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第三章
本当の気持ち
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その日の夜。
小花の家に柊家族も加わり、 無事に赤眼の村に帰ってきたお祝いと、できなかった小花の十五歳のお祝いが合わせて行われた。
飲んで食べて昔の思い出を語り合い、小花が興奮気味に話す土産話を家族は嬉しそうに聞き入っている。皆の顔からは笑顔が溢れ、笑い声が絶えることはなかった。
「とてもおいしかったです。ごちそうさまでした」
「カイリ、明日早いんだろ? もう休むか?」
「いえ、少し夜風に当たってきます」
「あまり長くなるなよ」
カイリは心配そうな柊に軽く頭を下げ、静かな場所を求めて外へ出た。小花の家の近くを流れる小川まで足を運び、久遠の屋敷が佇む竹林の向こう側を見つめてため息を漏らした。
(どうしたものか……)
その場に腰を下ろして黒狐を放ち、寄り添う体を「よしよし」となでてやる。「はぁ」ともう一度ため息ついて、立てた膝の間に顔をうずめた。
「――カイリ君!?」
こちらに歩いてきたのは小花の母だ。
「わっ、立派な使い魔だね。今、ちょっといいかな」
「あっ、はい」
「小花が出ていった時は、もう二度と会えないことも覚悟してたの。カイリ君と時之介君のおかげで、またあの子に会えた。本当にありがとう」
小花の母は、目頭を抑えながらカイリの隣に座った。
「今日は、あの子が料理しててビックリしちゃった。顔つきも会わない間に大人びてて、ああ……どんどん遠くに行っちゃうんだなってちょっと寂しく感じたりね。三堂のお母様には、すいぶん可愛がってもらったみたいで。お礼の文を送るつもりだけど、カイリ君からもお母様によろしく伝えてもらえるかな」
「はい。 でも、助けてもらったのは私たち親子の方で。小花にはとても感謝しています」
「カイリ君はさ、小花のこと好き?」
流れるような会話の中に、突然異物、いや爆発物が投げ込まれた。カイリはその質問を受けて、一瞬固まってしまった。
「――え、えっ!? あ、あの……」
「あはは、急だったね。ごめんごめん」
慌てるカイリの姿に、小花の母は満足げに微笑んだ。
「もしも君が小花を好きなら、これから始まることが全部終わった時に、あの子と向き合ってあげて欲しいんだ。すごく……本当にいい子だから」
まだ始まってもいない戦いが、全部終わった時――。カイリはすぐに言葉が出てこなかった。
「……はい。わかりました」
「ありがとう。あの子ももう十五歳だから、こういうお節介は嫌がられるってわかってるんだけど……バレたら怒られちゃうから、内緒にしててね。あっ、噂をすれば――」
「ちょっとお母さん! カイリと何話してるの!?」
母がカイリと二人でいるところを目撃して、大慌てで走ってきたようだ。
「あんたと柊がお世話になったお礼。私は先に戻るね」
「うん……わかった」
小花は疑心たっぷりに母が家に入るのを見届けると、ようやくカイリの隣に座った。
「お母さんはお節介なところがあるから、変なこと言われたなら忘れてね」
ムスッと拗ねる小花が可愛くて、カイリはつい笑ってしまう。
「え!? なんで今笑ったの?」
「ううん、なんでもない。 素敵な家族だな。それに、いい村だ」
「うん、ありがとう」
そのあとしばらく、二人は黙って遠くを見つめ奏でられる虫の音を聞いていたが、黒狐の尻尾をなでていた小花は真っすぐ前を向くカイリを心苦しそうに覗き見た。
「カイリ……今日は役に立たなくてごめんなさい」
小花は自分の非力さを気に病んで、顔を伏せて唇を噛んだ。
久遠の気持ちを動かすことができなかったのは、彼にとって小花自身がそれに値するだけの価値がなかったからだと自分をひどく責めているようなのだ。
「小花は悪くないから……自分を責めなくていい。邪神は揉め事に関与しない。雷神もそう言ってただろ? きっと誰が言っても無理だったんだ。ほら、タケが味方になってくれたし気にするな」
もともと邪神は静かな場所を好み、人々の前に現れて揉め事を起こすことはない。
紫花や真珠が亡くなった時のように、邪神自らが動いてほかの妖に制裁を加えるなど通常ではありえない。よっぽど特別なことなのだ。
カイリは小花に責任を感じさせてしまい、むしろ自分の方が何もできなかったと心を咎めた。
「それから……お、掟を破ってこの村に連れてきてくれたこと、感謝してる。その……全然知らなくて、ごめん」
―― 村に連れてきていいのは、婚姻を結ぶ相手だけ。
カイリは小花から目をそらして、少し言いにくそうに礼を述べた。
「あ、ああ、それ!? 命の恩人は特別だよ!」
うわずった声で答える小花は笑顔だが、わずかに陰りが見える。やはり、ずっと無理をしていたからだろう。
『二人は結婚するのか』『小花のお婿さん?』と村の人々に聞かれるたびに「違う」と答えた二人。小花は、カイリから告白の返事を待つ身だ。一度や二度ならまだしも、何度もカイリが否定する姿は見ていてつらかっただろう。
「それよりさ、久遠様を説得しに毎日屋敷に通うね! もし最後まで力を貸してもらえなくても、疫神は私が必ず浄化するから!! 私よりすごい浄化師はいない、そうでしょ?」
気を取り直すように、小花は両手に拳を作って息を荒くした。
妖を見ただけでも腰を抜かしそうなこの可愛らしい少女が、 邪神に挑む姿など誰が想像できようか。小花の存在はカイリに勇気を与えてくれる。
カイリは無意識に小花の頭をそっとなでると、目を細めて微笑んだ。
(ああ……ずっと、ずっと一緒にいられたらいいのに……)
カイリは今から自分が言おうとしていることを思い浮かべた時、無性に泣きたくなった。張り詰めた糸が切れたように、心に建てた分厚い壁にヒビが入っていく。
「小花……」
「何?」
言わなくては……今、言わなくては……
愛しいこの顔を見て、今――
「出会えて良かった……俺を好きになってくれてありがとう」
カイリの涙ぐむ目と笑顔を見た小花の瞳が、これ以上ないほど大きく乱れた。
「ごめんな……小花」
グッと下がった口の端が震え、すべてを悟った小花はわっと泣きだした。
「泣きながらでいいから聞いてほしい。疫神から身を守るために、これから先はこの村で暮らすんだ。泰土の町にも戻ったらいけない。もしもこの村から出たいなら、封印の儀式を受けてからにしてほしい」
小花には、十五歳の誕生日、村を飛び出してまで叶えたかった夢がある。この村に閉じ込められることを嫌がっているのは承知の上だ。
儀式のことも、彼女は自分の浄化能力を誇りに思っているし、疫神を浄化できるのは自分だけだと分かっている。その能力を手放すことなどできるわけがない。
つまり、カイリが言いたいのは『この村から一歩も出るな』ということだ。
「この村にさえいれば、外で何があってもお前の命は守られるから。生きてさえいれば未来は失われないから……わかったな」
小花はカイリのすべての言葉を否定するように、勢いよく首を横に振る。
「私の未来にカイリがいなかったら、生きてる意味なんてない……またそばにいられるって言った……ほんの少し離れるだけ、またすぐに会える……」
『嫌だ……離れたくない、ずっと一緒にいたい』
何度も泣きながら訴えてくる小花の姿に、ヒビの入ったカイリの心の壁がグラグラと揺れ動く。
カイリも当然小花と同じ気持ちだ。本当に伝えたい言葉もほかにある。
しかしその言葉を言ってしまえば、小花を久遠やタケ、真珠や雷神のような待ち続けるモノにしてしまうだろう。カイリはそれだけはどうしても避けたかった。
「私が一緒に戦わないと雷神様を呼べないよ! 私が真珠さんに――」
「わかってるよ。でも、小花はこの村にいて」
「でも……」
「お願いだから……困らせないで……」
カイリの弱りきった声を聞いて、小花はピタリと口を閉じた。静かな夜に彼女の浅くヒクつく呼吸だけが聞こえてくる。
「わかった……」
小花の声が、カイリの心を冷たくさせた。
「いっぱい泣いてごめんなさい。カイリの気持ちよくわかったよ。もう困らせない……これで、お別れなんだね」
『お別れ』という言葉が胸に刺さる。
しかし、カイリは決して泣き顔は見せまいと、まじめな顔を繕って頷いた。すべてを諦めたように目を伏せた小花は、最後の最後に花の咲くような笑顔をカイリに送った。
「さようなら。私と出会ってくれて、ありがとう」
(…………なんで)
十分に覚悟はしていたはずなのに、どうしてこんなにも溢れてくるのだ。
とめどなく流れ落ちる涙を止められないカイリを、小花の瞳が映している。
「かっこ悪いところ見せてごめん」
カイリは右の手のひらで下を向いた顔を隠した。ゆっくりと小さく横に振っていた小花の頭が、次第に大きくなる。
「かっこ悪くなんてないよ。泣いてるカイリも苦しんでるカイリも、どんな失敗したって一生懸命なカイリはかっこいいんだよ。そんなところも丸ごと全部好きなんだから」
そうか……勘違いしてた……。
今ここで別れたら、忘れられなくなるのは『俺』の方だ。
――『カイリ、言霊って知ってる? 願いを口にすると叶うそうよ』
脳裏に浮かぶ母の言葉。
言霊は俺に力を貸してくれるだろうか…………いや、願いを叶えるのは自分自身だ。言葉に力を与えるのは言葉にした俺なんだ!!
カイリの想いが心の壁を完全に壊した。小花の小さな両手を取り、カイリは自分の大きな手で包み込んだ。
「小花ごめん、悲しい思いをさせてごめん。これから話すこと、ちゃんと聞いてほしい。俺、必ず生きて帰ってくるから……絶対に迎えに来るから。そしたら――」
「ずっと一緒にいよう」
カイリの目が弧を描いた時、流れた涙が月明かりを浴びてキラリと光った。
呼吸の乱れで大きく肩を動かす小花の両目が、真偽を確かめようとカイリの瞳を貫いてしまいそうなほど凝視している。
「もう一度言った方がいい?」
首を傾げて微笑めば、小花はぐしゃっと顔を歪ませてカイリの胸に飛び込んだ。
「ずっと待ってる。ずっとずっと待ってる!!」
むせび泣く小花は、カイリの背中に腕を回して力一杯抱きしめた。うるさく打ちつける二人の鼓動が重なって、一つの大きな心音を奏でている。
「だ、誰かに見られるよ……」
小花は、そんなの構わないと訴えるように首を横に振る。
置き場所を迷っていたカイリの両手が優しく小花を抱きしめた時。カイリたちに寄り添うように地面に寝そべっていた黒狐が、下ろしていた尻尾をふわりと上げ外から見えないように二人を囲った。
「外から……見えないね」
「うん」
見つめ合う二人の顔がそっと近づいた――。
小花の家に柊家族も加わり、 無事に赤眼の村に帰ってきたお祝いと、できなかった小花の十五歳のお祝いが合わせて行われた。
飲んで食べて昔の思い出を語り合い、小花が興奮気味に話す土産話を家族は嬉しそうに聞き入っている。皆の顔からは笑顔が溢れ、笑い声が絶えることはなかった。
「とてもおいしかったです。ごちそうさまでした」
「カイリ、明日早いんだろ? もう休むか?」
「いえ、少し夜風に当たってきます」
「あまり長くなるなよ」
カイリは心配そうな柊に軽く頭を下げ、静かな場所を求めて外へ出た。小花の家の近くを流れる小川まで足を運び、久遠の屋敷が佇む竹林の向こう側を見つめてため息を漏らした。
(どうしたものか……)
その場に腰を下ろして黒狐を放ち、寄り添う体を「よしよし」となでてやる。「はぁ」ともう一度ため息ついて、立てた膝の間に顔をうずめた。
「――カイリ君!?」
こちらに歩いてきたのは小花の母だ。
「わっ、立派な使い魔だね。今、ちょっといいかな」
「あっ、はい」
「小花が出ていった時は、もう二度と会えないことも覚悟してたの。カイリ君と時之介君のおかげで、またあの子に会えた。本当にありがとう」
小花の母は、目頭を抑えながらカイリの隣に座った。
「今日は、あの子が料理しててビックリしちゃった。顔つきも会わない間に大人びてて、ああ……どんどん遠くに行っちゃうんだなってちょっと寂しく感じたりね。三堂のお母様には、すいぶん可愛がってもらったみたいで。お礼の文を送るつもりだけど、カイリ君からもお母様によろしく伝えてもらえるかな」
「はい。 でも、助けてもらったのは私たち親子の方で。小花にはとても感謝しています」
「カイリ君はさ、小花のこと好き?」
流れるような会話の中に、突然異物、いや爆発物が投げ込まれた。カイリはその質問を受けて、一瞬固まってしまった。
「――え、えっ!? あ、あの……」
「あはは、急だったね。ごめんごめん」
慌てるカイリの姿に、小花の母は満足げに微笑んだ。
「もしも君が小花を好きなら、これから始まることが全部終わった時に、あの子と向き合ってあげて欲しいんだ。すごく……本当にいい子だから」
まだ始まってもいない戦いが、全部終わった時――。カイリはすぐに言葉が出てこなかった。
「……はい。わかりました」
「ありがとう。あの子ももう十五歳だから、こういうお節介は嫌がられるってわかってるんだけど……バレたら怒られちゃうから、内緒にしててね。あっ、噂をすれば――」
「ちょっとお母さん! カイリと何話してるの!?」
母がカイリと二人でいるところを目撃して、大慌てで走ってきたようだ。
「あんたと柊がお世話になったお礼。私は先に戻るね」
「うん……わかった」
小花は疑心たっぷりに母が家に入るのを見届けると、ようやくカイリの隣に座った。
「お母さんはお節介なところがあるから、変なこと言われたなら忘れてね」
ムスッと拗ねる小花が可愛くて、カイリはつい笑ってしまう。
「え!? なんで今笑ったの?」
「ううん、なんでもない。 素敵な家族だな。それに、いい村だ」
「うん、ありがとう」
そのあとしばらく、二人は黙って遠くを見つめ奏でられる虫の音を聞いていたが、黒狐の尻尾をなでていた小花は真っすぐ前を向くカイリを心苦しそうに覗き見た。
「カイリ……今日は役に立たなくてごめんなさい」
小花は自分の非力さを気に病んで、顔を伏せて唇を噛んだ。
久遠の気持ちを動かすことができなかったのは、彼にとって小花自身がそれに値するだけの価値がなかったからだと自分をひどく責めているようなのだ。
「小花は悪くないから……自分を責めなくていい。邪神は揉め事に関与しない。雷神もそう言ってただろ? きっと誰が言っても無理だったんだ。ほら、タケが味方になってくれたし気にするな」
もともと邪神は静かな場所を好み、人々の前に現れて揉め事を起こすことはない。
紫花や真珠が亡くなった時のように、邪神自らが動いてほかの妖に制裁を加えるなど通常ではありえない。よっぽど特別なことなのだ。
カイリは小花に責任を感じさせてしまい、むしろ自分の方が何もできなかったと心を咎めた。
「それから……お、掟を破ってこの村に連れてきてくれたこと、感謝してる。その……全然知らなくて、ごめん」
―― 村に連れてきていいのは、婚姻を結ぶ相手だけ。
カイリは小花から目をそらして、少し言いにくそうに礼を述べた。
「あ、ああ、それ!? 命の恩人は特別だよ!」
うわずった声で答える小花は笑顔だが、わずかに陰りが見える。やはり、ずっと無理をしていたからだろう。
『二人は結婚するのか』『小花のお婿さん?』と村の人々に聞かれるたびに「違う」と答えた二人。小花は、カイリから告白の返事を待つ身だ。一度や二度ならまだしも、何度もカイリが否定する姿は見ていてつらかっただろう。
「それよりさ、久遠様を説得しに毎日屋敷に通うね! もし最後まで力を貸してもらえなくても、疫神は私が必ず浄化するから!! 私よりすごい浄化師はいない、そうでしょ?」
気を取り直すように、小花は両手に拳を作って息を荒くした。
妖を見ただけでも腰を抜かしそうなこの可愛らしい少女が、 邪神に挑む姿など誰が想像できようか。小花の存在はカイリに勇気を与えてくれる。
カイリは無意識に小花の頭をそっとなでると、目を細めて微笑んだ。
(ああ……ずっと、ずっと一緒にいられたらいいのに……)
カイリは今から自分が言おうとしていることを思い浮かべた時、無性に泣きたくなった。張り詰めた糸が切れたように、心に建てた分厚い壁にヒビが入っていく。
「小花……」
「何?」
言わなくては……今、言わなくては……
愛しいこの顔を見て、今――
「出会えて良かった……俺を好きになってくれてありがとう」
カイリの涙ぐむ目と笑顔を見た小花の瞳が、これ以上ないほど大きく乱れた。
「ごめんな……小花」
グッと下がった口の端が震え、すべてを悟った小花はわっと泣きだした。
「泣きながらでいいから聞いてほしい。疫神から身を守るために、これから先はこの村で暮らすんだ。泰土の町にも戻ったらいけない。もしもこの村から出たいなら、封印の儀式を受けてからにしてほしい」
小花には、十五歳の誕生日、村を飛び出してまで叶えたかった夢がある。この村に閉じ込められることを嫌がっているのは承知の上だ。
儀式のことも、彼女は自分の浄化能力を誇りに思っているし、疫神を浄化できるのは自分だけだと分かっている。その能力を手放すことなどできるわけがない。
つまり、カイリが言いたいのは『この村から一歩も出るな』ということだ。
「この村にさえいれば、外で何があってもお前の命は守られるから。生きてさえいれば未来は失われないから……わかったな」
小花はカイリのすべての言葉を否定するように、勢いよく首を横に振る。
「私の未来にカイリがいなかったら、生きてる意味なんてない……またそばにいられるって言った……ほんの少し離れるだけ、またすぐに会える……」
『嫌だ……離れたくない、ずっと一緒にいたい』
何度も泣きながら訴えてくる小花の姿に、ヒビの入ったカイリの心の壁がグラグラと揺れ動く。
カイリも当然小花と同じ気持ちだ。本当に伝えたい言葉もほかにある。
しかしその言葉を言ってしまえば、小花を久遠やタケ、真珠や雷神のような待ち続けるモノにしてしまうだろう。カイリはそれだけはどうしても避けたかった。
「私が一緒に戦わないと雷神様を呼べないよ! 私が真珠さんに――」
「わかってるよ。でも、小花はこの村にいて」
「でも……」
「お願いだから……困らせないで……」
カイリの弱りきった声を聞いて、小花はピタリと口を閉じた。静かな夜に彼女の浅くヒクつく呼吸だけが聞こえてくる。
「わかった……」
小花の声が、カイリの心を冷たくさせた。
「いっぱい泣いてごめんなさい。カイリの気持ちよくわかったよ。もう困らせない……これで、お別れなんだね」
『お別れ』という言葉が胸に刺さる。
しかし、カイリは決して泣き顔は見せまいと、まじめな顔を繕って頷いた。すべてを諦めたように目を伏せた小花は、最後の最後に花の咲くような笑顔をカイリに送った。
「さようなら。私と出会ってくれて、ありがとう」
(…………なんで)
十分に覚悟はしていたはずなのに、どうしてこんなにも溢れてくるのだ。
とめどなく流れ落ちる涙を止められないカイリを、小花の瞳が映している。
「かっこ悪いところ見せてごめん」
カイリは右の手のひらで下を向いた顔を隠した。ゆっくりと小さく横に振っていた小花の頭が、次第に大きくなる。
「かっこ悪くなんてないよ。泣いてるカイリも苦しんでるカイリも、どんな失敗したって一生懸命なカイリはかっこいいんだよ。そんなところも丸ごと全部好きなんだから」
そうか……勘違いしてた……。
今ここで別れたら、忘れられなくなるのは『俺』の方だ。
――『カイリ、言霊って知ってる? 願いを口にすると叶うそうよ』
脳裏に浮かぶ母の言葉。
言霊は俺に力を貸してくれるだろうか…………いや、願いを叶えるのは自分自身だ。言葉に力を与えるのは言葉にした俺なんだ!!
カイリの想いが心の壁を完全に壊した。小花の小さな両手を取り、カイリは自分の大きな手で包み込んだ。
「小花ごめん、悲しい思いをさせてごめん。これから話すこと、ちゃんと聞いてほしい。俺、必ず生きて帰ってくるから……絶対に迎えに来るから。そしたら――」
「ずっと一緒にいよう」
カイリの目が弧を描いた時、流れた涙が月明かりを浴びてキラリと光った。
呼吸の乱れで大きく肩を動かす小花の両目が、真偽を確かめようとカイリの瞳を貫いてしまいそうなほど凝視している。
「もう一度言った方がいい?」
首を傾げて微笑めば、小花はぐしゃっと顔を歪ませてカイリの胸に飛び込んだ。
「ずっと待ってる。ずっとずっと待ってる!!」
むせび泣く小花は、カイリの背中に腕を回して力一杯抱きしめた。うるさく打ちつける二人の鼓動が重なって、一つの大きな心音を奏でている。
「だ、誰かに見られるよ……」
小花は、そんなの構わないと訴えるように首を横に振る。
置き場所を迷っていたカイリの両手が優しく小花を抱きしめた時。カイリたちに寄り添うように地面に寝そべっていた黒狐が、下ろしていた尻尾をふわりと上げ外から見えないように二人を囲った。
「外から……見えないね」
「うん」
見つめ合う二人の顔がそっと近づいた――。
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