喫茶つむぎの見えないけど見えてる日常

石井はっ花

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楡之木町町内会夏まつり

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「この通りだ。なんとか、頼むよ!」

出勤してきたひよりが喫茶つむぎの入口ドアを開けると、60絡みの男性の大きな声が聞こえてきた。

「いえ、ですから、ボク達は難しいと言ってます。どうか他を当たってください」

「そこをなんとか」

「無理ですよ」

「いやいや、そこをどうかひとつ。ここに頼めなきゃ、夏まつりイベントの核がなくなるんだ。どうか曲げてお願いします」

そこへひよりがマスターに尋ねる。

「あの、なにかあったんですか?」

「……おはようございます。この方は気にしないで」

「でも、おじさん、かなり困ってそうですよ?」

「そうなんだよ!困ってるんだ!聞いてくれるかい!」

男性はこの付近、楡之木町の町内会会長らしい。次の日曜日ですぐそばの大きめの公園で開かれる夏まつりイベントの出店をしてほしいとのことらしい。

今まで頼んでいた飲食店が急に断ってきて喫茶つむぎに白羽の矢が立ったということだ。

「なんで、うちなんですか。保健所とか消防署とかに届けとか必要じゃないですか。ボクが考えるに、時間的な余裕無いと思いますけどね」

「そんなもの、署長がちゃっちゃとかいてくれれば、済む話だろう。幸い、どっちの署長もこの町内会に居る。ほんとに、困ってるんだ。頼むよ」

「準備もなにも出来てない上、食材だってなにからなにまで揃えないといけないんです。その費用だってばかにならないですし」

「ああ、機材というか焼台やバーベキューコンロとかは町内会の備品を使ってもらっていいことになってる。あとは、食材だって、こっち持ちでいい。なんとか頼めないか」

絡め手である。

「……仕方ありませんね」

マスターは折れた。そして、ひよりの方を向いた。

「ひよりさん、当日は朝から、夜までの勤務になりますが、お願いできますか?」

ひよりは、何度も頷いた。



毎年、同じイベントが行われるということで、売る商品も決まっている。

焼き鳥、豚串、焼きそばの三品だ。

それはともかく、人手が必要だ。

通常メンバーのマスターとひよりだけでは、心もとない。

マスターはダメ元で、しずに声をかけた。

なんと、しずは即答でOKを出した。

「え。楡之木町の夏まつりイベント?やりたい!やりたい!」

「遊んでる暇とかないと思いますけど、いいんですか?」

「そんなのいいって。マスター困ってるんでしょ。いつものお礼だよ!」

マスターはしずのいつもと変わりない調子に頭を下げた。



当日は雲ひとつない快晴だった。

じりじりと照りつける太陽に、ひよりは首の後ろを押さえた。

北の大地とは思えぬほど、今年の夏はやっぱりおかしい。

いっぱいの食材をいくつものクーラーボックスに詰め込んで、徒歩五分、会場のあけぼの公園にやってきた。

事前の打ち合わせ通り、すでにテントと焼台などのセッティングは終わっているようだ。

公園の中央部には盆踊りの櫓が組み上がって、鎮座していた。

付近で作業をしていた町内会の係の方に挨拶をして、喫茶つむぎの面々は作業に取り掛かった。



ひよりは思っていた以上の混雑と暑さで、汗がTシャツにじっとりと貼りつくのを感じながら、夕方前にはすでにへとへとになっていた。

 けれども、マスターとしずは弱音を吐かずに焼き方にまわっている。 

ひよりも踏ん張るが、暑さがじんわりと効いてくる。 

その時、不意に優しい声が頭上から降ってきた。

「よかったら、どうぞ!」

顔を上げると、町内会の婦人部と思しき女性が、氷の中から取り出したキンキンに冷えた缶のソフトドリンクを手渡してくれていた。

 ひよりは驚いてマスターに振り向く。

 「いいんですか?」 

「ああ、どうぞ!こんなに賑わっているのは、つむぎさん達が手伝ってくれたおかげですもん。ありがとうございます!」

 女性はドリンクのほか、町内会で販売しているおにぎりも手渡してくれた。 

ひよりは缶をあけて、一口流し込んだ。

炭酸が喉を駆け抜ける。

ああ、生き返るってこういうことだ。

思わず、空を見上げて笑った。

 *

夕闇が濃くなり、次第に夜のカーテンが辺りに満ちた。

 櫓の周りでは子供たちが子供盆踊りを踊っている。 

軽快なリズムにひよりも一緒になって踊りたくなる。

子供たちが笑いながら踊る輪が、少しずつ静まっていく。

夜が深まり、大人たちの番がやってきた。

 大人の部になると北海盆踊りがスピーカーから流された。 

その頃になると、潤沢に用意されたはずの、素材たちがあらかた売れきれて、少し早いが店じまいとなった。 

三人は最後の力を振り絞り後片付けまで終わらせた。 

あたりは酔客もいる。 

ひよりもしずも疲れをもはや隠せなかった。 

撤収となったとき。 

ひよりの後ろから、子供の声がした。

 『お姉ちゃんは踊らないの?』

 ひよりは飛び上がった。 

マスターは、ひよりを見て笑っていう。 

「盆踊りも境目ですから。あちらの方もよく踊りに来られるんですよ」

喫茶つむぎの独特の雰囲気には慣れては来ていたが。

なんてこともない夏まつりでも体験してしまうなんて。

ふ……。

盆踊りの輪の中に、着物姿の誰かがふと混じっている気がして、でもすぐに見失った。

怖さよりも、何故かしみじみとした感慨が押し寄せてきはじめたひよりであった。
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