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第二章
悪夢①
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まだまだ暑さの残る日々が続いている。
涼しくなるのはもう少し先のようだ。
そんなある日の朝――。
「カイリ!! 小花が倒れた!!」
早朝の訓練を終えて休憩をしていたカイリたちのもとに、血相を変えたキョウが駆け込んできた。
その両腕には意識のない小花が抱きかかえられている。
「どうした!?」
「すみません、ちょっといいですか?」
清流が小花の手を取り脈を確認する。その横で、カイリは慌てて小花の顔を覗き込んだ。ずいぶんと顔色が悪い。
「あんた小花に変なことしてないわよね!」
鋭い目つきで睨む響。キョウは濡れ衣を着せられて呆れたように目を細めた。
「変なことって何。俺は変質者か」
「じゃあ何があったのよ」
「何って、俺はただ――」
キョウは何があったのかを簡単に説明し始めた。
休憩中いつものように会いに行くと、小花はちょうど洗濯中だった。今朝はなんだか元気がないように見えたが、洗濯は体力を消耗するのでそのせいかとキョウは思っていたらしい。
「代ろうか」と声をかけようとしたところ、小花が突然倒れてしまった――とのことだ。
「お前の母さんがこき使いすぎなんだって」
「……」
キョウの鋭いツッコミにカイリは返す言葉がなかった。
大蛇の一件から一月以上が経ち、驚異的な速さで傷を治した小花は、自ら三堂の手伝いを申し出た。
まだ無理をしてはいけないというカイリやカイリの母、そして柊の反対を押しきって簡単な手伝いから始めたのだが、いつの間にかその量が増えて『お手伝い』の域を超えていたらしい。
「とりあえず、部屋に運びましょう」
危機迫った感じではない清流の声色に、カイリは少しホッとしたが、心配は隠せなかった。
「師匠、小花はどんな感じですか?」
「大蛇から受けた妖気も抜けていますし、熱もない。……疲れでしょうか。小花が目を覚ましたら最近の様子を聞いてみましょう」
表情を曇らすカイリに、清流は「大丈夫ですよ」と優しく声をかける。
小花はそれから三時間ほど眠っていたが無事に目を覚まし、カイリは飲み水を取りに台所に向かった――。
(あれ……?)
台所からいい香りが漂っている。
「母上?」
「ああ、カイリ。小花ちゃんはどう? 起きたらすぐ食べられるようにお粥を作ってたの。もうすぐできるわよ」
「ありがとうございます。先ほど目を覚ましました」
グツグツと汁が沸騰する音とネギの香りが漂う。割り入れた卵に火が入るのを二人は待った。
「……私ね、小花ちゃんにとても感謝しているの。彼女がいなかったら私は目を覚まさないまま死んでただろうし、あの人も永遠に妖のままだった。あの子にみんなが救われたのよ」
「はい。俺も小花に感謝しています」
「最近は一生懸命お手伝い……というより仕事をしてくれていたから、疲れがたまってしまったのね。申し訳ないことをしたわ……」
カイリの母は「私のせいね」と反省の色を見せてため息をつく。
「そうですよ母上」
「あとで片づけを終わらせたら謝りに行くわね」
「そうしてください」
カイリはふいっと顔をそらして、落ち込む母の視線を避けた。
「……ところでカイリは何をしてるのかしら?」
湯沸かし鉄器でお湯を沸かすカイリに向かって、上目遣いで尋ねてくる母。
先ほどまであんなにしゅんとしていたのに、今では「あらあらまあまあ」と感情をダダ漏れにして顔をほころばせている。どうやら反省を引きずらない性格らしい。
「別に……お粥ありがとうございました」
「あっ、ちょっと待って――」
準備を終えて、台所から逃げるように去ろうとしたカイリを母は呼び止めた。
「カイリ、あの子を大事にしてね。無理させちゃった私が言うのもなんだけど……。大切にしてね」
ほんの少しだけ間が空いたが、カイリは黙って頷くと、胸元で小さく手を振る母に背を向けて小花の部屋へと急いだ。
◇◇◇
「すみません。遅くなりました」
「おかえり!」
寝台の上で横になっていた小花は、勢いよく上体を起こすとカイリを見るなり表情をパッと明るくさせた。弾んだ声でお出迎えする。
寝台の横には先ほどまでいなかった柊が椅子に座って、あからさまな態度の小花をじーっと横目で見ている。
彼は一度仕事に戻っていたが、小花が目覚めたと聞いて慌てて帰ってきたようだ。その視線は、カイリが手に持つお盆へと移動する。
「カイリ。それ、小花のために悪いな」
「いえ、それより小花に無理をさせてしまってすみませんでした」
「無理した小花も悪いし、そう何度も謝るなよ。それよりこの部屋暑いな」
確かに、柊が言うように暑い。
少し前に小花は二人部屋から一人部屋に移動したため、狭い一室に七人は人口密度が高すぎる。
そこに熱々のお粥と湯沸かし鉄器が加わり、ますます部屋の温度は上昇。戸の内側に『風』の札が貼られているが、さすがに一枚では足りないようだ。もう少し風量を足して室温を下げた方がいいだろう。
「俺、札取ってきます」
「カイリ、大丈夫ですよ。私の部屋にあります」
「僕が行きます! 清流様は小花を診ててください」
清流の部屋はここから三部屋隣。カイリが自分の部屋に取りに行くより遥かに近い。時之介は札の置き場所を教わると、急いで部屋を出ていった。
「お粥、母が小花に。今食べるには熱いかも……」
「奥様が私に? 今食べたい! 白湯も作ってきてくれたの? ありがとう!」
「師匠、鉄器をお借りしました。白湯はまだ沸騰したばかりだから、もう少しあとで飲んで。普通の飲み水も持ってきたから」
「……うんっ!」
小花とカイリのやり取りを、微笑ましく、諦めたように、わくわくと、つまらなそうに……それぞれがそれぞれの表情で見つめている。
少し睡眠をとって清流の医術を受けた小花は、顔色がだいぶ良くなったようだ。そうなれば、おいしそうな匂いにつられて腹の虫も騒ぎだす。カイリがお椀にお粥を盛りつけてあげると小花は嬉しそうに食べ始め、その食べっぷりに皆の緊張が緩んだ。
「――ごちそうさまでした!」
「小花、いくつか質問してもいいですか?」
「あ、はい……」
白湯を飲む彼女の肩に、力が入ったように見えた。
「うーん……」
先ほどから、清流は顎に手を添えて何度も首をひねっている。
その理由は、彼がどんな質問をしても小花が「大丈夫、どこも悪くない」の一点張りを続けているせいだ。
本当にどこも悪くないのなら、倒れるはずはない。どことなくぎこちない雰囲気から何かを隠しているのは確か。けれども、いったい何を隠しているのか見当もつかない。
「――暑さと疲れからくる疲労でしょうか」
清流は首を傾げた。
「小花、母がお前のことを心配してた。明日から手伝いはしなくていいから、ゆっくり休めよ」
「えっ!? 待ってカイリ、手伝いは全然キツくないよ。私やめたくない。お駄賃もたくさんもらってるから、せめてその分だけでも――」
「ダメだ。倒れたんだから当然中止だろう。その分は俺が代わりにやる」
「柊兄」
「お駄賃はいつも頑張ってくれてるお礼だから。本当に無理しないで欲しい」
「でも……」
「そうだよ、無理しないで。僕さ、お手伝いもっと増やしたいなって思ってたんだ。小花の分、僕に譲ってよ」
「私も家事全般得意ですし」
「時之介、清流様」
「今は休む時だよ」
響とキョウも小花に笑いかける。
しかし、皆が休むことを勧めれば勧めるほど、なぜか小花は困り果てた顔をして黙ってしまう。
「みんな、心配してくれてありがとう。でもね、お手伝いの内容がキツイとか本当にそんなんじゃないの。むしろ気分転換になって助かってたっていうか……」
――気分転換? 助かってた?
「そりゃー、ずっと屋敷の中にいたら飽きるよな。気分転換に俺とどっか遊びに行く?」
「キョォオオ」
「痛っ! 冗談だって」
キョウは何度響から肘打ちをくらえば気が済むのか……口をへの字に曲げて脇腹をさすっている。
「どこか旅に……」
カイリの小さな呟きを聞いた途端、小花の顔色が変わった。
「違うの、本当に違うの。この町を出てどこかに行きたいわけじゃないの。むしろここにいたいの! ……あのね……えっと……」
カイリの真っすぐな眼差しが、小花の気持ちをとうとう揺るがした。言いにくそうにしばらく体を揺らしたあと、なんとか聞き取れる程度の声で呟いた。
「ね、寝不足なの……」
「――寝不足!?」
皆の声が見事に揃う。小花の体がキュッと萎縮した。
「全然寝てないのか?」
柊も初耳だったようだ。
「違う違う、まったく寝れてないわけじゃないよ。毎日……同じ夢を見るの。それが怖くて、寝るの我慢してただけ」
「毎日とは、どのくらい前からですか?」
「大蛇を退治して、目を覚ましてからです……」
(それって――)
部屋の中が静まり返った。
なんということだ……小花は一月もの間、同じ夢を見続けているのだ。ただ事ではない状況に、清流の顔つきが変わる。
「どんな夢か話してもらえますか?」
「えっと、夢の内容は――」
荒れ果てた村、血生臭い匂い、罵り合う声、岩の上に座り夜空を見上げる男の人、白い彼岸花。
そして、毎回頭が割れるような落雷の音で目が覚めるという。
「師匠、大蛇の呪いでしょうか」
「いえ、大蛇は浄化しましたから、呪いが残っているとは思えません」
「清流様。肉体だけでなく精神に干渉した場合、医術で治せるものですか?」
響の質問に清流は考え込んでしまった。なにせ、大蛇ほどの妖と同化しかけたとなると、清流も初めてのことなので簡単に答えることができない。
「あの……、同化の最中に大蛇の記憶と感情が私の中に流れ込んできました」
「それはどんなものでしたか?」
「大蛇は生前小さな蛇でした。ケガをした蛇を男の子が助けてくれて、蛇はその子に会いに行ったけど、人間に見つかってひどい殺され方をされてしまいました」
あの時、大蛇は言っていた。
人間は頭を潰し、喉を切り裂き、お腹を切り刻んで体を焼き払ったと。
小花はとてもつらい記憶に耐えるように目をつむる。そして寒さで震える時のように両手で自分の腕を抱き寄せ、大蛇の記憶の続きを話し始めた。
「死後、再び意識を取り戻した蛇は、巨大な白蛇の姿に変わっていました。会うことができなかった男の子のもとにもう一度行くと、蛇を殺した村の人たちは『白蛇は神の使いだ』と喜んで、今度は白蛇を丁重にもてなして崇めたんです――」
白蛇の妖へと姿を変えた蛇は大いに驚いた。以前の自分と何が違うのか……。
何度も考えるうちに、人々が口にする「白蛇」という言葉が引っかかった。そして、ついに気づいてしまったのだ。
見た目だけ……たったそれだけのことで、自分が殺されたということを。
見た目の美醜で判断する人々の浅はかさ。勝手に美しさの基準を作り、それから外れれば排除しようとする傲慢さ。
白蛇の正体が残虐に殺したあの小さな蛇だとも気づかずに、『神の使い』だと貢ぎ物をこしらえて、頭を下げて自分たちの都合のいい願いを言い連ねる。
本当に愚かだ。
馬鹿馬鹿しすぎて笑いが止まらなかった。
恨みが抑えきれず、人間が食べたくて食べたくてたまらなくなった――。
小花はなんとかみんなに伝えようと、つらい気持ちを我慢しながら口にした。
「それから……せ、赤眼の女の人を……うっ」
それ以上は我慢の限界だった。小花は吐きそうになる口元をとっさに手で押さえて、目から涙をポロポロとこぼしている。
「よく話してくれました。これ以上は大丈夫ですよ。つらい思いをさせてすみません」
清流は、吐き気が治るように小花の震える背中をゆっくりとさすった。
小花はこんなにもつらい思いをしながら、なぜ一月もの間黙っていたのだろう。
「みんなに心配かけたくなくて、黙っててごめんなさい……」
――ああ……そうか。
(俺たちがそうさせてしまったんだ……)
大蛇との戦いで生死を彷徨った小花に、カイリたちは何度も謝った。あの時のこともあって、悪夢のことを話せばもっと皆を心配させてしまう、そんなふうに思ったのだろう。困っていても言い出せず、悪夢を見ないために睡眠時間を削った結果、ついに倒れてしまったのだ。
「小花、悪夢を見なくなる方法をみんなで考えよう」
「謝ることない、言えずにつらかったな」
「僕、悪夢を跳ね返す札がないか探してみるよ!」
「カイリ、柊兄、時之介……」
「小花、『癒しの使い魔』行こう!」
「うーん、やっぱり俺の添い寝が必要かな」
「バカ! そういうのは必要ないって」
「響さん、キョウ」
清流は小花の背中をさすりながら笑顔を向ける。皆、自分たちがついていると小花に伝えたかった。
「みんな、ありがとう!」
笑いながら涙を流す小花を囲み、彼らは目を合わせて頷いた。
涼しくなるのはもう少し先のようだ。
そんなある日の朝――。
「カイリ!! 小花が倒れた!!」
早朝の訓練を終えて休憩をしていたカイリたちのもとに、血相を変えたキョウが駆け込んできた。
その両腕には意識のない小花が抱きかかえられている。
「どうした!?」
「すみません、ちょっといいですか?」
清流が小花の手を取り脈を確認する。その横で、カイリは慌てて小花の顔を覗き込んだ。ずいぶんと顔色が悪い。
「あんた小花に変なことしてないわよね!」
鋭い目つきで睨む響。キョウは濡れ衣を着せられて呆れたように目を細めた。
「変なことって何。俺は変質者か」
「じゃあ何があったのよ」
「何って、俺はただ――」
キョウは何があったのかを簡単に説明し始めた。
休憩中いつものように会いに行くと、小花はちょうど洗濯中だった。今朝はなんだか元気がないように見えたが、洗濯は体力を消耗するのでそのせいかとキョウは思っていたらしい。
「代ろうか」と声をかけようとしたところ、小花が突然倒れてしまった――とのことだ。
「お前の母さんがこき使いすぎなんだって」
「……」
キョウの鋭いツッコミにカイリは返す言葉がなかった。
大蛇の一件から一月以上が経ち、驚異的な速さで傷を治した小花は、自ら三堂の手伝いを申し出た。
まだ無理をしてはいけないというカイリやカイリの母、そして柊の反対を押しきって簡単な手伝いから始めたのだが、いつの間にかその量が増えて『お手伝い』の域を超えていたらしい。
「とりあえず、部屋に運びましょう」
危機迫った感じではない清流の声色に、カイリは少しホッとしたが、心配は隠せなかった。
「師匠、小花はどんな感じですか?」
「大蛇から受けた妖気も抜けていますし、熱もない。……疲れでしょうか。小花が目を覚ましたら最近の様子を聞いてみましょう」
表情を曇らすカイリに、清流は「大丈夫ですよ」と優しく声をかける。
小花はそれから三時間ほど眠っていたが無事に目を覚まし、カイリは飲み水を取りに台所に向かった――。
(あれ……?)
台所からいい香りが漂っている。
「母上?」
「ああ、カイリ。小花ちゃんはどう? 起きたらすぐ食べられるようにお粥を作ってたの。もうすぐできるわよ」
「ありがとうございます。先ほど目を覚ましました」
グツグツと汁が沸騰する音とネギの香りが漂う。割り入れた卵に火が入るのを二人は待った。
「……私ね、小花ちゃんにとても感謝しているの。彼女がいなかったら私は目を覚まさないまま死んでただろうし、あの人も永遠に妖のままだった。あの子にみんなが救われたのよ」
「はい。俺も小花に感謝しています」
「最近は一生懸命お手伝い……というより仕事をしてくれていたから、疲れがたまってしまったのね。申し訳ないことをしたわ……」
カイリの母は「私のせいね」と反省の色を見せてため息をつく。
「そうですよ母上」
「あとで片づけを終わらせたら謝りに行くわね」
「そうしてください」
カイリはふいっと顔をそらして、落ち込む母の視線を避けた。
「……ところでカイリは何をしてるのかしら?」
湯沸かし鉄器でお湯を沸かすカイリに向かって、上目遣いで尋ねてくる母。
先ほどまであんなにしゅんとしていたのに、今では「あらあらまあまあ」と感情をダダ漏れにして顔をほころばせている。どうやら反省を引きずらない性格らしい。
「別に……お粥ありがとうございました」
「あっ、ちょっと待って――」
準備を終えて、台所から逃げるように去ろうとしたカイリを母は呼び止めた。
「カイリ、あの子を大事にしてね。無理させちゃった私が言うのもなんだけど……。大切にしてね」
ほんの少しだけ間が空いたが、カイリは黙って頷くと、胸元で小さく手を振る母に背を向けて小花の部屋へと急いだ。
◇◇◇
「すみません。遅くなりました」
「おかえり!」
寝台の上で横になっていた小花は、勢いよく上体を起こすとカイリを見るなり表情をパッと明るくさせた。弾んだ声でお出迎えする。
寝台の横には先ほどまでいなかった柊が椅子に座って、あからさまな態度の小花をじーっと横目で見ている。
彼は一度仕事に戻っていたが、小花が目覚めたと聞いて慌てて帰ってきたようだ。その視線は、カイリが手に持つお盆へと移動する。
「カイリ。それ、小花のために悪いな」
「いえ、それより小花に無理をさせてしまってすみませんでした」
「無理した小花も悪いし、そう何度も謝るなよ。それよりこの部屋暑いな」
確かに、柊が言うように暑い。
少し前に小花は二人部屋から一人部屋に移動したため、狭い一室に七人は人口密度が高すぎる。
そこに熱々のお粥と湯沸かし鉄器が加わり、ますます部屋の温度は上昇。戸の内側に『風』の札が貼られているが、さすがに一枚では足りないようだ。もう少し風量を足して室温を下げた方がいいだろう。
「俺、札取ってきます」
「カイリ、大丈夫ですよ。私の部屋にあります」
「僕が行きます! 清流様は小花を診ててください」
清流の部屋はここから三部屋隣。カイリが自分の部屋に取りに行くより遥かに近い。時之介は札の置き場所を教わると、急いで部屋を出ていった。
「お粥、母が小花に。今食べるには熱いかも……」
「奥様が私に? 今食べたい! 白湯も作ってきてくれたの? ありがとう!」
「師匠、鉄器をお借りしました。白湯はまだ沸騰したばかりだから、もう少しあとで飲んで。普通の飲み水も持ってきたから」
「……うんっ!」
小花とカイリのやり取りを、微笑ましく、諦めたように、わくわくと、つまらなそうに……それぞれがそれぞれの表情で見つめている。
少し睡眠をとって清流の医術を受けた小花は、顔色がだいぶ良くなったようだ。そうなれば、おいしそうな匂いにつられて腹の虫も騒ぎだす。カイリがお椀にお粥を盛りつけてあげると小花は嬉しそうに食べ始め、その食べっぷりに皆の緊張が緩んだ。
「――ごちそうさまでした!」
「小花、いくつか質問してもいいですか?」
「あ、はい……」
白湯を飲む彼女の肩に、力が入ったように見えた。
「うーん……」
先ほどから、清流は顎に手を添えて何度も首をひねっている。
その理由は、彼がどんな質問をしても小花が「大丈夫、どこも悪くない」の一点張りを続けているせいだ。
本当にどこも悪くないのなら、倒れるはずはない。どことなくぎこちない雰囲気から何かを隠しているのは確か。けれども、いったい何を隠しているのか見当もつかない。
「――暑さと疲れからくる疲労でしょうか」
清流は首を傾げた。
「小花、母がお前のことを心配してた。明日から手伝いはしなくていいから、ゆっくり休めよ」
「えっ!? 待ってカイリ、手伝いは全然キツくないよ。私やめたくない。お駄賃もたくさんもらってるから、せめてその分だけでも――」
「ダメだ。倒れたんだから当然中止だろう。その分は俺が代わりにやる」
「柊兄」
「お駄賃はいつも頑張ってくれてるお礼だから。本当に無理しないで欲しい」
「でも……」
「そうだよ、無理しないで。僕さ、お手伝いもっと増やしたいなって思ってたんだ。小花の分、僕に譲ってよ」
「私も家事全般得意ですし」
「時之介、清流様」
「今は休む時だよ」
響とキョウも小花に笑いかける。
しかし、皆が休むことを勧めれば勧めるほど、なぜか小花は困り果てた顔をして黙ってしまう。
「みんな、心配してくれてありがとう。でもね、お手伝いの内容がキツイとか本当にそんなんじゃないの。むしろ気分転換になって助かってたっていうか……」
――気分転換? 助かってた?
「そりゃー、ずっと屋敷の中にいたら飽きるよな。気分転換に俺とどっか遊びに行く?」
「キョォオオ」
「痛っ! 冗談だって」
キョウは何度響から肘打ちをくらえば気が済むのか……口をへの字に曲げて脇腹をさすっている。
「どこか旅に……」
カイリの小さな呟きを聞いた途端、小花の顔色が変わった。
「違うの、本当に違うの。この町を出てどこかに行きたいわけじゃないの。むしろここにいたいの! ……あのね……えっと……」
カイリの真っすぐな眼差しが、小花の気持ちをとうとう揺るがした。言いにくそうにしばらく体を揺らしたあと、なんとか聞き取れる程度の声で呟いた。
「ね、寝不足なの……」
「――寝不足!?」
皆の声が見事に揃う。小花の体がキュッと萎縮した。
「全然寝てないのか?」
柊も初耳だったようだ。
「違う違う、まったく寝れてないわけじゃないよ。毎日……同じ夢を見るの。それが怖くて、寝るの我慢してただけ」
「毎日とは、どのくらい前からですか?」
「大蛇を退治して、目を覚ましてからです……」
(それって――)
部屋の中が静まり返った。
なんということだ……小花は一月もの間、同じ夢を見続けているのだ。ただ事ではない状況に、清流の顔つきが変わる。
「どんな夢か話してもらえますか?」
「えっと、夢の内容は――」
荒れ果てた村、血生臭い匂い、罵り合う声、岩の上に座り夜空を見上げる男の人、白い彼岸花。
そして、毎回頭が割れるような落雷の音で目が覚めるという。
「師匠、大蛇の呪いでしょうか」
「いえ、大蛇は浄化しましたから、呪いが残っているとは思えません」
「清流様。肉体だけでなく精神に干渉した場合、医術で治せるものですか?」
響の質問に清流は考え込んでしまった。なにせ、大蛇ほどの妖と同化しかけたとなると、清流も初めてのことなので簡単に答えることができない。
「あの……、同化の最中に大蛇の記憶と感情が私の中に流れ込んできました」
「それはどんなものでしたか?」
「大蛇は生前小さな蛇でした。ケガをした蛇を男の子が助けてくれて、蛇はその子に会いに行ったけど、人間に見つかってひどい殺され方をされてしまいました」
あの時、大蛇は言っていた。
人間は頭を潰し、喉を切り裂き、お腹を切り刻んで体を焼き払ったと。
小花はとてもつらい記憶に耐えるように目をつむる。そして寒さで震える時のように両手で自分の腕を抱き寄せ、大蛇の記憶の続きを話し始めた。
「死後、再び意識を取り戻した蛇は、巨大な白蛇の姿に変わっていました。会うことができなかった男の子のもとにもう一度行くと、蛇を殺した村の人たちは『白蛇は神の使いだ』と喜んで、今度は白蛇を丁重にもてなして崇めたんです――」
白蛇の妖へと姿を変えた蛇は大いに驚いた。以前の自分と何が違うのか……。
何度も考えるうちに、人々が口にする「白蛇」という言葉が引っかかった。そして、ついに気づいてしまったのだ。
見た目だけ……たったそれだけのことで、自分が殺されたということを。
見た目の美醜で判断する人々の浅はかさ。勝手に美しさの基準を作り、それから外れれば排除しようとする傲慢さ。
白蛇の正体が残虐に殺したあの小さな蛇だとも気づかずに、『神の使い』だと貢ぎ物をこしらえて、頭を下げて自分たちの都合のいい願いを言い連ねる。
本当に愚かだ。
馬鹿馬鹿しすぎて笑いが止まらなかった。
恨みが抑えきれず、人間が食べたくて食べたくてたまらなくなった――。
小花はなんとかみんなに伝えようと、つらい気持ちを我慢しながら口にした。
「それから……せ、赤眼の女の人を……うっ」
それ以上は我慢の限界だった。小花は吐きそうになる口元をとっさに手で押さえて、目から涙をポロポロとこぼしている。
「よく話してくれました。これ以上は大丈夫ですよ。つらい思いをさせてすみません」
清流は、吐き気が治るように小花の震える背中をゆっくりとさすった。
小花はこんなにもつらい思いをしながら、なぜ一月もの間黙っていたのだろう。
「みんなに心配かけたくなくて、黙っててごめんなさい……」
――ああ……そうか。
(俺たちがそうさせてしまったんだ……)
大蛇との戦いで生死を彷徨った小花に、カイリたちは何度も謝った。あの時のこともあって、悪夢のことを話せばもっと皆を心配させてしまう、そんなふうに思ったのだろう。困っていても言い出せず、悪夢を見ないために睡眠時間を削った結果、ついに倒れてしまったのだ。
「小花、悪夢を見なくなる方法をみんなで考えよう」
「謝ることない、言えずにつらかったな」
「僕、悪夢を跳ね返す札がないか探してみるよ!」
「カイリ、柊兄、時之介……」
「小花、『癒しの使い魔』行こう!」
「うーん、やっぱり俺の添い寝が必要かな」
「バカ! そういうのは必要ないって」
「響さん、キョウ」
清流は小花の背中をさすりながら笑顔を向ける。皆、自分たちがついていると小花に伝えたかった。
「みんな、ありがとう!」
笑いながら涙を流す小花を囲み、彼らは目を合わせて頷いた。
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