影の子より

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 第十二章 集結

 二話

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 なぜ、死ななければならなかったのか。──今でさえ、そう考えることがある。
 決して私欲のためではなく、国のために、生命を捧げた。自我を棄て、命じられるがままに。しかし、として生きた結末は、意外なほどあっけなく──虚しさだけが残っている。
 テオと、ヨナ。
 彼らの最期を、ジュノーは知らない。敢えて、目を背けてきたのだ。知ろうとすれば、胸が締め付けられるように、苦しむはずだから。
「……まあ、都合よく残ってるわけねえか」
 ジャックスが、唸るように呟いた。
 今は人の出入りがない、旧詰所。建物自体は放置されており、外壁は朽ちつつある。容易く侵入ができ、二人は、埃や瓦礫に塗れた先を進んだ。身を低くしながら、階段を上がり、さらに奥の部屋へ向かう。そこはかつて、テオが使用していた書斎だった。
 室内は、既に人の手が入っていた。棚やソファなどはそのままだが、書庫や机の中は、不自然に物がない。おそらく、多くが処分されてしまったのだろう。
「おい。心当たりある場所、捜せよ。なんでもいい。奴らの弱みになりそうなもん、なんでも」
 立ち尽くしていたジュノーに、ジャックスが声を掛ける。
 ジュノーははっとして、机周辺を漁り始めた。
 ──しかし脳は、遥か昔の記憶を辿っていく。
 影の解体が決まった日、このソファで、最後の仕事を終えた。向かいには、レオール。そして椅子に、テオ。
 レオールに投げられた花瓶は、近くに見当たらない。片付けられてしまったのだろうか。
 机上に置かれていた羽ペンも、もう立てられてはいない。テオの愛用していた、年季の入ったペンだ。彼は誰が見ても几帳面であり、私物の位置は徹底していた。
 夜に焚いていた、吊りランタン。補充用の油の場所でさえ。
「すげえな、空っぽだ」
 棚の隅々まで確認し、ジャックスはため息を吐き出す。
「お前らに関する記録、全部ねえのな。数も、名も、経緯でさえ……」
「最初は、三十人だったんだ」
 ジュノーは、小傷の浅く入った机を、そっと撫でる。その瞳には、何も映っていない。目の前の光景も、ジャックスの姿も──
「小隊が三つ。俺とレオールと、リューイ……あの子は、俺たちの出撃の十日前に、死んだ」
 様々な境遇を抱え、拾われた少年たちは──五年も経つ頃には、三分の一ほどが生命を堕としていた。
 日陰での生活は、慣れるまでに苦しんだし、訓練という名の仕打ちもあった。日々に耐えられたのは、ジュノーやヨナ、レオールのように、それまでにも地獄を味わった経験のある、限られた者たちだ。もしくは、ダライムやサムウェントのように、頭の切れる者。
 ジュノーにとって影たちは、心からの仲間であり、名はずっと脳裏に刻み込まれている。道半ばで倒れていった、関わりの浅い少年であっても。
「第三小隊は、薬物中毒で壊滅したんだ。俺たちも……エリガーが、おかしくなって……」
「知ってたのか」
 口を挟んだジャックスに、ジュノーは思わず視線を移す。
 ジャックスは、開いていた引き出しを閉じ、ソファの背に腰を掛けた。
「お前たちは、利用されたんだよ。南は、麻薬くすりの効き目を試した、使い捨てのガキを使って」
「……知っているのか?」
 まったく同じ問いを、今度はジュノーが返す。
「知ってるも何も、北では有名な話だ」
「俺は、分からなかった。毒を盛られたら、気付くはずだろう」
「お前には、打たれた跡はなかった。別に、口から体内に入れる他に、方法はいくらでもあるさ。寝てる間に、……とかな」
「エリガーとは、都を出動してから、ずっといっしょだったんだぞ」
「四六時中、行動してたわけじゃねえだろ? 隙なんて、どこにでも転がってら。それに……」
 は、と鼻で笑った後、ジャックスはすぐに真顔に戻った。
「ある麻薬なら、効果を遅らせることができる」
「遅らせる……?」
「ヴゴーの劇薬、って呼ばれててな。血が興奮して、ハイになる麻薬だ。原液を注入すれば、数時間で効くが……薄めれば、二週間ほど潜伏するんだ」
 北ガラハン軍のグレハン少尉が、一つの例だ。彼の足取りを洗うと、オーガステロの第二居住で、誤って注射器を刺した件があった。おそらくそれが原因で、危うく心臓が止まるところだった。結果として、腕一本で済むことにはなったが。
「まあ、終いには、身体が壊れちまう。ガキには、耐えられねえかもな」
 ジャックスは、他人事のように続けた。
 やはり、レオールの情報は正しかったのだ。ジュノーの背筋が、一気に冷えていく。
 試す。ただそのために、影の多くが犠牲になったというのか。
 ──影だけではない。収容施設であると偽られた、国境際の孤児院への爆撃で、非武装の人間が巻き込まれた。彼らは軍とは無関係であり、ただそこで生きていただけだ。
「……時間切れ、か。くそ」
 ドアに目をやり、ジャックスが零した。
 耳を澄ませると、気配を押し殺したような足音が、複数近付いてくるのが分かる。時間稼ぎが成功したのは、ごくわずかな時間だった。
 逃げ場はない。
 ここで捕まれば、再び情報を探ることは困難だ。
 ジャックスは舌打ちをし、考えを巡らせる。そして、ちらりとジュノーを見た。
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