうと結論付けて、背を向けた。肌触りがよいワンピースを頼りなく掴み、内に巡る負い目を抑え込む。せめてお礼の言葉だけでも伝えるべきだ。

「服を用意してもらったうえに、着替えや汚れまで拭いて、それから、ええっと、ご飯もいただいて……ありがとうございます」

 伝えねばならないことは多く、順序立てるのがおかしくなる。拙い言葉に恥じれば、重たく冷たい沈黙が落ちた。

 ぞくりと寒気がする。
 一瞬にして彼の纏う空気が一変したのを、肌で感じ取った。

 どくんと心臓が大きく跳ねて、動揺する暇を与えず、彼がぽつりと呟いた。

「……って……なのか」

 聞き取れず顔を向けた、その瞬間。

「――っ!」

 ぐるんと視界が回り浮遊感が襲う。思考が追いつかず衝撃に備えて咄嗟に目を瞑った。

 が、しかし。思ったような痛みはこなく、代わりにふわりと抱きとめられる。柔らかなカーペットの上に転がり、張り詰めた空気に息を止めて、そろそろと目を開けた。

 間近に彼の整った顔があり、深淵の瞳が、月音を呑み込まんと捉えていた。彼の後ろに天井が見えたが、すぐさま彼で視界がいっぱいになる。

 夕焼けすら遮るように垂れた黒髪が周りを覆い、泰華以外全てを遮断された。優雅とは程遠い、あの夜に垣間見た獰猛な獣のごとく、獲物を狩る鋭利で凄絶な嘲笑を描いていた。
 呼吸すら制限させる圧迫感、身動ぎ一つすれば喉を噛み切られそうだった。

「俺がきみの服を脱がし、身体を拭いて服を着替えさせたのを知って。それでも、そこまで無防備なのはいただけないな」

 床に縫い留められた腕はびくともしない。手首を掴む指が食い込み、ぎしりと骨がきしむ。

「男は単純だ。目の前に差し出されれば容易く食らいつく。それが好きな女ならばなおさらだ。据え膳食わぬは男の恥、というだろう」
「……な、に」
「こうなるとは思わないのか? きみの裸体を見て、劣情を抱いて乱暴を働く……殺されるよりあり得る話だ」

 顔を首筋に埋めて、するりと唇を這わせる。熱の吐息が肌をなぞり、そのまま耳朶へと辿り着く。

 怒気と艶やかさの混ざる声が直接震わせ、滑り込んだ。甘い香りが思考をかき乱していく。

「きみは俺には勝てない。抵抗できない、服を切り裂かれ、暴かれ、めちゃくちゃにされてもどうにも出来ない」

 彼の足が月音の足の間に割り込む。スカートが捲れ上がり、真っ白の太腿が露わになったところで、月音はようやく気がついた。いや、理由はわからないが彼は怒っている。
 
 だが、奥にひそませているのは。

「……ごめんなさい」
「何を謝る? やめてほしくて?」
「配慮に欠けた行動でした」
「ふぅん、それで」
「私は世話してもらった側なので、文句言う立場ではない。と、恥を捨ててました。それに泰華さんなら良いと」

 ぴたり、と泰華が止まる。重苦しい沈黙が流れた。

 少々の嘘をまぜる。感謝こそすれ怒りもなければ、羞恥すらわかない。元よりそういった感情とは縁遠い、非常事態だったのだ。

 泰華に関しても、保護して好きだと恋慕を抱いた女を襲うなど軽率で愚かなことはしなさそうだ。嫌われて逃げたられるほうが面倒なはず。

 考えは正しい。彼にある怒りと、僅かににじみでる心配が何よりの証拠だ。劣情からくる行動には似合わぬ思い。

 睨み合い、数秒。

 根負けした泰華が上半身を起こす。月音の上から退いて、傍に腰をおろすと、不機嫌そうに鼻を鳴らした。彼は、胡座をかいて頬杖をつく。
 昨日知り合ったばかりだが、今での優雅なイメージとは、かけ離れた体勢に物珍しいを覚える。

「きみは、案外ずるいというか、性格が悪いな」
「えぇ……」
「お灸を据えてやろうと思ったんだがな。うまく逃げたな」
「怒らせてごめんなさい」
「何故怒っているかもわからないのに、謝らないほうがいい。軽く聞こえる」
「私が無防備だったのに苛ついた、ですよね」
「……正確にはきみが俺を――」

 そこまで言って噤む。じとりと睨んでから、もう一度ため息をついて、月音の頭を乱暴に撫でた。
 髪を乱され、驚きに小さく悲鳴を上げれば楽しげな笑い声がする。

「それは追い追い。無視できないほど、思い知らせればいいか」

 不穏さに目を瞠れば、彼は立ち上がる。
 そこには肉食獣のような威圧はかき消えていた。やはり芝居がかった所作で手を差し伸べる。ワルツを誘っているかと錯覚するほど優雅に、美しく紳士的だ。

「さぁ怯えさせたお詫びに、とびっきり美味しいお茶を入れよう」

 お手をどうぞ、と小首をかしげる愛らしさに月音は頷いて、迷うことなく手を重ねた。
 怯えていない。
 そう伝わるように不器用に微笑んでみせた。 

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