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5.月華

最終話

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 それから一息つくように、大きく息を吐き出した誠司の肩を、ぽんぽんと叩く。労る意味合いだったのだが睨まれる。 

 どうやら根に持っているらしい、それが当然の反応だ、泰華は微笑みで受け止めた。

 しかしそれも気に食わないのかクイクイと髪の毛を引っ張られた。痛いなあ、とわざとらしく伝えたが無視される。

「なぁ一つ聞いていい?」

 しばらく黙ったままで悩んでいたらしい誠司が、むすっとしながら問いかける。もう少しで帰れる喜びに浮かれつつ「なんだ?」と声を弾ませた。装う気のないはしゃぎように、身を引いて蔑みを向けてくるが、どうでもいいことだ。

 誠司も睨みつけながら、親指でくいっと地面を指す。

「コレ。殺したら、さすがの彼女も怒るんじゃないの。一応親でしょ」

 思わぬ発言に、瞬きを繰り返す。
 怒る、か。
 想像しなくとも分かる。彼女は、

「彼女はそんなことを気にしないさ」
「それでも万が一もあるじゃん。前にさ、君は君の都合がよく好みの俺を見てろって言ったんでしょ」
「はは、なんだ、俺の常套句を忘れたのか」
「は」
「嘘は言っていない、だ」
「というと?」

 当時を思い出す、彼女へ告げた思い。ずるいと罵るだろうか、いやそれこそ彼女は気にしない。

 彼女の悲願には関係ないのだから。彼女はそれ以外に関してはズボラかつ興味が薄い。
 これから少しずつ変わっていくだろうが、願いを超えることはないだろう。
 料理を作り、花の香りを楽しみ、本の文字を追う、全てにおいて瞳には絶えずほの暗さがあるのを泰華は知っている。

 そして、そのほの暗さこそが彼女の本質で、泰華の一等愛している部分でもある。

「正しくは、俺を愛するような君に作りかえて、その君が好む男を見ていろ、だ」
「こわ。言わなさすぎだろ。詐欺師向いてるよ」
「本当か? 転職しようか」
「詐欺師に転職とかあんの? いや、というか、それ笑えない冗談として各方面から叱られる上に、ビビらせるから二度と言うなよ」
「ふむ、冗談は難しいな」
「多分お前、死ぬほど向いてねぇから、冗談は諦めろよ」
「つまらないな、彼女にも笑ってほしいから習得してみた……」
「――あれは私の娘だ!」
 テンポのよいやりとりに、突然割り込んだ声。思わず二人で見下ろす。いつの間にか口にかませていた布を、ずりおろした中年男性が芋虫のように転がりながら、顔を真っ赤に肩で息をしていた。
 先ほどまで静かだったのに。
「……分量を間違えたんじゃないのか?」
「おかしいな、あと二時間は起きないと思ったのに」

 気合いってすごい、と感心する誠司に泰華はため息をついて、やれやれと首を振った。

(寝たままの方がお互いのためなんだがなぁ)

 ぼやきを心の中にしまうと、一瞬だけ誠司とアイコンタクトを交わした。それは面倒ごとを押しつける無言のやりとり。
 だが誠司は意外にも、すんなりと引き受けた。気苦労の多い彼らしい選択である。

「お前、月音ちゃんのこと、認知していないだろ?」

 心底軽蔑を込めた目線と言葉に、寝ていた男『虎沢』が悔しげに唇を噛む。
 月花で預かっていたが、話し合いの結果凪之に引き渡す手筈となった。月花より凪之の方が被害を受けているのと、泰華からすれば虎沢などどうなろうとどうでもいい。

 寝ている間に運び入れて、凪之が再び寝るおまじないをかけた。しばらくは黙っていてもらった方が事が運ぶからである。変に引っかき回されても困る。
 別室に運べばよかったな、と誠司が呟いている。とはいえ凪之は裏切りモノ以外にも、事情は知らなくとも月花に敵意を向けたということで再教育になった人間で、地下は溢れている。

 当主がいない状態で、この現状。十分試練になるだろう。

 当主が用意した問題は、どこまで続くのだろうか。終わったと言ったのすら嘘で、この事態の収拾も含まれていたなら。
 当主の朗らかな笑みと、えげつなく吐き出される内容を、つらつらと思い出しながら泰華は、静かに目を閉じた。
 他人事とはいえ、さすがに気の毒だ。うちの親父も責任感が薄く厳しかったが、凪之も別の意味で大変である。

「っだが、もし月花が、あの娘を手に入れるなら面倒になるだろう? いいのか? もし俺の子だと知れば、凪之を陥れた娘を引き入れたことに、お前らの組織に亀裂がはいる!」

 面の皮が厚い。
 思わず吹き出しそうになった泰華の横腹を、誠司が肘でつつく。

 諫められても顔が笑うのは抑えられない。どうにか声だけでも震わさないように気を引き締めて、咳払いしてから口を開いた。今回で面倒ごとが片づくのだ、少々の手間ぐらい付き合っても構わない。何しろ、家に帰れば彼女がいるのだ。

 もう二度と、手放す必要のない彼女が。

「それは困るなあ」
「あぁそうだろう。だから取引だ、もし俺を生かすならあれをくれてやる。娘だと明かさない。そうだ! それとも、俺の部下が勝手にやったことだとして婚姻を結べば俺の稼ぎを渡す! 金だ、金と娘をくれてやる」

 自分がおかしいことを言っている自覚はなさそうだ。寝ぼけているのか。誠司にどう思うと無言で問いかけるが、彼は頭を抱えていた。泰華とは違って、もうこれ以上の厄介はごめんらしい。

 彼はこれから忙しい身だ、そして目の前の男を引き取ると言ったからには、この正常ではない男を相手するときがくる。

(さすがに、この場ぐらいは俺が引き受けとくか)

 もはや泣きそうな誠司を庇って、虎沢と対面する。しゃがんで頬杖をつきながら、虎沢へ優しく言い聞かせる。声音だけは、幼子に話しかけるように、柔らかく。言葉だけは棘を含めて。

「自分の馬鹿さに気がつけないのか? お前の思惑に乗るほど俺は考えなしじゃないさ。 そもそも乗る必要すらない」
「な……」
「あれがお前の子だと知るのは俺とお前。そして信用のおける数名だ」

 凪之の右腕と候補、凪之の当主、誠司、泰華。ほかの男は処罰を受けるので除外していい。
 当主に関しては、今回のことは口出ししないと決めており、泰華にも迷惑かつ協力してもらったので「知らないのぅ」と恍けてくれた。

 優しいというよりは、借りは返した。ということだろう。
 借りではないというのに、凪之当主は昔から泰華に甘い。幼くして、同じ立場になった泰華を憐れにでも思ったのか。謎が多い当主の真意は読み取れない。

 ふと幼い記憶がよみがえる。
 部屋の中で互いに抱き合う両親。転がった、二つの血塗れの刃。二人の間には決して何者も入れないというように、胸の傷口を併せて微笑み死に絶えていた。血が混ざり合い畳に吸い込まれていく様を、泰華は何の感情もなく眺めていた。
 ようやく二人きりになれた、と幸福そうな二人。母親だった死体は病魔のせいで頬がこけていたが、それでもとろけるような、今まで一番幸せそうな顔をしていた。

 あの顔を――俺も今はできるのだろうか。

 母に似た己の顔を触り、そして呼吸を整える。先に終わらせなければならない、と自身に言い聞かせた。

「な、んだ、きさま何が」

 急に黙り込んだ泰華に、戸惑う虎沢を見つめる。月音と血が繋がった男だ。かけらでも似ている部分を探すがありはしなかった。彼女も母親似なのだ、写真を見たとき誠司が、母親と彼女は瓜二つだと言っていたのを覚えている。

 そんなことはない、という感想は飲み込んだ。あれほど儚げで壊れそうな雰囲気ではない。月音は真逆――全てを破壊する狂気を孕む、抜き身の刃のごとく、鋭利で妖しい魅力を放つ女だ。か弱さとは無縁だろう。

 その危うさを虎沢は――。

 一瞬の迷いを振り切り、何でもないように泰華を笑みを象る。ゆっくり瞬きを繰り返して、吐息混じりの囁きを虎沢へと吹き込んだ。

「――つまりお前の口を塞げば、済む」

 口外するモノは、彼を消せばもう、いない。
 月音の出自は闇へと葬り去る。泰華も彼女の親など興味はない。凪之も、今回については口出す気はない。反する奴らは、今回の事件にて処分される。

 だがら心配しなくともいい、と幼子に言い聞かせるように話しかける。
 震えて怯える虎沢を宥めるように、涙を親指で拭ってやる。
 泰華は、汚いな、という感想を抱きながら、慈愛を注ぐと勘違いしそうになるほど穏やかに優しく、宣告した。

「安心しろ。俺は、殺しはしないさ。……ただ少し、他言しないようにはするがな。その後は、やつらに差し出す」
「やっやめ」

 何か言っている。しかし。

(どうでもいい)

「あいつらも、何もなしに『そうですか』とは引い下がれないからな。でもまぁ」

 泰華は立ち上がり、近場のテーブルに用意しておいた器具をとる。しゃきん、かちんと金属音が鳴った。同時に獣のような悲鳴を上げる虎沢に、苦笑して、こつんと足音を立てる。

 もれでた笑い声をそのまま、泰華は、覗かせた赤い赤い舌を動かした。器具を、虎沢に近づき、中へ。

 自分のケツは自分でふけ、そんな単純なこともしてこなかったツケがまわったんだよ。

 じょきん。

 溢れ出た赤に塗れていくのを、泰華は帰れる喜びに目を細めた。






 
 逃げなかったのか……はは。君は馬鹿だなぁ。
 ええ、愚かなの。きっとあなも、私も。
 そうか、そうかもな。
 血濡れた彼の愛を受け入れてしまう私も。
 うん。そうだなぁ。
 ――あなた殺すのを躊躇わない私を、愛するあなたも。
 ぜんぶ、壊れてても、あいはにせものじゃない。
 それでじゅうぶん、そうだろう。
 そう。そうね。
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