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第一章
見定め
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結間町を出発して数日。
カイリ、小花、時之介の三人は、守竜川に沿って泰土がある北を目指していた。
「出発を早めてすまなかった」
「私はいつでも大丈夫だよ」
隠し事の無くなった小花の笑顔は、以前に増して明るくなったようだ。
「僕も。奥様からたっぷりお礼をもらったし、妖退治のおかげでお札もたくさん売れたから問題なし!」
時之介は満足そうにパチンと片目を閉じた。
「ここから分かれ道だな」
彼らが立ち止まった先は、左右二手に道が分かれている。川の流れに沿って緩く左へ進む道。もう片方はキツく曲がっていて林道の先が見えない。
「見て見て! おっきな石に何か彫ってあるよ」
小花が駆け出したのは、キツく曲がった右へ進む道。彼女の胸元まである大きな石に刻まれた文字は『竜古町』であった。
(竜古町!?)
結間町で助けた屋敷の主人が、反物を納めに訪れていた町である。
(もうそんな所まで来ていたのか)
「カイリ、寄っていこうよ!!」
小花と時之介の声が揃う。二人はカイリの袖を引っ張って町の方を指差した。
(ここに辿り着くまで、小花も時之介も頑張ってきたからな)
使い魔の出現は霊力を消耗するため、二人をずっと黒狐に乗せてあげることはできない。もちろん休憩をたっぷりとりながらではあるが、彼らは文句一つ言わずに歩いてきた。
「そうだな、町で休んでいこう」
「やったぁ!」
カイリが頷くのを確認した時之介は、我先にと駆け出した。
「カイリ、私たちも行こう!」
「――えっ!?」
――ドクン!! とカイリの心臓が強く跳ねた。時之介のあとに続こうとした小花が、あろうことかカイリの手を取って走りだしたのだ。
(お、俺の手……)
小花はグイグイ手を引っ張って走っていくが、カイリの意識は繋がれた手に集中してしまって足取りがおぼつかない。
「どうしたの? もっと早く行こっ」
笑顔で振り向いた小花が、「んっ?」と急に目を丸くした。
それもそのはず。他でもない、唇を引き結んだカイリの顔が真っ赤だったからだ。
「あっ――」
小花の視線が繋いだ手を捉えた時、「ドン!」と彼女は何かにぶつかった。
「うわっ!」
案の定、混乱して下を向いたままふわふわと走っていたカイリも、そのまま小花にぶつかってしまった。
「痛いよ二人とも!」
いつの間にか立ち止まっていた時之介は、二人に思い切りぶつかられて転びはしなかったものの、思った以上に吹っ飛ばされてしまったようだ。
「ごめんね時之介! よそ見してて」
「わ、悪い……」
「もぉ、次からはちゃんと前見ててね! それよりカイリ、あれ見て」
背中をさする時之介に促され、カイリは首を傾げて道の先を確認した。
道の中央には馬車が止まり、数人が一人を囲んで何やら揉めているようだ。さらに注意深く見てみると、老婦が地面に倒れ込み若い男が声を荒げているではないか。
「おいっ!! 邪魔だ!! 早くどけっ!!」
「何度言わせるんだ、聞こえないのか!?」
「早く道を空けろ! 俺様の馬車が通れないだろうが!!」
どこかの金持ちの子息だろうか。身なりのいい男が一人いる。
「カイリ……」
「あっ!」
怯えた小花はカイリのそばに寄り、時之介は声を張り上げた。
次の瞬間カイリたちは目を疑った。若い男の一人が倒れている老婦を蹴ったのだ。
「二人とも、ここで待っててくれ!!」
駆け出したカイリは地面に突っ伏した老婦を守るように、男たちの前に立ちはだかった。
「暴力を振るってはいけない!!」
すぐさましゃがみ、声をかける。
「大丈夫ですか? ここは危ないです。端に移動しましょう、立てますか?」
「あ、足が……」
足を挫いてしまったのだろうか。老婦は震えながら痛む場所をゆっくり押さえる。痛むのはそこだけではないはず、先ほど蹴られた腰も心配だ。
「おいおい、今このばばあにお仕置きをしてんだ、邪魔すんじゃねーよ!」
「このご老人は足をケガしている。助けてやるのが道理だろう」
口にしたあと、カイリはふと結間町の主人が人助けをしたことが頭をよぎった。
(この人は老婦だ、男性じゃない)
「俺様に口答えするんじゃねぇ! お前にもお仕置きが必要だな」
金持ちの子息が不敵な笑みを浮かべると、付き人はカイリに向かって拳を振り下ろした。
「俺にお仕置きがしたいのなら少し待ってろ」
カイリは動じることなく拳を腕で払いのけると、再び老婦に話しかける。
「抱き上げますが、よろしいですか? あちらの木陰で少し休んでいてください。この先の町にお連れしますので、そこで手当をしてもらいましょう」
「生意気なやつだな! 俺に歯向かいやがって! 後悔させてやる!!」
目尻を吊り上げた子息の叫び声を合図に、いっせいにカイリめがけて殴りかかった――。
――ゾクッ……。
全身の毛が逆立ち心臓が縮み上がる。一瞬にして緊張が走った。
「――今年は愚かな者に出会ってしまった……実に残念だ」
老婦の姿に似つかわしくない高飛車な若い女性の声。突然その体から波動が放たれ、強い圧がカイリの体を叩きつけた。
カイリは身構えてグッと耐える。しかし、若者たちは木の葉のように吹き飛ばされると、ドサッと音を立てて地面に体を強く打ちつけてしまった。
(何が起きた――!?)
老婦の体がふわりと浮かび、吹き飛んだ彼らの前まで移動する。
「ば、化け物だっ!!」
「ご、ご、ごめんなさい! もう二度としません!!」
「許してください!!」
若者たちはガタガタと震え上がり、地面と一体化しそうなほど低く土下座をして許しを請う。
「そんなにお仕置きが好きなら、私がお前たちにしてやろう」
老婦が手をかざすと、彼らの絶望の悲鳴が「ひぃぃぃっ!!」と響いた――。
「危ない!!」
声とともに羽織がふわりと舞う。
一人の男性が若者たちの前に飛び出すと、老婦から放たれた風圧を杖と陣で弾き返した。男性は術師のようで、彼の使い魔と思われる白狼が次の攻撃に備えて構える。
「へぇ、驚いた。……お前、私の力を受け止めたな」
「いいえ、受け止めてはいません。まともに受けたら死ぬでしょう。なんとか流しただけです」
「それでも大したものだ。だが、守る者はちゃんと選んだ方がいい。そこにいる者たちは、ひどいクズだからな」
老婦は、涙と鼻水で顔を汚し、腰を抜かして震える若者たちを指差した。
「私は先ほど通りかかったゆえ、彼らについて言及は控えますが、今ここで本気を出されたら、あなたを守ろうとしたあの少年も巻き込んでしまいます。どうぞお考え直しを……『竜神様』」
術師は深く頭を下げる。
――『竜神』!?
カイリは耳を疑った。しかし、この術師は確かにそう言ったのだ。
竜神と呼ばれた老婦は「ふんっ」と鼻で笑うと、少し顎を上げて若者たちを冷たく見下ろした。
「……私を助けた少年に免じて、ここで力を使うのはやめておこう。だが、その者どもは今日この日を始まりとして一年間、罪の重さを噛みしめるといい。この竜古町で起こる『不幸、災い』すべてお前たちが代わりに引き受けるのだ。死なずに一年過ごせたなら、その後の人生はすべての欲を捨てて、人のために生きよ」
そう言い終わると、竜神はカイリの方を向いた。
「私を助けた少年、そなたのことは決して忘れぬ」
そう告げると渦巻く波のごとく風が巻き上がり、老婦は大きな竜の姿になって空に昇っていってしまった。
今のは現実の出来事だったのだろうか。
皆、放心状態。いや、止めに入った術師だけは違うようだ。杖を振って白狼を霊玉に戻すと、まだいろいろと理解が追いつかないカイリに歩み寄ってきた。
「大丈夫ですか? とても勇気がありますね」
柔らかな声とともに手が差し伸べられる。カイリはふいに褒められ、照れくささを感じた。
「あ、ありがとうございます……助けてくださって感謝いたします」
差し出された手を握り顔を上げると、穏やかな優しい目元が視界に入る。ガラス玉のような淡い灰色の瞳。
カイリは立ち上がる間も立ち上がってからも、そんなに見たら失礼だと思われるくらい、その術師から目が離せなかった。
背が高めのカイリよりさらに背が高く、陶器のように白く滑らかな肌。
何より驚いたのはその髪色。
わすがに黄色味がかった白――『練色』の髪は本物の絹糸と見間違えてしまうほど美しく、風に揺られた細く長い髪が日の光を浴びて眩しいほどの光沢を放つ。
顔立ちからしてこの国の者に間違いないが、カイリはこのように薄く淡い見た目をした者を見るのは初めてで、その美しさにただただ見惚れてしまっていた。
「私のような人間は初めて見ますか?」
「す、すみません。あまりにも美しかったので……ご無礼をお許しください」
見るのは初めてだが、噂には聞いたことがある。
(もしかして、この方は……)
「カイリーー!!」
大声を上げて大慌てで突進してくる小花と時之介。カイリは二人の存在をすっかり忘れていた。
「大丈夫だった? どこもケガしてない?」
「僕たちが見たのって何!? あのお婆さんは竜なの!? 人間じゃなかったの!?」
二人は気が動転しているのか、とにかく喋りまくる。術師はくすくすと控えめに笑うと、時之介を見て「先ほどは見事な結界でしたね」と褒めた。
「こちらのお嬢さんは……」
小花は術師からの視線を避けるようにカイリの後ろに隠れる。
「先ほどの竜なら驚かなくても大丈夫ですよ。遥か昔からこの辺りを守っている竜神です」
「竜神様!? それじゃ、僕ら邪神を見たってこと!?」
術師は微笑みを浮かべてこくりと頷いた。
「この先の竜古町で明日、『竜神祭』が行われるのですが、古くからの言い伝えに『竜神祭の前日、竜神が人を試す』とあります」
どうやらそれは、竜神祭の前日に姿を変えた竜神が毎年一度だけ人間に接触するというもののようだ。
その姿は実に多様で、ある年はケガをした者のふり。またある年はいたずらをする子ども。ほかにもお金の無い貧しい者や悪党だったり。時には動物の姿で現れることもあるらしい。
試されるのは最初に出会った者で、その者に求められるのは、困っている者には手を差し伸べ、悪い行いをする者には勇気を持って立ち向かうこと。
正しい行いをした者には、向こう一年幸福が訪れ、心無い行いをした者には、町で起こるであろう、ありとあらゆる災いが同じように向こう一年その者に降りかかると言われているのだ。
町の者たちは、過ぎた一年への感謝を込めてお供物や飾りを準備し、竜神祭の前日に例年通り竜神が来臨するのを待つという。
「――竜神が空へ昇ると、その年の見定めが終了した合図に通り雨を降らすと言われています。……ほら」
パラ……パラ……。
術師の言葉どおり降り出した雨。
ほんのわずかな間、ザッと降ったと思えばすぐに止んでしまった。
「お祭りの日ではなく、前日にお見えになるのですか?」
「そうです。竜神祭は、竜神が今年も変わらず来臨されたことを町の人々が共に喜び合う祝いの祭りですから……かくいう私もこの町の者ではないのですけど……」
術師は苦笑いを浮かべて、ぽりぽりと軽く頭を掻いた。
「この話を聞いて以来、竜神に会おうと毎年足を運んでいましたが、初めて会うことができました。知っていますか? 神に会った術師はさらなる高みに登ると言われています。君たちは、もっと素晴らしい術師になるでしょう」
「……そんな言い伝えがあるんだ。僕は結界師だけど、普段は結界の札を売る商売をしてるから、純粋な術師じゃないんです」
「そうですか……君は?」
術師はカイリに目をやった。
カイリの口元がわずかに動く。真っすぐに彼を見つめ決意を固めた。
「――あ、あの!! 突然の申し出、大変失礼とは存じますが、私を! ……あなたの弟子にしてもらえないでしょうか。私の師匠になってください!!」
なんとまあ、的外れな返答をしてしまったものだ。
あまりにも唐突なカイリの申し出に、術師だけでなく小花や時之介も固まってしまっている。しかし、術師を困らせてしまうのは承知の上だった。カイリの深刻な表情から、どれほど切羽詰まった状況なのかが痛いほどに伝わってくる。
「思い違いでしたら、ご無礼をお許しください。あなたは双子山、玄清様の弟子のお一人。『清流様』でいらっしゃいませんか?」
――『双子山の玄清』
術師なら誰でも一度は耳にしたことがあるだろう。今から二十数年前、双子山のある西の地でその名を轟かせた天才術師だ。
「彼に任せていれば大丈夫」
「泰土のどんな術師も彼には敵わない」
洒洒落落とした青年は人々からの信頼も厚く、彼の人生は順風満帆だった……『あの日』が訪れるまで。
彼の名声はある出来事を機に地に落ち、世間から『大悪党』の烙印を押されることとなったが、どれだけ悪く言われようとも彼は沈黙を貫いて、その姿を表舞台から消したのである。
その後、彼は血の繋がらない三人の子供を引き取り、弟子として育て上げた。そして、その弟子の中に世にも珍しい練色の髪を持つ者がいるという。
人々は成長した彼らをこう呼ぶ。
一人は『剣術の天才』、もう一人は『医学の天才』、そして練色の髪の持ち主である最後の一人を――。
天才の再来、『全霊の術師』と。
カイリ、小花、時之介の三人は、守竜川に沿って泰土がある北を目指していた。
「出発を早めてすまなかった」
「私はいつでも大丈夫だよ」
隠し事の無くなった小花の笑顔は、以前に増して明るくなったようだ。
「僕も。奥様からたっぷりお礼をもらったし、妖退治のおかげでお札もたくさん売れたから問題なし!」
時之介は満足そうにパチンと片目を閉じた。
「ここから分かれ道だな」
彼らが立ち止まった先は、左右二手に道が分かれている。川の流れに沿って緩く左へ進む道。もう片方はキツく曲がっていて林道の先が見えない。
「見て見て! おっきな石に何か彫ってあるよ」
小花が駆け出したのは、キツく曲がった右へ進む道。彼女の胸元まである大きな石に刻まれた文字は『竜古町』であった。
(竜古町!?)
結間町で助けた屋敷の主人が、反物を納めに訪れていた町である。
(もうそんな所まで来ていたのか)
「カイリ、寄っていこうよ!!」
小花と時之介の声が揃う。二人はカイリの袖を引っ張って町の方を指差した。
(ここに辿り着くまで、小花も時之介も頑張ってきたからな)
使い魔の出現は霊力を消耗するため、二人をずっと黒狐に乗せてあげることはできない。もちろん休憩をたっぷりとりながらではあるが、彼らは文句一つ言わずに歩いてきた。
「そうだな、町で休んでいこう」
「やったぁ!」
カイリが頷くのを確認した時之介は、我先にと駆け出した。
「カイリ、私たちも行こう!」
「――えっ!?」
――ドクン!! とカイリの心臓が強く跳ねた。時之介のあとに続こうとした小花が、あろうことかカイリの手を取って走りだしたのだ。
(お、俺の手……)
小花はグイグイ手を引っ張って走っていくが、カイリの意識は繋がれた手に集中してしまって足取りがおぼつかない。
「どうしたの? もっと早く行こっ」
笑顔で振り向いた小花が、「んっ?」と急に目を丸くした。
それもそのはず。他でもない、唇を引き結んだカイリの顔が真っ赤だったからだ。
「あっ――」
小花の視線が繋いだ手を捉えた時、「ドン!」と彼女は何かにぶつかった。
「うわっ!」
案の定、混乱して下を向いたままふわふわと走っていたカイリも、そのまま小花にぶつかってしまった。
「痛いよ二人とも!」
いつの間にか立ち止まっていた時之介は、二人に思い切りぶつかられて転びはしなかったものの、思った以上に吹っ飛ばされてしまったようだ。
「ごめんね時之介! よそ見してて」
「わ、悪い……」
「もぉ、次からはちゃんと前見ててね! それよりカイリ、あれ見て」
背中をさする時之介に促され、カイリは首を傾げて道の先を確認した。
道の中央には馬車が止まり、数人が一人を囲んで何やら揉めているようだ。さらに注意深く見てみると、老婦が地面に倒れ込み若い男が声を荒げているではないか。
「おいっ!! 邪魔だ!! 早くどけっ!!」
「何度言わせるんだ、聞こえないのか!?」
「早く道を空けろ! 俺様の馬車が通れないだろうが!!」
どこかの金持ちの子息だろうか。身なりのいい男が一人いる。
「カイリ……」
「あっ!」
怯えた小花はカイリのそばに寄り、時之介は声を張り上げた。
次の瞬間カイリたちは目を疑った。若い男の一人が倒れている老婦を蹴ったのだ。
「二人とも、ここで待っててくれ!!」
駆け出したカイリは地面に突っ伏した老婦を守るように、男たちの前に立ちはだかった。
「暴力を振るってはいけない!!」
すぐさましゃがみ、声をかける。
「大丈夫ですか? ここは危ないです。端に移動しましょう、立てますか?」
「あ、足が……」
足を挫いてしまったのだろうか。老婦は震えながら痛む場所をゆっくり押さえる。痛むのはそこだけではないはず、先ほど蹴られた腰も心配だ。
「おいおい、今このばばあにお仕置きをしてんだ、邪魔すんじゃねーよ!」
「このご老人は足をケガしている。助けてやるのが道理だろう」
口にしたあと、カイリはふと結間町の主人が人助けをしたことが頭をよぎった。
(この人は老婦だ、男性じゃない)
「俺様に口答えするんじゃねぇ! お前にもお仕置きが必要だな」
金持ちの子息が不敵な笑みを浮かべると、付き人はカイリに向かって拳を振り下ろした。
「俺にお仕置きがしたいのなら少し待ってろ」
カイリは動じることなく拳を腕で払いのけると、再び老婦に話しかける。
「抱き上げますが、よろしいですか? あちらの木陰で少し休んでいてください。この先の町にお連れしますので、そこで手当をしてもらいましょう」
「生意気なやつだな! 俺に歯向かいやがって! 後悔させてやる!!」
目尻を吊り上げた子息の叫び声を合図に、いっせいにカイリめがけて殴りかかった――。
――ゾクッ……。
全身の毛が逆立ち心臓が縮み上がる。一瞬にして緊張が走った。
「――今年は愚かな者に出会ってしまった……実に残念だ」
老婦の姿に似つかわしくない高飛車な若い女性の声。突然その体から波動が放たれ、強い圧がカイリの体を叩きつけた。
カイリは身構えてグッと耐える。しかし、若者たちは木の葉のように吹き飛ばされると、ドサッと音を立てて地面に体を強く打ちつけてしまった。
(何が起きた――!?)
老婦の体がふわりと浮かび、吹き飛んだ彼らの前まで移動する。
「ば、化け物だっ!!」
「ご、ご、ごめんなさい! もう二度としません!!」
「許してください!!」
若者たちはガタガタと震え上がり、地面と一体化しそうなほど低く土下座をして許しを請う。
「そんなにお仕置きが好きなら、私がお前たちにしてやろう」
老婦が手をかざすと、彼らの絶望の悲鳴が「ひぃぃぃっ!!」と響いた――。
「危ない!!」
声とともに羽織がふわりと舞う。
一人の男性が若者たちの前に飛び出すと、老婦から放たれた風圧を杖と陣で弾き返した。男性は術師のようで、彼の使い魔と思われる白狼が次の攻撃に備えて構える。
「へぇ、驚いた。……お前、私の力を受け止めたな」
「いいえ、受け止めてはいません。まともに受けたら死ぬでしょう。なんとか流しただけです」
「それでも大したものだ。だが、守る者はちゃんと選んだ方がいい。そこにいる者たちは、ひどいクズだからな」
老婦は、涙と鼻水で顔を汚し、腰を抜かして震える若者たちを指差した。
「私は先ほど通りかかったゆえ、彼らについて言及は控えますが、今ここで本気を出されたら、あなたを守ろうとしたあの少年も巻き込んでしまいます。どうぞお考え直しを……『竜神様』」
術師は深く頭を下げる。
――『竜神』!?
カイリは耳を疑った。しかし、この術師は確かにそう言ったのだ。
竜神と呼ばれた老婦は「ふんっ」と鼻で笑うと、少し顎を上げて若者たちを冷たく見下ろした。
「……私を助けた少年に免じて、ここで力を使うのはやめておこう。だが、その者どもは今日この日を始まりとして一年間、罪の重さを噛みしめるといい。この竜古町で起こる『不幸、災い』すべてお前たちが代わりに引き受けるのだ。死なずに一年過ごせたなら、その後の人生はすべての欲を捨てて、人のために生きよ」
そう言い終わると、竜神はカイリの方を向いた。
「私を助けた少年、そなたのことは決して忘れぬ」
そう告げると渦巻く波のごとく風が巻き上がり、老婦は大きな竜の姿になって空に昇っていってしまった。
今のは現実の出来事だったのだろうか。
皆、放心状態。いや、止めに入った術師だけは違うようだ。杖を振って白狼を霊玉に戻すと、まだいろいろと理解が追いつかないカイリに歩み寄ってきた。
「大丈夫ですか? とても勇気がありますね」
柔らかな声とともに手が差し伸べられる。カイリはふいに褒められ、照れくささを感じた。
「あ、ありがとうございます……助けてくださって感謝いたします」
差し出された手を握り顔を上げると、穏やかな優しい目元が視界に入る。ガラス玉のような淡い灰色の瞳。
カイリは立ち上がる間も立ち上がってからも、そんなに見たら失礼だと思われるくらい、その術師から目が離せなかった。
背が高めのカイリよりさらに背が高く、陶器のように白く滑らかな肌。
何より驚いたのはその髪色。
わすがに黄色味がかった白――『練色』の髪は本物の絹糸と見間違えてしまうほど美しく、風に揺られた細く長い髪が日の光を浴びて眩しいほどの光沢を放つ。
顔立ちからしてこの国の者に間違いないが、カイリはこのように薄く淡い見た目をした者を見るのは初めてで、その美しさにただただ見惚れてしまっていた。
「私のような人間は初めて見ますか?」
「す、すみません。あまりにも美しかったので……ご無礼をお許しください」
見るのは初めてだが、噂には聞いたことがある。
(もしかして、この方は……)
「カイリーー!!」
大声を上げて大慌てで突進してくる小花と時之介。カイリは二人の存在をすっかり忘れていた。
「大丈夫だった? どこもケガしてない?」
「僕たちが見たのって何!? あのお婆さんは竜なの!? 人間じゃなかったの!?」
二人は気が動転しているのか、とにかく喋りまくる。術師はくすくすと控えめに笑うと、時之介を見て「先ほどは見事な結界でしたね」と褒めた。
「こちらのお嬢さんは……」
小花は術師からの視線を避けるようにカイリの後ろに隠れる。
「先ほどの竜なら驚かなくても大丈夫ですよ。遥か昔からこの辺りを守っている竜神です」
「竜神様!? それじゃ、僕ら邪神を見たってこと!?」
術師は微笑みを浮かべてこくりと頷いた。
「この先の竜古町で明日、『竜神祭』が行われるのですが、古くからの言い伝えに『竜神祭の前日、竜神が人を試す』とあります」
どうやらそれは、竜神祭の前日に姿を変えた竜神が毎年一度だけ人間に接触するというもののようだ。
その姿は実に多様で、ある年はケガをした者のふり。またある年はいたずらをする子ども。ほかにもお金の無い貧しい者や悪党だったり。時には動物の姿で現れることもあるらしい。
試されるのは最初に出会った者で、その者に求められるのは、困っている者には手を差し伸べ、悪い行いをする者には勇気を持って立ち向かうこと。
正しい行いをした者には、向こう一年幸福が訪れ、心無い行いをした者には、町で起こるであろう、ありとあらゆる災いが同じように向こう一年その者に降りかかると言われているのだ。
町の者たちは、過ぎた一年への感謝を込めてお供物や飾りを準備し、竜神祭の前日に例年通り竜神が来臨するのを待つという。
「――竜神が空へ昇ると、その年の見定めが終了した合図に通り雨を降らすと言われています。……ほら」
パラ……パラ……。
術師の言葉どおり降り出した雨。
ほんのわずかな間、ザッと降ったと思えばすぐに止んでしまった。
「お祭りの日ではなく、前日にお見えになるのですか?」
「そうです。竜神祭は、竜神が今年も変わらず来臨されたことを町の人々が共に喜び合う祝いの祭りですから……かくいう私もこの町の者ではないのですけど……」
術師は苦笑いを浮かべて、ぽりぽりと軽く頭を掻いた。
「この話を聞いて以来、竜神に会おうと毎年足を運んでいましたが、初めて会うことができました。知っていますか? 神に会った術師はさらなる高みに登ると言われています。君たちは、もっと素晴らしい術師になるでしょう」
「……そんな言い伝えがあるんだ。僕は結界師だけど、普段は結界の札を売る商売をしてるから、純粋な術師じゃないんです」
「そうですか……君は?」
術師はカイリに目をやった。
カイリの口元がわずかに動く。真っすぐに彼を見つめ決意を固めた。
「――あ、あの!! 突然の申し出、大変失礼とは存じますが、私を! ……あなたの弟子にしてもらえないでしょうか。私の師匠になってください!!」
なんとまあ、的外れな返答をしてしまったものだ。
あまりにも唐突なカイリの申し出に、術師だけでなく小花や時之介も固まってしまっている。しかし、術師を困らせてしまうのは承知の上だった。カイリの深刻な表情から、どれほど切羽詰まった状況なのかが痛いほどに伝わってくる。
「思い違いでしたら、ご無礼をお許しください。あなたは双子山、玄清様の弟子のお一人。『清流様』でいらっしゃいませんか?」
――『双子山の玄清』
術師なら誰でも一度は耳にしたことがあるだろう。今から二十数年前、双子山のある西の地でその名を轟かせた天才術師だ。
「彼に任せていれば大丈夫」
「泰土のどんな術師も彼には敵わない」
洒洒落落とした青年は人々からの信頼も厚く、彼の人生は順風満帆だった……『あの日』が訪れるまで。
彼の名声はある出来事を機に地に落ち、世間から『大悪党』の烙印を押されることとなったが、どれだけ悪く言われようとも彼は沈黙を貫いて、その姿を表舞台から消したのである。
その後、彼は血の繋がらない三人の子供を引き取り、弟子として育て上げた。そして、その弟子の中に世にも珍しい練色の髪を持つ者がいるという。
人々は成長した彼らをこう呼ぶ。
一人は『剣術の天才』、もう一人は『医学の天才』、そして練色の髪の持ち主である最後の一人を――。
天才の再来、『全霊の術師』と。
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