影の子より

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 第十章 狼の子たち

 四話

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 眠りから覚めると、とてつもない時間が経っているような気がした。頭の中が一気に冷え、上腕に鳥肌が立つ。もたれていた窓枠から慌てて離れ、よろめきながら身体を起こす。
 ここは隔離部屋だ。
 いつの間に、堕ちていたのだろう。
 ハサイは自身の頬を叩き、完全に意識を取り戻した。続いて、与えられた任務を思い出す。
「……ヤオ」
 呟き、少年の姿を捜した。
 ──しかし手間は一切なく、すぐに見つかった。対象は、夕食を置いていたローテーブルの側で、丸くなって寝息を立てていた。
 ハサイは頭を掻く。まだ、陽が堕ちたばかりの刻だ。今から就寝に入られると、夜中に目が冴えるに決まっている。、ここ数日、それで世話を焼かされた。困ったような表情で、次の行動を悩んだ。声を掛けて起こすか──このまま、寝かせてやるか。
「はあ……」
 気の弱い彼には、後者しか選べなかった。代わりに、長いため息が漏れる。
 初めて任された、自分より弱い人間の世話役。
 ノーディスにも幼子たちはおり、子守を任される者もいるが、あまりいい眼を向けられないハサイには、誰も預けたがらない。信用がないのだろう。
 だからどう接すればよいか迷い、ただ眺めるしかなかった。
「困ったな……困った……」
 ロボットのように繰り返した後、彼は、窓横の壁に背を預けた。ずりずりと腰を落とし、床に座り込む。少年がしばらく起きないのであれば、今のうちに、自分の身体を休めておこう──そう考えたのだ。急に瞼は重くなり、意識が彼方へと飛んでいく──
 しかし、砂を踏む足音で、再び覚醒した。
 ハサイはわたわたと焦り、身なりを整えて立ち上がる。入口に駆け寄ると同時に、目の前で扉が開いた。
 すらりとした人影が、彼の上から差した。
「客だ」
 イェリの静かな声が降ってくる。
 そしてその背後には、同様に背の高い、──ジュノーが続いた。
「ヨナ──…」
 彼は絞り出すような声を出し、イェリを押し退けて駆け込んだ。視界には、息子の姿しか入っていないようだった。久しぶりの再会。平和に眠るその様子に、安堵のため息を洩らす。
「変わったことはないな?」
「う、うん。ぐっすりと……いつも通り……」
「お前は?」
 言葉を選びながら返答するハサイに、イェリは、違う角度から問い返す。
「え?」
「何かあったのか?」
 質問の意図が分からず、ハサイはしばらく固まった。それほど、心当たりがなかったからだ。
 イェリは何を読み取ろうとしているのか、彼の瞳から、しばらく目を離さなかった。しかし、いつもと変わらない様子を見止め、ふうと息を吐いた。
 殺風景な室内だが、暮らすために必要なものは、最低限そろっている。
 それもあってだろう。ヨナは心地よく寝入っていた。
 はっきりと温もりのある身体に、ジュノーは手を置く。
「ただいま」
 その声に反応したように、ヨナの肩が揺れた。
「ジュノー?」
 驚きと不安の交じった表情は、すぐにくしゃっと崩れる。懐かしい胸に抱きつき、何かが切れてしまったかのように、おいおいと大声で泣き始めた。おそらくそれは、再会の喜びからくる涙ではなかった。
 背後で、イェリとハサイが短いやり取りを交わす。そして彼ら親子を気遣ってか、静かに部屋を出ていった。
「ただいま、ヨナ」
 頭を撫でてやりながら、ジュノーが口を開く。
「……すまなかった」
「急に、いなくなったから──…」
「ああ」
「し、死んじゃったと思って──…うう」
 しがみつくヨナの小さな手に、余計に力が入った。
 嗚咽が続く彼の背をさすり、ジュノーは視線を床に落とす。
 村を去ってから、二人分の生命を背負ってきた。おそらく、これからもずっと。そのために、幼いながらヨナ自身にも、負担を強いてしまっている。置かれている状況など、半分も理解できていない子供に、だ。
 自分が先に生命を堕とすことになれば、この子はどうなるのだろう。──今更、そう最悪の考えが脳に過ぎった。
「死ぬもんか」
 咄嗟に、そう返した。本心だったのかもしれない。ただ、言葉に確証は持てなかった。
「生きているから。俺も、ヨナも」
「リンジーは……?」
「ああ、彼女もだ」
 ヨナの呼吸が、徐々に落ち着いてくる。
「……じゃあどうして、父さんと母さんは死んだの?」
 思いがけない問いに、ジュノーは目を見開いた。ヨナの肩を掴み、引き剝がす。
 ヨナは頬に涙の跡を付けたまま、悲しい目を向けていた。
 一度も聞いてこなかった。しかし、幼い少年にとっては、当たり前の疑問だろう。
 ジュノーは真剣な眼差しで、正面から我が子を見つめた。
「帰ったら、全て話す。約束だ」
「嫌だ──…どこ行くの? もう行かないで」
 立ち上がったジュノーの脚を、ヨナが必死に止めた。
 その姿が一瞬、遥か昔の自身と重なる。見下ろすジュノーは、表情を和らげた。
「墓参りに行こうか。父さんと母さんの」
 ヨナの耳が、ぴくりと動く。
「墓参り?」
「墓。亡くなった人の、魂がそこに眠っている。みんながいるところだ」
 以前のジュノーならば、話す気はなかったかもしれない。すがるヨナを見て、思わず切り出していた。
「二人の魂も、みんな……そこにいる」
 その場にしゃがみ、ヨナを抱きしめながら、呟くように言葉をつないだ。
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