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4.地獄に墜ちた月が掴むのは
33話
しおりを挟む鈍い衝撃が全身に走り、沈んでいた意識が強引に引っ張りあげられる。
冷たい地面はざらつき、ぶつけた頬の皮膚が裂けて血があふれる。
殴打されてぼやけた頭を必死に働かせて、手足の自由がない現状を理解する。瞼をあげれば、一寸先もわからぬ暗闇が広がっていた。
鼻に届くは海水、生臭さだ。
「起きろ」
氷よりも冷たく、無機質な声音が降りかかる。月音の口に噛ませていたタオルを荒々しく取ると頭に靴底をのせた。
ぎ、と力をこめられた月音は唇を噛みしめて呻きを飲み込む。
「お前、陽野月音だな」
確認ではない。確信した男の声と、複数の人間が動く気配。
空気が揺れるのを感じながら、月音は目だけで辺りを見渡す。何もわからない、せめて出口はないか。
「月花のアレといただろう。やはり、仲間……いや女か? ガキだからそりゃあ違うか」
「いやぁわかんねぇぜ、もしかしたらそういう趣味かもしれねぇ」
「……」
彼らは、月花ではない。ならば虎沢のものか。
応えない月音に苛立ったのか、足をどけた後、髪の毛を乱暴に掴むとぐいっと力任せに持ち上げられる。
軋み、ぶちぶちと何本かが抜けたが、男は気にせずに顔をのぞきこんできた。
そこでようやく、相手の姿をとらえて月音は目を見張った。
見覚えが、あった。
脳裏に駆け巡る記憶が、今の光景と重なる。
忘れようがない、泰華と出会った日。
直前まで追いかけてきた一味の一人である。そして。
「あな、た。虎沢秀喜の」
思わず口からこぼれた問いに、数秒の沈黙が降りる。
そのあと困惑から哄笑が響いた。
嘲り混じりのそれに、人数分の視線が突き刺さる。
愚かな子供を見下す嫌な目だと、暗がりで何も見えやしないのに感じ取れてしまう。
くつくつと嘲笑した後、男は粘着質な声を吐いた。
どろりとねばついて気持ちが悪く、肌にへばりつく。汚らわしい生温い息が頬の傷に触れた。
「おいおい、お父さんを呼び捨てしちゃあ、だめだろう?」
まるで幼子に言い聞かせるようなゆったりした語調に、含まれた棘が月音の心に刺さる。
冷静とは異なる冷たい炎が身を包み、焦がして、神経が研ぎ澄まされていく。
「この前は、運良く助かったなぁ。お仲間の月花のおかげで」
「……運がよく?」
偶然であるはずがない。
月花の頭領が、偶然あんなところで倒れているものか。
そんなことあり得ない。
「なんでこんな目にあってるかわかるか、嬢ちゃん」
知っているとも。
だから逃げ出したのだ。月花にも、凪之にも頼らず。
虎沢秀喜――血縁からすれば、実の父親から。
「あなたの顔、よく覚えてる」
「あ?」
月音の抑揚ない声に、目の前で黄ばんだ歯をむき出して下品に嗤う男が一瞬怯えのような色を浮かべて固まったのがわかった。
いくつも年下の小娘をうつす瞳を見つめ返す。
暗かった部屋に、ぼうと蝋燭の灯りがつく。
よく見えた瞳の中にいる月音は男に負けない、色の含んだヒトデナシの笑みが張り付いていた。
母とは似ても似つかぬ、卑しい化け物の顔。
きっと、父である虎沢秀喜に瓜二つのいまいましい――。
「あなた、私の……いいえ、いいえ。母の両親を殺した男でしょう?」
男の顔が、余裕が、尊厳が、ひび割れたのを、確かに視た。
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