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~第1章~

~第12節 鳳凰の矜持~

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 ---おおとりナツミのある一日。

「だいぶ動きもキレも良くなってきておるな」

 東の空から上がるまぶしい太陽の光を浴びる広く開け放たれた道場には、白の道着
を着た一人の白ひげを蓄えた老人とショートカットの橙髪の少女が対峙していた。周
囲には朝の目覚めを告げるヒヨドリの長くけたたましい鳴き声が聞こえてくる。額に
にじんだ汗を道着の袖で拭いながら橙髪の少女はフゥ~と細く長く息を整える。

「師匠であるじぃちゃんの教えがあればこそ、でしょ」

 歳のせいで少し腰が曲がっているがパンチングミットを両手に構えた師匠と呼ばれ
た老人に対して、構えのまま目をつぶって右手の正拳を繰り出す。その勢いで汗が飛
び散る。前日の戦いでの疲れを感じさせないかのような激しい稽古の後にもかかわら
ず、それほど息は上がっていない。

「もう、とうに父親を超えておると思うぞ。この代々続いておる鳳凰ほうおう流空手の後継者
としては申し分ない実力だのぉ」

 ナツミの父親は今は世界へ修行の旅と称してこのおおとり家をしばらく留守にしている。

「まぁ、逆に言えば娘がこれだけの力を付けたことが分かったからこそ、何のわだか
まりもなくあいつは家を留守にすることが出来たんじゃろうなぁ…」

 構えていたパンチングミットをゆっくりと下ろし、師匠は朝陽の射す縁側を眺める。

「でもそのせいで母さんは色々と心配してるんだから…」

 同じようにナツミも構えていた両手を下ろし、腰の部分に拳を構える。

「あいつの放浪ぐせは今に始まったことじゃないからのぉ…では今日はこのくらいに
しとこうかの」

 師匠はパンチングミットを片方ずつはずし、ミシミシと鳴る畳を出口に向かって歩
いていく。それを見るなり、ナツミは腰の部分に構えた拳を完全に下ろした。

「本当に…父さんじゃなく、あたしが後継者でいいの?」

「…そうじゃ、今あいつがいないだけが理由でなく、間違いなく器量はお前の方が上
じゃからな」

 師匠が道場を去ったあとも、ひとり目を閉じ感慨にふける。

(…あたしだってやりたいことが沢山あるのに…いつも肝心なところで父さんはいな
いんだから…)

 そして師匠のあとを追うようにして、朝の心地よい風の吹き抜ける道場を後にし
た。そのあと母屋のお風呂場で汗を流し終えて、自分の部屋に戻った。ナツミの部屋
は家自体が歴史のある平屋の古民家であり、その一角なので当然ながら和室である。
部屋の中はアイドルの七瀬ななせマリナのポスターやらグッズ、写真集などで所狭しと埋め
尽くされている。

「そういえばナツミよ、ちょっと話が…ぶふぉぅっ!」

 師匠でもある祖父がナツミの部屋のふすまを開けると同時に、眼前に足の裏が唐突
に飛びこんできた。

「ちょっ!なんど言ったらわかるんだ、このエロじじぃっは!…入る前にはノックし
てって言ってるでしょ!」

「そ、それはじゃな、つい忘れてしもうてなぁ…だいたいこんなふすまノックしても
仕方のう思うが…」

「いいから閉めてっ!」

 そう師匠に言いつつもナツミは自分でふすまを勢いよくバチンと閉めた。まだバス
タオルを首から下げて下着のまま着替えてなかったナツミは、慌ててTシャツとショ
ートパンツを身に着けた。当然といえば当然の仕打ちである。そして文句のひとつも
言いたくなる。

「…まったく、なんでこの家には鍵付きドアの部屋の1つも無いのよ…」

 それこそリフォームを今すぐにでも母親に頼もうかという勢いである。そのとき、
玄関から男の訪問を告げる大きな声が聞こえてきた。

「たのもうっ!誰かおらんか!」

「えっ、こんな朝早くから誰?」

 こんどはナツミの方から自室のふすまを勢いよく開ける。そこには顔に足の裏の形
のあざをつけ、若干の鼻血を出した師匠が玄関の方へ注意を向けて立っている。

「ナツミの知り合いか?わしは誰も招いとらんぞ」

 2人が急いで玄関に向かうと、一人のガタイのいい屈強な角刈りの男が道着を身に
着け待っていた。袖から見えている腕は歴戦をくぐり抜けてきた傷がいくつも見える。

「おう、ここの道場の主人はおるか?俺は各地を転々として自分の腕を磨いているも
んでね。ぜひとも手合わせを願いたい」

「師範はこのわしじゃが、あいにくここの主人はしばらく留守にしておる。お帰り願
おうか」

 師匠がナツミの前に立ち、早々に立ち去るように男へ告げる。それを聞くと道着の
男は歯をむき出してニンマリと笑い切り返す。

「そうか…それなら入り口の道場の看板は折らせてもらう」

「勝手をしてもらっては困る。それに今どき道場破りなぞ流行らんぞ。なにが目的じ
ゃ?わしで良いなら相手になるぞ。看板を折るとは…以後名乗るなというところか?」

 今までの柔和な雰囲気とは打って変わり、眼光鋭く師匠は構える。

「じいさんが師範と言ったな。そんな老体じゃぁ、相手にならんな。看板は持って歩
くには面倒だから折って回ってるのさ」

 玄関を出ようとして後ろを向いていたガタイのいい道着の男は、師匠の言葉で振り
向いた。そのとき師匠の視線を遮るようにサッとナツミが乗り出す。

「その相手はあたしが務めるわ。一応あたしも師範見習いではあるわけだし」

 それに対して男は片方の眉をつり上げ、いぶかしげにアゴに指を当てて見下ろす。

「おいおい、ねぇちゃんが相手か?それじゃぁ~それこそそこのじいさんよりも力不
足だろ?」

「ナツミ、無理を言ってはいかん。ここはわしが…」

 構えた師範をなだめるように、両肩に手を置いたナツミは首を横に振る。

「大丈夫よ、いつもの稽古の成果を見てみたいの。それに女だからといってなめても
らったら困るわ」

 そしてキッと道着の男をにらむと正拳を突き出した。

「いいだろう、受けて立とうじゃないか。あとで泣きべそかいても知らんからな」

 道着の男は指をボキボキと鳴らし履いている下駄もカランと鳴らしながら、その申
し出を受け入れた。道着の男と2人は道場へ移動し、改めて道着に着替えたナツミは
腰の黒帯を引き締めた。女性としては背の高いナツミよりも頭1つ分ほど道場破りの
男は背が高い。審判としては師匠が間に入る。

(…この試合は…絶対に負けられない。だってこの鳳凰ほうおう流道場の看板と父さんや、じ
いちゃんの名誉がかかってるんだもの。それに、あいつの為にはあたしはもう負けな
いと誓ったんだ…)

 ナツミの思うあいつとは、かつて幼馴染で空手でもライバルであったが、ある空手
の全国大会の直前で大病を患い、そのまま完治することなく逝去してしまった親友の
少女である。そこで親友の無念を晴らすためと交わした約束が、ナツミの心を奮い立
たせた。

「オホン…試合形式はフルコンタクト制とし、一本取った方とする。よいな?それで
は、構えて…」

 軽く咳払いのあと審判の師匠の声かけに対して、対峙する2人はお互い両手を肩幅
に開いたまま礼を行い、ルールを承認した。ナツミの方は火の鳥に似た構えを行う。

「はじめっ!」

 試合早々、道場破りの男は素早い踏み込みで正拳突きをくりだす。

(うくっ…大柄なのに意外と早い踏み込みっ)

 思わず防御するのに両手をクロスにして受けるが、その衝撃で2・3歩滑って後退
する。しかしナツミも負けておらず、相手の隙をついて左横から上段蹴りにて反撃に
転じる。

「お前も意外と素早いが、いかんせん重さが足りないな!」

 道場破りの男はナツミの素早い蹴りにも反応し、腕の構えたガードで耐える。が、
左にいて攻撃をしたはずのナツミがいないことに次の瞬間に気づく。

「ん?!いない!」

 気が付いた時にはすでに遅く、ナツミの右の掌底が顔の目の前に突きつけられる。

鳳凰鉤爪ほうおうこくそう!」

 右の掌底を突きつけられた道場破りの男は、拳が触れておらず寸止めにもかかわら
ず、その衝撃波で予想外に後ろへ勢いよく吹き飛ぶ。そして木の板でできている側壁
へ激突した。そして床へ落ちたあとは力なくうなだれる。道場破りの男の顔からは若
干煙のような水蒸気が立ち上っている。

「一本!そこまでっ、勝者おおとりナツミ!」

 手刀を上に振り上げた師匠は勝者を告げる。ナツミは自分の立ち位置に戻り、一礼
をしてうなだれたままの道場破りの男へゆっくりと近づいていく。道場破りの男は飛
んでいた意識が戻り、顔の異変に気付き手を顔に近づける。

「な、なんだ…顔が焼けるように熱い。こんな技があるとは…」

「もしこの掌底が触れていれば、その程度では済まなかったわ。」

「まさか、情けまでかけられるとはな」

 そして道場破りの男の前で腰に手を当て、仁王立ちにナツミは立つ。

「あなたは…女性蔑視を止めなければ、今後勝つことはできないでしょうね。武道家
に女も男もないわ…」

「この俺の完全な負けだ…まだまだ日本も広いな。心を入れ替えてまた修行を一から
やり直すことにする。その時は道場破りでなく正式にまた手合わせできるか?」

 勝者となったナツミを見上げながら、道場破りの男は敗者としての願いを請う。

「もちろん、いつでも受けて立つわ」

 ナツミは立ち上がるのを手助けするため右手を差し出し、道場破りの男はそれを握
手として受け取った。

「すごい試合じゃったなっ!見事だナツミ。わしの想像を超える上達ぶりじゃ」

 労う師匠に振り返り、ナツミは首を横に振る。

「ううん…それはこの道場のため。そしてこれは鳳凰ほうおう流の誇りのためだよ」
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