邪神〜忘れられぬ君に〜

新川はじめ

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第三章

正夢

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「もう何年も前に、清流せいりゅうがある少年を弟子にする夢を見ました……。その少年こそ……カイリ…………あなたです」


(なん……だって……!?)

 一華いちかは、昔の記憶をポツリとポツリと話し始めた。


「その頃、士英しえいは弟子を迎えたばかりで、その子にかかりきりだった。清流が弟子を迎えれば同じことが起こる。清流を取られたくなくて、その少しあとにきた弟子の申し出を断るように、清流に泣きついてしまいました……」

 それだけでなく、カイリに対して興味を持ってほしくないという理由で、一華は玄清げんせいに文の送り主について清流には秘密にするよう懇願したのだった。
 

 そしてその数年後、一華は以前夢で見た少年――カイリと清流が、深い森の中で恐ろしい大蛇と戦っている夢を見た。

「周りには、たくさんの人が血を流して倒れてた。そしたらまた、夢と同じ時期に弟子の申し出がきて……あなたと関わらせたら清流が危ない、そう思って弟子を迎えないように、もう一度反対したの……」

 一華が言っているのは、カイリの父が玄清に送った一度目と二度目の文、そして北門山きたもんざんでの大蛇退治のことだろう。

「清流を守れた……そう思って安心してたのに……。清流は、私に何も告げずに旅に出ていってしまった……」

 その頃、再び一華の夢に出てくるようになった大蛇。清流から遠ざけたはずのカイリが、清流と共に戦っている姿に一華の不安が一層高まった。

「女の子から流れる血がすごく生々しくて、ただ事じゃないと思ったんです。どうしても胸騒ぎが収まらなくて、以前届いた文の送り主を思い出して急いで泰土たいとに行きました」


 そしてあの夜、大蛇による惨劇が現実のものとなった――。血を流した小花を目にして、一華は愕然とした。

「半信半疑のまま泰土の町で過ごしていたら……カイリ、あなたの父君が大蛇に殺されたことを母君から聞きました。私の知らないところで夢が現実になってる……。確信した時、ずっと耳に残ってたあの声がしたんです」


 ――『君の願いを叶えてあげるよ』


 それは、薬草を求めて静寂森じじゃくもりに入り、白夢草はくむそうを手にした時に聞こえた声だった。


「なんで私は生きて森から出れたのか、ずっと疑問だった……」

 許しを請うために、もう一度寂静森に足を運んだ一華に疫神は告げた――。


『あの時、清流にきた弟子の申し出を断らなければ、カイリの父親は死なずに済んだかもね。でも一華、本当は父親と一緒にカイリも死ねばよかったのにって思ってるでしょ? だって彼が死ねば清流が帰ってくるからね。それに、君のためにしたことはそれだけじゃないよ。白夢草も分けてあげた。名医になるためには経験が必要だよね? だから、たくさんの人を病気にしてあげたよ』

 凍りつく一華は、短刀を抜いて首元に――



 すべてを話し終えた一華は、誰の顔も見ることができずに顔を隠したまま震え続けている。

「私があの森に入ったから……私が自分のことしか考えてなかったから……あなたの父君を死なせてしまった……ごめんなさい……」

「そんな……」

「泣かないで一華。一華は悪くない。僕が勝手に君の夢を見ただけ。一華の心の奥底にある望みを勝手に叶えてあげただけ。君は一度もそんなこと頼んでない」

 一華に語りかけていた疫神は、次いでカイリに声をかけた。

「ねえ、一華も被害者なんだ。カイリは被害者を罰せられる? 一華が心底悪い奴だったら思いっきり恨むことができたのに……残念だね。それに君たち親子が悪い」


「俺たち親子が……?」


「やっと名を馳せて、清流や士英と自信を持って肩を並べられるようになったのに、何度も『息子を清流の弟子に』ってお願いしてくる君の父親も、何度引き離しても清流の弟子になるカイリ、君も。一華にとって、すっごく邪魔だったよ」

「……俺を狙っていたのはそのため? そのために父上は死んだのか……そこまでする必要があったのか……?」

「そこまでしなきゃ未来を見せてくれた一華への恩返しにならないでしょ。みんな全然分かってない。小さな子どもが親を捨てて、夢に出てくる会ったこともない彼を選んだんだよ。絶望の中で清流だけが光って見えたんだ。一華の清流に対する愛情は異常だよ」



 カイリは唇を噛みしめる。疫神の胸糞悪いその笑みに震えが止まらなかった。

 なんという行き場のない思い。怒りをどこにぶつければいいのだろう……。

 疫神の言うとおり、一華を責めることができるだろうか。彼女がしたのは清流に『弟子をとらないで』とお願いしただけ。カイリの父は亡くなったが、一華はカイリの父を殺して欲しいとは一言も言っていない。

 ただ夢を見ただけ……。

 一華を恨みたい……けれど、一華も疫神に利用された被害者である。カイリの中で、はけ口を失った苦しみが充満していく。



「…………でも、本当に無実で済む? 君が夢を叶えるために多くの人が運命を変えられた。ケガをして、病気にされた人もいる。命を落とした人だっているね。これって本当に無実?」

 先ほどまで、一華は悪くないと言っていたその口で、今度は一華を揺さぶる。

「一華のせいで、家族みんなが地に落ちるね。清流や士英が積み上げたもの、玄清がどん底から取り返した信頼も全部水の泡だ」

「疫神! どういう理屈で話しをしてるんだ!! 自分が勝手にやったことを人のせいにするな! 自分の罪を一華になすりつけるな!」

 士英は霊刀を力いっぱい振り切る。

「君は気が短すぎる。話は最後まで聞かないと」
 疫神は、向かってくる波動と陰の気と衝突させて散らした。


「一華になすりつけるのがダメなら……じゃあ、ほかの人に肩代わりしてもらおうか。一華、彼が消えることが君の願いだったね……今からそれを叶えてあげる」

 疫神の唇が弧を描いた。


「一華、カイリに君の代わりをしてもらおう」



 ――なんて言った?

 カイリは、聞き間違いかと耳を疑った。

「少しの間、邪魔しないで」

 疫神が呟くと、散らばっていた妖たちがいっせいに清流、玄清、士英に群がった。莫大な数の妖は、その一体一体が疫神から力を与えられ一度では止めきれない。

 あっという間に、妖まみれの三つの大きな塊が出来上がり、各々の塊の中から爆発音が轟き光が何度も漏れる。

 その間も、一華は顔面を蒼白にして、ただひたすら震え続けていた。


「これでしばらくは邪魔されない。ねえ、カイリ、どの辺りの人たちまで僕らが見えているのかな。何を話しているのかわからなくても、こうしたら馬鹿なやつらにも伝わるかな」


「カ、カイリ!!」
時之介ときのすけ、手を離せ! 危ない!」

 黒狐こっこに跨っていたカイリの体が、無理矢理宙に浮かされていく。

 疫神はカイリの目の前まで移動すると、幼い子どものように無邪気に笑った。ゆっくりと腰を下ろし、頭を下げて片膝をつく。その姿を見たものは皆思うだろう。


 ――『私は、あなたのしもべです』


「なっ、何して――」

 その場を目撃したすべての人たちが、目を見開き絶句した。そして、その静寂はどっと溢れた罵声によって一瞬にして掻き消された。
 

「疫神が跪いたぞ!!」
「あいつ、やっぱり疫神と繋がっていたんだな!!」
「この親殺しが!!」


 カイリの心臓がバクバクと打ちつける。

(違う……!!)

 疫神は立ち上がり、もう一度カイリに頭を下げると罵る者に手をかざして宙に浮かせた。

『やめろ!!』

 そう言いたいのに声が出ない。止めたいのにカイリの体は石のように固まって動かない。

 疫神はカイリに笑顔を向けて頷くと、空高く浮かせた者を地面に強く叩き落とした。

三堂みどうの息子!! やめさせろ!!」
「お前それでも人間か!!」
「見ろ! 一華様の着物に血が!!」
「あいつ疫神に心を売ったんだ! あいつを殺せ!! 全部あいつのせいだ!!」

 疫神はカイリの背後に移動すると、耳元で囁いた。

「憎いでしょ? あいつら全員殺そうか……」

 鐘が鳴り響くように『殺せ』という声が反響し、カイリの脳内を埋め尽くしていく。

 カイリの瞳は輝きを失い、虚ろに変わった。

 俺が何したっていうんだ。
 俺は被害者なのに……
 理性ってなんだ?
 人を許すってなんだ?

 そんなの……今の俺に必要ない。

 憎い……憎い……


 ――ここにいるやつら、全員憎い!!


 カイリの体を、陰の気が包み始める。
 疫神の与えたものではなく、カイリ自身から湧き出たもの。

 真っ黒な陰の気に包まれたカイリの脳内に、強烈な怒りが込み上げた。


(ああ……これが人を殺したいという思いか。妖になった者たちが抱いた思いなのか……)

「いい陰の気だ。上級の妖になったら、こいつら全員簡単に殺せるよ。罪悪感も感じない。どう? 僕の力を分けてあげる」

 疫神の声が、陰の気の外から聞こえてくる。
 今まで不快だった彼の言葉に、信じられないほど気持ち良さを感じる。

「カイリ、今まで頑張ってきたね。どんなに苦しくても投げ出さなかった、えらいよ。周りが評価してくれなくても、僕が褒めてあげる。怖がらずにすべてを委ねてごらん。全部受け止めてあげるから」


 それは、惑わされる者の心を溶かす極上の囁き。
 まるで、泣く子をあやすような優しい母の声。
 はたまた愛する者に抱かれる心地良さ。

 わずかに残る理性を崩す、甘い誘惑の一言……


「カイリ、妖になりな」

 このまま……妖になろうか――




「惑わされちゃダメーー!!!!」

 叫び声が、カイリを閉じ込める真っ黒な世界を打ち破った。

 ――小花!?

 反射的に目を開けると、小花が上空からカイリめがけて一直線に飛び込んできた。
 カイリに抱きついた小花もろとも、真っ逆さまに落下していく。

 すぐさま建物を駆け上がった白狼はくろうが背中で二人を受け止め、そのままふわりと着地してカイリたちを地面に下ろした。


「小花……どうしてここに!?」

 カイリの胸の上に重なる小花に、陰の気が移ってしまっている。すべて受け取った小花を、激しく渦巻く嵐のような陰の気が覆う。

 上体を起こしたカイリは、小花の肩を押し上げて必死に顔を確認するが、巻き上がる陰の気の隙間から、時々しか小花の顔がみえない。


「村で待つって約束したのに、やっぱり来ちゃった。ほら、カイリも知ってのとおり、私って黙って待ってる性分じゃないでしょ?」

 目の前にいるのは本物の小花だ。カイリからの紙鳥を受け取ったタケと共に来たのだ。
 小花が飛び込んできてくれなければ、カイリは正気を失っていただろう。疫神に誘われるがまま妖となり、気が済むまで非道の限りを尽くしていたかもしれない。


「カイリ、聞いて!! カイリは何も悪くない。疫神を退治して必ず無実を証明させてみせるから。私が絶対に浄化するから。だから惑わされないで」

 小花の言葉が、抱きしめる温もりが、カイリの心を癒し洗い流してくれる。

「それに、カイリの味方は私だけじゃないよ。周りをよく見て」


「――タケ!!」
 妖猫ようびょう姿のタケが、激しく疫神を責めている。

紫花しか様の仇じゃぁぁあ!!」

 タケの鋭いひと搔きが、積年の恨みを晴らそうと疫神の腕に食い込んだ。

「――痛っ。お前、あいつの猫か……」


 それだけではない。上空では赤鷲せきじゅ青鷹そうようの背に乗る玄清と士英が。講堂の上には清流が、先ほどの妖たちを散らし術と白狼で疫神に攻撃している。

 講堂の周りを見渡せば、湧き出る妖と必死に戦うキョウと響。そして暴れ回るように妖を散らしていく彼らの使い魔、白狐びゃっこ赤狐せきこ。時之介やしゅうの姿も見える。


「あっ! カイリ!!」
「カイリ!! 目が覚めましたか!?」
「カイリ!! 俺の顔見たら安心しただろ?」

 皆は戦いながら、疫神の誘惑から目覚めたカイリの名前を呼ぶ。

「みんな……」

 信じてくれる人がいる。
 共に戦ってくれる人がいる
 そして好きだと言ってくれる人が目の前にいる。

「ねっ、一人じゃないよ」
 吹き荒れる陰の気の中で小花が笑った。

 カイリの中で、小花を愛しく思う気持ちが爆発する。好きで好きでたまらない。
 心と体で受け止めきれないほどの愛が溢れ出てくる。小花が潰れてしまいそうなほど強く力一杯抱きしめた。

「会いたかった!!!!」

 小花を覆う陰の気が、一瞬で散った。


「私も会いたかったよ」

「えへへ」と照れる小花を見つめるカイリの瞳が、輝きを取り戻していく。

「ありがとう小花!! 目が覚めた!!」

(俺も疫神のところに――んっ!?)
 立ち上がったカイリは、踏み出すのをやめた。

「ふふふふふ……」

 不気味な笑い声……

 疫神から強烈な波動が放たれ、彼の周りにいた玄清や清流たちは使い魔とともに吹き飛ばされた。

「師匠!!」
「タケちゃん!!」



「小花……来てくれたんだね」

 口元を抑えた疫神は、恍惚の笑みを浮かべて小花を見下ろした。
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